ふたりきり惑星再生   作:小沼高希

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007: 似姿像は先駆者と名付けあう

「もし宜しければ、本官から官姓名を述べさせて頂きたい」

 

先駆者(ピオニエル)からの提案に、似姿像(エッフィゲ)は眉をひそめた。

 

「……本官の行動に、何か問題が?」

 

「あなたは、自分の名前を言うことに抵抗はないの?」

 

「問われれば答えねばならない義務がありますので」

 

「あーじゃあやめて」

 

「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「……ちょっと待ってね」

 

そう言って、似姿像(エッフィゲ)は思考を回す。

 

彼女にとって、名前というものは非常に強い記号である。もちろん先駆者(ピオニエル)にとってそれは記号に過ぎないのであるが、そもそも二人の根本的な認識が違うのだ。

 

これについては、二人の間で結ばれた最低限の共通認識では説明しきれるものではない。なおこの共通認識というのは、読者にわかりやすくざっくり言ってしまえば神智学協会のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーが持ち出した虚空年代記(アカシックレコード)であるとかカール・グスタフ・ユングの言う集合的無意識の亜種のようなものだと思ってくれて構わない。

 

「もしあなたが名前を言ったら、私も言わなくちゃいけなくなる」

 

「……たとえ匿名であっても、民間人に対する本官の義務に対しての影響はほとんどありませんが」

 

「違うのよ、ええと、あなたが言おうとしているのは本当の名前、あなたを特定してしまうものでしょう?」

 

「その通りです。なるほど、何か問題があるのですね」

 

「それを私に話すことは、私がそれを使うかもしれないってこと。……もしかして、使われたらどうなるかわからない?」

 

「……意図が掴めません。できれば、より詳しく説明していただけますか?」

 

表情を変えずに問いを投げ返す先駆者(ピオニエル)似姿像(エッフィゲ)はどこか捉えようのない奇妙さを覚える。非常に専門分野には強いがそれ以外はさっぱりな研究者を相手にする時の面倒さに近いものがあるかもしれない。

 

「私は名前がない。縛ることができない存在なの。それなのに私だけ知るのは釣り合いが取れない」

 

「文化、宗教、あるいは嗜好の問題であると判断してもよろしいでしょうか?」

 

「あーうん。ひとまずはそれでいい。ただ、区別はしたいの。あなたをここであなただと定義して、私と繋がりを作れるものが」

 

「……ならば先駆者(ピオニエル)というのはいかがでしょう。本官や同型機はかつてそのような愛称で呼ばれていました」

 

「先に進むもの、道を作るもの……ああ、だからあなたは作り出すような記号を持っているのね」

 

「厳密な意図は不明ですが、概ね問題なく意思疎通ができていると考えます」

 

「何か食い違いがあるような気がするけど、まあ優先順位は低いわね」

 

そう言って、似姿像(エッフィゲ)はあたりを見渡す。

 

「……ところで、家とかって作れたりする?」

 

「家庭ではなく、住居ですか?」

 

「……そう」

 

「可能ではありますが、ヒトの居住に適した環境とするためにはそれなりの時間がかかると思われます。貴方が今生存できている以上、早急の課題ではないのではないでしょうか?」

 

「確かに。あなたに信じてもらえたからもう少しは元気だしね」

 

「本官が貴方を信頼することが、貴方にとっての利益になるのですか?」

 

この質問は先駆者(ピオニエル)にとっては冗談や誤解ではなかった。彼女の処理系は既に眼前の異常事態を無理矢理解釈することを始めており、彼女の生存原因を非物質的なものまで広げて考察していた。とはいえ、この質問にはコミュニケーションのためという側面もあったが。

 

「うん。これについてはかなりなる。とはいえ無理にする必要はないからね」

 

これは似姿像(エッフィゲ)にとっても本心であった。彼女にとって観測されることは存在を確立させ、流れを維持するために重要な行為であるが、それは強制の上でなされると力を失う。観測を観測であると意識しすぎても、それはそれで駄目なのだ。

 

「それで先駆者(ピオニエル)、私の名前なんだけど」

 

似姿像(エッフィゲ)、ではないのですか?」

 

先駆者(ピオニエル)の言葉に、似姿像(エッフィゲ)はしばらく固まる。

 

「……どうして、それを知ったの?」

 

「先程貴方から接続された時に、記録されたので。……申し訳ございません。無遠慮な発言でしたでしょうか?」

 

刃物で何かに傷をつければ、傷にはその刃の形がつく。それとだいたい同じだ。ログインIDのようなものだと見てもいい。

 

「……そーだね。悪気はないのはわかっているけどさ、相手の本名を言うのは、こう、よく、ないよ」

 

うつむいてしまう似姿像(エッフィゲ)に、先駆者(ピオニエル)は沈痛な表情を浮かべる。

 

「え、顔が動くんだ」

 

「このようにしたほうが、本官の意図を伝えやすいと考えたまでです」

 

「今後はもう少しそういうふうにして」

 

「かしこまりました。似姿(エッフィ)……、失礼。お名前をお呼びしても?」

 

「いいね、私のことをこれからエッフィと呼んでくれない?」

 

エッフィは少し嬉しそうに顔を上げる。記号から新しい記号を作ることはそれ自体に意味があることだ。完璧な模倣であるところから一部を削り取ることは、それはそれである種の強さを意味することにもなる。オリジナルとは別の、それでいてそのレイヤーにおける強さ、とでも言えばいいだろうか。

 

例えば日本の読者であれば日光東照宮の陽明門における逆柱を想起するかもしれない。ペルシャやナバホ族、アーミッシュの織物における意図的な欠陥の導入を類似例として挙げることのできる読者もいるだろう。そこには完璧なものに潜むある種の恐ろしさ、あるいは崇敬を避けるという意味がある。

 

もしかしたらそれらが作り出すのはミスから逃れられない人間の言い訳の余地かもしれないが、まあそれは構わない。

 

「……かしこまりました、『エッフィ』。しかし、貴方が先程述べたような釣り合いを考えるのであれば、貴方も本官に愛称をつけるべきでは?」

 

「じゃあ同じようにさせてもらうね。これからよろしく、ピオ」

 

少し前まで何かの似姿像(エッフィゲ)として自己を定義するしかなかった彼女は、今はエッフィと呼ばれる特別な存在となった。

 

それと同時に、先駆者(ピオニエル)工兵(ピオニエル)たるべしという呪縛を少しだけエッフィに解かれたのである。

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