「づっ……かれた……」
侵蝕地から戻って、主任の研究所に転移したあと、色々言われた気がするけど疲れたのと最後の醜態のせいでなんにも覚えていない。
自分の研究室に戻ってきてようやく一息つくことができ、クッションダイブ。
ああやっぱりもうあと15時間くらいは寝ていたい。
「お疲れ様です。ひとまず、素材は隣の部屋に保管しておきますね」
「うん……それで……」
「眠いですか?」
「うん……喉痛いし……」
あれだけ絶叫していればそうもなる。
「あんたもメガネ割れちゃったんだし……さっさと修理……いや、買い替えなよ。あんなクッソダサいメガネ」
「まあまあ気に入っていたんですけどね。あんまり目立たないで済みますし」
あんなアホみたいな分厚い瓶底眼鏡、いくら魔眼用だからってそろそろ時代に合ってないっての。
怪我もあの後主任の研究所で私が治したのでとりあえず問題はないだろう。
……にしても。
「あんた、本当にメガネがないと顔はいいよね……」
「ありがとうございます。水琴さんも可愛いですよ?」
「キモーい……」
キモいのは今に始まったことではないけど、ナチュラルにキモいのよ。
年上のくせに私のことをさん付けするし。魔眼の何かかで私を視て悦に入ってるし。
「報告書ですが僕が書きましょうか?」
「ん……やっといて」
助手がデスクに座る音がする。
うるさくない程度の環境音が心地よく感じて、うとうとしてきた。
――あ、でもちょっと肌寒い。ブランケット取って。ねぇ。
ああ、そういえば助手の名前……呼んだことなかったっけ。
確かこいつ、苗字もなんかよくわかんなくて下の名前で呼ぶのがなんか気恥ずかしくて呼んだことないんだった。
「響介」
ガタッと少しだけ音がする。それが助手のデスクの音だとわかっても瞼が重い。
「ブランケット取って……」
「あ、ああ……はい。どうぞ」
使い馴染んだブランケットがかけられるのがわかる。それの縁を掴んで包まると、安心感でより眠気が強まった。
「……私、ちょっと寝るからよろしく……」
「……はい、おやすみなさい水琴さん」
最後に聞こえた助手の声は、優しくて、物好きだなぁと思いながら眠りに落ちていった。
――――――――――
――僕は、人が嫌いです。
大半の人が、僕にとっては濁って見える。僕の眼は、普通の人はおろか、同じ魔眼を持つ異能者とすら違う。
人間の魂の色がオーラとして視える。感情などで輝きや色が混ざることはあるものの、それぞれの”色”が視えるのだ。たまに綺麗な人もいるけれど、そんな人は僕なんて相手にしない。
いつも自分に寄ってくるのは汚いやつばかり。
異能婚のために僕を売り飛ばそうとした両親だって血が繋がっているだけの他人でしかない。
友人と呼べるものはいない。嫌悪か恐怖、あるいは打算的なものしか視えないから。
主任に拾われてからも、大した期待もなく、ただ淡々と目の前のタスクだけこなす日々。
「お前さー……辛気臭い顔してんじゃねぇよ。追い出すぞ」
「そうですか」
主任が舌打ちして次の仕事を放り投げられる。
この人の魂はとても悲しい色をしている。深海のような、深い青。別に悪い人ではないんだろうけれど、この人も打算的な面を持っている。辛うじて、恩があるので嫌いではないというところ。
任された仕事は十七研究室へ譲渡する機材を運ぶこと。さっさと行ってさっさと終わらせよう。
主任が少し前から面倒を見ていたという異端の天才。
興味はなかった。どうせ天才だろうとみんな似たようなものだし。
「すみません。伊藤主任から預かったものをお持ちしました」
ノックしてみると反応がない。出直すのも手間だな、と思ってると扉の向こうから慌ただしい声がする。
「ぎゃーッ! まだ片付いてないのに~!」
ドタバタと音がしたと思えばガンッとぶつかる音がして、数秒してから扉が開く。
「あ、えっとご苦労様でーす……」
長い黒髪。神に愛されたとされる金の眼。こちらを見上げてきて、目が合った。
彼女の”色”は澄んだ水色をしていた。陽の光に照らされて輝く水面のようにキラキラしていた。
もしも、精霊様がこの世界にまだ残っていたらこんなにも綺麗なんじゃないかと思うほど。
「えっと……ちょっと今……中散らかってて……。通路に置いてってもらっても……」
困ったような声で苦笑いをする彼女に、現実に引き戻される。
名前は……榧杜水琴。
この十七研究室の室長に、今日任命されたばかりの人。
「……手伝いましょうか?」
無意識に口にしていた。どうせ、この後戻っても今日やることは残っていなかったはずだし。なにより、今帰ったら次彼女に会う機会がなくなってしまいそうで。
「えっ、あ、ほんと? 助かる~」
にへらと笑って見せた彼女の色は、温かみのある色が混ざる。嬉しそうで、少し自分まで嬉しくなってしまった。
研究室は随分と散らかっており、彼女が悪いというより、元々物置みたいにされていた部屋をどうにか研究室として使えるように最低限整えただけというのが察せられた。
十七研究室なんて閑職、というかもうほとんど名誉職みたいなものだろうし。
ダンボールの中身はまあまあの重さがあるものから、ガラクタが入っているだけのものまで様々で、異能者といえども女性には結構な重労働だろう。
「一通りは仕分けできましたが……」
「ありがとー! そういえば主任のとこから来たんだっけ? 忙しいんじゃない?」
「いえ、そうでもないのでお気になさらず」
本当にすることもないだろうし、この様子じゃ主任もついでに手伝ってこいって意味もあったんだろう。
一緒に作業をする中、まさか他に助手や部下もいないのだろうかと思って、考えるよりも前に声に出していた。
「一人ですか?」
「え? あ、うん。二つ名もらえたから研究室欲しいー!って頼んだらもらえたんだよね」
とんでもない人だな……。
そんなに研究熱心なんだろうか?
正直言ってそうは見えない。
「どんな研究を?」
「あ、気になる? 主任のお使いだし特別に見せてあげる」
そう言って髪を翻しながらパソコンの近くからクリップで留めただけの紙束と、厳重に閉じられた箱を持ってきてくれる。
「じゃんっ! これは新時代の霊術開発。そしてこっちは普通の人を異能者にする研究!」
紙束の方は霊術に関する研究がびっしりと書かれており、正直専門外なこともあってぴんとこなかった。霊術研究は異能者社会だと軽視されがちなところがあるからだ。
もう一つは
「異能者が減ってて困ってるわけじゃん? 特にまだ今も徴兵がどうのとか言う人もいるわけだし、これで異能者になって魔物と戦いたい志願者を異能者にして戦力を増強すればいいと思ったわけ。でもどうしても安定しなくてねー……。前から練ってるけど、リスクとか考えると……って上から止められちゃってー」
説明する間にもころころと表情が変わるの姿から目が離せなくて、ほとんど説明の声が頭に入ってこなかった。
それでも、彼女は僕よりもよっぽど上等な人間である。
目的もなく、自分以外を見下して、ただ呼吸をして飯を食って、眠り目覚める、生産性のない人間より。
「ま、こんな閑職だから多少サボってもバレないし~。あんたもどう? 私の研究室に来ない?」
期待半分、あとは冗談めかして言ったであろう言葉に。
ずっと、あなたに目を奪われている僕は、自分が自分じゃないみたいに口を開く。
「僕なんかで、いいんですか?」
こんな最低な僕が、あなたの近くにいてもいいんだろうか。
こんなにも綺麗な人を汚してしまったらどうしよう。
「歓迎っ! あんた名前は?」
咲き誇る花も、流麗な歌も、壮観な景色も、何一つあなたの笑顔に勝るものはない。
「響介。
「ぬかりや? どうやって書くんだろ……。まあいいや! 私は榧杜水琴。榧の木の杜に水の竪琴で榧杜水琴!」
あの日、主任の戻った僕は水琴さんの部下になりたいと頼んでみたところ、少しだけ悩まれたものの、水琴さんに部下がいないこと流石に気にしていたのかあっさりと承諾してもらい、水琴さんの助手として彼女のそばにいることを選んだ。
巡る季節は水琴さんを見ているだけであっという間に過ぎていき、灰色がかった僕の世界は色鮮やかなものへと変わった。
けど、水琴さんの研究は評価されなくて、だんだんと水琴さんは頑張ることをやめた。
どうせ何もしなくても安泰だからと、霊術の開発も、異能者を増やす薬の開発も、半ば宙に浮いたように手を付けなくなった。
諦めないでと口で言うのは簡単で、きっと水琴さんなら自分で立ち上がれるはずだと信じてそばで支えることにした。
こんなことになるとは流石に思っていなかったけれど、魔物を相手にする水琴さんの姿は、初めて会ったときよりもなおキラキラ輝いて見えた。
いつも僕を虜にする、星のような人。
――――――――――
水琴さんが寝息を聞いて、出会った日を思い出した。ずっと名前を呼ばれなかったことだけがちっぽけな不満だったのに、急に呼ばれたものだからびっくりしてペンを落としてしまった。
子供でもこんなに動揺しないだろうに。
メガネを直す仕草をして、今はないことを思い出して、誰も見ていないのに誤魔化すように前髪を直す。
本当に、まるで普通の人間みたいだ。
水琴さんはいつも僕を普通の人間にしてくれる。
――僕の運命の人。
きっとあなたがいない世界に価値なんてない。
僕の世界を彩ってくれたあなたをずっとそばで支えたいんです。
物語に例えるのであれば、あなたの綴るハッピーエンドに僕がいなくても。めでたしめでたしのその先で、ただあなたが幸せでよかったと言えるように。
僕が、あなたの隣にいなくても。
僕にとってあなたは運命の人かもしれないけれど、あなたにとって僕は運命の人ではないだろうから。
眩しさに僕は目を奪われたけれど、あなたは僕のことを気にもしないだろう。
それでもいい。そばにいることができるなら。
だというのに、どうして僕なんかを心配して、泣いて、必要だって言うんですか。
そんなこと言われたら、離れられなくなる。手放せなくなる。
ふと、ぴょこぴょこと機材の方から足音がして、振り向けばレスリーがこちらに近づいてくる。
「今日の配信ですが、サブマスターのPCへ録画データを転送しておきました」
「ああ、ありがとう」
サブマスターとやらになっていたらしく、早速データを確認してみる。結構長時間あるが、水琴さんがいつでも見られると思ってちょっと嬉しくなった。
……ふと、水琴さんのかわいいところだけ集めて編集してみたくなる。
報告書を途中で止めて、水琴さんのかわいいところを集めた動画を編集して……一時間は過ぎていた。
「あっ、報告書忘れてた」
報告書はアナログなので動画データを保存してから報告書の方を作成し……すっかり遅くなってしまったので水琴さんを見るが起きる気配はない。
仕方ないのでベッドの方に運んでから報告書を仕上げて、別室仮眠室で寝ることにした。
うっかりパソコンをつけっぱなしにしてしまったが、まあいいかとそのまま眠りに落ちる。
――――――――――
「ふむ。動画データの編集……これは……『切り抜き』ですね! サブマスター!」
つけっぱなしのパソコン画面を覗き込み、自分とそう大差ないマウスを両の手で動かしながらペチペチとクリックする。
「ちゃんと仕上げなきゃダメじゃないですか~っ! しょうがないですねぇ。このぱーふぇくつレイちゃんが仕上げてアップロードしておきますよ!」
ほっ、よっ、てやーっ!と気の抜ける掛け声とともにマウスを乗りこなすレスリー。その声は探索で疲れた水琴と助手の響介の熟睡により聞かれることはない。
数時間かけて編集作業が完了し、一仕事終えたことによる満足そうなレスリーの「やれやれです」という顔とともにカチッと押されるアップロードのボタン。
レスリーはそれを確認するとパソコンをシャットダウンして満足そうにぴょこぴょこと機材置き場へと戻っていった。
早朝――。組織のチャット、掲示板がざわついていた。
レスリーが徹夜して仕上げた切り抜き動画が組織の共有スペースにアップロードされ、配信を見ていなかった者たちにも水琴の絶叫と活躍、そして醜態が晒され――なんかめちゃくちゃ再生されてしまった。
【悲鳴探索】絶叫してるかと思ったら本気出してきた!からのラブコメ展開がヤバすぎる【切り抜き/榧杜水琴】