ふたりきり惑星再生   作:小沼高希

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019: 似姿像は氷壁を齧る

「篭手みたいなやつを作ってもらえばよかったかな……」

 

少しあかぎれのできてしまった手を見つめながら、エッフィは歩いていく。

 

峡谷を登るのは、ただただ大変だった。足場を見分けて登ることは可能であったし、時折脚力を高めることもできたが、エッフィはピオのように飛べるように作られたわけではない。

 

記号を書き換えるということは、どうしても犠牲を伴う。変化を受け入れるというのは、固定化された記号として作られたエッフィにとってはかなり怖いものだ。

 

「だけど、ピオがいるなら、まあ、いいかな……」

 

エッフィは誰かに添い遂げるために作られた存在だ。人のように相手に好意を抱くし、嫌悪を覚えることもあるように定義されている。そうでなければ贄としての意味がないからだ。

 

エッフィがここに来ていなければ、恐怖の中で使い果たされるだけだったかもしれない。それについては受け入れているが、それはそれとして回避できたことへの喜びと感謝はある。

 

「ま、ピオにはおみやげ用意してあげないとね」

 

そう言って杖で地面を押し、エッフィは歩みを続ける。日はしばらく沈まずにぎりぎり地平線の縁をかすめる程度にまでなっていた。

 

彼女は歩いて、歩いて、歩き続ける。また太陽が廻って、彼女の正面に向く。

 

「ところであれって太陽って呼んでいいの?」

 

上を向いて呟くが、誰も返事を返してはくれない。

 

太陽は彼女のいた世界であっても重要な意味を持つ天体だった。それは生命の源であり、惑う星たちの長であり、また月と対になる陽であった。

 

それが他のより暗い星々と同じ意味を持つという解釈もあったし、唯一無二の特別なものであるという意味づけもあった。

 

しかしここでは何も決められていない。エッフィの望むがままに意味を決められるが、一度決めたら良い意味も悪い意味も受け取ってそれに沿わなければ意味がなくなってしまう。

 

だからできるだけしっかりと考えてからこの世界の星からの影響を決めなければならないな、と思考をまとめてエッフィは前を向く。

 

「とはいえピオに言わせたらどうせ反応とかの話をしだすんだろうなぁ、嫌だ嫌だ」

 

そう呟いたエッフィの足元に白いものが見え始める。

 

「……氷、じゃない?」

 

手についたそれを舐めても何も残らなかったのを感じて、エッフィは首をひねる。

 

読者の方々はおわかりであろう。これは固体の二酸化炭素、乾氷(ドライアイス)である。もちろん水からできた氷もあるが、この環境だと白夜期間でも多少は乾氷(ドライアイス)が残るのだ。

 

「これは……おいしくない!」

 

エッフィにとって世界は印象であり、ある種雑な認識で把握できるものだった。それは還元的な思考に伴う無限後退を避けながら、本質を掴み取るための手段のひとつなのであるが。

 

「ただ、もっと先の方行けばおいしいものがありそうだ」

 

彼女は渇いていた。もちろん彼女の姿には脱水の兆候は見られないが、それはそれとして長い間水を飲まないと渇くのだ。もちろん同じぐらい肺は酸素を求めていたし、胃袋は食べ物を求めていた。とはいえそれはどうにかできる。

 

本来であれば触れている低温の金属によって足が凍傷を起こしても起こしてもおかしくはないが、そもそもこの環境で平然と歩くエッフィである。特に問題はなく、彼女は一面の氷の場所にまでたどり着いていた。

 

低温と低圧においては、水は液体にならない。固体の氷から気体の水蒸気に直接昇華してしまうのだ。

 

「うぇっ、じゃりじゃりする」

 

とはいえ彼女の周りであればそのような客観的な法則は成り立たない。ピオが見たら自分がどれだけのエネルギーを偽真空作成のために費やしているかを説明するだろうが、エッフィにとっては存在するのは主観の集合でしかない。ゆえに、世界の観測者の半分を占めていれば多少は自分の周りだけであれば弄くれるのである。

 

「これ、どう持ち帰ろうかな……」

 

自分の着ている服を包みにすれば、自分と同じ程の量の氷を運べるだろう。とはいえそれは嫌だった。ピオが自分の裸を見た所で何も反応しないことは予想できるが、だからこそそういう事態にはしたくなかった。

 

「溶かして砂とか取るのはピオにやってもらお……」

 

それはそうと、できるだけ灰黄色の表土が混じっていない部分を集めて雪を食む子供のように口に詰めながらエッフィは周囲を見渡して歩いていく。時折砂をぺっと吐き出しながら、ふらりふらりと白い平原を進んでゆく。

 

「あ、こういうところにも峡谷があるんだ」

 

エッフィが見つけたのは底の見えないクレバス。最近頑張って這い出した記憶と塊の氷が得られるかもしれないという誘惑を天秤にかけて、エッフィは足を踏み入れることにする。

 

冷たい空気が彼女を包み、光が次第に弱くなっていく。杖を砕氷斧(ピッケル)がわりにして壁を削り取り、圧縮された氷を齧る。

 

「……へんな味」

 

エッフィが感じたのは、純粋な水だけではなく何かが混ざっているという感覚。その原因をきちんと理解できるほど把握できないにもかかわらず、それがあるということだけは理解できていた。

 

「ピオに見てもらお」

 

外套のポケットに入れられるぐらいの大きさの塊を削り出しながらエッフィは呟いた。

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