"にわか"は言う「だから『推しの子』だって言ってんだろ!」 作:あるミカンの上にアルミ缶
俺の腹部から籠った様な音が聴こえる。
痛みは、ある。
外部から腹を突かれた様な鋭い痛み。
だが、七年前の記憶と比べると、その痛みは雲泥の差があった。
防刃用の装備が、しっかりと守ってくれていると実感できる。
自分の状態の確認はここまで。
しばらく時間をかけたんだ、佐山さんもそれなりに撮ってはくれただろう。
突き出した状態で固まっている男の手を掴む。
もう片方の手で、ナイフの柄を掴んだ。
この男が逃げ出そうと思うまで、絶対に離さない。
「なッ!」
驚いた様な声が届く。
俺が無事なのが予想外だったんだろう。
「どうやってあいの居場所を掴んだんだ」
訊ねれば、ハッとした様に俺から離れようと腕に力を入れ始めた。
いくら暴れても絶対に離さん。
「どうやってあいの家が分かったッ!」
怒鳴る様に告げれば、男は身体を震わせて僅かに力を弱めた。
沈黙が辺りを支配する。
俺はただ、男を睨み続けた。
「……そ、それは」
不意に男が喋り出す。
「……ア、アイが引退するって信じられなくて、嘘だって言って欲しくて……毎日、事務所にアイが来るのを待ってた」
男の話は続く。
「そしたら事務所に入っていく女に、隣にいた男がアイって呼んでるのを聞いて……そこから出てくるのを待って、後をつけたんだっ……」
弱弱しい声で話した男だが、言い終わると同時にまたしても俺から逃れようと再びもがき始める。
手を離さない様に力を入れながらも、内心で溜息を吐いた。
七年前と似た理由。
まるで原作の修正力のよう。
もう、どうしようもないなと思ってしまった。
けれど、それについて考えるのは後。
「まだ、あいを殺すのか?」
俺の問いに、必死に俺から逃れようとしながら、頷いた。
「ああッ、俺を裏切った事は許さないッ!」
「愛する人の幸せを願おうっては、思わないのか?」
「お、お前に何が分かるッ! 俺は、アイに救われたんだッ! だから、アイがいなくなるなんて考えられないんだよッ!」
男の言葉に、苛立ちが湧いた。
「死んだら二度と会えないだろッ? お前が言う様にいなくなるんだよッ! 自分で後悔する事をしてんじゃねえよッ!」
俺の怒鳴り声に、男は肩を震わせた。
そんな姿を見て、改めて声をかける。
「お前は、自分があいと付き合えるって思ってるのか?」
声色を強める。
あまり使いたくないが、こうするしかなかった。
動きを止めた男が、言葉を返してくる。
「……そ、それは、別に、俺は……」
たどたどしい口調で話してくる。
つまりは、あいと付き合えるとは思っていないと。
「なら、何であいに男が出来てお前が怒るんだよ」
「だ、だって、それは……ファンとして……」
引こうとしていた腕の力を感じなくなり、俺も僅かに掴む力を弱める。
けれど、用心としてナイフの柄を掴む手は緩めない。
ファンとして、か。
「ファンなら、尚更推しの幸せを祝うもんじゃねえの?」
「……い、いや……で、でもっ、今回は」
「今回は、じゃなくてお前は、推しの幸せそうな顔は見たくないって事でいいのか?」
俺の言葉に、男は遂に黙ってしまった。
これは、今の俺がカズヤという芸能人と思わせてないから。
存在感を消して、声だけが彼に届いているから。
故に、疑似的な自問自答といった状態。
この男は、今目の前にあいの男という憎き存在がいる事を忘れている。
だから、俺の質問に俺を理由とした回答が返ってこない。
人の心理を誘導するみたいで、あまり使いたくない方法。
けれど、今回は使った。
もしかしたら、彼を諭せるかもしれないと思ったから。
もしかしたら、俺の力で彼の復讐心を消す事が出来るかもしれないと思ったから。
だが……。
「……うっ、うるさいっ! 俺は認めない! 俺を裏切ったアイをッ!」
そう叫び、力を弱めていた俺の手から腕を抜いた。
ナイフは諦めたのか、俺の手に残ったまま。
「アイにっ、アイに絶対に問い質してやるんだッ……!」
それを最後に、男は来た道を走っていく。
少しして俺の隣に低速で走る車が通ったので、頷いた。
車はそのまま、男を追う様に走り去る。
ナイフを片手に、内心では僅かな諦念が生まれていた。
やはり、俺の力じゃ人を諭す事なんて出来ないんだと。
俺が出来るのは、やはり……復讐心をこちらに向けるのが精一杯なんだと。
ままならないもんだなあ。
なんてため息を吐き、隣に佇むあいが住んでいるマンションを見上げた。
彼女が住んでいるのは、結構上の階だった。
その辺りを見上げてみる。
今回の件は、あいが知らなくていい事。
彼女には負なんか知らずに幸せになってもらいたい。
……とりあえず、佐山さんから連絡があるまで、どこかで待機しとこうかな。
そう考えて、まずはナイフを後ろポケットにでも隠そうかと動かした。
その瞬間――。
「…………カズ、ヤ……?」
声がした。
想定外の、声。
顔を向ければ、予想通り、あい。
だが、予想外。
彼女が、ここに来る訳が無い。
何故。
そんな思考が埋め尽くす。
必死に、準備の段階で不備がなかったかを思い返す。
「……それ、どうするの……?」
不意に聴こえた声。
あいに意識を戻すと、彼女は俺の顔を見ていなかった。
もっと、下を見ている。
「ん?」
彼女の視線が分からずに、同じ方向に目を向ければ、俺の手にはナイフ。
同時に思い出した。
「あっ、いや、これは」
予想外過ぎて、こんな時のマニュアルなんて用意してない。
まさかストーカーがいたなんて事は言えるはずもなく、かと言って道路にナイフを持って立っている理由なんて思いつく訳も無い。
……なんか、落ちてたからさ。
みたいな事でも、言おうかと真剣に考えてしまう程。
そして、思い付いた。
――今度のドラマで使う小道具だよ。
それで、一旦凌ごうと決めた。
その後の肉付けは、話しながら決めよう。
そう考えて口を開く。
それと同時に――。
「わた、し、を……殺す、の……?」
そう言ったあいの、僅かに怯えた表情が目に入った。
「は?」
理解出来ない言葉に、そう返した瞬間。
一瞬で記憶が駆け巡る。
あいと出会ってからの記憶。
そして、思考がやけにクリアになった。
彼女の表情を見て、悟った。
小学生の頃、帰り道で頭を撫でようとした時の光景。
その時に見せた、あいの怯え。
それと、同じ雰囲気を今の彼女からは感じた。
故に、思い知る。
あいは、今でも俺の事を信じ切れてないんだと。
まあ俺が煮え切らない態度をし続けていた部分も大きいし、信じられなくても仕方ないと思う。
けれど、本当の愛と思った俺への感情も超える程に、俺を信じてないとは思わなかった。
落胆は無い。何せ俺の原因が大きいのは自覚してるから。
でも、この場面でそんな反応をすぐにしてしまう程に、俺は信じられていなかった。
同時に、先程の考えが浮かんでくる。
俺の力は、復讐心をこちらに向ける事しか出来ないと。
自分の中で、思考が切り替わる。
不安や困惑といった表情のあいに向けて、俺は笑みを作る。
正直、こっちの方が得意だ。
「……そうだ、って言ったらどうする?」
俺が嫌われて存在しなくなって幸せにする方が、俺としてもやりやすい。
俺を信じられない心があるのなら、それを利用する。
俺の言葉に、あいは身体を大きく震わせて目を見開いた。
その姿を見て心臓に激しい痛みが走るが、構わない。
これであいが幸せになれるなら、こんな痛み幾らでも味わってやる。
だから絶対に、成功させる。
「うそ、だよね? カズヤはそんなこと、しない、よねっ……?」
ぎこちない半笑いを浮かべながら、俺の言葉を否定してくるあいに、俺は笑みのまま佇む。
そして彼女の表情が僅かに変わるのを見ながら、言葉を返さずに待つ。
俺を信じ切れてない心で考えろ、俺の言葉の意味を。
ナイフを持って君の前にいる意味を。
自分が攻撃されるという、あいが幼い頃から抱いている理由を。
口を戦慄かせながら、あいは言葉を発した。
「――わたし、を…………あいし、て、ない、の……?」
その言葉を聞いて、安心した。
あいはまだ、やり直せる。
そう思えたから。
万が一俺の想定が外れて、その考えに至らずに自分を思い込みの感情で誤魔化して"カズヤは私を愛してるからそんな事はしない"という旨の発言をしたら、誠心誠意謝罪して結婚するつもりだった。
結婚するしかなかった。
その場合は彼女の心の中には俺という存在しかおらず、俺がいなければあいは存在出来ないという事。
なので、彼女から離れるという選択肢は、その場合は選べない。
例え心の底からの想いでなくとも、俺があいと一緒にいなければ彼女が潰れてしまうのなら、俺は一緒にいる選択肢を取った。
けれど今の言葉は、俺という存在を疑う言葉。
つまり、彼女の心の中には大なり小なり、俺以外の人間の存在がちゃんといるという証。
俺以外にもちゃんと心から信じれる、愛してる存在がいるから、俺の存在や愛に疑問を持てた。
俺以外にちゃんと愛してる人がいるから、俺に愛してないと言えた。
多分、子どもたちだとは思う。
彼女の口から子どもたちの話が出たのは、こんなに会ったり連絡してるのに一回だけ。
だから、彼女がどの程度子どもたちを愛してるのかは分からなかった。
あいが俺に対して子どもたちの話をしないのは、無意識に俺の愛が自分以外に向くのを恐れたからだろう。
思い返せばその時点から、俺を信じ切れていないという行動だったのかもしれない。
そして、彼女の目は、まだ死んでない。
という事は、俺の存在だけが彼女にとって全てではないという証拠。
俺という存在が、彼女の中で大きすぎたに過ぎない。
つまり、俺じゃなくてもあいは幸せになれるという事。
それで、安心した。
「やっと、気付いたんだ」
笑みを貼り付けたままで、そう答える。
俺の口からはあいを"愛してない"なんて言えない。
愛してる。それが本心だから。
だから、誤魔化した様な表現になってしまう。
ちゃんと子どもたちを愛してるなら、存在しない俺は彼女の中から消えた方がいい。
だから告げる。
「ホントはさ、もっと早くに言うつもりだったんだけどね」
例え心臓の痛みが強くなっても。
「あいの……いや、アイの姿を見てたら、滑稽で……つい、言うのが遅くなっちゃったよ」
思わず涙が出そうになっても。
「アイに言う事があるんだ」
全て笑顔で覆い隠して、伝える。
「俺はアイに今まで、一回でも本気で"好き"って言った事はあるかな?」
俺が君に一五年間隠してきた嘘を。