【シン約】シン・サイレンススズカ.uni-verse   作:K氏

2 / 2

 シン・サイレンススズカを読んでくださっていた方、お久しぶりです。そして、申し訳ありませんでした。
 本来ならあの後も話が続く予定だったのですが、書いていると何故か話やキャラが独り歩きしだして、想定していなかった方向に向かいだし、しまいには変に話が拗れてしまうという結果になってしまったので、思いきって色々と作り直す事にした次第であります。
 それに伴って、一部の展開や設定等が変わっていますが、一応初めての方でも読めるように、この話の後書きでTips的な感じで諸々書こうと思っています。

 最後に、未完に終わってしまった旧約版シン・サイレンススズカを楽しみに読んでくださっていた方、大変お待たせして申し訳ありませんでした。


【プロローグ】覚醒 / 後悔の追憶

 ――また、あの時の夢だ。

 

 いつだって思い出せるのに、細部は酷く曖昧な、遠い幼き日の話。

 

 その日、僕は『誰か』と一緒にレース場に来ていた。

 多分、その日はG1の開催日だったのだろう。想像以上の人混みのせいで、僕は眩暈を起こしそうだった。

 だから、僕は左手でしっかりと『誰か』の手を握りしめ、右手もスターマン……のソフビ人形を離すまいと握りしめていた。

 人形ではあったとしても、スターマンはいつの日も、どこまでも、僕にとっての永遠のヒーローだったから。

 

 ……だけど。

 

 最初に感触が無くなったのは左手だった。

 

 気づけばそこには、誰もいなくて。

 だけど、心細いとは感じなかった。僕には、スターマンが付いていてくれる。それだけで、僕の心には勇気の火が灯るのだ。

 

 ……そう思えていたのも、誰かが僕にぶつかった瞬間消え去った。

 

 地面に倒れこんでしまい、咄嗟に()()を突いてしまう。

 それが意味するところは、一つ。

 

「あ――」

 

 気づけば、スターマンは何処かへ消えてしまった。

 

 途端に心の火が消え、真っ暗な闇が僕の幼い心を押し潰さんと迫り来る。

 

「う、うぅ……」

 

 計り知れない不安、恐怖、絶望。それら全てが混じり合い、僕の目からは涙となって溢れ出した。

 だけど、どれだけ泣いても助けに来てくれるヒーローはいない。

 

『ヒーローなんて、現実には存在しない』

 群衆のざわめきに混じり、そんな言葉が脳裏に響く。

 もう、立ち上がる気力すらなかった。

 僕は、ただ人混みの中で縮こまって泣いている事しか、出来なかった。

 人々は小さな僕に見向きする事なく、各々歩いていくだけで。

 

 

 

 

 ——そんな時だった。

 

 

 

 

 ——ワァァァ……

 

 

 

 

 周囲のざわめきが、一際大きくなる。

 

 思わず顔を上げると、人々が一様に、ある方向に向かって歩いていた。

 それに釣られるように、僕は顔を涙で濡らしたまま、人の流れに従って歩き出す。

 

 どれぐらい、歩いただろう。小さな体を活かし、森のように並んだ大人達の足を潜り抜ける。

 そうした先で辿り着いたのは——

 

「——わ、ぁ」

 

 思わず驚きの声を上げてしまった。

 柵の向こう側に、目が痛くなるような緑が広がる。

 視線を動かせば、巨大なモニターが目に映った。そこでは、何人もの人影が走っている。

 その人影が何なのかを、僕はよく知っていた。

 

 ウマ娘。走る為に生まれた彼女らにとって、このターフは負けられない戦場であると同時に……神聖不可侵の聖域だ。

 

 それが一体なんのレースであるか、幼い頃の僕の記憶には無い。

 ただ、そこで走るウマ娘達が皆、色取り取りで鮮やかで、それでいて煌びやかな衣装を纏っていた事から、今日のメインレース……G1と呼ばれる最高峰の舞台であったのは確かだ。

 レースに関する知識がほとんど無かった僕には、今がどういう状況なのかまるで理解できなかった。

 分かるのは、所謂隊列が縦長になっているという事ぐらいで。

 と言っても、目立つ馬群は画面の中央から更に右の方に固まっており、馬群から大きく離れた先頭の方――それこそ、画面の左端ギリギリ――に、その二人はいた。

 

 一人は、黒いウマ娘。一人は、白いウマ娘。

 ウマ娘と述べはしたが……その輪郭は、酷くぼやけていて。

 黒と白と評したのも、それぞれがまるで闇に、光に包まれているように見えたからだ。

 カメラで追いかけていなかったら、幽霊か何かだと思ってしまうぐらいにカタチが曖昧なその二人は、まるで後方勢の事など知ったことではないとでも言いたげにひた走る。

 現状、先を走るのは黒っぽいウマ娘で、そこから1.5馬身程離れたところを白っぽいウマ娘が追走する形になっている。

 

 そして僕は——不思議な事だが、白いウマ娘の方の感情が、手に取るようにわかってしまって。

 

 彼女は、酷く焦っていた。苦しそうだった。

 速さは確かに凄いが……何かちぐはぐで。

 体はゴールに向かっている筈なのに、心のベクトルは何処か別の方向に向かっているような、そんな違和感。

 遠くで見ているからこそ小さなひび割れのように見えて、しかし彼女にとっては大きなズレを生む程の断層の如きそれが、彼女を蝕んでいるようだった。

 

『諦めなさい』

 

 ――胸に、ズキリと痛みが走る。

 

 どうして、だろうか。

 

 僕は本来なら、後ろを寄せ付ける事無く、ただ真っ直ぐに前を向いて、己の思うがままに走るような……それこそ、今先頭を走っている黒いウマ娘の方が好きになる――

 

『身を委ねなさい』

 

 筈なのに。

 

 どうしてだか、その後ろを走る白い彼女から、目を離せずにいた。

 

『貴方が求めているものは、そこにはない』

 

 ……そうじゃない。きっと、彼女の本当の走りは、こんなものじゃない。

 

「――っ」

 

 声を上げたかった。周りの声など、知った事ではない。届くかどうかも、分からない。

 

 けど、上げなきゃいけない。どうしてだか、そんな衝動と使命感だけが僕の胸の中にあった。

 

(シン)の安らぎは――』

 

 だから、僕は。

 

「――――!」

 

 力の限り上げた声は、しかしその努力も空しく、周囲の声に吞まれてしまう。

 

 ……だけど、僕は見た。

 

 視線の先にそびえ立つ大欅。その向こう側から最初に現れた——白く光り輝く彼女の姿を。

 

「……!」

 

 遠く、遠く離れている筈なのに、僕には見えた。

 

 先程まで苦し気だった表情が、まるで嘘だったと言わんばかりに輝く笑顔になっていて。

 

 気づけば、あの黒いウマ娘の姿も見えず、もはや白い彼女の独走状態になっていた。

 もはや、彼女を阻む者も、彼女に追いつける者もいない。

 

 そこは、彼女一人だけの舞台。彼女の為だけに存在する世界。

 

 きっと、今の彼女はどうしようもなく孤独なのだろう。

 だけど、それは彼女にとって――

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ン」

 

 ぼんやりと、しかし確かに意識が覚醒していくのを感じる。

 まだ眠気の残る頭を強引に持ち上げ、上体を起こす。

 

 ガクン、と頭が前に垂れた瞬間、眩い光が丁度目に入ってくる。

 思わず目を閉じ、手で隠しながら、時計が掛けられた壁の方へと視線をやろうとする。

 見れば、時刻は6時半を少し過ぎた程度で。

 

 ……何か辛くて……それでいて幸せな、そんな夢を見ていた気がする。

 

 一体どんな夢だったか、朧気で思い出せない。

 だが、きっと――

 

(――良い夢、だったんだろうな)

 

 それはまるで、僕の中に残り続けるあの記憶のように。

 夢のようにあやふやで……しかし、確かに彼の胸の中で燦然と輝き続ける、あのウマ娘の姿。

 

 そして……ここ最近、明確な形も分からない彼女の姿が、彼の担当しているウマ娘の姿と重なって見えて。

 

「…………」

 

 彼女の事を思い出し、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

 この苦しみは……単なる罪悪感と呼ぶには、複雑なもので。

 

 彼女への純粋な罪悪感。かつての自分と同じ轍を踏んでしまった事への自己嫌悪。そして……今は亡き友の遺した想いに応えられなかった事への罪悪感。

 

 ここ数日はそれらを抱え、満足に寝られない日々が続いていた、のに。

 

 この日は不思議な事に、恐ろしく快眠出来ていたような感覚があった。

 

「……あれ、昨日は、確か……」

 

 何をしていたのだったか。

 

 あの日から、ずっと僕は家に籠っていた。何もかもから逃げるように。

 しかし、彼の中にある良心や記憶は、決して彼を逃がそうとせず、時として胃の中を吐き戻させる事で強制的に思い出させてきた。

 昨日も、そんな日々と同じ1日……なんの有意義な価値もない1日の筈で。

 だというのに……何故自分は、こんなにも晴れやかな気分なのだ?

 

「……変な感じだ」

 

 心は晴れやかだが、それとは別に昨日の記憶を思い出そうとすると、やけに頭の中がモヤモヤする。

 昨日かと思っていた記憶が、よくよく考えてみると数日前のものだったり。

 かと思えば、記憶が更に遡り、去年にまで飛んだりする。

 思うように自分の記憶を掘り起こす事が出来ない……というより、意図的に昨日の事を思い出せないようにされているような。

 

 何とも言えない気持ち悪さを覚え、眉を顰めながらも、彼はなんとか記憶の糸を手繰り寄せ始めた――

 

 

 

 

******

 

 

 

 

――約1年前。

 

『――ゴォォール!!!』

 

 ゴール板前を駆け抜け、エアグルーヴは徐々に速度を落とし……やがて止まると、上体を、ガクン、と落としてしまう。

 凄まじい疲労感からそのまま崩れ落ちてしまいそうになるのを、膝に手をやり支えとする事でなんとか保つ。

 

 疲労感の正体は、『領域(ゾーン)』に入ったが故のもの。

 一説によれば、ウマ娘も人間と同様に、平時では20%程度しか力を発揮できないようリミッターが設けられているという。

 『領域』とは、早い話が極度の集中状態に入る事により、肉体の持つポテンシャルを限界まで発揮できるようになる状態の事を指す。つまり、リミッターを外す事が出来るようになるのだ。

 

 エアグルーヴは、この時点で『領域』への到達を、ある程度ではあるがコントロール出来るようになっていた。

 クラシック期を代表するトリプルティアラ、その一冠を為すオークスにて『領域』の片鱗を感じた彼女は、秋華賞でのトラブルや骨折による予期せぬ休養といったアクシデントはあったものの、苦難の末にそれをものにした。

 1戦を挟んだG2レースにて『領域』のコントロールを実践した彼女は、確かな自信を胸に抱いていた。

 そうして、強敵が並び立つ天皇賞(秋)でも勝てると、確固たる自信をもって挑んだ。

 

『――エアグルーヴは2()()()()()()()()()()()()3()()()()()()()()()()()()!』

 

 エアグルーヴは、負けた。

 

 押し寄せる敗北感と脱力感に耐えながら、エアグルーヴは視線を前へとやる。

 

 サイレンススズカは、彼女に背を向け、そこに佇んでいた。

 肩を激しく上下させている辺り、彼女もまた……いや、下手をするとエアグルーヴ以上に疲労感を感じているのだろう。

 何せ、このレースは規定によりデビュー2年目のウマ娘でも出走可能ではあるが、今回の出走者でそれに該当するのは()()()()()……つまり、彼女以外全員デビューから3年以上経っているベテラン揃いだ。

 ただでさえそんな面子を相手にして、大逃げという作戦を打ったのだ。余程鈍感でない限りは、プレッシャーも尋常ではない筈だ。

 

 ……だが、彼女の背を追って走ったエアグルーヴには分かる。スズカは周囲の事など、まるで気にも留めなかった。……だからこそ、分からなくもなったが。

 

(……アレが、スズカなのか? 本当に?)

 

 ――そもそも、エアグルーヴの知るサイレンススズカと、今の彼女が()()()()()

 

 エアグルーヴにとってのスズカは、学年の上では一つ後輩ではあるが、級友かつライバルとして、それなりに長い付き合いがある。

 故に、スズカがどういったウマ娘なのかはそれなりに把握しているし、レースにおいて『先頭の景色』を求めている事も……何より、彼女は走る事を誰よりも楽しんでいる事も知っている。

 だからこそ――

 

「……!」

 

 エアグルーヴの知るサイレンススズカは、如何に疲労感を覚えたとしても、先頭で走り切れれば喜色満面になるのに。

 電光掲示板へと視線をやるスズカの横顔。滝のような汗を流し、疲れも見えるが、それを踏まえてもエアグルーヴの知る限りのスズカからは想像もつかない程に、その顔は、目は、酷く……()()()()()()()

 大レースを勝ったというのに。いや、そもそもレースの勝者とは思えない程に、彼女の表情に喜色は一切無かった。

 

 ――彼女を見ていると、レースの最中の事を思い出す。

 

 道中、精神を研ぎ澄ませたエアグルーヴは、そのまま『領域』へと足を踏み入れた。

 平時よりも力が漲り、思い通りの走りが出来る……即ち、レースを支配できるかのような全能感で満たされる。

 行ける、と、彼女がそう思うのも当然だろう。完璧なタイミングでスパートを掛け始めた彼女は、次々と先行勢を抜き始める。

 

 ……だが、どうしてだろうか。

 

 そのような状態でありながら、いくら走っても先頭との距離が縮まらないのは。

 

(……なんだ?)

 

 『領域』に入る事は、一種の悟りのようなものとして語られる。

 あるウマ娘がそう語るように、エアグルーヴもまた、「何も聞こえない、自分だけの世界」にいるような感覚を得ていた。

 

 ……だと、言うのに。

 

 自分の前には一人、即ちサイレンススズカがいる。

 それだけでも違和感があるというのに、更にその背中に一向に近づく事が出来ない。

 奥歯を、ギリ、と嚙み締めると、エアグルーヴは更に腕を振るい、脚に力を込めた。

 

 加速は、している。更に。

 

 だが、最先頭を走る彼女の背を追う事を意識すると、全く速度が増していないような錯覚に陥る。

 あるいは、彼女の速度がどんどん速くなっているかのような。

 

(何故だ……!)

 

 これではまるで――己の背に迫る事を許さぬと、『女帝』たる自分を差し置いてこの場を支配しているかのようではないか。

 

 瞬間、スズカの背に揺らめく何かを見――彼女の脳裏に、嫌なイメージが走る。

 

 精神に走る、僅かな動揺。だが、その動揺が命取りであった。

 

(――! しま――)

 

 『領域』とは、精神が至る境地。だが、至ればそのまま、という訳ではない。

 『領域』を維持し続けるには、精神の安定が不可欠だ。

 多少は『領域』到達による全能感により誤魔化されるものの、実際には『領域』の維持のみならず、走りにも意識を割かねばならない。

 『領域』に到達出来たからといって、必ず勝てるというものでもないからだ。

 故に、心を乱してしまったが最後――つまり『領域』が解除されてしまったら――このレースにおいてもう一度『領域』に入るのは、まず難しい。

 実際、集中状態が綻ぶ隙を自ら作ってしまったエアグルーヴの『領域』は、気づいた瞬間には既に解けてしまっていた。

 

 ほんの一瞬、脚が乱れる。だが、彼女とてトゥインクルシリーズにおいてはベテランの一人だ。何より、『女帝』としての意地と矜持(エンプレス・プライド)がある。

 エアグルーヴの持つ経験と意地と根性、そして他のウマ娘が、スズカが作り出したハイペースに付いていこうとした結果スタミナ配分を間違えたり、警戒し過ぎて後方に控えた結果届かなかった事も相まって、最終的にはなんとか2着にこぎつけた。

 

 周囲の人々からすれば、好走したと呼べる結果だろう。

 だが……エアグルーヴにしてみれば、到底納得のいく結果とは言えなかった。

 

 エアグルーヴが知る限り、確かにスズカは優れた素質を持ったウマ娘だ。特にそのスピードは、デビュー前の時点で既に目を見張るものがあったのも事実だ。

 しかし同時に――夏を越すより前の彼女が、能力に任せた未熟な走りをしていたのもまた事実で。

 皐月賞を圧勝し、続けて日本ダービーを――クビ差まで詰められはしたものの――勝利した事で無敗二冠を達成し、同世代のウマ娘との格の違いを見せつけた彼女だったが……どのような思惑があったのか、その後()()()()()()()()()()。そこで同じく大逃げを得意とするメジロパーマーと競り合った結果、スタミナを大きく消耗した彼女は、パーマーよりも遅れてゴールした事で事実上の惨敗を喫した。

 

 その後、夏合宿を経てクラシック期のウマ娘限定の重賞であるG2神戸新聞杯を休み明け初戦として出走した彼女は、一見してそれより前と何も変わっていないように見えた。

 このレースが所謂前哨戦として捉えられている事、出走者でただ一人大逃げをするウマ娘だった事(もっとも、この時点で大逃げをするようなウマ娘の方が逆に珍しいのだが)、何より同レースに出る他の出走者はおろか、同世代のウマ娘全体を見渡しても、彼女は明らかに格が違ったのもあり、以前との比較がしにくかったのもある。

 彼女以外で見どころのあったウマ娘と言えば、この夏で著しく成長を遂げたのか、鋭い末脚でスズカに迫ろうとしていたマチカネフクキタルぐらいだろうか。

 後続のウマ娘に5バ身程離した彼女ですら、結局スズカに追いつく事は叶わなかったのだが。

 そんな結果故に、エアグルーヴとしてもスズカの変化をいまいち掴みかねていた。

 その為、一緒に走ったフクキタルにスズカの印象を聞いたのだが――

 

『……あの、スズカさんには内緒にして欲しいのですけどぉ……正直、その……』

 

(……「()()()()」、とは、こういう事か……!)

 

 思えば、スズカの背を追うより前――パドックの時から、彼女から異様なプレッシャーを感じていた。

 観客はスズカの走りに期待してか、その違和感に気づかなかったようだが……少なくとも、天皇賞(秋)に出走するウマ娘の、更に一部の実力者達は敏感に感じ取っていたようだった。

 

 

 そして――実際に走り、彼女の顔が見えないままに後ろへ引き剥がされた今だからこそ分かる。

 

 エアグルーヴの『領域』に匹敵するばかりか、彼女の心を乱し、『領域』を解除せしめるまでの影響を及ぼしたそれは、しかし()()()()()()()()()()()()。『領域』と呼ぶにはあまりにも異質で……サイレンススズカの人柄を考えると、あまりにも()()()()()()()()()

 

 恐らくそれこそが、フクキタルを恐怖させた何かの正体であると同時に……スズカが夏合宿の間に掴んだ何かなのだと、エアグルーヴは容易に察する事が出来た。

 

 電光掲示板に視線をやるスズカの姿を、エアグルーヴは見つめる。

 スズカの身体から、陽炎のような何かが立ち昇るのが見える。

 

(……!)

 

 一瞬、陽炎が何かの形を取り、スズカと重なる。

 本当に一瞬の出来事だった為に、エアグルーヴは自らの正気を疑ったが、どういうわけか陽炎の形が妙に記憶に残っている。

 彼女の身体よりも一回り大きく、面長の顔に、太い胴体を細い4本の脚で支えるという、人ならざる体型をした何か。

 

(……いかんな、これは)

 

 どうも、予想以上に疲労しているらしい。

 この後のウイニングライブでしっかり踊れるだろうか、と、エアグルーヴは半ば無理矢理に思考を切り替えると、スズカに一言称賛の言葉を告げてからターフを去ろうとして――

 

「……む」

 

 ゴール板正面辺りのスタンド、その最前列。

 歓喜に沸く観客の中にあって、明らかに温度が異なる二人の姿が目に映る。

 

 片や、どれだけキツいトレーニングを繰り返しても顔色一つ変えずこなす姿から『サイボーグ』、あるいは『販路の申し子』と呼ばれ、かつてスズカと同じように無敗二冠を達成したウマ娘、ミホノブルボン。

 片や、そんな彼女のトレーナーにして、他ならぬスズカのトレーナーでもある男。

 

「……早永(ハヤナガ)信道(シンドウ)、か」

 

 黒のスーツに、市販の不織布マスク、極めつけは黒のミディアムヘアーという、特徴という特徴が一切無い出で立ちをしたその男は――()()()()()()()()()()()

 

 誰に? 当然、スズカにだろう。

 

 正直に言えば、エアグルーヴから見た早永という男は、特別悪い印象も無ければ、好印象という訳でもなく。

 

 外聞はともかくとして、新人でありながらミホノブルボンに無敗二冠を取らせた事に加え、スズカの思うように走らせながらも同じように無敗二冠を達成させたその手腕は、確かに目を見張るものがあるし、そこは認めざるを得ない。

 だが……それ以上に奇怪なのは、スズカと、彼女以外に対する態度の違い。

 

 ミホノブルボンやその他のウマ娘に対しては、至って普通の真面目なトレーナーらしく振舞う彼は、しかしスズカと対面すると豹変する。

 媚びへつらう、とまでは行かないものの、ともすれば立場が逆転していると捉えられかねない程に、早永信道はサイレンススズカに対しては腰が低いのだ。

 

 それが何故なのかは、エアグルーヴも知らない。確かにスズカの走りには、敵ながら見事だと言わざるを得ないが……それだけではあの態度の説明がつかない。

 魅力的な走りをするウマ娘に心惹かれるトレーナーは――それこそ己のトレーナーを含め――数多くいるし、ある意味で彼女らにとっての1番のファンと言えなくもないだろう。

 だが、それでもあそこまで露骨で……ウマ娘に対してのものにしては奇妙極まりない態度を取る者は見た事が無い。少なくとも、エアグルーヴの知る限りにおいては。

 

(……あれはもはや、ファンというより……)

 

 祈りを捧ぐ者。あるいは、()()()

 

 そんな男が、仮にもライバルと呼ぶに相応しいウマ娘のトレーナーなのだ。複雑な感情の一つや二つ抱く。……抱かざるを得ない。

 

(……いかんな。どうも……冷静でいられなくなっている)

 

 あれだけ激しいレースを終えた後だからか、どうも興奮で気が立っているようだ。

 これ以上考えを巡らせたところで、何かが変わるわけでも無し。それに、自身のならともかく、特に問題行動を起こしているわけでもない他所のトレーナーのスタンスに一々口出しするというのも、あまり褒められた行為ではないだろう。

 そうエアグルーヴは自らの考えを振り払うと、勝者たるスズカに賛辞と、「次は自分が勝つ」という言葉を贈るべく、彼女の元に歩み寄るのだった。

 

 

 

 

「……どうだ、ブルボン」

 

 喧噪の中、両手を合わせ、スズカを拝みながら、早永信道は隣のミホノブルボンに声をかけた。

 

「プラーナ放出と思われる現象、継続して発生中」

「今もか?」

 

 はい、と、ブルボンは頷く。

 周囲の騒がしさに反し、彼らは酷く冷静であるようであり……周囲も、互いの熱気が生み出す相乗効果なのか、空気の異なる彼らの会話に気づかないようだった。

 ……もっとも、聞く者がいたとして、それが一体如何なる意味を持った会話なのかを理解できる者はいないだろう。

 

「確認だが、放出自体はゲート入り時点から始まっていた。そうだな?」

「はい。目測では、スタート時から爆発的に放出量が増えているように見えました」

「経過は?」

「……数値化出来ない為、あくまでも推測でしかありませんが。放出の規模はスタートからゴールまで、ほぼ一定だったかと」

「ゴール後の放出は?」

「量そのものはレース中程ではありません」

 

 ふむ、と、早永は合わせていた手を放し、電光掲示板を見るスズカの後ろ姿を見つめる。

 

「自分で見られるのが一番、なんだがな」

「仕方ありません。プラーナを認識出来る()()の方が少数ですから」

 

 ちらりと、ブルボンは隣の早永の顔に視線をやる。

 外に出る時は必ずと言っていい程マスクを着けている彼だが、実際のところマスクが無くとも表情が読み取れるかどうかで言えば、ブルボンは難しいと言わざるを得ない。

 そんな彼が表情を容易く読み取れる瞬間があるとすれば、それは自分の趣味と、スズカに関わる事だけだろう。

 だが、今回ばかりはスズカに対してのものであっても、ブルボンには読み取る事が出来なかった。

 何せその目は――

 

 ブルボンが再び視線を前方、つまりスズカのいる方へとやる。

 丁度、スズカはエアグルーヴに声を掛けられ、何かしら話をしているようだった。

 スズカは、エアグルーヴの言葉に、僅かに微笑む。だが、何処かぎこちなく、違和感のある微笑みだ。

 

 ……その目は、空虚さを湛えていた。()()()()()()()()

 

「前には進んでいる。確実に。……だが、あのお方の様子を見れば分かる。まだ、足りない。何もかも」

 

 早永もそれを認識しており……もしかすると、自身もそういう目をしている事を自覚している、のかもしれない。

 

「あの方を満たすには……『()()』に至らせるには……まだ、足りない」

 

 ……そう呟いた早永の目に、色が宿った。

 

 ――淀みに満ちた、暗い色を。

 

「…………」

 

 二人の瞳を見るブルボンの表情は、普段通りの鉄面皮からまるで変わらない。

 

 ……だが、内心で二人に向ける感情は、複雑なもので。

 

(……感情ステータス……言語表現、不可。詳細なデータ確認の為、整理を開始)

 

 心に湧き上がる苦しみにも似たその感情を分析するべく、ブルボンは自らの思考に没頭する。

 複雑に絡み合うそれらを紐解いていくと、やがて見えてくるものがあった。

 

「……ブルボン、行くぞ。あの方の状態を詳しく確認せねば」

 

 スズカに向かって一礼すると、早永は振り返り、歩き出す。

 そんな早永に、スズカも少し頭を下げたのが見えた。

 ……同時に同じ方向を向いた二人の目は、酷く似通っていて。

 

「……はい」

 

 ブルボンは、己の内側に湧き上がった感情のいくつか……『悔しさ』、『嫉妬』、そして『憐み』を無理矢理飲み込むと、そのまま、早永の後を付いて歩くのだった。





【キャラクター】

・サイレンススズカ
 早永信道にとってのヒーローであり、神。
 描写的には本来描こうとしてたものと相違ないものの、考察を深めた結果、今後若干変わっていく模様。ネタバレになるのであまり書けないけど、育成シナリオでのスズカさんとカフェシナリオのスズカさんでちょっと察せるかもしれない。

・早永信道
 サイレンススズカの崇拝者。信奉者。いちご大福のポーズ=V8のポーズ。
 スズカさんとの出会いの部分はそこまで変わらないものの、色々あってスズカさんの呼び方がフルネーム呼びから「スズカさん」呼びに。

・ミホノブルボン
 初代専属ウマ娘。しかし早永には……
 旧約の時点では史実通り菊花賞の後に怪我をしていたが、シン約ではアプリ版の育成シナリオ同様に怪我をせず、そのまま色々G1を勝ったりした。長距離ではライスシャワーに僅かに及ばないが、中距離ならブルボンに分がある。
 また、スズカさんのデビューはブルボンのデビューから4年目に。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。