"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
ドアを開けて、玄関から家に入る。
リビングには誰もおらず、まっすぐに寝室へと向かった。
そこで目にした光景は、気持ちよさそうに眠る我が子たちの姿。
それを見て、より涙が止まらなかった。
けれど先程までと違い、心が暖かくなる涙。
――あぁ、やっぱり愛してるっ。
眠っている子どもたちの、そんな当たり前の光景。
それが何よりも愛おしく、輝いていた。
間違いない、やっぱり私はこの子たちの事を愛してる。
……だから、もう大丈夫。
この子たちを愛して、幸せにしていくのが、アイドルを引退したら私がやる事。
それを再確認出来た。
眠っている子たちを眺めると、暖かい気持ちと幸せという感情がどんどん強くなる。
これが、本当の幸せなんだ。
私がお腹を痛めて産んだ、正真正銘の家族。
この家族がいれば、もう何もいらない。
絶対に幸せにしてあげるからね……。
その想いを込めて二人を見つめた後、寝室を後にした。
リビングへと移り、ソファーに座りながらスマホを点ける。
開いたのはメッセージアプリ。
その一番上に表示されている名前は"木村 愛"。
指で長押しすれば、メニューがポップアップされる。
その中に表示される、"削除"の文字。
指をその上に浮かせる。
けれど、すぐには指を下ろす事が出来なかった。
思い返される記憶。
それは小学生の頃に初めて会った時から、先程までの記憶。
それがダイジェストの様に、私の頭の中で流れていく。
一度、目を瞑った。
これで、終わりにする。
私の未練も全て。
……ありがとうなんて言わない。さよなら、私の思い出。
目を開けて、削除のボタンを押した。
そして連絡先からも同様に削除する。
私の過去の清算は、これで終わり。
心臓に走り続ける僅かな痛みはきっと、心の弱い母親から生まれた私の中にある、憎たらしい遺伝子のせいに違いない。
けれど、これはいつかなくなってくれるだろう。
我が子たちを愛し続けていれば、いずれなくなるはずだから。
女の幸せは、もういらない。
私には、母親としての幸せだけあればいいから。
だから、まずはアイドルとしての幸せをしっかりと今日で手に入れる。
――今日アイドルの引退ライブなんだろ? そんなに泣いてて大丈夫か?
不意に男の言葉が浮かんできて、思わず苛立ってしまう。
……アンタなんかに言われなくても、私は完璧で究極のアイドルなんだ。
集大成と呼べる今日のライブも絶対に成功させる。
微塵もミスや後悔は許されない。
それがあると、あの男の言葉に踊らされたみたいで悔やんでも悔やみきれない。
まだ社長たちが来るまで、全然余裕がある。
ファンを愛するためにエゴサでもしよっかな?
そう考えて、SNSアプリを開き"アイ"で検索。
検索結果には、たくさんの私に関する投稿が表示された。
『アイを推せるのも今日で最後か……』
『アイもB小町も寂しいけど、後悔ないように今日のライブは全力で楽しむしかないな!』
『はぁ……明日からアイロスに耐えられるか心配』
『アイがいなくなるなんて……認められない……』
『アイの最後のライブ……乗るしかねえ、このビッグウェーブにッ!』
早朝だからか、少し前までの時間の投稿が表示される。
画面を指で下から上にスクロールしていけば、似た様な投稿がたくさんあった。
みんな、本当にアイのことを愛してくれてたんだなぁ……。
投稿を見ながら、そんな感想が浮かんでくる。
そして
絶対に、最高で完璧なライブにしてみせる……!
今まで以上に、私の想いを皆に届けたいという感情が大きくなる。
あの子たちにも、私が最強のアイドルだっていうとこ、しっかりと見せないとね。
早くライブをやりたい、そう思いながらエゴサを続けた。
社長が運転する車で、ライブ会場であるドームに向かった。
七年ぶりのドーム。
外から見るその姿は、当時のままに感じた。
関係者入り口から中に入る。
その直前、後方が何やら騒がしいので見てみれば、警備員と揉める人の姿。
それを見て、ふと七年前の同じシーンを思い出した。
警備員に拘束された、私のストーカーの姿――。
けど、そんな記憶はすぐに頭から飛ばす。
何も関係ない。
私はこのライブを、完璧に行うだけ。
引退ライブを、伝説のライブとして大成功させるだけ。
アイの、B小町の集大成を見せるだけだから。
だから、ライブ以外の事は全て頭から排除する。
そのまま更衣室に向かい、着替えを始めた。
リハーサルは問題なく終わり、間もなく本番という時間。
控室を出て、メンバー全員で舞台裏に向かう。
最初は四人で始まったB小町だけど、途中からメンバーが増えて最終的には七名になった。
初期の頃、人気が高い私に嫌がらせをしてくるメンバーもいたけど、結果的には仲直りして、無事に全員で今日を迎えられた。
それが上手くいったのも、私が完璧でいられたから。
だから皆も、最初は私の人気に嫉妬したりしてたけど、結果的には認めてくれた。
完璧じゃなかったら、きっと途中で認められず、メンバーが脱退かグループが空中分解していたに違いない。
脳内に一人の人間が思い浮かぶ。
けれど、頭を振る事で消した。
関係ない。
そう自分に言い聞かせて、後ろを振り返った。
そこには六人の仲間。
ここの皆とこうしてやってこれて、こうして有終の美を飾れるのはとても嬉しい。
だから、今日という日をとことん楽しみたい。
皆で、一丸となって。
「ねえっ、円陣組もっかっ」
そんなこと、今までやった事はなかった。
今日は、アイとして完璧なライブにしなきゃない。
だけどそれ以上に、B小町としてこれ以上ないライブにしたいから。
皆は不思議そうに私を見てくる。
だけど、初期メンバーが私に近付き、肩を組んでくれた。
そして他のメンバーにも繋がっていき、私たちは一つの輪になった。
誰も突出しない、平等の絆。
薄暗い舞台裏で、全員の顔を見渡す。
皆が私を笑顔で見ていた。
だから私も、最高の笑顔を浮かべる。
「今日はB小町で一番すごいライブにしようっ。全員が全員で究極に輝く、最強で無敵のB小町をファンの皆に届けよっ」
私の言葉に、元気な返事が全員から返ってくる。
その顔と声を認識し、私も笑顔で返す。
うんっ、やっぱり皆がB小町でよかったっ。
その気持ちを胸に、解かれた円陣から移動し昇降台の立ち位置に立つ。
間もなく昇降台が上がり、私たちは表舞台に出る。
後ろを振り返り、示し合わせずとも私を見ていた皆に、改めて笑顔を浮かべた。
「それじゃあB小町っ、最後まで楽しんじゃおっ!」
明るい声を背に、昇降台は私たちを表舞台に連れ出した。
ステージに上がって最初に見えるのは、無数に輝くペンライトの光。
そして心を震わせる程の、私たちに向けられた歓声。
この会場にある全てが、私たちに集中していた。
一度目を瞑り、すぐに開く。
口を開けて声を出した。
それがライブ開始の合図。
最初から、全員が練習以上のパフォーマンスを発揮している。
それにつられて私もパフォーマンスを上げれば、他のメンバーも追従してきた。
それぞれのモチベーションが相乗効果となり、最高のライブが出来ている。
踊りながらたまにメンバーと視線が合う。
――楽しいっ?
――楽しいよっ。
言葉にせずとも、アイコンタクトの様に、そういった思いが伝わり合っている気がした。
皆が最高に楽しんで、素晴らしいライブになっている。
なら、私も完璧に届けないとねっ……!
意識をステージの前に向ける。
B小町を、アイを応援してくれてるファンで溢れた客席。
私の想いを、気持ちを届ける。
ファンの皆に伝えたい。
愛してるって。
その気持ちを歌に乗せる。
私が引退しても、ファンの皆はアイについて語ってくれるんだろう。
アイは完璧で究極のアイドルだったって。
いなくなったアイをそうして語り続けてくれるなら、そんなに嬉しい事はない。
なら、私もこんなに素晴らしい人たちがファンだったんだよって、思い続けたい。
お互いに幸せを思い続けるのなら、それは愛じゃなくて何だと言うんだ。
不意に一人の人間が、また私の脳内に現れた。
……関係ないっ。
目の前の光景に集中して、頭から追いやった。
ファンは私に熱中して応援してくれる。
その応援が私の力となり、暖かさをくれる。
そして私も、その応援に応えられる様に、皆に暖かさを届けたい。
今日で終わるからかな……アイドルとして幸せだったって思う。
こんなにファンの皆に恵まれて、仲間に恵まれて。
幸せだと感じたなら、それは愛していたという事に他ならない。
それがきっと、私の愛。
だから、今なら言える。
アイというアイドルは……。
B小町の皆。
そしてファンを――。
――心から愛してるってっ!
こうして……"史上最高の解散ライブ"としてB小町の、アイドルとしてのアイは幕を下ろした。