「もし宜しければ、本官から官姓名を述べさせて頂きたい」
「……本官の行動に、何か問題が?」
「あなたは、自分の名前を言うことに抵抗はないの?」
「問われれば答えねばならない義務がありますので」
「あーじゃあやめて」
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……ちょっと待ってね」
そう言って、
彼女にとって、名前というものは非常に強い記号である。もちろん
これについては、二人の間で結ばれた最低限の共通認識では説明しきれるものではない。なおこの共通認識というのは、読者にわかりやすくざっくり言ってしまえば神智学協会のヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーが持ち出した
「もしあなたが名前を言ったら、私も言わなくちゃいけなくなる」
「……たとえ匿名であっても、民間人に対する本官の義務に対しての影響はほとんどありませんが」
「違うのよ、ええと、あなたが言おうとしているのは本当の名前、あなたを特定してしまうものでしょう?」
「その通りです。なるほど、何か問題があるのですね」
「それを私に話すことは、私がそれを使うかもしれないってこと。……もしかして、使われたらどうなるかわからない?」
「……意図が掴めません。できれば、より詳しく説明していただけますか?」
表情を変えずに問いを投げ返す
「私は名前がない。縛ることができない存在なの。それなのに私だけ知るのは釣り合いが取れない」
「文化、宗教、あるいは嗜好の問題であると判断してもよろしいでしょうか?」
「あーうん。ひとまずはそれでいい。ただ、区別はしたいの。あなたをここであなただと定義して、私と繋がりを作れるものが」
「……ならば
「先に進むもの、道を作るもの……ああ、だからあなたは作り出すような記号を持っているのね」
「厳密な意図は不明ですが、概ね問題なく意思疎通ができていると考えます」
「何か食い違いがあるような気がするけど、まあ優先順位は低いわね」
そう言って、
「……ところで、家とかって作れたりする?」
「家庭ではなく、住居ですか?」
「……そう」
「可能ではありますが、ヒトの居住に適した環境とするためにはそれなりの時間がかかると思われます。貴方が今生存できている以上、早急の課題ではないのではないでしょうか?」
「確かに。あなたに信じてもらえたからもう少しは元気だしね」
「本官が貴方を信頼することが、貴方にとっての利益になるのですか?」
この質問は
「うん。これについてはかなりなる。とはいえ無理にする必要はないからね」
これは
「それで
「
「……どうして、それを知ったの?」
「先程貴方から接続された時に、記録されたので。……申し訳ございません。無遠慮な発言でしたでしょうか?」
刃物で何かに傷をつければ、傷にはその刃の形がつく。それとだいたい同じだ。ログインIDのようなものだと見てもいい。
「……そーだね。悪気はないのはわかっているけどさ、相手の本名を言うのは、こう、よく、ないよ」
うつむいてしまう
「え、顔が動くんだ」
「このようにしたほうが、本官の意図を伝えやすいと考えたまでです」
「今後はもう少しそういうふうにして」
「かしこまりました。
「いいね、私のことをこれからエッフィと呼んでくれない?」
エッフィは少し嬉しそうに顔を上げる。記号から新しい記号を作ることはそれ自体に意味があることだ。完璧な模倣であるところから一部を削り取ることは、それはそれである種の強さを意味することにもなる。オリジナルとは別の、それでいてそのレイヤーにおける強さ、とでも言えばいいだろうか。
例えば日本の読者であれば日光東照宮の陽明門における逆柱を想起するかもしれない。ペルシャやナバホ族、アーミッシュの織物における意図的な欠陥の導入を類似例として挙げることのできる読者もいるだろう。そこには完璧なものに潜むある種の恐ろしさ、あるいは崇敬を避けるという意味がある。
もしかしたらそれらが作り出すのはミスから逃れられない人間の言い訳の余地かもしれないが、まあそれは構わない。
「……かしこまりました、『エッフィ』。しかし、貴方が先程述べたような釣り合いを考えるのであれば、貴方も本官に愛称をつけるべきでは?」
「じゃあ同じようにさせてもらうね。これからよろしく、ピオ」
少し前まで何かの
それと同時に、