「これで、増えているの?」
エッフィは巨大な金属製のタンクを見ながら言う。
「ええ。増殖条件は特定できました。必要となる物質はいずれも容易に合成可能です」
生物と仮称されているその複雑な有機物の複合体では、蛋白質が主成分となって増殖が起こっていた。その窒素源となる硝酸塩と炭素源となる有機酸があれば、それは増殖する。
細かくは温度や雰囲気の組成、あるいは微量の無機塩なども考慮する必要があったが、ピオが予想していた以上に容易に環境を整えることができた。
「それにしてもかなりごちゃごちゃとした流れだよね……」
「分析結果もかなり複雑なものでした。おそらく貴方や本官の知る
「全部で一つ……いや、これは別々なのか」
「おそらくは。細胞説については理解できていますか?」
「生物の根幹は微小要素の集合である、だよね。一応私のところにも似たものはあったよ。ただ、ここまで洗練されてはいなかった」
「おそらくこの生物は外界と内界を、あるいは細胞同士を隔てる部分がかなり
「……ピオがそういう言葉遣いするの、珍しいね」
「貴方のような語彙を試してみました。適切でしたでしょうか?」
「うん。わかりやすかった。つまり、これは増えるという点では私達が知る生き物と似ているけど、細かい点では違うんだよね」
「その通りです」
「……それでも、増えて、流れを持つならそれは私とピオの権能に相当するよ」
エッフィはそう言って、タンクに手を置いた。
「小さくて、緩やかで、まだ目覚めていないあなたたちへ。私達はあなたを導くもの。私達はあなたを必要とするもの。私達は私達に似せて、あなたたちに流れを与えたいと願うもの」
エッフィはそう言って手の中から流れを送り込むような感覚を自分の中に作る。それは観測となり、現象となる。
「まだわからないだろうけど、私達はあなたたちを望んでいる」
『内部電流値が特異反応を示しています』
エッフィの邪魔をしないように、端末経由でピオは情報を渡す。
『わかった。たぶん最初の流れの導線みたいなものができたんだと思う。これで地盤はできた』
『……母材処理のようなものでしょうか』
『ピオのやろうとしている処理系の作成だっけ?多分似ているよ』
ピオがこの増殖と並行して挑んでいたのは、
「でも、ピオがやろうとしているのってかなり難しいことだよね」
「もう口を開いても大丈夫なのですか?」
「まあね。まだしばらく時間はかかると思う。どんな神話でも天地や生物が一瞬では生まれないから、待つことも大切なの」
「……そういうものなのですね」
ピオの中にも、当然かつての世界の宗教の知識はある。ピオにとってそれらは極限環境の人間にとって必要となることがある除倦薬や補助外骨格のようなものであるという認識だったが、同時に軽んじるつもりもないものであった。そもそも宗教的権利の擁護は士官の義務とされていた。
しかし、エッフィの示唆する神のあり方とピオの中の知識のそれは大きく異なっていた。それは信じられることによって存在するが、それゆえに信じられる前から在り続けるという因果律を無視した存在。それが神格と呼ばれる形而上学的存在であり、今のエッフィとピオの在り方の一側面なのだという。
「それで、本官の作業についてでしたね」
「うん。前に説明してもらったところまではわかったの。計算に必要な特別な環境が秩序と混沌の境目でしか作れなくて、でもその環境を整えることができない」
「その通りです。扱える金属の種類はたかだか百種類程度。その組合せの中に、必要な条件を満たす組成は存在しませんでした」
「……どうするのさ、それ」
「なので、法則を曲げる必要があります」
そう言ってピオは足を進め、この施設の動力源となっている重力特異点の入った容器の前に立つ。
「偽真空についてはわかりますか?」
「先生みたいな言い方だよね、それ」
「……確かに、そのような教化的意図は存在します。もし不要でしたら、そのような方向を排除します」
「いやいいよ。確認してもらえるっていうのは大切だから。それで、偽真空だったよね」
エッフィはしゃがみ、積もっている砂を撫でるようにして窪みと山を作る。
「世界は安定を求める。けれども、うまくやれば安定だけれども底ではない状態を用意できる」
山の上部が噴火によって生まれるカルデラのように凹地状に削られる。
「これが底にある真空とは異なる偽真空。そこでは、ここと法則が同じとは限らない」
「その通りです。より正確には偽真空焼淬と呼ばれる手法を用います。合金をこの環境に送り込み、本来であれば作られない構造を形成させてからこちらの世界に戻すのです」
「こっちの世界に在れるなら、たぶん干渉で作れると思うけどな……」
ピオの説明を聞きながら、エッフィは自分の手を握ったり開いたりしていた。