キャラバンが訪れる予定日の一日前。俺は疲労困憊だった
料理や洗濯などはそれなりに出来ていたのだけど裁縫仕事や薬草に関する知識に問題があり数日に渡りみっちり指導されたのだ
おかげで俺の両手は針の穴だらけになっている
裁縫より深刻だったのは薬草の知識不足だ。ワラビとゼンマイの区別すらつかない俺にとってどれが薬草なのかを見極めるようになるまでが大変でマルダさんに何回怒鳴られたか分からない
「これだけ出来れば迷惑はかけないだろうねえ。よく頑張ったねナナ」
漸くマルダさんから及第点を貰えた時は思わず涙ぐみそうになったものだ
「さあ。明日は早いよ! ナナはもう寝な!」
有無を言わさぬ口調で俺の背中を押すマルダさん。確かにもう寝た方がいいかもしれない
「わかりました。お休みなさいマルダさん、カール(旦那さん)さん」
息子さんの部屋のベッドに転がる。明日の事を考えると中々寝付けない
(緊張してるのか……ガキか俺は)
目を瞑ってじっとする。何時かは寝られるだろうか
雀の鳴き声が聞こえ朝になった事に気がつく、結局寝られなかったと後悔するがもう遅い
「おや? 酷い顔だねえ。寝られなかったのかい?」
マルダさんが苦笑しながら顔を洗ってきなとバケツを指す。寝られない事を予想されてたのか……俺は意外と分かり易い性質のようだ
朝食を食べていると俄かに外が騒がしくなる。キャラバンが来たのだ
マルダさんから聞いたのだがこの村には小さな宿くらいしか宿泊施設は無くキャラバンのような大人数には対応出来ないらしい
その為一日で宿場と村を往復出来るように朝早くから取引をするのだそうだ
パンを急いで呑み込み外へでる。外は正にお祭り騒ぎだった
「街で一番流行りのダングンの布で作ったドレスは要らないかい!?」
「このグラス見てくれよ! この透明度と薄さは滅多にないぜ!」
「ちょっと! この髪飾り幾ら?」
「この皮の手袋もうちょっと安くなんねえか?」
「それはサラマンダーの皮で出来てるからなあ。んーこれくらいか?」
「すごい騒ぎだな」
圧倒されてしまった。考えてみれば街や色んな地方の珍しい品を手に入れる唯一のチャンスなんだろうし当たり前なのか
盛況ぶりを眺めているとゾーリンさんの姿を見つけた。恰幅のいい中年男性と何か話している
「あの人がキャラバンの商人を纏めている人だよ」
何時の間にか傍らに立っていたマルダさんが中年男性の正体を教えてくれた。成る程言われてみれば身なりは裕福そうだ
俺達に気づいたらしいゾーリンさんが手招きをしていた
「ちょっと行ってきます」
「ああ。ちゃんと挨拶するんだよ」
マルダさんに一礼してゾーリンさんの元へ向かう
「ゾーリンさん。おはようございます」
「おはようナナ。こちらリューオン商会のスナフさんだ。君を同行させてくれると快い返事をくださったよ」
スナフさんは俺を値踏みするように観察している。商人の癖なんだろうか? 何か売り物になった気分で落ち着かない
「ナナと言います。この度は同行を許可してくださってありがとうございます。ご迷惑はおかけしません。お手伝いでも何でもしますから宜しくお願いします」
やっぱりやめたとか言われたら困る俺は必死に頭を下げる
と、予想だにしないことが起きた
いきなり尻を触られたのだ
「ひゃっ!」
思わず体を跳ね上げて尻を隠す。そこで漸く俺の傍らに男がたっている事に気がついた。さっきのマルダさんの時もそうだが鈍すぎだろ俺
「こんな可愛いお嬢さんがご一緒とはね。今回の仕事は当たりかな」
男は背が高く目算で180を軽く越えていた。それでいて体は引き締まっており巨漢という印象は薄い
顔立ちも整っている。髪の毛はボサボサだがそれがかえってワイルドな格好よさを演出していた。イケメンはどんな髪型でもイケメンなのか
腰には剣をさしていた。商人には見えないし護衛の兵士か何かだろう
「いきなり何すんだ!」
男に尻触られたって不快でしかない。相手がイケメンなら尚更だ
いきなり崩れた言葉使いにスナフさんは面食らったようだがイケメンは面白そうに笑っただけだった
「へえ。見かけによらず気が強いな。そういう女は嫌いじゃないが」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら俺を見下ろすイケメン野郎。完全に馬鹿にされてるな
「ブリット! やめないか!」
スナフさんが声を張り上げてイケメンを窘める。こいつブリットというのか
「へいへい。ま、これから一緒に旅をするわけだからお互いの事を良く知る機会は幾らでもあるか……ええとナナ……だったか。これから宜しくな」
そう言って手を差し出すブリット。コイツとは絶対仲良くなりたくねえなあと思いつつその手を握る
その瞬間思い切り引き寄せられた
「なっ!」
気がつけば俺はブリットの腕の中にいる。油断していた……もがいてみるがビクともしない
「おいおい。あんた無防備過ぎやしないか?」
仕方無いだろうついこないだまでは男だったわけだし……
「離せよ」
訴えても拘束は緩まない。どうしたらいいだろうか
脳内をフル回転させているとブリットが顔を近づけてきた
「な、なんだよ……」
「まだ嫁入り前の娘が何でもするなんて言うなよ。誤解されて襲われても文句は言えないぜ?」
ハッとした。考えてみればどう受け止められても仕方ないニュアンスだ
「い、いや、何でもって雑用とかするって事で決してやましい事をするとかじゃないからな!」
慌てて訂正する。抱かれるのは嫌だ。俺の動揺が面白かったのかブリットはクククと笑い出した
「分かってるさ。俺は……な。他の奴らはノリ気だったみたいだぞ」
そう言われてゾッとする。冗談として受け取っておこう。そっちの方が精神安定上好ましい
「ま、これに懲りたら言い回しには気をつける事だ。余計なトラブルを引き寄せる種になるからな」
まるで子供に言い聞かせるような言い方だ。いや、実際この世界について何も知らない俺は子供みたいな物なんだろうが
「……分かった…今度から気をつける……ありがとう」
喧嘩腰だった分かなり気まずい。マトモに顔を見られずに俯いてしまう。コイツは結構いい奴かもしれん
恥ずかしさと申し訳なさとで固まってしまった俺の体をブリットの手が撫で始めた
「ひゃん? ちょっ! 待て!」
腰を撫でまた尻を撫で。俺が動かないのを良いことに無遠慮に触り続ける
「ククク。授業料代わりだ。勉強になったろ?」
前言撤回。コイツは嫌な奴だ
「いい加減にしろっ! この変態が!」
脛を蹴ってやる。大してダメージは無いだろうがブリットは俺を離してくれた。つか俺で遊ぶな
「うちの若い者がすいませんでした」
スナフさんが頭を下げる。悪いのは考えなしに口を開いた俺と初対面の人間にセクハラかましたブリットなのだからスナフさんが頭を下げる必要は無いと思う
「いえ…元はと言えば言葉を選ばなかったお……私が悪いんですから気にしないでください」
今更取り繕っても意味がない気がする
昼前に取引は終了し後は撤収するだけとなった。俺も旅支度を終え出発するだけになっている
「スナフの旦那! 準備が整いましたよ!」
馬代わりだろうか。小屋程のある4足歩行の恐竜のような生物に跨がった若い男がスナフさんに声をかける
出発の時が来たのだ
「マルダさん、カールさん、ゾーリンさん。今までお世話になりました。このご恩は一生忘れません、何時か必ずお返しします……その時までどうかお達者で」
「ナナ、色々大変だろうけど元気で暮らすんだよ」
「辛くなったら帰って来いよ!」
「達者で。何かあったら手紙を出すんだぞ」
目頭が熱くなってくる。泣くな。死に別れる訳ではいんだ。
湿っぽい気分を振り切るようにキャラバンへと合流する
「もう。いいのかい?」
そう尋ねるスナフさんに頷きを返す。口を開くと泣いてしまいそうだ
「では出発しようか」
スナフさんの言葉と共にキャラバン全体が動き出した。俺は振り向けなかった。ここで振り向いたら多分挫けていただろう
(何時か必ず戻ってこよう。その時は今より少しでも成長した姿を見て貰うんだ)
決心と共に踏み出した一歩は生涯忘れられない一歩になった