儀式の後にエッフィは眠るようにクッションに倒れ込み、目が覚めたときには夜が明けていた。
「……おはよ、ピオ」
目をこすりながらエッフィは作業中のピオに言う。
「おはようございます、エッフィ様」
「……なにその呼び方」
「本官がいた世界で特別な相手を呼ぶ時に使う際の敬称です」
「へえ、私が特別なんだ」
「昨日の契約はそのようなものですから」
「ふふ。……で、そちらのほうは?」
浮かれた新妻みたいな雰囲気だったエッフィはすっと専門家の目に切り替わる。
「見ますか?」
そう言ってピオは触っていた装置を操作して何かを切り替える。エッフィはそれがピオの持ついくつかある目に相当するものの一つに像を映しながら、エッフィが見れるような形に投影してくれるものだと理解していた。
「ここを覗けばいいの?」
「その通りです」
そう言うピオに頷いて、エッフィはレンズを覗き込んだ。構造は特に変わったところのない、普通の光学顕微鏡である。
「……このもぞもぞしてるやつが、氷の中に入っていたやつ?」
「ええ。糖、脂質、蛋白質からなるかなり複雑な反応系を持っており、自己増殖するものと考えられます」
「増えるの?」
「ええ。生命としての条件の多くを満たしていると考えられます」
「へぇ……」
エッフィはそう言いながら目に意識を集中させる。
「これ、使えないかな」
「何にでしょう」
「しばらくピオの身体は大丈夫だと思うけど、永遠ではないでしょ?」
「……そうですね」
昨晩エッフィが眠った後に行った自己診断の結果を思い出す。今まであった不調や不具合の多くは無くなっており、特異点制御の効率が飛躍的というレベルで向上していたが、それでもエネルギー・質量保存則を破ることは難しい。宇宙検閲官に払うべき賄賂を削るとすぐさま世界からしっぺ返しが来るのだ。
そして必要な物質の中には巨大な加速器なしでは作れないものがある。個人では制作することはおろか設計することも困難なものだ。そのためにはまず
「だからさ、手助けしてくれる相手が必要でしょ?……私以外にも」
エッフィは話す時に少しだけ引っかかったが、それでも笑顔をピオに向ける。
「しかしこれらは単細胞生物に相当する水準の生命です。複雑な機能を持たせることは困難であると本官は考えます」
「ふっふー、私を誰だと?」
「本官が専任の担当となっている重要協力者、以外にですよね」
確認するだけのつもりだったピオの言葉に、エッフィは先程までの自慢げな顔を赤くして口元を落ち着き無く動かす。
「っ……真顔で言うの、やめて」
「申し訳ございません」
眉を下げながらピオは言う。
「ですが、貴方は私にとって非常に重要な存在ですから」
微笑むピオに胸がどきりとするのを感じながら、それを察されないように息をしっかりと吐いてエッフィはピオに向かい合う。
「私はピオにどういう守護をするって言ったか、覚えてる?」
「確か『空虚はあなたを飲み込むことなく、大地はあなたを躓かせず、星はあなたに率いられる』といった内容でしたね」
「そう。星がピオを率いるんじゃないの。ピオが星を率いるの。意味がわかる?」
「……記号的にはそのような認識になる、というものではないでしょうか。還元的な視点と記号的な視点ではしばしば主体と客体が入れ替わります」
「違う。私はピオに星々より強い力を与えたの。私が隣にいるなら、ピオはこの世界の神みたいな存在に相当するんだよ?」
かつてエッフィは神格と呼ばれるほどに強い形而上学的存在に捧げられるために作られた存在である。場合によっては単なる贄ではなく、相手の協力者や援助者ともなれるように設計されている。
「……貴方が何を信奉するかは、本官の業務には影響しないことを断っておきます」
「人を邪教の徒みたいな言い方して……」
溜息を吐くエッフィ。なんでこの相手に対して自分は特別な感情を抱いてしまうのだろう、と思いながら彼女は改めてピオと向かい合う。
「だから、生命を司るぐらいはできるのよ。それを観測者として働くぐらいにまで高めれば、十分ピオの助けにはなるはず」
「自己複製機構を備えるほどの複雑性を構築することが、記号的な技術では容易であると?」
「簡単じゃないけどね。でも既に増える素があるなら、方向性を示せばいけると思うよ」
「……具体的な方法について指示をいただけないでしょうか」
「いいよ。でもまずはこれについて知らないと」
「記号的に把握することはできないのでしょうか?」
ピオならともかく、エッフィであればこれを生命と一括りにして扱うことができそうだ、と理解できる程度にはピオも記号的価値観に慣れ始めていた。
「ううん。私はこれについて良く知らない。私のやり方は誰かがそれについてちゃんと理解した上で成り立つの」
「しばらくはこの生命の解析に時間をかける事になりそうですね」
「私ができること、ある?」
「分析機材の製作や素材の確保を手伝っていただければ、と」
ピオはそう言いながら、目の前で分裂しようとする物体を覗き込んでいた。