積み上げたもの
太陽に投げた石
空に向かって吐いた唾
ミルカ視点。
「――今、なんて言ったの……?」
え? ──と。
見開かれた紫の瞳が、目の前にあった。
──あの『黄昏の海』に潜む竜、サンドドラゴンを間近に見た人間は決して多くない。
日の大半を黄砂の中で過ごしていることに加えて、積極的に船に近づいてくる生態でもない……と、今までは思われていたから。
……実際には、近寄られた船はこれまで何れも
とにかく、そんな竜と事を構える以上は、なるべく情報を集めようとするのは当然のことで。
だから、唯一あの竜の脅威を極近くで目にした
…………だけど。
「っ、あの船に、
「……ミルカ、さん?」
…予感は、あった。
ずっと言葉には表せなかった、胸騒ぎが。
「それが……それが、なんで──」
ああ、違う。
ちがうのに。
こんなの、まちがってるって、頭では……なのに──
「なんで、そこで…………
……シャリーの目が、大きく見開かれていく。
顔色が、端から真っ白に、染まって。
「……ねえ、さん? ミルカさん、の……!?」
違う……違うのよ。
私は、そんなの望んでない。
こんなこと、言いたいわけじゃないのに。
「帰って、きてなかった。姉さん……なんでって、私、ずっと……」
…黙って。
ねえ、黙ってよ、私。
もうなにも、喋らないで。
なにも言わないで。
なにも、口にしなくて、いいから──
「ねえ…………なんでなの、
……私は今、何を見てる?
「ミルカ、さ……わ、わた、し……! ごめ、なさ……っ!?」
怯えた瞳。
私を、見上げて。
「っ、ミルカ!? ねえ、ミルカってば!?」
胸が痛い。
頭が、いたい。
手も、イタイ。
…なんで?
なんで私は、彼女を見下ろしてるの?
なんで私は、今――シャリステラを
「っ、う……あ、謝って済むことじゃ……でも……っ!」
…わかってる。
わかってるのよ、シャリステラ。
私は、ちゃんとわかってる……はずなのに。
「……なんで、姉さんが」
…やめて。
「ねえさんを……かえしてよ」
…嫌だ。
いやだ。止まって。
止まってよ。
「ねえさんが……っ、なら……!」
やめろ。
言うな。
私は
思ったりしない。
だから……止まってよ。
お願いだから──
「あんたが代わりに、死ねばよかったのに」
「…………あ?」
どこかから聞こえた、掠れ切った声。
そんな認識を皮切りに、身体は動き始めていた。
積み上げた素材が放つ鉄臭さと、燃料特有の香り。
稼働を待つ機材に、どこかから微かに漂うカビの匂い。
嗅ぎ慣れたそれらが示すのは、私の家。私の部屋。
ここは私のアトリエの……ベッドの中だ。
「……夢、だった?」
喉から出た声は、私自身驚くほど掠れていた。
それこそ耳に届いた瞬間には、誰の声かもわからなかったほどに。
「……っ」
たったそれだけの発声で痛み出した喉を、ひどく鈍く動く手で押さえた。
……喉だけじゃない。触るまでもなく腫れあがった瞼は、こうして開けているのも煩わしい。
「(違う……夢なわけ、ない)」
そして、そんな自分の状態に、確信した。
『あれ』が、私の望み通りに……
必死に呼びかけるシャルの声も、呆然と私を見上げる…シャリステラの表情も、目を閉じればハッキリと像を結ぶほど脳裏に焼きついているのだから。
「(っ、ああ、何よこれ……呆れるわね)」
……一方、あの後自分が何をして、どうやってここまで帰ってきたのかが記憶に無かった。
枯れた喉に、感覚の鈍い手足、痛みを訴える目が想像を煽るのみだ。
「……っ!? ……」
一瞬、見知らぬ誰かに驚いて、一拍遅れて自嘲した。
……何のことはない。ベッドの脇に置いた鏡に映る自分の顔に、無様に驚いただけ。
普段から生気に乏しいと自覚する顔が、今や幽鬼もかくやという有様だっただけだ。
色白の肌に、目の周りだけ紅が差しているのもまた、こうして見ればひどく見苦しい。
「……か、みた――」
――馬鹿みたい。
鏡に映った自分の姿に、そんな一言をぶつけようとして。
『――馬鹿じゃないの?』
「…っ!?」
『シャリーに当たって何になるの? 自分たちだけが被害者だとでも?』
ぞっとするほど近くから聞こえる、悍ましいほど聞き覚えのある声で。
『一度頭を丸ごとゴミに出した方がマシになるんじゃない?』
「っ……やめ、て」
気づきは、一瞬。
わからない、はずがない。
覚えてない、わけがない。
『いつでも自分勝手で、愚かで……これだから私は――』
「ち、がう……」
私の声だ。
私の言葉だ。
鏡に映る
『――
……右腕が、痛い。
激情に流されてシャリステラを傷つけた手が、端から焦げて腐っていく。
「嫌だ…」
……同じだった。
私は、
事の責任を、ただそこに居合わせただけの彼女に押し付けて。
義憤に駆られたと、
痛みに震える
「いや、だ……!」
ただ、自分が被害の外に居たから……居たと思っていたから。
私と彼らを分けていた要因は、
「や……だ……」
自分にも及んでいると、そう理解したその瞬間。
私はその責任を、シャリステラに求めた。……押しつけた。
──忌み嫌っていた
「……姉、さん……」
黒く腐った腕が、虫食いのように広がっていく。
肘を、肩を、ドブのような臭いのそれが侵食して、次々と腐り落ちて……
「たすけて……姉さん……」
全身が、腐っていく。
私が、私でなくなっていく。
「姉さん……ねえ、さん……」
…………いいや、ちがう。
わたしなんて、
わたしは……わたしがおもっていたわたしなんて、さいしょから、どこにも──
「…………わたしを、おいていかないで……ねえさん……」
「っ、ぁ……?」
見覚えのある天井。
背中と、頭の後ろにある、馴染みのある感触。
「あ、ぇ……?」
呆然と視界に入った右腕は、これまた見慣れた色白のそれで。
焦げつくような熱さも、ヘドロのような匂いも、そこには無くて。
「…………え?」
もう一つ、伸ばした左腕が何かを掴んでることに気づいて。
その手にある感触を確かめようと、のろのろと顔を上げて。
「──びっ……くりしたあ。あんた、いったいどんな夢見てたのよ?」
飽きるほど見ていた、私の部屋の景色に、ひとつ。
異彩を放つものが一つだけ、いつの間にか混じっていた。
「――そりゃあんた……知り合いの女の子が泣きながら道端で膝を抱えてたら、誰だって声の一つぐらい掛けるでしょうよ」
こめかみに指を当てる彼女、
どうもその時の私は一切会話に応じなかったらしい。……呼びかけられたことすら覚えてない。
「何があったか知んないけど、そんな時に限ってシャリーたちの姿も近くになかったし……あとはほら、あんたの家の場所も一応知ってたからね」
そんな私に困り果てた彼女は、とりあえず私をこのアトリエまで運ぶことにしたという。
……いつかのシャリステラのように、ホウキを握らせて空飛ぶ外套に包み浮かべる形で。
アトリエの中に入る頃には私は深く眠ってしまっていて、彼女は仕方なく探し当てた寝室に私を寝かせて、そのまま傍に付いていてくれた、らしい。
「家の鍵に至ってはあんたが開けたんだけど……ホントに覚えてないの?」
……言われてみれば、ぼんやりと記憶に残ってる気がする。
「というかこのアトリエ……地震があったとか泥棒に入られたとかじゃないのよね?」
…何の話?
「いや、だってこの散らかりよう……足の踏み場も無いじゃない?」
ほっといて。
「……で、結局事情はわかんないままだし、このまま帰る気にもなれなくってさ。目を覚ますのを待ってるつもりだったんだけど……」
そうして見守ること暫し、傍で見ていて不安になる程うなされ始めた私を、揺さぶり起こそうか迷っているうちに、突然跳ね起きた私に服の端を掴まれて――ここから私の記憶に繋がるようだ。
驚きすぎて掛ける言葉が出るまで随分かかったと、彼女は肩をすくめて小さく笑う。
「それで、何があったのよ? ちょっと友達と喧嘩した、くらいでそうはならないでしょ?」
「……っ」
彼女が指差したのは、私の顔。
思わず触れた手に感じたのは、腫れた目元に、べたつく頬。
……どうやら眠っている間も私は泣き続けていたらしい。相当ひどい顔になっているのだろう。
「……ッ!?」
そうして顔を意識したせいか、反射的に向けた視線の先は、『鏡』。
瞬間、夢にも現れたあの光景が頭に浮かんで、右腕に痺れるような痛みが走る。
脳裏に浮かぶのは、全身真っ黒に腐り果てた自分の姿。
次いで襲い掛かってくるのは、身体中をヤスリで削るように撫でつけてくる怖気。
「ぐ……ぅ…」
咄嗟に右手を抱え込むように動いたことで、布団に包まるような姿勢になった。
けれどそれに気を払う余裕も無くて、ただこみ上げる吐き気と嫌悪感に歯を食いしばる。
……わかってる。さっきのは、ただの夢だ。
いや、
この腕は腐ったりしないし、鏡の中の私に詰られたりもしない。わかっている、けれど……!
「あー、えっと……話したくないのなら、無理にとは言わないわ」
そんな私の様子がどう見えたか、聞こえた声からは立ち去ろうとする素振りを感じられて。
悪寒に震えながら見上げた視界に、こちらへ向けられた背中が映った。
「あ…………!?」
その途端、焦燥が冷たい汗になって噴き出して。
噴き出すように乱れた思考が、鈍い痛みになって頭を襲った。
言ってしまいたい。
口にしたくない。
聞いてほしい。
関わってほしくない。
……助けてほしい。
手を借りたくない。
相反する想いと感情が、開こうとする喉を締めて。
「……?」
「えっ……?」
急に、視界がぶれたように感じて。
身体が傾いていることも、何故か奇妙なほど遅れて認識して。
驚きに見開いた目の先には、
「…………」
「…………」
何が起きたかわからなかったのは、むしろ私の方。
意外なものを見たとばかりに向けられる
「あー……」
「……!」
身体が一度、びくりと震えて。
困ったように笑う彼女の言葉を、私は何故か待っていた。
「一つずつ言葉にしなさい。聞いてあげるから」
伸ばした手から広がった震えは、いつの間にか消えていた。
――わかっていたはずなのに、激情を抑えられなかった。
――姉さんの価値観を、理解してあげられなかった。
――何も悪くないシャリステラを傷つけた。
――実在するかも分からない
――心底軽蔑していた『人間』と、咄嗟に同じ事をしてしまった。
――私が『中央』に行くことを一番の幸せだと考える姉さんを、疎ましく思ってしまっていた。
――結局『人間』と自分に、違いなど無かったと知ってしまった。
――もう一度、次に顔を合わせたときには、姉さんとちゃんと話をしようと思っていた。
こんなにわかり辛くて、面倒な相談はないだろうなと、口にしながら思う。
それぞれまるで相関関係の無い複数の話を思いつくまま、言葉に出来た箇所から順に垂れ流しにしているのだから。
案の定、お節介な魔法使いの微笑みはあっという間に引きつっていって。
途中で何度も「ちょ、ちょっと待って!?」と合いの手が入ることに、笑いを堪えた。
そのうちに、この人を困らせるのが何故だか少し楽しくなって。
こんな風に話せば良かったのかと、よからぬ納得が心の裡に広がる一方で。
――どうして、もっと早くこんな風に話せなかったのかと、心の底に螺子が刺さった。
『中央』から帰ってきてからずっと、ユリエ姉さんとは上手く会話ができなくなっていた。
お互いに話をしようとしているはずなのに、お互いの主張がずれた歯車みたいに噛み合わない。
元々二人ともあまり会話が得意じゃなくて、今までにもそういうことはよくあったのだけれど。
……姉さんは多分、私に錬金術士としてもっと高みを目指して欲しいと思っていた。
けれど私は、『中央』の現実を目の当たりにしたことで……正直に言えば、その道にもう魅力を感じられなくなっている。
──自分に無いものを羨んで、なのに努力をしようともしない、暇を持て余した金持ちども。
自分よりできる相手に嫉妬して、イヤがらせして…すり寄ったフリして裏切って…そんなことの繰り返しでしか、自分というものを保っていられない奴ら。
優れたモノを素直に認めることもできずに『古臭い』と断じて悦に浸っているどうしようもない連中……それが、私がこの目で見て来た『中央』の人間、『中央』の錬金術士たち。
『中央』で時を過ごせば過ごす程、次第に自分もそんな人間に近づいていく気がして……今でも考えただけで身体中に怖気が走る。
…なのに姉さんは、私が無理してここに…ステラードにいるんだ、って思い込んでいた。
また私が『中央』に行けるようにと、お金のために無茶な仕事ばっかりして……
私はそんなの望んでないって、何度態度に見せたつもりでも、わかってもらえなかった。
私の気持ちをわかって欲しくて、姉さんの気持ちをわかっているつもりで。
言葉少なに姉さんの言葉を否定して、気遣いをお節介と断じて、耳を塞いでいた。
次に顔を合わせたとき、次に話すときには、ちゃんとしようと思い続けて。
……馬鹿な私は、永遠にその機会を失ってしまったんだ。
姉さんが本当はどういうつもりだったのか、今となってはもう分からない。
私の事を想っていてくれていたんだろうと、その信頼がこの胸に残るだけ。
もっと早く、こうして本音を曝け出せる話し方を覚えていたなら。
ちゃんと、全部、姉さんに話すことができていたら。
たとえ同じ未来が待っていたとしても、この後悔はもう少しだけ少なかったのかもしれない。
……あのときシャリステラに沸き上がった怒りも、抑えきれたのかもしれない。
話して、吐き出して、やっとわかった。
私は、『奪われた』と感じたんだ。
姉さんと『次』に会えば、仲直りできると勝手に思っていて。
その『次』を奪われたことに、私は勝手に激昂していたんだ。
なんて自分勝手で、愚かで、見栄っ張りで……なんて、醜い人間なんだろう。
何よりも、誰よりも私自身が、私の行いを許せない。
私が吐いた言葉を、許せない。
……ああ、でも、どうしたらいい?
これだけ自分を理解したのに。
そんな自分を、これだけ嫌悪しているのに。
散々軽蔑してきた奴らと同じ手合いになることに、悍ましい程の吐き気を感じているのに。
……シャリステラに謝りたいと、本気で思っているはずなのに。
心の奥に巣食った怨嗟が。
胸の奥で湧き上がる憎悪が。
私から姉さんを奪ったという筋違いな恨みが──どうしても、消えてくれない。
※原作既プレイの方へ
可愛い系の軽快なテーマ曲をバックに重苦しい会話が展開されるミルカイベントほんと好き。
クロッツェ姉妹の和解……もとい、すれ違いの解消は原作終盤ですからね。
互いに口下手過ぎてすれ違う姉妹。例のスチルに至るまでの二人の会話を描いて欲しかった。
しかしミルカの台詞を聞けば聞くほどドブ川みたいな人間性が見えますよね、『中央』の方々。
※原作未プレイの方へ
ミルカの姉、ユリエさんが事故当時シャリステラ一行の船に乗っていたのは原作通り。
実は本作第1話冒頭には彼女の原作台詞がこっそり紛れていたりします。
またミルカが「人間嫌い」を公称しているのも原作通りです。
その切っ掛けについて作中で深くは語られませんが……『中央』で色々あったんやろなあ。