"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
母さんとカズヤ君が出演してるドラマが、今日で七回目の放送を迎える。
以前、今日放送される回の撮影を終えて帰ってきた母さんは、何やら上機嫌な気がした。
ルビーも気付いたのか「ママー、なにか良いことあったの?」なんて聞いており、それに対して「んー? あっ、気づいちゃったっ?」と笑顔で答える。
「今日は、私の中でも最高の演技ができたなあってことかなっ」
そんな事を言う母さんに妹は、当然ながら目を輝かせ「ほんとっ? さすがママだねっ!」と、笑顔いっぱいで母に抱き付いた。
ルビーに対して、母さんも「ありがとっ、ルビー」なんて言いながら抱きしめ返す。
その光景を眺めながら、俺も妹の言葉に近い感想を抱いており、その回の放送が楽しみだと考えていた。
間もなく楽しみにしていた回の放送が始まる時間。
母さんはいつも通りソファーに座っており、俺はその前のカーペットに、ルビーは更にテレビに近い場所に座っている。
まるで楽しみの度合いを、実際の距離に置き換えた様な構図だった。
だが、このドラマを観る時の、いつもの構図でもあった。
現在CMが流れているが、そこに出ているのはカズヤ君。
というか、ここ数分のCMは全てカズヤ君が出ているCMばかりだ。
まあ次にカズヤ君が主演のドラマが始まるんだから、こうしておけばカズヤ君ファンはドラマ開始前から、このチャンネルを観ざるを得ないだろう。
この番組はカズヤ君を提供でお送り致します、と言わんばかりのその光景に、思わずそんな事を考えた。
「あっ」
不意に聴こえた声。
そちらへ顔を向ければ、スマホを手に立ち上がる母さんの姿。
「ちょっとママ電話してくるから、仲良く観ててねーっ」
そう言って玄関に続く扉の方へと歩き出す。
彼女の声に、ルビーの返事が聞こえた。
「うんっ! アクアと一緒にママの完璧な演技を網膜と脳に焼き付けとくねっ!」
えっ、俺も?
そう思ってしまったが、俺も同じ事をしようと思っていたし、反論できない。
妹が定位置に戻るのを見やりながら、渋々と顔をテレビに戻した。
扉が閉まる音が聴こえる。
母さんが外に出た合図。
放送が始まったドラマが、テレビに映し出される。
それを見ながら、僅かに考え込んでしまう。
母さんは以前から、たまにこうして電話で外に出る事があった。
だが、ここ一か月強は明らかに頻度が増えている。
まあ表情としては明るいのだから、悪い事ではないと思う。
明るく楽しそうにしている母さんを見ると、俺たちも嬉しいから。
「あっ、ママだ!」
ルビーが声を上げる。
それに合わせて意識をテレビに戻せば、母さんとヒロイン役の女優が映っている。
場所は室内で、これまでの放送から、ここがアイカの家だという事が分かる。
そこに映る二人の表情に笑顔はなく、何やら剣呑な雰囲気。
ヒロインはテーブルの前に座りながらチヒロを見ており、チヒロは立ちながら彼女に背を向けている。
『……チヒロ、ユウキ君に告白したの?』
ヒロインが真剣な表情で訊ねる。
『……したよ』
そう答えるチヒロは、背を向けたままで表情は分からない。
それを受けたヒロインは、悲し気な表情を浮かべた。
『……なんで、なんで告白なんてしたの?』
ヒロインの言葉は終わらない。
『別に、今までの関係でも良かったじゃないっ』
声を僅かに荒げて、チヒロへと問いかける。
そして静寂が訪れた。
チヒロが、口を開く。
『……今の関係じゃ、満足出来なかったから』
その言葉に、ヒロインの目が見開いた。
チヒロは言葉を続ける。
『私は、ユウキの特別になりたかったんだよね』
言い放ったチヒロの言葉に、ヒロインは声を出せない。
彼女の声色は何というか、観る者にまるで言外があるかの様に錯覚させた。
ユウキの特別、それは恋人になるという事だろう。
やがて、ヒロインは再びその表情を悲し気に変えた。
『……私たち、今までの関係には戻れないんだね』
ヒロインの言葉は、観る者の心も悲しくさせる。
何故なら視聴者は、彼女らの仲睦まじい学生生活を目にしたから。
俯いてしまったヒロインに、チヒロが声をかける。
『未来のことは分かんないよ』
彼女は続ける。
『三人で、折り合いがついたらまた仲良くなれるのかもね』
そう言って、チヒロは振り返った。
『私がユウキにフラれたの、知ってるんでしょ?』
そう訊ねる声色は淡々としており、いつも通りのチヒロといった印象。
やや間をおいて、アイカは頷いた。
『……だって、見てたから』
告げたアイカ。
シーンが切り替わる。
ヒロインが一人で歩いており、その道は視聴者が何度も目にしてきた場所だった。
彼女が進む道、それはユウキが住む家へと続く道。
ヒロインは何か小物が入っていると思われる小さな紙袋を片手に、嬉しそうな笑みを浮かべながら足を進めている。
そして、不意にその足が止まった。
道の先には人影が二つ、向かい合っている。
ヒロインは慌てて近くの電柱に身を隠した。
他に誰も歩いていない、三人だけの空間。
やや離れている程度の距離、話し声が耳に届く。
『ユウキとずっと一緒にいて、このままずっとこの関係でいるんだろうなって考えてた』
その声は、ヒロインの親友であるチヒロのもの。
『……でも、この関係を変えたいなって思ったんだ』
不意に僅かに変わった声色に、身を隠すアイカの身体が小さく震えた。
『ユウキの事が好き』
チヒロの言葉。
アイカの目が見開かれる。
『ユウキが他の人を見ると苦しくなる。ユウキがアイカと話してるのを見ると悲しくなるっ。他の誰も見ないで、ずっと私だけを見て欲しいっ』
続けられるチヒロの独白に、アイカは胸を手で押さえた。
まるで声を聞きたくないと言わんばかりに目をきつく瞑り、僅かに身を縮こまらせる。
けれども聞こえてしまう、チヒロの声。
『これは絶対に嘘じゃない、本当の気持ち』
微かに、アイカの口から『言わないで』という声が漏れた。
けれど傍観者たる彼女の言葉は、二人の下には届かない。
『ユウキ、愛してるっ』
――三人は大人になってもずっと仲良しでいます。
学生の頃に三人で行った宣言の光景が、セピア色からモノトーンへと変わる。
アイカの目から涙がこぼれ落ちた。
シーンがヒロインの家へと戻った。
静まり返った室内。
俯いたままのアイカが、ゆっくりと口を開く。
『……チヒロは、私のことどう思ってたの?』
呟かれる様に放たれた言葉を、チヒロは黙って見やる。
『私は、チヒロのこと好きだったよ……?』
ヒロインとチヒロが仲睦まじげに映る数々シーンが連続して流れる。
その光景は、如何にヒロインがチヒロを親友として好きだったのかが如実に表れていた。
『私もアイカのこと、好きだったよ』
チヒロの言葉に、アイカは顔を上げた。
『でも』
不意に変わる声色。
『私に隠れて二人で遊んでる姿を見て、嘘吐かれてたんだと思った』
相変わらず淡々と告げるチヒロを、アイカはただ見つめる事しか出来ない。
チヒロの話は続く。
『私も三人でこのまま仲良くいようと思ってた。でも、最初に裏切ったのはそっちだから、仕方ないよね』
チヒロの声色は変わらず、表情から感情は読み取れない。
微かに笑っている、それだけが分かる事だった。
チヒロは佇んでいた態勢を変え、玄関の方へと歩き出す。
アイカは止める事が出来ず、その姿をただ見ている事しか出来なかった。
玄関の前で、不意にチヒロが立ち止まる。
アイカへと背を向けたまま、彼女に告げた。
『ユウキはアイカにあげる……でも――あげないから』
その言葉を最後にチヒロは玄関を出て行った。
一人残されたアイカ。
その頬に、涙がこぼれ落ちる。
一人となった空間で、アイカは呟いた。
『……どうすればいいのか分かんないよ』
そうして、ここには居ない人物に目を向けた。
『助けてよ……ユウキ君』
画面がCMへと切り替わり、明るい音楽が鳴り響く。
途端に、今いるリビングの空気も明るくなった様に感じた。
「……ママ……すごかった」
不意に前方から届いた声。
いつも通り、後頭部をこちらに向けている妹からだった。
彼女の言葉に、今のシーンを反芻する。
「……ああ、すごかったな」
出たのはルビーの言葉に対して、同意の返し。
その言葉しか返せなかった。
以前、チヒロがユウキに告白するシーンの時の母さんの演技は、思わず鳥肌が立った。
原作を知っていてもあれは、このドラマでは確実にチヒロがヒロインなのだと思わせる演技だった。
ファンとしての思い込みでは到底済まない程に、あの時のチヒロは圧倒的なヒロインだと視聴者に思わせてきた。
よくお世話になっている監督の五反田泰志が、以前言っていた事を思い出す。
彼の、アイは可愛すぎて画面に映るとヒロインを食ってしまうという言葉。
違う映画で主演を務めた彼女を見て、確かにと思った。
けれど、あの告白シーンは明らかにそれ以上。
ヒロインを食うどころではない、彼女は作品を食ったんだ。
原作を知っている者からしても、彼女の演技は"チヒロがヒロインの方が正しい"という認識を植え付けてきた。
それ程までに、あのシーンはドラマの中でも強烈な印象を残している。
妹がSNSで反響を調べ"チヒロがヒロイン"という様な内容がトレンドを飾ったらしい。
――ママのあの演技は、演技を超えた演技みたいだったっ。
テンション爆上がりで母さんに向けて言ったルビーの評価。
それを聞いて、言い得て妙だと思った。
だがその後、カズヤ君演じるユウキから出た『ごめん』というセリフで、一気に流れを原作に戻したのだから、あの時の彼の声に込められた演技は素晴らしかったのだと思う。
そして今見たシーンの母さんの演技。
告白シーンの演技と同じく、驚愕させられた。
しかし、あの時の様な鳥肌が立つという事はない。
鳥肌が立てない程に自然で、不気味さを感じさせない演技に、ただ引き込まれた。
俺らが知っている母さんとは正反対のチヒロ。
そのチヒロに、あの時母さんはなっていた。
チヒロを演じるんじゃない、まるでチヒロになったアイを演じていると錯覚させる程に、画面に映っていた彼女は明らかにアイという人格が消えた様に見えた。
母さんの演技はやはり完璧だと、再確認。
あの時の母さんの上機嫌はその通りだと思える程に、最高の演技だった。
CMがそろそろ明けるだろう。
この後の重要な場面は、この物語のターニングポイントでもある、主人公が死ぬシーンだ。