全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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18. 〈天巡る風〉Ⅴ

「じゃーん。これなーん――」

 

 その刹那、今現在カインと偽称する青年は、ウォルカの右手に抜き身の片刃曲刀(タルワール)が現れるのを見た。

 武器をアクセサリー状に変えて持ち運ぶ、〈装具化(アクセサライズ)〉の魔法を解除したのだ。カインが腰袋からアイテムを取り出す隙を突いて、攻勢に打って出ようというわけだ。

 しかしカインとて、それを読んではいた。

 

 ――バカだよねえ。魔法を解除する分、普通より無駄な時間がかかるってのに。

 

 〈装具化(アクセサライズ)〉をどんな武器でも手軽に持ち運べる便利な魔法としか見ておらず、得物をなんでもかんでも装具に変えている冒険者は珍しくない。しかしカインに言わせれば、それは考えなしのバカがすることである。〈装具化(アクセサライズ)〉は解除に一~二秒ほど時間がかかるため、その分咄嗟の状況では敵に対し(おく)れを取ってしまうことになるのだ。

 

 事実ウォルカは今ようやく()()()()()()状態だが、カインはすでに目当てのアイテムを右手に掴んでいる。ここからやつが剣を抜き放つより、カインがアイテムを発動する方がどう考えても早い。

 もう少し楽しみたかったけれど仕方がない。反撃を許して調子づかせるのも癪なので、カインは即座に右手のアイテムを――

 

 

 そこでようやくカインは思い至る。――そういえばこいつ、()()()()()()()()()

 

 

 〈装具化(アクセサライズ)〉を解除した直後なら、次やるべきは当然剣を抜き放つことだ。しかし目の前の青年は、剣を納めるという真逆の行動をしている。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()といわんばかりに――

 

 

「――――――――は?」

 

 

 カインの右手首が、こぼれ落ちた。

 自分の左肩から右腰にかけて、細長いバツ字を描くように血がにじんでいた。

 

 …………ん?

 あれ?

 

 

 

 /

 

 ――〈装具化(アクセサライズ)〉を瞬間解除して愛刀を抜き、カインの右手首ごと胴体を一閃、返す刃で更にもう一閃斬り捨てる。

 

 ウォルカがこれをコンマ一秒でやったと、完全に視認した上で理解できた者はリゼル以外この場にいなかった。

 

「……………………へぁ、」

 

 カイン自身の手首すら、今になってようやく斬られたらしいと理解が追いついて、戸惑うように血を数滴だけ噴き出した。

 

 ウォルカとしては、向かってカインの右に座っているロイドまで、横薙ぎ一閃で斬ってしまいたかった。しかし右半分の視界が潰れ、更に自身の右隣にもリゼルがいる状況でそれをやるのはリスクが高かった。

 

 とはいえ、ひとまず及第点ではある。

 なぜならここには、安心して尻拭いを任せられる頼もしい師匠がいるのだから。

 荷台に足を乗せていた大男が正気づく。なにかを叫ぼうとして唇を動かす、

 

「〈波濤(ヴォルテクス)〉」

 

 ――よりも、偉大で尊大な大魔法使いが遥かに速かった。リゼルを中心に放たれた逆巻く衝撃波が、カインもロイドも、大男も、そして馬車の(ほろ)すらも、邪魔なものをすべて一撃で宙に弾き飛ばした。

 

 〈波濤(ヴォルテクス)〉――魔力で衝撃波を放つ極めてシンプルな魔法で、主に敵の接近を許した魔法使いが距離を取るために使用するものだ。本来なら敵の体勢を崩してひるませる程度の威力しか持っていないはずだが、それもリゼルが使えば、巨大な鉄塊で殴り飛ばすがごとき攻撃魔法へと変貌を遂げる。

 

「ぐおおおおおおっ!?」

 

 大男は辛うじて反応したが、それでも衝撃を殺しきれず激しく地面を打ち転がる。カインとロイドに至っては、もはや声すら上げられず棒切れのように宙を飛んで、何メートルも向こうの木に強く体を打ちつけてブラックアウトした。

 

 

 

 ――殺気を感じてウォルカは即座に行動を起こす。リゼルの肩を掴んで己の方へ引き倒す。リゼルが「うみぅ」と小さな声をあげて倒れると同時に、そのまま馬車の前方へ抜刀。放たれた銀閃は、リゼル目がけて足場を蹴ろうとしていた御者の男を真一文字に斬り捨てた。

 

 驚愕を通り越し、理解不能の形相で男が為す術もなく崩れ落ちていく。

 一方、ウォルカの胸中には静かな理解が広がる。いま自分は、()()()()()()()()()()()()()()。やはり、義足の体ではじめて剣を握ったときに覚えた、あの感覚は――。

 

 ウォルカはそれ以上の思考を冷静に打ち切る。戦いの火蓋はすでに切った。戦場が動き出す。少なくとも全員の無事が確認できるまで、雑念にリソースを割くべきではない。

 

 その判断を肯定するように、リゼルもまた動き出した。

 

 

 

 予期せずウォルカと密着してしまい思考が暴走したものの、リゼルはすぐさま再起動した。動きは四つ。先ほど打ち飛ばした大男が立ち上がり、怒りで燃え上がる反撃の炎を瞳に宿そうとしている。更にそれより近い位置に、大男の手下と思しき連中がもう三人いる。まだ状況に頭が追いついていないようだが、咄嗟の判断で利き手自体は武器を掴んでいる。

 

(もうウォルカったらっ、やっぱりぜんぶ自分でやろうとするんだから……!)

 

 リゼルは立ち上がる。月と星を(かたど)った銀の杖で足元を打ち、遮るものを失った荷台の上で屹立(きつりつ)する。

 

「任せて」

 

 これ以上気負わせないように、愛弟子へ優しく微笑んだ。

 

「大丈夫。あとは、みんな私がやっつけるから」

「ハッ――やってくれんじゃねえか、嬢ちゃんよぉ!!」

 

 リゼルが杖を掲げると同時に、口端の血を拭い取った大男が咆哮とともに飛び出した。ただの〈ならず者(ラフィアン)〉とは思えない練度の〈身体強化(ストレングス)〉と、立ち塞がるものすべてを粉砕するような堂々とした踏み込み。あるいは〈ならず者(ラフィアン)〉に身を落とす前は、それなりの傭兵か冒険者だったのかもしれない。

 

 唱えた。

 

 

「――〈極光の討手(アルテミス)〉」

 

 

 直後、天空から光が()()した。

 

 そうとしか表現できない威力だった。大人の背丈ほどもある光の矢が飛来して男の胴体を貫通、その速度を微塵も落とさぬまま地面すら撃ち砕いて深く突き刺さった。

 

 突如あらゆる制御を失った男は激しく地面を転倒。起き上がろうとするも体に力が入らず、なにかを言おうとするも言葉ではなく血を吐き、

 

「――――、」

 

 呆けた。

 意識が黒で潰される間際、リゼルの頭上に、月のごとく弓引く美しき女神の姿を見た気がした。

 

 

 

「――〈ならず者(ラフィアン)〉ども。わしは、ウォルカのように優しくはないぞ」

 

 桁違いの魔力が空間を呑み込み、リゼルの長い長い銀髪が燐光を帯びて揺らめいている。そのきらめきはやがて彼女の瞳まで及び、月と星の杖が再度足元を打つと、鈴のような音色とともに広がる波紋が世界に夜をもたらす。

 

 もちろんそれは、リゼルの魔力に呑まれた者が見た幻視に過ぎないけれど。

 

「そのまま前から射抜かれるか、逃げて背中から射抜かれるか――好きな方を選ぶとよい」

 

 力の差など、問うことすら無意味である。

 降り注ぐ三筋(みすじ)の光芒が、残る〈ならず者(ラフィアン)〉をすべて等しく撃ち抜いた。

 

 

 

「――よぉ嬢ちゃんたち、ちょいと失礼するぜぇ」

 

 〈極光の討手(アルテミス)〉発動より少し前。魔物の毛皮でこしらえた粗野な外套をまとう男が、荷台の後方からのそりと片足で踏み込んでくる。表情を凍らせたのはルエリィだけで、アトリ、ユリティア、アンゼの三人は眉ひとつ動かさず獣臭い男を見返した。

 

「おっと、変な気は起こさないでくれよ。向こうの馬車も俺らの仲間が囲んでるからな。……ちっこいガキと、片足怪我した兄ちゃんが乗ってるって話じゃねえか」

 

 アトリの指がぴくりと動き、ユリティアの瞳から感情が消え、アンゼは微笑んだまますっと双眸(そうぼう)を細めた。

 アトリはぽそりと、

 

「……やっぱり、人質にするんだ」

「まあそういうこった。安心してくれや。嬢ちゃんたちが大人しく言うこと聞いてくれりゃあ、ガキと兄ちゃんも痛い目見ないで済むからよ」

「ふうん」

 

 アトリに動揺や焦りは一切ない。なぜなら、その『ちっこいガキ』がどれほど強くて頼りになる存在かをよく知っているから。

 アトリたちパーティの中でも、とりわけリゼルはこの手の輩から大いに見くびられる。身長が130ちょっとしかないせいで、十歳くらいの子どもが魔女の真似っこをして遊んでいる風にしか見えないからだ。

 

 しかし、そうやってリゼルを侮った連中が辿る末路はいつも決まっている。

 なぜなら彼女は――偉大で尊大な大魔法使い、リゼルアルテは。

 

 

 アトリでも遥か遠く及ばない、パーティぶっちぎりの火力と殲滅力を誇る()()()()()なのだから。

 

 

 それを証明するように、向こうの馬車から突如として轟音が響いた。アトリの位置からでは(ほろ)が邪魔して見えないが、魔力の余波からリゼルが魔法を発動したと察知。

 同時に、そのリゼルから〈精神感応(テレパシア)〉が飛んでくる。

 

《アトリ、ユリティア、こっちは問題ないのじゃ。思いっきり暴れ――うみぅ》

 

 以下、師匠モードが完全崩壊した超絶早口で、

 

《あわっふわわわわわウォルカのふっふふふっきん!! わわっわわわわわうぉうぉっウォルカのににっにに匂――ごめんなんでもない》

 

 は?

 どさくさに紛れてなにをやっているのかあの幼女。どうやらすべて片付けたら詳しく話を聞く必要があるらしい。

 

「……あん? なんだぁ?」

 

 轟音を不審に思った男が外へ体を反らした、その瞬間にアトリの行動は完了した。

 

「――ずどーん」

 

 アトリは両腕をバネにする要領で椅子代わりの木箱から跳躍、外へ身を躍らせながら男の顔面に回し蹴りをお見舞いし――着地へ向かう落下に乗せて下へ振り抜き、叩きつけた。

 

 「ずどーん」どころではない、血も涙もない破砕の音が響き渡った。

 

 〈アルスヴァレムの民〉が誇る、人類最高峰の〈身体強化(ストレングス)〉から放たれる蹴りである。食らえば命がいくつあっても足りはしない。蹴りを打ち込んだ時点で明確に頭蓋の砕ける音が響き、叩きつけた衝撃で地面が割れ、反動で跳ね上がった男の体は縦に三度も回転してようやく倒れた。

 

 アトリが視界にかかった髪をさっと払う、二秒の沈黙があった。

 

「――て、てめ、」

 

 少し離れた場所でクロスボウを持っていた別の男が、弾かれたように正気づいてアトリへ照準した。あくまで脅しのつもりだったのか、それとも仲間の仇を取るため本当に撃とうとしたのか、真相は結局わからず終いとなった。

 

 とっ――――と馬車から音もなく身を翻したユリティアが、すり抜けざまで刹那に一閃した。風が花びらを散らすがごとき、流麗にして目にも止まらぬ所作。鮮血が舞い、膝から崩れてようやく男は自らが斬られたのだと理解した。

 

 馬車を包囲する〈ならず者(ラフィアン)〉たちが全員凍りつく。瞬く間に逆転しようとしている目の前の現実に対し、どう行動を起こすべきか咄嗟に理解が追いつかない。

 

「こっちはおまかせ」

「はい」

 

 アトリは左、ユリティアは右。

 

 アトリは〈装具化(アクセサライズ)〉を解除し、右手に相棒のハルバードを顕現させる。正面の〈ならず者(ラフィアン)〉たちが驚愕の声で後ずさる。異国の少女が持つにはやや不釣り合いな、格式高く精緻な装飾を彫り込んだその偉容。光り輝く銀はあまりに美しく――そして、龍すら屠りうる巨刃はあまりに凶悪だ。

 並の筋力では持ち上げることすら不可能なそれを、右手だけで軽々と回し、前に突きつけて。

 

「じゃ――やろっか」

 

 リゼルをガキと侮り、ウォルカを人質に取ろうなどと考えるのだ。よほど命が要らないのだろう。

 だからアトリはどこまでも淡々と地を蹴り、振り抜く。

 

 〈ならず者(ラフィアン)〉が恐れ慄きながら構えた剣は――アトリの腕力と相棒の前では、ただの小さな枝の切れ端に過ぎなかった。

 

 

 

 地を蹴ったアトリの風圧を背に感じながら、ユリティアは剣を握る己の右手を見つめる。

 

 やはり魔物と違って、人を斬った感触は嫌に手に残る。たとえ相手が情けをかける余地のない悪人だとしても、頭ではわかっているのにどうしても胸が締めつけられるような感傷を覚えてしまう。

 

 最初は、これを切り捨てなければならない甘さだと考えることもあった。

 だが、実際はむしろ真逆――これは、切り捨ててはいけない大切な感覚なのだ。

 

 一年くらい前だろうか。ユリティアはウォルカに一度だけ、先輩は人を斬るのが平気なのか、躊躇ってしまう自分は甘いのだろうかと問うたことがあった。

 そのとき、ウォルカはこう答えたのだ。

 

「……俺だって、人を斬るのは何度やっても嫌だぞ。何年も前に斬った相手を、未だに夢で見るくらいだ」

 

 ――でも先輩の剣には、迷いがないです。

 ――嫌かどうかと、迷うかどうかは別の話だ。

 

「相手が悪人だろうと、人を斬るのに正しさもなにもない。……だから、信じるしかないんだ」

 

 自分が今ここで振るう剣が、きっと誰かを守ることにつながると。守るために剣を抜く覚悟――あるいは、信念とも呼ぶべきもの。

 

 若くして確固たる考えを持つウォルカに当時は感銘を受けるばかりで、なんの疑問にも思っていなかった。しかし今になって思い返すと、あの答えも意味深に聞こえてくる。

 

 この国で生まれる若者はみな一様に、悪しき行いが決して許されるものではないことを〈聖導教会(クリスクレス)〉で学ぶ。『悪』は人道に反する罪であり、罪を犯せば相応の罰で(あがな)わなければならないと。国の若き芽が悪に染まらぬよう教え導く、何年も昔から繰り返されてきた情操教育の一環だ。

 

 しかしウォルカは、たとえ紛れもない悪人を下すためだとしても、斬ることを決して正しいとは思っていなかった。

 なぜ。「正しさもなにもない」「信じるしかない」という、まるで彼自身では選択の余地がなかったかのような言葉。

 

 

 ――なにが正しくてなにが間違っているのかの価値観すら育たぬうちから、もはや『守るため』と縋って殺すしか道がなかった。

 

 

 そう言っているようには、聞こえないか。幼い頃のウォルカは、そういう境遇に身を置いていたのではないか。

 そしてそれが、彼が世界に対して抱く深い失望につながっているのだとすれば。

 

「先輩……」

 

 やっぱり自分は、ウォルカのことをなにひとつ理解できていなかったのだろう。

 

「先輩っ…………」

 

 ウォルカは本当に、『剣にその身を捧げる求道者』なのだろうか。

 それは、ユリティアたちから見える仮初の顔に過ぎないのではないか。

 本当はユリティアたちにも話すことができない、暗い過去を歩んできたのではないのか。

 

「せん、ぱぃ……っ」

 

 感情が止まらなくなる――理解したい。追いつきたい。支えたい。助けたい。寄り添いたい。力になりたい。傍にいたい。慈しみたい。求められたい。委ねてもらいたい。抱き締めてあげたい。癒してあげたい。ウォルカの苦しみを、ほんの少しだけでも取り除いてあげたい。

 

「こ、このっ……なにぶつぶつ言って……!」

 

 一人の〈ならず者(ラフィアン)〉が魔法を使おうとした。ユリティアはとうに剣を振り切っている。魔法によって形作られた刃が(くう)を駆け、男を袈裟に斬り裂く。

 崩れ落ちる男を最後まで見つめ、ユリティアは剣を強く握り直す。

 

「先輩……絶対に、絶対に、独りになんてしませんからっ……」

 

 アトリは元から戦いのために生まれたような存在だし、リゼルも人ならざる血を引いて見た目より何倍も長生きしているから、人を討っていちいち感傷に浸ることはない。

 

 人を殺すことへの躊躇い。殺した相手への感傷。

 ウォルカと同じ感覚を持っているのは、ユリティアだけだ。

 人を斬るのに正しさもなにもなく、ただ信じるしかない――ウォルカがあの言葉に込めた本当の想いを理解し、寄り添えるのはきっとユリティアだけなのだ。

 

 だから――わたしも、先輩みたいに。

 

「――参ります」

「…………!!」

 

 〈ならず者(ラフィアン)〉たちは、事ここに至ってようやく思い知る。魔女の真似っこをしているだけとしか思えないガキ、戦場より酒場で舞う方がお似合いな異国の少女、本当に冒険者なのかも怪しい可憐な子ども、そして一人だけ隻眼隻脚の剣士――どこからどう見ても、男に守られながらぬくぬく育った馴れ合いパーティだろうに。

 

 とんでもない大ハズレを持ってきやがったなと、文句を言う相手すらすでにいない。

 ウォルカが剣を抜いてから、戦いの音がやむまでは――三十秒もかからなかった。

 

 

 

 /

 

 戦闘が終わったのを確認した俺は馬車から降り、納めた愛刀を杖代わりにしてユリティアたちの下へ向かう。

 

 俺が斬ったのは二人。偽カインについては、一切情けをかける必要もなかったと言っていい――けれど、やはり、気分はよくない。たとえ救いようのない悪党であっても、人を殺すというのは何度経験しても決して慣れることはない。

 

 斬ることへの躊躇い自体は、とうの昔に捨てた。だが斬ったあとの……血飛沫を上げて崩れ落ちていく相手の、恐怖、後悔、怒り、苦痛、失意、不可解、そういった感情が渦巻いた奈落のような瞳を見たときの――遣り場のない、空虚感のような。

 

 慣れる必要はないとジジイは言っていた。それは貴様が、命の重さを理解している証だからと。守るために斬る覚悟さえできるなら、わざわざ捨てる必要はないものだと。

 だから俺はこれからも、誰かを斬るたび、この感情に折り合いをつけながら生きていくのだろう。

 

「ウォルカ……」

 

 隣に並んだ師匠が、俺の指先を小さく握った。気遣うような眼差しを感じた。どうした師匠、いつもなら「ふん、これが天罰じゃ!」ってふんぞり返ってるところじゃないか。普段通りの師匠の方が俺も気が軽くなるから、変に心配しなくていいんだぞ。

 

 戦闘が終わったのを察して、アンゼとルエリィが馬車から降りる。ルエリィがそこかしこに転がった賊の成れ果てを見て顔を青くした一方、アンゼはまるで目もくれずこちらに駆け寄ってきて、

 

「ウォルカさま、お怪我はございませんかっ?」

「ああ……」

 

 愛刀を支えにする俺の左手を、慈しみに満ちた両手でそっと包み込む。冒険者の俺たちから見ても結構な有様になっているのに、まさか顔色ひとつ変えないとは……。大聖堂のエリートシスターはメンタルもお強いようだ。

 

「〈ならず者(ラフィアン)〉の掃滅にご協力くださいまして、感謝申し上げます。聖都にお戻りの際は、ぜひ褒賞をお受け取りください」

 

 別にどこの都市でも同じではあるが、人道を重んじる信仰都市である聖都は、とりわけ悪党の取り締まりや討伐に力を注いでいる。悪人もみな救われるべきで云々と御立派な理想を掲げるのかと思いきや、〈聖導教会(クリスクレス)〉は悪党に対して極めて冷淡であり、厳格なのだ。

 

 ただ、もうすべて片付いたように話をするのは気が早いだろう。

 あそこにまだ、最も無視できない相手が残っているのだから。

 

「――い、いやあ、さすがですな。まさかここまでお強いとは、ハハ……」

 

 馬車からやや離れた場所で、言葉もなく腰を抜かしていた男――依頼人、スタッフィオ。正気に返った彼は慌てて立ち上がり、なんとも急ごしらえの愛想笑いを張りつけて、

 

「まだお若いのにここまで勇敢に戦えるとは、驚きました」

「……」

 

 俺たちは全員応えず、武器を手にしたまま鋭くスタッフィオを睨み返す。

 

「い、いかがなされましたかな?」

 

 白々しい。自分でももう誤魔化せると思っていないくせに。

 

「手綱を握っていたのは、あんただろう。スタッフィオ」

「それは、馬が――」

「……」

 

 しばし、沈黙があった。

 スタッフィオは嘆息し、眉間を揉み解して――それから返ってきたのは、人が変わったような冷淡な声音だった。

 

「……やれやれ、まったく誤算でした。この国の若い冒険者は、人と争う経験が浅い者ばかりと聞いていたのですがね……。実際、先日捕らえたAランクパーティは他愛もなかったのですよ」

 

 〈天巡る風(ウインドミル)〉はCランク……ということはこいつら、他にも若い冒険者パーティを襲っていたわけか。

 

 加えて「この国の」という言い回しからすると、どうも他国から流れ込んできた集団らしい。たしかにその方が自然だ。これほど規模の大きい集団が前々からこの国で悪事を働いていたのなら、とっくの昔にギルドから注意喚起がされるなり、騎士が討伐するなりしているはず。ごく最近この国に入り込んできて、暗躍を始めて間もない段階の連中なのだろう。

 

 そしておそらく、こいつはその頭目だ。

 

「――わかりました。ワタシたちの負けです」

 

 しかしてスタッフィオは、不可解なほどあっさりと白旗をあげた。

 

「今すぐアナタたちから手を引き、二度と姿を見せないと誓いましょう。それどころか、この国からも一刻も早く立ち去ります」

「つまり、黙って見逃せと?」

 

 師匠が不快げに両目を(すが)めた。今まで何人も襲っておいてしっぺ返しを食らった途端に見逃してくれとは、なかなか虫のいい話ではある。

 

「少なくとも、捕らえている連中を解放してもらわんと話にならんぞ。ルエリィの仲間以外にもいるんじゃろう?」

「……」

 

 スタッフィオは、束の間思考し――師匠の問いには答えなかった。代わりに『彼女』へ優しく声をかける。

 馬車から降りたその場所で足を縫いつけられ、一歩も動けず震えるだけだった彼女へ。

 

 

「――ルエリィ、戻りなさい」

 

 

 ルエリィの震えが、止まった。

 凍りついた、と言い換えてもいい。スタッフィオがもう一度、

 

「戻りなさい。――戻れ」

「ひっ……!」

 

 ……ああ、この男は、ルエリィにいったいなにをしたんだろうな。

 心まで凍りついて、ひび割れるような。そんな恐怖の表情を、人は魔物相手にだってそうそう向けやしないのに。

 

 なんにせよ効果はてき面だった。ルエリィは凍りついた足でぎこちなく動き出し、今にも転びそうになりながらスタッフィオの下へ向かおうとする。一番近い場所にいたユリティアが引き留めようとしたが、

 

「ルエリィさ、」

「ルエリィ!!」

「――ッ!?」

 

 スタッフィオの怒声。伸ばされかけたユリティアの手を強く払いのけた、ルエリィは。

 

「ごめんなさい――ごめんなさい」

 

 身をよじるような声音で、泣きそうになりながら、俺たちの視線を振り切って。

 スタッフィオの下に、戻っていった。

 

「……困りますなぁ」

 

 スタッフィオが首を振って嘆く。

 

「彼女はワタシたちの仲間です。引き留める真似はやめていただきたい」

「ッ――違いますッ!! 誰が……誰がおまえたちの!!」

「仲間でしょう? この方々をどうやってここまで連れてくるか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ルエリィが呼吸を失ったのが、遠目でもはっきりとわかった。

 

「ち、違っ……それは、おまえたちがねえさまを……!」

「理由など些細なことだ。キミは自ら練った策で自らこの人たちを騙し、ここまでおびき寄せた。――ワタシたちと同じ、立派な()()だよ」

「――ぅ、ぁ……」

 

 崩れ落ちる。体を支えるだけの力すら失ってへたり込み、投げ出された杖が地面を転がる。両手で髪を掻きむしり、うわ言のように、

 

「違う……違うのです……私は……私は、ねえさまを…………」

「…………」

 

 なんというか……陰惨なんだよな、やり口が。人間が他の動物より悪辣(あくらつ)なのは、肉体的のみならず、こうやって精神的にもいたぶる真似が容易にできてしまうところだ。

 

 きっとルエリィはこんな風に心を追い詰められて、縋りつくようにやつらの言いなりになるしかなかったのだろう。「おねえちゃんは助けてあげる」――その言葉が嘘だとわかっていても、それでも。

 

「さて……ワタシとしても、手ぶらでは帰れない事情があります。できる限り抵抗させてもらう他ありません」

 

 そう言いスタッフィオが胸ポケットから取り出すのは、手のひらにも収まる試験管のような細長い小瓶。しかし中には液体ではなく、淡い魔力を帯びた一枚の紙片が入っている。

 あれは、

 

「――〈紙片(スクロール)〉か」

「ええ。ただの〈紙片(スクロール)〉ではありません……精霊魔法、〈暴食の弔客(グラトニア)〉が記録されています」

 

 師匠の片眉がぴくりと跳ねた。

 

 まず〈紙片(スクロール)〉とは、一言で言えば()()()()()()が記録された媒体である。たとえば魔法に関する知識を詳細に綴った魔導書は、突き詰めてしまえばそれ自体ただの本に過ぎず、いくら読もうとも当人の努力と才覚なくして魔法を習得することはできない。

 

 しかし〈紙片(スクロール)〉にはそれがない。魔法のことをなにひとつ理解しておらずとも、始動キーとなる一滴の魔力さえあれば、誰でも即座に記録された魔法を発動できる。その代わり回数制限があり、とりわけ強力な魔法の〈紙片(スクロール)〉は一回限りの使い捨てである場合が多い。

 

 次に精霊魔法。これは俺たち人間が一般的に使用する魔法とは体系をまったく別にする、精霊の力を根源とする魔法だ。師匠譲りの小難しい蘊蓄(うんちく)を抜きにして要点だけ言えば、基本的に人間が扱えるものではなく、どれも通常の魔法より数段上の力を秘めている。

 

 すなわち、精霊魔法の〈紙片(スクロール)〉とは――人間が作り出せるシロモノではなく、ダンジョンでごく稀に入手できる高レア中の高レアアイテム。

 

「どうかワタシに、これを使わせないでいただきたい」

 

 なるほど、わかりやすく脅してきたな。このままやられるくらいなら、一かバチかに出ようって腹か。

 師匠が剣呑に答える。

 

「よいのか? 〈暴食の弔客(グラトニア)〉……使えば貴様も無事では済まんぞ」

「ハハ、それならそれで仕方ありますまい。悪運尽きるというやつでしょう」

 

 どうやら本当にそう思っているらしく、スタッフィオは朗らかに笑って隣へ視線を落とした。

 見つめるその、先には。

 

「ああ……しかし、ひとつ残念でなりませんな」

 

 もはや自らの足で立ち上がる力も失い、虚ろな瞳でへたり込んでいる――

 

 

「ルエリィがこのような形で巻き込まれてしまうとは……本当に残念でなりません」

 

 

 スタッフィオは言う、

 

「この子は本当によく働いてくれました。おねえさんを助けるために、望まぬ悪事に一生懸命力を貸してくれました。……その結果『悪党』として死を迎えることになるかもしれないとは、いささか哀れでなりませんな」

 

 言う、

 

「もう一度だけでも、おねえさんと会いたかったでしょうに」

 

 言う、

 

「彼女のおねえさんも、嘆き悲しむでしょうなぁ。いったいなんのために、自分が犠牲になる選択をしたのか……」

 

 言う、

 

「まあ――この子も滅ぶべき『悪党』だというのなら、あとはアナタたちの好きにするとよいでしょう」

 

 ……よくも、まあ。よくもまあ、白々しくも言ってくれるものだ。言うだけ言ってあとは丸投げして、すべての責任を押しつけてきやがった。自分はすでに負けを認めて譲歩しているのだから、あとはおまえたちの選択次第だと。

 戦力的に見れば追い詰めているのは俺たちだが、決断を突きつけられているのもまた俺たちというわけだ。

 

 さて――どうする。

 

 こちらとスタッフィオ、彼我の距離は十メートルほど。微妙な距離と言わざるを得ない。仮にスタッフィオが全員道連れにするつもりで、誰かが飛び出した瞬間即座に〈紙片(スクロール)〉を発動させるとすれば、この距離でルエリィを助けるのは俺たちにとっても博打だ。

 

 とはいえあれが本当に精霊魔法の〈紙片(スクロール)〉という保証はなく、時間稼ぎのハッタリという可能性もあるが――

 

「……」

 

 師匠が首を横に振る。どうやら、正真正銘あいつの切り札のようだ。

 俺は〈暴食の弔客(グラトニア)〉がどういう魔法か知らないが、使えば術者も無事では済まないと師匠が言うからには……そういうことなのだろう。

 

「この子を想ってくださるのなら……なにもせず、見逃してくれるだけでよいのですよ」

 

 更にスタッフィオは小さな青い結晶体を取り出す。転移輝石――ダンジョンの中で使えば、どれほど深層にいても一瞬で入口まで転移できる強力な効果を持つ希少アイテム。一方ダンジョンの外ではごく近距離の転移しかできず、更には発動まで時間がかかることから咄嗟の避難にも使えずと、ダンジョン以外での使用は金の無駄遣いと言われるアイテムでもある。

 

 だがルエリィを盾に時間を稼ぎ、この場から行方を晦ます程度なら充分だろう。

 

「皆さん……いいのです!」

 

 ルエリィが、叫んだ。

 へたり込んだまま、肩を震わせて。今にも壊れてしまいそうな声音は、不自然なまでの空元気で。どこからどう見ても、「いい」とは欠片も思っていない下手クソな表情で。

 

「も、もう、いいのです! 私のことは気にしないでください! き、きっと、バチが当たったのです。こんな悪いやつらの言いなりになって、皆さんを、だ、騙すようなことをしたからっ」

 

 ――ああ、本当に、この腐れ外道な世界が嫌になる。

 

 この子はいま何歳だ。ユリティアと同じ十三歳かそこらだろうが。そんな子が「もういい」と、助かることを諦めて、悪いことをしたせいだと自分を責めて、ボロボロに涙を流しながら、それでも精一杯に笑おうとしている。

 

 それは、どんな気持ちで。

 どんな気持ちがあれば、できることだと思っていやがる。

 

「もう……いいのですっ」

 

 ルエリィ――笑うな。

 

 そういうときはな、素直に泣けばいいんだよ。泣いて、「助けて」と一言叫べばそれでいいんだ。そうすれば俺たち全員が即座に、全身全霊でおまえを助ける。一瞬だ。みんなの戦いぶりは見ていただろう? 惚れ惚れする強さだっただろう? そんな簡単なことすらできない連中に見えるか?

 

 だから、笑うな。

 

「もう、…………もうっ、」

 

 ……でもまあ、昨日出会ったばっかりだし、いきなりそこまで信用するのは難しいかもな。

 

 じゃあ、俺が手ずから教えてやる。おまえとは馬車も別で、まだほとんど話もできてなかったしな。改めて自己紹介だ。

 いいか、よく頭に叩き込んでおけ。

 

 

「…………………………………………やだぁっ……たすけてっ……!」

 

 

 ――――俺は、こういうバッドエンドが腹の底から大ッ嫌いなんだよ。

 

 

 

 

 /

 

 直後、スタッフィオはウォルカの不可解な行動を見た。

 

 義足の左足を一歩後ろに引き、その場で片膝を折ったのだ。まるで、高貴な相手の前で跪くように。

 本来なら不審な行動を許すべきではなかったが、あまりに突拍子もなく、また清く整然とした所作だったため虚を突かれた。

 

「……? まさか、この子を返せと頭でも下げるつもりですか? 勘違いしないでいただきたい、彼女は――」

「ルエリィ。目ェ瞑ってろ」

 

 

 スタッフィオの見る世界から、音が消えた。

 

 

 もちろんそんなのはただの錯覚であり、気のせいに決まっていた。しかしその刹那たしかにスタッフィオは、音が途絶え、風が凪ぎ、葉擦れが止まり、まるで世界そのものが真っ白に静止したかのような感覚に囚われたのだ。

 

 呼吸に喘ぎ、指一本動かせず、耳が痛くなるほどの須臾(しゅゆ)の静寂の中で――己の全身が一気に総毛立ったことだけは、はっきりとわかった。

 

 ――紫電一閃。

 俗に研ぎ澄まされた剣閃を光に例えて言う言葉だが、そのとき走ったのは紫の電光ではなかった。

 

 たとえ、無辜(むこ)な少女を盾にする悪党であろうとも。

 たとえ、死神の名を冠する怪物であろうとも。

 紫電を超越し、すべての知覚を置き去りにして、空間という名の絶対的な理すら捻じ伏せ()()()()――銀の雷光。

 

 

 銀雷一閃。

 

 

 ――静寂の砕け散る音がした。

 知覚できなかった真っ白な空白があり、気づけば燃える色の空を見上げてようやく――スタッフィオは己の終幕を理解した。

 

 鈴のように。

 澄んだ納刀の音だけが、聞こえた。

 

 




Tips『銀雷一閃』:
 とある剣士が死の淵でこじ開けた扉。斬ろうと定めたものを、思い描いたとおりに斬る極致。
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