"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
CMが明けて、ドラマが再開された。
母さんはまだ外から戻って来ない。
主人公が働いている病院のシーンが流れており、緊急搬送されてきた患者の緊急手術をしている。
オペを担当しているのはユウキではなく、別の医者役の男性。
患者の、見える状態や診られた情報から鑑みて、一刻の猶予もなさそうな雰囲気。
どうやら、その男性医師と仲の良い人物らしく、必死で助けようとしているのが観ていて伝わってくる。
その映像を妹の後頭部が視界に入りつつ見ていると、つい考え込んでしまう。
元々医者になる時、外科医を目指すつもりだった。
けれどそれを言い出せず、結果的に産婦人科医となった。
それに後悔という程まではしていないが、このシーンを見ていると、好きな小説に出てきた医者に似ている様にも感じ、前世の事を思い出してしまう。
外科医に憧れて医者になろうとしたのに産婦人科医となり、推しのアイドルの出産を担当する予定だったのに死んでしまった。
思い返せば、数奇な人生を歩んでいるのかもしれない。
たまに思い出していた外科医になりたかったという思いは、もしかしたら微かな未練として残っているのかもしれない。
だが、俺の様に出産して母親を亡くす子どもを見たくないという思いも本当であり、産婦人科医になった事自体の後悔はない。
今こうして幸せでいられるのも、もしかしたら前世で産婦人科医をしていた事が関係してるのかもしれないから。
前世でさりなちゃんやカズヤ君と出会えたのも、俺があの進路を選択したからかもしれないのだから。
しばらくと考え込んでいた様で、気付けば手術のシーンが終わり、時間的にも終盤となっていた。
主人公が買い物袋片手に、いつもの道を歩いている。
恐らくここから、主人公が死んでしまうシーンなんだろう。
主人公が、少し先に幼い女の子が立っているのを見つける。
そこに映る女の子を見て、俺は驚いた。
……あれは、有馬かな。
以前、一度だけ共演した事がある。
俺の演技に何やら対抗して監督に駄々こねてたのを憶えている。
この子も出演してたのか、彼女の姿を見ながらそんな事を考えた。
ユウキは、歩行者用信号が青に変わり横断歩道へと走り出した幼い少女を目にする。
そして同時に、明らかに横断歩道前では停まれないであろう車が、少女の間近に迫っている光景が見えた。
ユウキは走り出し、少女の服を掴んで歩道へと投げ戻す。
その瞬間に、ブレーキを踏む気配の無い車が彼の側面に触れた。
歩道に投げられた少女が目を見開く姿が、スローモーションで映される。
地面から空を見上げる映像、何かがぶつかった音と、車が激しくブレーキを踏んだ音が木霊した。
画面が切り替わり、車道に横たわる人影とその少し奥で停止した車。
フロントガラス越しに映る運転手は両手できつくハンドルを握りしめた体勢のまま、固まっている。
だがすぐに焦った表情を浮かべ、車を発進させた。
車が走り去る映像。
画面が切り替わり、倒れるユウキの顔が映る。
そして彼の視点として、少し奥で歩道に尻餅をついている幼い少女が捉えられた。
再び主人公の顔が映り、苦しそうな表情が僅かに笑みに変わる。
『…………おじ、さん?』
そこに、有馬かな演じる少女の声が聴こえた。
再びユウキ視点で少女を見る映像。
少女は現状を理解出来ていない表情で、こちらを見ている。
『……守れて良かった』
彼の心の声が、彼の声でナレーションとして聞こえる。
ユウキ視点のまま、少女はゆっくりと立ち上がった。
覚束ない足取りでユウキの方へと近付いてくる。
『……おじさん……いたく、ない、の……?』
不思議そうな表情を混ぜて、純粋な質問を彼に投げかける。
それはどこまでも、このシーンに十分見合った、等身大の女の子の姿だった。
そんな彼女の演技を見ながら、謎の既視感を抱く。
この様な演技に、何か憶えがあった。
そのシーンに合った、カメラワークや演出意図、構図、テンポなど……まるで監督の意図をある程度理解した様な芝居。
ハッとした。
――俺だ。
俺の演技に近い事を、彼女は行っている。
つまり彼女は、一度共演したあのシーンで、俺の演技の仕方を少なからず把握したという事。
……天才子役、正にその名前に相応しい才能だな。
画面に映る少女の姿を見ながら、そう思ってしまう。
幼い現在でこうなのだから、大人になればもしかしたらアイに匹敵する程の演技力を身に付けてしまうかもしれない。
漠然とそう思ってしまう程に、彼女の才能は確かだった。
今度共演する事があったら、以前素っ気ない態度で申し訳なかったと謝っておくかな……。
そんな事を思いつつ、意識をテレビに戻した。
『……きみ、を、助けられ、て……嬉しい、か、ら……痛く、な、いよ……おれ、は、お医者さ、ん……だか、ら、ね』
ユウキの言葉にハッとする。
彼の言葉は、やけに俺の胸に響いた。
『医者は人の命を救う仕事』
ユウキの心の声が聞こえてくる。
『助けられる命は、最後まで諦めずに助けたい』
それも俺の心に届き、
『だから、この死に方は本望』
俺の中に僅かばかり残っていた未練を浄化させた。
俺は確かに外科医に憧れた。
だけど、結局は人の命を救う仕事に憧れたんだ。
影響を受けたのは確かに外科医のキャラクター。
けれど、俺は自分の手で人の命を救えるという人物になりたかったんだろう。
医者は人の命を救う仕事。
産婦人科医だって、母子ともに健康で出産が行えるよう、母親が子どもが死んでしまう事がない様に、命を救う仕事。
外科医とは手段しか変わらない。
それに産婦人科医は、外科医と同じく今生きている人を救う仕事でありながら、これから生きていく人を救える仕事。
そんな医者は、他にはない。
外科医になりたい? ああ、なりたかったさ。
前世で、アイが訪れた時の事を思い出す。
――母としての幸せとアイドルとしての幸せ。
――普通は片方かもしれないけど、どっちもほしい。
――星野アイは欲張りなんだ。
彼女の言葉で、表情で……俺は何を思った。
医者としての意見とファンとしての意見が一致したんだ。
君の幸せが双子を産んで、アイドルを続けたいという事なら、それに従うと。
僕はどうしようもないほど君の
ならば、君の幸せを手助け出来る仕事が出来ている事を誇りに思わずにはいられない。
割り切りが完了した。
外科医になりたい? ああ、なりたかったさ。
けど、俺は……なったのが産婦人科医で良かった。
心が僅かに軽くなったのを感じながら、再び意識をテレビに戻す。
そこには、最早風前の灯火となったユウキの姿と、涙を流しながら立ちすくむ少女の姿。
『……そう、かっ……それ、は、嬉しい……な、あ……』
ユウキの言葉の直後、俺の心臓が激しく高鳴った。
それは、死。
ユウキが、死んだ。
否……カズヤ君が、死んだ。
迫真の演技なんてものではなく、ユウキの姿が、まるで中身の無い人形の様に見えてしまった。
ユウキの中にいる筈の、演じているカズヤ君が姿を消した。
画面に映るそれは、誰も演じていないユウキの死体という実体になってしまった。
血だらけで、生気を微塵も感じない。
その感覚に、もう一度の既視感を抱いた。
「――ぐッ」
その姿に、頭が割れる様な痛みが走った。
『…………おじ、さん?』
テレビから有馬かなの声が聞こえるが、見る事が出来ない。
右手で頭を押さえる。
ルビーは未だにテレビを観ており、こちらを気付く様子はない。
妹にバレない様に、必死に慎重に鼻で深呼吸を繰り返す。
頭の中で砂嵐の様なノイズが広がり続け、やがてその奥に映像が浮かび上がってきた。
夜、森の中――。
点々と灯りを灯す街灯――。
木々に囲まれた道――。
医者の恰好をした俺。
そこに……話しかけてきた男。
男が森の中に逃げ込み、それを追いかける俺。
――そいつを追うなッ。
その光景に、頭の中で叫ぶが何も変わらない。
そして男を見失った俺。
そして――背中に走った衝撃。
俺の、前世での最後の光景だった。
そこで思い出した。
徐々に頭痛がひいていく。
身体はまるで、過酷な運動をしたかの様に疲労感に包まれ、額から汗が止まらなかった。
ちらりとテレビの方に顔を向ければ、ドラマのエンドロールが流れている。
その前に座る妹は、相変わらずこちらに後頭部を向けていた。
そんな姿に密かに安堵。
ルビーにバレなくて良かったと。
段々と呼吸も落ち着きを取り戻し、思考もクリアになってくる。
そして思い返す、先程の映像。
俺が、前世で死んだ原因。
――あんた、アイの担当医?
俺を殺した男は確かにそう言った。
そして、その姿は黒ずくめ。
男が顔を隠していたのはパーカーのフード。
そこまで考えて、別の記憶がフラッシュバックした。
今もまだ記憶に新しい、アイの輝かしいドームライブ。
ライブ前に、関係者入り口付近から見えた遠くの光景。
警備員に取り押さえられた男。
その後は逃げて、道路で車に撥ねられて死亡したという記事を見た。
そして、その男はナイフを所持していたとも。
二つの記憶が一つになる。
前世で俺を殺した男。
黒のパーカーのフードで顔を隠した若い男。
ドームライブで見た取り押さえられている男。
黒のパーカーでフードを被っていた。
――あんた、アイの担当医?
ああ、そういう事だったのか。
俺を殺した犯人は、ほぼ間違いなくドームライブで見た男と同一人物。
同じ服だったのと、輪郭が同じ様に見えた。
詳しくはその男を調べ直して確認すれば、恐らく確証を得られるだろう。
もしかしたら、やはりアイのファンでストーカーだろうか。
……俺も迂闊だった。
関係者? 名前を聞いてもいいか?
そんな風に訊ねてしまった。
アイはあの時偽名を使っていたのだから、白を切れば良かったんだ。
俺の死は自業自得なのかもしれない。
そして、実行犯は死んだ。
けれど、何故あの男があの場に来て、俺にそんな事を聞いてきたのか。
そしてファンならファンとすぐに答えれば良いだろう。
それか関係者と嘘をついても良かった。
アイに会いたいならば、逃げる事はせず俺を拘束するなり痛めつけるなりして、無理やりにでも吐かせれば良かったはず。
だがあの男は動機も、正体も明かさずに逃げた。
そしてドームライブ当日の光景。
そこから導き出される答えは――。
あの男はアイを殺そうとしていた。
その結論に、浮かぶ感情は怒り。
それも人生で経験が無い程に激しい昂り。
落ち着かない思考の中で、冷静な頭が別の事を考え出した。
あの男がアイのファンだとしたら、アイを殺す理由は何か。
それは熱狂的な信者であれば、彼女に何か裏切られた、アイがそんな人だとは思わなかったという様な感情が生まれれば、そういった行動に出るかもしれない。
問題はその理由だ。
俺にアイの担当医か聞いてきて、俺を殺して彼女も殺そうとした。
つまり、俺を生かしておくとあの男の不利益となり、その不利益とはファンからすれば裏切られたという事。
ファンがアイドルに幻滅しやすいポイントは、ざっと考えてもいくつか思い浮かぶ。
恋人がいる、結婚している――妊娠している。
いずれも男関係のしがらみだが、あの時のアイの状態、俺を殺す理由から推察するに、妊娠している事があの男にバレたんだろう。
担当医の俺を殺せば、アイは出産出来なくなるとか、そういった考えだろうか。
だが……、
何故、男はアイの妊娠を知っていた?
その疑問が浮かぶ。
今までアイの妊娠や出産、子どもがいる事は完璧に隠し通せてる。
俺やルビーは、対外的には斉藤社長とミヤコさんの子どもになっているからだ。
ならば、誰が彼女の妊娠や出産を知っているというのか。
そして、唯一可能性のある人物が思い浮かんだ。
――アイを妊娠させた男。
つまり俺とルビーの、父親。
その人物ならば、アイから色々聞く事が出来るだろう。
斉藤社長ですら、知らない人物。
その男が、実行犯にアイの妊娠や居場所を教えた。
そして……ドームライブの朝。
母さんの膝辺りから確かに感じた血の匂い。
同時に思い浮かんだ推察に、心臓が痛い程高鳴った。
アイはあの日の朝に一度、殺されかけた。
ドームという、警備が厳重な場所よりも自宅付近なら間違いなく犯行に及びやすい。
そして、この場所を知っているとすれば斉藤佐長、ミヤコさん。
だが、彼らはアイが所属する事務所の人間。
そしてアイはその事務所の一大看板アイドル。
しかも念願のドームライブ当日。
彼らに動機は皆無だろう。
ならば他にここを知っている人物がいるとするならば……俺たちの父親だけ。
思い返せば母さんはあの朝、珍しく散歩にでかけた。
あの時はドームライブで流石に緊張しているのかと思っていたが、今は違う。
俺たちの父親に呼び出された可能性が高い。
そして運良く助かり、家に帰ってきた。
ならば、帰ってきた後のいつもと違う、俺たちに初めて愛してると言ってくれた状況も理解出来る。
つまり――、
俺たちの父親は、アイを殺そうとしている。