ピオが超臨界二酸化炭素の電気分解によって合成した一酸化炭素による浸炭処理でボーリングビットの先端を固めるだけで相当な時間が経過していた。
旅の前にエッフィが準備していた資材の多くが消費され、拠点の加圧区域面積は倍に、全体の敷地は十倍近くにもなっていた。
事前想定からの遅れ: 3000%
何もかもが計画違いだった。素材一つとってもそれを作るためには二つの製造設備が必要になり、そのためには四種類の加工整備が必要となるという循環に飲まれかけていた。
電力を確保するために予備の特異点制御系を切り離し、専用の冷却施設まで設置した。それでも増大する処理手順数に対して完全に対応することができず、想定以上の遅れが発生していた。
エッフィのような世界解釈であれば、もうすこし容易だったのかもしれないとピオは考えてしまう。おそらくエッフィにとっては鉄は鉄で、せいぜいその中に鋼という特別な鉄があるというぐらいの認識しかない。
そして、その認識は正しいのだ。もちろんより深く知ることでより複雑な特質を材料から引き出すことはできるだろうが、それはあくまで付加的なものに過ぎない。
ピオにとっては、それらは全く異なる。鉄合金に含まれる不純物と炭素量によって特性は様々に変化し、時には使い物にすらならなくなる。特定の組成の鋼は低温で脆くなり、本来の粘り強さを発揮できず割れてしまうのだ。
その回避方法はわかっている。適切な成分調整と熱処理だ。そしてそのために施設が大量に増えた。
とはいえ、これで必要素材をある程度製造できるような環境を整えることができた。ただ、せいぜいそれまでなのだ。ここから掘削装置を作って、地下水を組み上げて、そこから有機物を加工するためにはこれ以上の手間がかかる。
【提案】 記号系の処理系への統合を推奨
「……嫌だ」
ピオは振り絞るように口を開く。ピオは気がついてしまっていた。それは自分の強みを捨てることだと。エッフィに評価された精密な記号操作を辞めてしまうことだと。
確かにそれをすれば、機体一つでできることは増えるだろう。ただ、エッフィと組んだ時に最高のパフォーマンスを出せなくなる。もちろん機能の重複は冗長性の確保として安定に寄与するが、それは余分を生むことでもあった。
規則に沿っていればそうそう生まれない、自分でメタ的判断を迫られることに対する負荷がピオの処理効率を下げていたのだが、ピオはそのことに気がつくことができていなかった。
「こんなものかな」
裾を持ち上げておなかの部分に氷を入れ、それとは別に外套のポケットにも氷を詰め、そうして彼女は南を見つめる。
長い時間かけてたどり着いた極圏であるが、帰る準備はしっかりとされていた。
彼女が歩いてきた道は、真っ直ぐ南北に伸びる轍としての記号を持っていた。
彼女の靴は、そこに刻まれた記号は、そこまでの旅路を飛ぶように戻るために必要なものを揃えていた。
「ああ私の恩人よ、星を導く
それは、それなりに難しいはずの因果の引き寄せであった。移動しなければならないという理由をもとに、移動したという結果を持ってくる。
「故にあなたの苦しみは私の苦しみで、私の足の向かう場所はあなたのいる家ただ一つ」
本来であれば、この行為は相当の代償を必要とするものだった。それでもしばしば使われていたということが、その有用性を意味しているとも言えるが。
「だからあなたが作ってくれた靴に導かれて、私はあなたの隣にいる」
そう言って、ピオは位置をずらす。語るように、現実が存在させられる。
それは理屈に合わないと言う人もいるだろう。しかし、それは反論しなければならない程度には道理が通っていて、反論されなければ成立する程度にはしっかりしているのだ。
誰も測定せず、誰も観測していなからこそエッフィの位置と時間は曖昧となる。エッフィの主観では景色が流れてゆくのみだが、第三者から見てそれがどう映るかはわからない。なぜなら誰も見ていないからだ。
峡谷を飛び越え、平野を駆け、涸れた川を抜ける。向かうはピオの待つ拠点。
エッフィの胸には、少しだけ後悔のようなものがあった。この旅の帰りにこういった制約付きの方法を使う以上、そこにはピオが苦しまなければならない状況が発生することを看過する必要があったのだ。
それが避けにくいものであることは事実だが、ピオがここで北に行っていなければそれはそれで別の問題が生じる。二人の間に生まれるよう定められた困難の量は、ちょっとやそっとでは変えられない。
エッフィは擦り切れた靴を灰黄色に突き立てるようにして身体を止める。この収穫が罪滅ぼしになればいいと思いながら、いつのまにか大きくなっていた拠点にエッフィは足を踏み入れた。