"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
休みの日、ユウキは買い物に出かけており、目当てのものを購入したので帰宅している最中だった。
西日が正面から照らし、間もなく夜の帳が降りる準備を始めている。
ユウキが歩いている道は、まっすぐに自宅へと続いており、後一〇分程度で目的地に着いてしまう程度の帰路。
仕事がある日も、ここを通って職場に向かい、帰る時も同様。
そしてアイカとチヒロ、彼女らと歩いたのもこの道だった。
「……チヒロ」
彼は呟く。
「……アイカ」
そこに出てきた二人の名前。
彼もまた、二人に対して思う所があった。
告白をされた、チヒロ。
しかし彼の中にはもう一人の人物が常にいた。
だから、チヒロを振った。
歩道を歩く彼の少し前に、横断歩道の信号が青へと変わるのを待っている幼い少女を目にする。
一人で、近くには誰もおらず親が同伴していない事は見て取れた。
ユウキが帰宅する為にその少女の横を通り過ぎる直前で、信号が変わり、目の前の少女は待っていたとばかりに駆け出す。
少女は横断歩道の先に視線を送っており、カズヤは帰宅の為に少女とは九〇度違う方向を向いている。
だからこそ、ユウキは気付いてしまった。
近くまで来ている車が、明らかに横断歩道前で停まれるスピードでは無い事を。
考えるよりも先に、身体が動く。
出かけた目的である物が入った袋が彼の手から落ちる。
無心で彼は走り出し、腕を伸ばして少女の服を掴んだ。
その腕を思い切り後方に下げれば、その力に引かれて少女もまたユウキの後方へと下げられた。
ここで、ユウキと少女の立ち位置が入れ替わる。
前方へと慣性が働くユウキに、止まる術は無い。
少女と入れ替わって、彼は迫りくる直前の車の前へと躍り出た。
その刹那、ユウキは顔を少女の方へと向ける。
歩道に倒れ込んだが、尻餅という印象で怪我は無さそうだ。
良かった、笑みを浮かべた。
尻餅をついた少女と目が合う。
彼女はこの状況がまるで呑み込めていない様にきょとんとしていた。
そして衝撃。
ユウキの身体は、側面から押し寄せた力の暴力に耐えられず、宙へと舞い、やがて地面へと転がる。
彼を撥ねた車の運転手は、一度は車を停めたが、然程間を空けずに再びアクセルを踏んで走り去った。
そのシーンを意識し、俺は道路へと倒れ込む。
そして俺の頭がある地面には、血糊が塗られていた。
既に撮影は始まっている。
俺はこれから死ぬ。
それが絶対の運命。
車に撥ねられた事は無いから、実際はどの程度の衝撃なのかは計り知れない。
だけれども、死ぬという感覚は味わった事がある。
死んでもいいと思っていた、あの日の出来事。
あの感覚は、一生忘れる事はないだろう。
何か身体の中から大事なものが徐々に抜けていく感覚。
その感覚なら、今でもはっきりと思い出せる。
「…………おじ、さん?」
顔を向けるその先で、かなちゃん演じる少女が呟いた。
その表情は、未だに目の前の事を理解出来ていない、そんな顔。
ユウキは、守れて良かったと再び微笑んだ。
少女の目が見開く。
目の前で知らない男が車に轢かれた。
その光景がショックなのだろう。
……守れて良かった。
再びそう思った。
少女は地面に手をついてゆっくりと立ち上がり、恐る恐るといった印象で、こちらへと向かってくる。
「……おじさん……いたく、ない、の……?」
覚束ない足取りでこちらへと近づく少女から、そんな言葉がかけられた。
歳の頃はまだ、五つか六つといった印象。
純粋な疑問なんだろう。
痛そうなのに泣かない、そんなありふれた疑問。
「……うん……いた、く……ない、よ……」
笑みを意識してそう返してあげる。
少女は胸の前で両手を握りしめながら俺の目の前まできて、倒れ伏せる俺を呆然と見下ろす。
徐々に死の感覚が迫ってくるのが分かった。
「……ほんとに……いたくないの……?」
彼女の再びの問いに、微かに頷く。
「……きみ、を、助けられ、て……嬉しい、か、ら……痛く、な、いよ……おれ、は、お医者さ、ん……だか、ら、ね」
医者は人の命を救う仕事。
助けられる命は、最後まで諦めずに助けたい。
だから、この死に方は本望。
こうして無事でいてくれる姿を見るだけで、痛みや苦しさが薄れる。
今際の際、それを強く意識してかなちゃんに再び笑いかけた。
少女の目が見開く。
「…………おじ、さん……死んじゃう、の……?」
彼女が放ったのは、台本に無いセリフ。
台本では、その前の言葉がかなちゃんの最後のセリフだった。
「……どうだ、ろ……おじさん、に、も……分かん、な、いや」
俺の言葉もまた、台本には無い。
そこで俺は死んだはずだから。
故にここからは全てアドリブ。
監督には、もし満足したらそのタイミングで止めてくださいと伝えている。
だから、かなちゃん。
俺が引っ張るから、その後は自分で走り出してごらん。
「……きみ、は……俺の、こ、と、なん、て……忘れ、て……幸せ、に、生き、な、よ……」
それはあの時、死に際であいに言った言葉。
故に本心からの言葉は、思いは、凄まじい力となって俺の演技に乗る。
かなちゃんの目から涙が零れた。
「…………やだよ」
ぽつりと彼女が呟く。
「……おじさんのこと、忘れない」
俺をまっすぐに見ながら彼女は言った。
かなちゃんの言葉が続く。
「……大人になっても、ずっとおぼえてるからっ」
強まる語気。
流れる涙を、彼女は気にせずに俺を見ていた。
幼い少女の言葉かと言うと怪しい。
初対面の人に対する言葉なのかは怪しい。
けれど、等身大の姿のかなちゃんが見たいから、これでいい。
「……そう、かっ……それ、は、嬉しい……な、あ……」
そう言って俺は、笑顔と共に目を瞑った。
存在しない人間をずっと憶えていてくれる。
かなちゃんの言葉は、俺の本音を引き出させた。
俺の時間はここで終わり。
さあ、かなちゃん。
ここからが、君にとっての本番だ。
今この時だけでも、あいを超える輝きをアクアに見せてやれ。
これまで色々と演技をしてきて、存在の消し方は何となく理解していた。
けれどそれを使う必要性がなく、今まで使う事は無かった。
でも、今日は本気でそれを使う。
俺は本気で、かなちゃんの前で死んでみせる。
「…………おじ、さん?」
力の抜けた少女の声。
しかし、それに答える人はいない。
何故ならもう、ここには少女一人しかいないのだから。
「……おじさん?」
再びの呼びかけ。
だが、反応はない。
「……ねえ、おじさん、起きてよ? もっと、お話ししてよっ」
微かに笑った表情で、一人となった空間で少女は話す。
「ここで寝てると、じゃまだって怒られちゃうよ……?」
笑顔の表情に止めどなく涙が流れ続けていた。
「起きてよっ、起きて、おじさんっ……起きてッ!」
叫び声と共に、その躯へとしがみついた。
「ちゃんと良い子にするからッ! くるま見ないで危なかったのちゃんとママにごめんなさいするからぁッ!」
泣き叫ぶ少女の慟哭は止まらない。
「ねえおじさんッ! 起きてッ! 起きてよぉッ!」
辺りに響き渡る少女の泣き叫ぶ声。
その姿を隠す様に、夜の帳が降り始めたのだった。
「カットッ!」
撮影終了の合図。
よーし、やっと終わった。
目を開けて起き上がる。
「……おじ、さん?」
隣からかなちゃんの声が聴こえた。
呆然と俺を見る彼女に笑いかける。
「おじさんだって、意外と良い演技出来てたでしょ?」
ずっと地面に横たわってたから、身体が少し痛い。
まあ、そんな事より。
「流石は天才子役だね。すごい良い演技でびっくりしたよ」
「……えっ?」
驚きの表情のまま声を漏らしたかなちゃんに、少し笑ってしまった。
「今のかなちゃんは絶対に、アクアに負けるわけがない演技をしてたよ」
俺の言葉に、彼女はハッとした表情を浮かべた。
「……アクアに……負けてない……」
呆然と呟く姿を見て頷く。
「うん、絶対に」
そう伝えれば、呆然とした表情から笑顔へと変わった。
「負けてない……アクアに、負けてないっ」
独り言の様に呟く声が、聞こえるがスルーしてあげるのが大人の嗜み。
俺から改めて声をかける。
「アクアに負けてない天才子役のかなちゃんは、今度アクアと共演したらどうする?」
「……アクアと共演したら」
俺の言葉に、かなちゃんは言った。
「次も絶対に負けないって言ってあげるっ!」
最高の笑顔を俺に披露してくれた。
嬉しそうにによによと笑みを浮かべるかなちゃんを見ながら、後はアクア頼んだと心の中で呟く。
今回の話は、間違いなくかなちゃんが主役になれた。
今後アクアと共演する時に、負けたといった悪感情を持たずに接する事が出来るに違いない。
嬉しそうに母親らしき人の下へ駆け寄り、褒められていた。
微笑ましい光景を見つめてから、テンションが上がっている監督に褒められつつ、血濡れメイクを落とそうと更衣室へと向かう。
更衣室には俺一人。
顔を洗おう洗面台に向かう。
その時、突然後ろから誰かに抱き付かれた。