夜が来て、朝が来て、また夜が来た。
彼女の中では、注意深く神話原型となりうる物語が紡がれていた。
例えば空には忙しく走り回る星と、遅いながらも年中通して現れる星とがある。星によって明るさも、色も異なる。中には非常に近い場所にいる仲睦まじい
彼女がかつていた場所では、その星々の、そして星々を結んで作られる図形の示す記号が重要な意味を持っていた。いや、厳密には持ってしまっていた、だろうか。
彼女は口を開かない。口を開いて、それを言葉として、記号として世界が認識できるようになってしまえば、星から影響を受けてしまう。そうして縛られてしまい、滅んでいったものたちを彼女は知識としてではあるが知っていた。
星々の並びは変えられない。空を惑うはぐれものたちの動きもそうだ。地にあるものは、ただその影響に流されるだけ。ただ、その影響をどういうふうに定義するかによって何に流されるのかは多少制御できる。
終わる星を吉兆とするか否か。幾千夜、あるいは幾万夜も廻って旅をする
「……月、あるのかな」
歩きながら、彼女はぽつりと呟いた。昼の空にもそれらしきものはなかった。詳しい星の巡りを調べるためにはそれなりの期間空を観察し続ける必要があるだろうが、今はその余裕がない。もし星がなければ、大地自身が持つ意味がどうしても変動しやすくなる。それでは安定した記号にはならない。
「せめて、そういう流れがあればまだもう少しなんとかなるんだけれどもな……」
彼女は毎秒死に抗い続けていた。致命傷を避ける一度の幸運などとはわけが違う。それだけ摂理を捻じ曲げねばならないし、それだけ多くのものを消費した。
本来、ただ歩き続けるだけであればそれは決して難しいものではない。人間でも、苦行の範囲でそのくらいのことを成し遂げられる。しかし、どれだけそれを維持できるかは別の問題だ。
ふと彼女は後ろを振り返る。薄く青い暁光が空を照らしていく。もうしばらくすれば灰黄色の昼の光になるだろう。
明るくなろうが暗かろうが、ただ進むだけであれば問題ない。少なくとも彼女は自分の周りの流れぐらいであれば確認できる。それでも、やはり明るいということは気分も明るくするものなのだ。
彼女は楽しそうに言葉を含まない歌を口ずさみながら進んでいく。歌うだけ身体に負荷をかけてしまうとはいえ、何もせずにはいられなかったのだ。
とはいえ歌う内容は正直ない。過去を語るつもりにはなれなかったし、周りの景色は荒涼としている。僅かな風で砂が舞い、本来であれば咳やくしゃみを引き起こしていただろう。彼女が自身に意味付けした正常というものはそういうものも防いではくれるのだが。
彼女が少し小高い丘の頂上に着いた頃には、すっかり日は昇っていた。
「……川、かな」
彼女は足を止めて呟く。開けた視界の先、うねって伸びていく削れた溝は彼女の進路と概ね同じ方向に伸びていた。
「流れがあるといいけど……」
彼女は自分の纏っていた防護を少しづつ外していく。死が迫ってくるのがわかる。目を閉じて、自分の中に意識を集中させる。
暗闇の中に自分が浮かんでいることを想像する。でも実際にはそうではない。弱いとは言え、周りにも流れがある。
今まで歩いてきた旅路がある。それは既に、彼女がこの星に刻んだ流れとなっている。
いくつかの流れを感じながら、全体としての印象からそれらを引いていく。
ゆっくりと、彼女が何かに導かれて歩いていく。引かれるかのように片手を出して、次第に足跡の間隔を広くして、地面を蹴る膝の力を強くして。
そう時間がかからずに彼女は転ぶ。坂をごろごろと転がって、全身が砂まみれになる。
そうして止まって、彼女は笑い出した。
「やった……っ!下に流れている!」
読者の中には雨季にのみ流れる川について知っている人がいるだろう。そのような川には、しばしば近くに水脈が存在する。彼女の記号的考え方で言うならば、地上と地下の照応というものだ。
彼女は身体を地面に横たえ、大の字にうつ伏せになって自分の記号を大地と重ねる。その中の流れを、自分の流れに変えていく。
地中の水は蒸発によって濃厚となり、様々なものが溶け込んだことでこの冷たさでも流れを保っていた。このままであれば消えゆく流れであるが、それゆえに彼女は重ね合わせることが容易にできた。
寝返りをうつように空を仰ぐ。今まであった抗っていたという感覚は少しだけ減り、彼女の本質が少し変わった。
「少し休んだら、また進まなきゃ」
とはいえ、これはあくまで一時しのぎに過ぎない。このままでは、彼女は朽ちていくしかない。たとえあるがままの状態を歪め、緩やかな流れを絶えさせてでも在り続けようと考えられる程度には、彼女は生に貪欲であった。