二籠や三鼎のクリアファイル欲しい……
転校生が来てから数日経った。
その間、私に対する新しい嫌がらせは起きていないが日常は変わらない。クラスメイトとは最低限、プリントを受け取る時くらいでしか話すことはない。一人で登校して、一人で昼食を食べて、一人で帰る。
転校生はというと、初日で男女問わず多くのクラスメイトと仲良くなったらしい。今日も登校して教室の扉を開くと沢山の人から挨拶されていた。私の場合だと、席に着くまで一挙手一投足を無言で見られるのに。
羨ましかった、陽のあたる場所にいられるのが。闇の中で悶えている私と違って、明るく楽しそうにしているのが。
あの日、転校生から逃げるように去って以降、彼と言葉を交わすことは無かった。なにか変わるんじゃないか、そんな気がしたのに私は見なかったことにしてしまった。
4時限目の体育の授業が終わり、昼休み。私は教室に戻らず、購買に行きパンを買ってトイレに籠る。誰とも顔を合わせたくないからだ。トイレに漂う薬品の匂いの中、昼食を摂るのは初めのうちは慣れなかったが、今はもう平気。
食べ終わってケータイをいじっているとあっという間に休み時間が終わる10分前になった。次の授業の準備をするため、トイレを出て教室へ向かう。
教室に入ると、相変わらず周囲は私に目を向けてくる。笑い声も聞こえる。被害妄想かもしれないけど、その声は私に向けられているものだと錯覚してしまう。
隣の席の転校生……烏鷹君は椅子に座って何人かの男女と話している。
そんな姿を横目に自分の席に座り、椅子にかけているカーディガンを羽織る。4限目の体育で汗をかいたが、昼休みが終わる頃には肌寒くなっていた。
「……ッ!?」
袖を通そうとしたらガリッと、手の甲が引っ掻かれたような痛みがやってきた。何事かと思い、急いでカーディガンの袖口に目をやると、無数にホチキス止めがされていた。
いつ、誰が、とは考えなかった。もうこういうのには慣れたから。
傷ついた手をそのままにカーディガンは椅子にかけ直して次の授業、理科の準備をする。
ノートも、教科書も、ズタズタで落書きだらけ。でも、別に良い。住めば都、地獄も住み処。
でも……叶うなら、こんな場所から抜け出したい。
最後に、ペンケースを取り出すと妙にずっしりとしている。どうせ画鋲でも入っているんだろうな、そう思い蓋を開けると、
「ひっ!?」
中に入っていたものを見て、鳥肌が立った。ガシャンとペンケースが床に落ち、思わず勢いよく立ち上がったため椅子が倒れた。
そんな私にクラスメイトの視線が一斉に集まる。
「け、毛虫よ! 毛虫!」
床には落ちたペンケースと、中に入っていた数匹の毛虫が蠢いていた。
女子の一人が騒ぎ立て、恐怖と不快感は一気に教室中に伝搬した。困惑する声と、私の近くにいた人は後ずさりしていく。
────なんで、どうして……
周囲の目は言っている、早く何とかしろと。そんな気色の悪いものを持ち込むなと。毛虫に向けられるはずの嫌悪の眼差しは、私にも向いていた。
今すぐに逃げて泣き出したい想いを抑え、床にちらばっているペンを2本取る。それを箸の様にして毛虫をノートに摘みあげようとしたら、
「恩田さん」
声をかけられた。一体誰だろうと顔を上げると、転校生の烏鷹君が目の前にいた。
「ここは俺がやっておくから、恩田さんはペンケースを洗いに行きなよ。気持ち悪いだろ? そんなの」
「え……あの…………」
「いいから、先生には適当に話通しておくから」
なんで、突然……さっきまで彼と話していた男女も、遠巻きに様子を伺っているクラスメイトもみんな烏鷹君に注目している。
「…………ありがとう、ございます」
目は合わせられなかったが、お礼をして私は教室を後にした。
⛩
「烏鷹君……それ…………」
恩田麻紀を見送った後、俺は素手で毛虫を自分のペンケースにササッと放り込んだ。そして、トイレにでも流しに行こうとしたら、クラス委員の【中瀬ひとみ】という子から恐る恐るといった様子で声をかけられた。
「……何?」
「えっと、その……」
声をかけたはいいが何を言えば良いのか分からないと言った様子で、どうにも歯切れが悪い。
「……神代先生に今のこと言っといてよ。これ、捨てに行かなきゃいけないからさ」
「あ……うん…………」
そう言って俺はペンケースを持って教室の出口へと向かう。廊下に出る際、クラスメイトからは奇特な人を見る目を向けられたが、そんなことしている暇があったら次の授業の準備でもしていろ。
知らぬ存ぜぬ、見て見ぬふり。何もしようとしないどころかそれがあの子を苦しめていると理解すらしていないんだから、お前達が今できることはその位だろ。
なんてことを一層ぶちまけてやりたかったが、生憎そこまで干渉するわけにもいかないので、顔にも口にも態度にも出さずにトイレへケースの中身を捨てに行った。
個室のトイレで毛虫を流して、ペンケースと手を洗い終えたら背後に気配を感じた。
「あーっと……お嬢? ここ、男子トイレなんだけど……」
まさか、こんなところに現れるとは思ってもいなかったため流石に困惑してしまう。
「……手、見せて」
俺の疑問は他所にそう求められたので、ハンカチで手を拭いてから差し出すとやさしく握られた。ひんやりしていて気持ち良い。
「……大丈夫?」
「……毛虫を摘んだこと? それなら毒持ちの種類じゃなかったし、そもそも毒があっても俺達には効かないんだから、気にする事はないよ」
「…………そうだったわね」
そうは言うも未だ俺の手はとられたままで、お嬢はまじまじと掌を見つめている。
「えーっと、そろそろ教室に戻らないと……」
心配してくれるのはとても嬉しいんだが、仕事を再開しなければならない。その旨を伝えたらゆっくりと手を放してくれた。
「じゃあ、また後で」
そう言って軽く手を振るとお嬢も小さく振り返してくれた。
かわいい。
なんてことを思いながら足早に教室へと向かうのだった。
さて、教室に戻るとまだ授業は始まっていなかった。クラスメイトに聞いたところによると、5限目を担当しているこのクラスの担任であり理科の先生である神代瑛子が恩田麻紀を呼び出したそうだ。
少しして帰ってきた彼女を見ると、傷の手当がされていた。中指には先生が貼ったであろう絆創膏があるのを確認できた。
その後は特に何かが起こる訳でも無く、一日が終わった。
────ちなみに、お嬢曰く仮契約すらしていない、または暫定ターゲット相手ならこの程度の干渉は問題ないとのこと。最も、あまり深入りし過ぎたり地獄通信に誘導、または遠ざけようとするのは良しとされていない。厳密なルールこそ無いが、お嬢や輪入道たちの反応でその辺は決めている。
⛩
次の日、あんなことがあったけど私は学校に通った。4時限目の数学の授業を聞きながら、中指に貼られた絆創膏を見て昨日のことを思い出す。
傷の手当をしてくれた担任の神代先生。私の心配をして、手を差し伸べてくれた人だ。帰り際、『何かあったら連絡しなさい』と言ってくれた。
だけど、私はそれを拒絶した。こんな目に遭ってもう1ヶ月は経とうとしているのに変わらない日常。だから、今になってそんなことを言われても遅いと思った。できない事を言わないで欲しいと。どうせ変わらない、変えられないと。
チラリと、隣の席の烏鷹君を横目で見る。他の大多数の生徒と同じようにノートをとっているが、どこか退屈そうだ。
彼は私の代わりに毛虫の後始末をしてくれた。でも、理由は自分の方に被害が来て欲しくないからとか、ただの気紛れとかなんだろうな。結局、あの後改めてお礼も言えていない。
なんてことを考えていると、マナーモードにしているケータイが震えた。登録してあるのは両親や1年の頃のクラスメイトくらい。迷惑メールはこれまで受け取ったことないから誰だろうと思い、先生に気づかれないように隠して確認すると、
『私は麻紀の味方。いたずらの犯人を知っている。昼休みに更衣室に来て。待ってる』
というメールが送られてきていた。
差出人は書かれていなかった。メールアドレスも見たこともない。
行くべきか悩んだ。これも私に対するいじめの1つで、行ったら何されるか分からない。
でも、可能性があるのなら、この地獄から少しでも抜け出せる可能性があるのなら、行ってみる価値はあるかもしれない。
「…………」
昼休み、私は昼食を摂らずに女子更衣室にやって来た。
ドアを開けると、明かりこそついているが中には誰もいない。
「……やっぱりいたずらか」
きっと何処かから今の私を見て楽しんでいるのだろう。
帰ろう……やっぱり、何も変わらなかった。引き返そうとすると、再びケータイが震えた。
『来てくれてありがとう。他の人に気づかれたくないから、奥のシャワールームに入って。明かりは付けないで』
新たに一件、メールが届いた。
もしかして、用心深い人……? そう思い、シャワールームへの扉を開く。
中は真っ暗だ。更衣室の光が少し入ってきているため全くの暗闇ではないが、普段は人が使っているであろう場所がガランとしていて静かなのは不安になる。
背後は光、正面は闇。ゆっくりと、警戒しながら奥へと進んでいく。暗くて、怖い。窓がついていないから、明かりは更衣室から入ってくる光だけ。
だけど、この先に今を変えてくれる何かがあるなら……
やがて、1番奥の個室にたどり着いた。半扉の個室はその箇所だけ閉まっていて、人の頭と足が見える。
「……あなたなの? 私を呼んだのは?」
返事は無い。不気味だが、勇気を出して『開けるね』と言い、扉を押す。
その後ろ姿は、見覚えのない女子だった。少なくとも、クラスにはいないはず。そんな人が何故?
「誰? 本当に犯人を知ってるの?」
一切反応を示さない彼女、無音の暗闇。そんな雰囲気に耐えきれず不安に駆られ、早口で問いかけるが目の前の子は微動だにしない。
何かがおかしいと思い、肩を揺すると────────
────────首が落ちた。
「イヤァァァァァァァァッ!?」
ゴトりと、一切の生気を感じさせず落下した頭部を見て私の心臓は止まったかと錯覚した。
しかし床に落ちた顔、よく見ると人間のそれではない。身体と交互に見るとそれは人形の顔、マネキンだった。
私と同じくらいの髪の長さで、黒目のない顔。不気味な笑みを浮かべていて、まるで今の私を嘲笑っているかのようで、身体が硬直してしまう。
突然、シャワールームの扉が閉まった。それと同時に、全てのシャワーが突然放水を始めた。微妙なバランスを保っていたであろうマネキンは私に向かって倒れ込んできた。
「いやぁ!」
咄嗟のことで避けられず、マネキンに押し倒されてしまった。
水浸しの床に足を取られながらも何とかマネキンを押しのけ、制服がびしょ濡れになるのも構わず更衣室に繋がるドアへと走っていった。ドアの窓からは明かりが差し込んでいる。
早く出ないと。早く、こんな暗くて怖いところから出たい。そう思ってドアを引っ張るが、開かない。
背筋が凍る。
シャワーの放水は未だ止まらない。段々とジメジメしてきた。こんな暗いところに、誰にも気づかれずにずっと閉じ込められるの? 目の前は光が差し込んでいるのに、この扉さえ開けば戻れるのに。闇の中に希望があると思ってこんなところに来たのに、ずっと、誰にも気付かれることなく闇の中にいろって言うの?
嫌、そんなの嫌!
「開けて! 開けてよ!」
精一杯大声を出して、ドアを力いっぱいに叩く。だが、誰も来てくれない。
「開けてぇ!! 開けてェーッ!!」
誰でもいいから助けて。そう思い、喉が張り裂けんばかりに叫び続けて、ドアを叩き続ける。だけど、誰も来ない。
「お願い……開け…………て……」
身体に力が入らなくなってきて、床にへたり込んでしまう。続けて、目の前がぼんやりとしてきた。なんで……? どうして私がこんな目に遭わないといけないの……? 何も悪いこと、していないのに……ただ大人しく、学校に通っていただけだったのに……
ついに倒れてしまった。もう立ち上がれそうにない。シャワーの音も段々と聞こえなくなり朦朧とする中、誰かがドアを開けたのが見えた。ぼんやりとしか見えないけど必死そうな顔で、私の肩を揺すっているみたい。
誰……? 男の子…………? ここ、女子更衣室だよ……? 入ったら、ダメだよ…………
誰なの……?
この顔は……………………
そして、意識は途切れた。
⛩
「そういえば」
時は遡り昼休み。空いた特別室で烏鷹周、もとい大天狗は輪入道達3人と集めた情報の共有と一息の休息をとっていた。
「さっきあの子授業中にケータイ開いてたけどなんだったんだろ」
大天狗は購買で買った焼きそばパンを齧りながら、ふと思ったことを口に出した。
「……ああ、それならオレが視たぜ。つっても、『あの女』の方も視ててついでにって感じだったから全文は読めてねえが」
そう応えるのはジャージ姿の石元蓮、もとい一目連。
「なんて書いてあったの?」
「…………昼休みと更衣室ってのは、視えたな」
一目連は何故かまるで観念したかのように答えた。それを聞いた大天狗は食べかけのパンを持ったままピシリと固まる。
「どうした?」
「……ごめん、ちょっと行ってくる」
「あ、おい大天狗!」
輪入道の問いに答えず、大天狗は持っていたパンを急いで口に詰め込み、一目連の呼び止めを無視して走り出そうとしたその時、
「ッ。お嬢……」
「…………」
目の前に閻魔あいが現れた。
「……彼女が心配なんだ。深入りし過ぎないと約束する、地獄流しの妨げになることもしない。だから────」
「良いわ」
『彼女の元へ向かわせてくれ』。そう言い切る前に、あいは許可を出した。
「……好きにすればいい」
「────ありがとう、お嬢!」
大天狗はここまでスムーズに許しを得られるとは思っていなかったため、一瞬フリーズするもすぐに立て直し、お礼を言ってあいの横を駆け抜け特別室から出て行った。
三藁は去って行く仲間の背中を呆然とした様子で見送ることしかできなかった。
「……行っちまったよ」
「ったく、こうなるって分かっていたから聞かれるまで黙っていたのに……許して良かったのかよ、お嬢?」
あいは無言でこくりと頷いた。
「……なあ、最近チョイとアイツに甘いんじゃねえか?」
輪入道が訝しげに尋ねる。
あいに不信感を抱いているわけではない。だが、彼女が大天狗に向けている感情は、同じ使い魔である三藁へのそれとは些か異なっていると彼らは察している。最も、それがどんなものなのかは、4人とも把握しきれていないが。
故に、私情を持ち込んでいるのではないかと輪入道は考えた。
「……確かに甘いのかもしれない」
あいは輪入道の推測を否定しなかったが、『でも』と言葉を区切った。無口な自分たちの主が話を一言で済まないのは珍しい。故に、続く言葉を3人は待った。
「それは仕事が無いときのこと……大丈夫よ。大天狗はもう、この仕事のことを十分理解している。だから、心配しなくても平気…………」
彼女の口から紡がれた言葉は、大天狗への信頼の顕れだった。
確かに、あいが彼に向けている感情は三藁へのそれとは違うのかもしれない。しかし、仕事に置いては決して特別扱いをしておらず、また長く連れ添った三藁と同様の信頼を寄せていると伺えるものだった。
「お嬢がそこまで言うならそうなんだろうが……」
その意図を汲み取れない輪入道では無かった。一目連と骨女も理解はしている様子だが、それとは別に大天狗への懸念があった。
「でもよ。この前の一件からアイツ、ああだもんな……」
「何処か危ういところがあるんだよね……」
大天狗は六道郷の一件以降、特に今回のような案件に強く感情移入をするようになった。
それはトラウマ、閻魔あいの原点に触れてしまったがために彼の魂に深く刻み込まれた消せない記憶。
信用も信頼もしている。だが、だからこそ彼らは心配なのだ、大天狗のことが。
「…………」
閻魔あいは、大天狗が出て行った扉ただ一点をじっと見つめていた。彼女の眼差しがどのような感情を含んでいるのか、それはあい自身にも分からないのだった。
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