全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
この世界において『遺跡』とは、ギルドという組織が生まれるより遥か昔に踏破され、今となってはその存在以外ほとんどが歴史の塵に埋もれてしまったダンジョンの成れの果てを指す。
近世のダンジョンであれば、踏破されたあともお宝の取りこぼしを狙って冒険者が潜ったり、ダンジョン探索の訓練の場として活用されたりもする。しかし遺跡に関しては基本的に誰からも忘れられ、風化していくだけの場所だ。宝などすでに取り尽くされているため潜る価値がなく、崩落に巻き込まれる、魔物の群れや〈
精々、街によほど近いなど特殊な事情があった場合に、ときたま調査の手が入り込むくらいだろう。
俺の前世でいえば……人里離れた山奥にある廃墟が、野生動物や不良の溜まり場となってしまい、誰からも不気味がられるイメージだろうか。
スタッフィオが言い遺した通り、山肌を登って回り込んだ先に遺跡があった。
ダンジョンとしてはメジャーな、洞窟型の遺跡だった。近寄る者などいないと見切っているのか、はたまた『狩り』の成功を信じて疑っていないのか、周囲に〈
「ねえさまっ……!」
「待った、ルエリィ嬢。焦ってはいけないよ」
迷わず飛び込んでいこうとしたルエリィをロッシュが宥める。〈
師匠もロッシュに同意し、
「あやつ、四人残してきたと言っておったしのう。まだ油断はできんぞ」
「っ……そう、ですね」
洞窟型のダンジョンは構造としてはありふれているが、攻略難度は決して侮れない。狭い上に進路が限定されるため、利用する側からすればいくらでも罠の張りようがあるからだ。普通に通路でトラップを仕掛けてもいいし、あらかじめ人員を外に配置して、俺たちが中に入ったタイミングで挟撃してもいい。もしくは、入口から火を放って蒸し焼きにする手もあるだろう。
スタッフィオが言い遺した『荷物持ちが四人』という情報も、鵜呑みにはできないからな。死に際で嘘をつく男とは思えなかったが、だからといって気を緩めていい理由にはならないだろう。
師匠が杖を前に出す。
「どれ、まずはわしが〈
〈
俺の前世でも、たしか音波を使って似たようなことをやる技術があった気がする。洞窟や迷宮など狭くて見通しの利かない場所で大いに役立つため、ダンジョン攻略においては斥候の必須技能とされることもある。
しかし、言うほど簡単な魔法ではない。魔力波の揺らぎは術者自身が感じ取って解析しなければならないし、なにも考えずバカ正直に使うと、周囲の敵に一発で気づかれてしまう。すなわち誰にも気づかれないよう魔力を操る優れた魔法技能と、反響を正確に感じ取る優れた魔法適性、その双方が高度に求められるシロモノなのだ。
「――」
まぶたを下ろした師匠が杖で地面を小突き、遺跡の内部に向けて魔力波を放った――と、思う。波があまりに微細すぎて、俺では本当に放ったのかどうかも感知できないのだ。ルエリィに至っては、師匠がなにをやっているのかすらわからず不思議そうにしていた。
ロッシュが神妙に頷き、
「うむ、実に感服すべき腕前だね」
「俺の自慢の師匠だからな」
「んぅっ、」
師匠がしゃっくりみたいな変な声を出した。なにかを叩くように空中で手をパタパタさせて、
「ちょ、ちょっと静かにしてて! 集中してるんだからっ」
突然褒められてびっくりしてしまったようだ。でも俺もロッシュも紛れもない本心だぞ、師匠。
それ以上は無駄口を叩かず、師匠の探知が終わるのを待つ。
師匠が再度まぶたを上げるまでは、二十秒ほどかかった。
両目を
「これは――……」
「師匠?」
「……」
更に数秒の間、
《――みな、これはルエリィ以外につないでおる。そのままバレないように聞くのじゃ》
――〈
嫌な予感がした。
《……反応があるのは、
師匠の言葉の意味を考える。スタッフィオは、荷物持ちを四人残していると言っていた。ならば普通に考えて、反応はその四人分存在しなければならないはず。……いや、ルエリィのおねえさんや他の囚われた冒険者もいるのだから、少なくとも六人以上でなければ辻褄が合わない。
いくらなんでも、『二人』は数が少なすぎる。
――嫌な予感が、する。
「――ルエリィ嬢、」
ロッシュがあくまで優しく、
「ここは僕たちが入って、残党を片付けながらおねえさんを助けよう。君は、ここで待っていてくれるかい?」
「で、でもっ……」
ルエリィは、口をついて出てこようとした言葉を苦々しく呑み込んだ。スタッフィオの盾に利用されたことを思い出したのかもしれない。
拳を強く握って、
「そう、ですね。ねえさまを、よろしくお願いしますっ……!」
「うむ。おねえさんの名前は?」
「シアリィ、といいます。私より髪が長くて、色も少し濃いのです」
「わかった。任せてくれたまえ」
ロッシュは微笑んで頷き、次に俺へ向ける言葉は少し真面目に。
「――行くだろう? ウォルカ」
「……ああ」
中にいるはずの人数と、師匠が読み取った反応の数はどう考えても矛盾している。
罠の可能性を、除外すれば。
間違いなく――死人がいる。
「わしも、行くぞ」
師匠が俺の右手を強く握った。俺と別行動をするなんて絶対に嫌だと、縋りつくような力が小さな指先にこもっていた。……そういえば、馬車の席を決めるときもこんな感じで絶対に譲らなかったっけな、師匠。
更にアンゼが、
「ウォルカさま。わたくしも、ともに行かせてくださいませんか。もしかすると、」
背後のルエリィを一瞬気にして、数秒だけ言葉を選んだ。
「……わたくしの力が、お役に立てるかもしれませんから」
頼まれるまでもなく、神聖魔法を使えるアンゼにはついてきてもらう必要があった。ルエリィのおねえさんや他の冒険者たちが、なんの手当ても必要ない無傷なままで捕まっている――そんな楽観をするほど、俺はこの世界に期待なんてしていない。
「ユリティア、アトリ。ここで、ルエリィと一緒にいてくれるか」
「っ……」
ユリティアが唇を引き結ぶ。あたりはすでに薄暗くなりつつある。これが罠である可能性を否定できない以上、ルエリィを守る意味でも、誰かがここに残って背後の憂いを断たなければならない。理屈ではそうわかっていても、ユリティアはともに行けない自分に遣る瀬のない無力感を覚えているようだった。
「……ひとつ、約束してください」
胸を押さえ、俺をまっすぐに見上げて言う。
「絶対に、無茶はしないでください。みなさんを頼ってください。自分一人でやろうとしないでください。……わたし、怒りますからね?」
「ん。破ったら、おはなし」
「……わかった」
ロッシュが静かに剣を抜き、師匠が術式を構築して杖の先に光を灯す。崩れた扉の先は内部へ下る階段となっていて、ある程度の間隔で魔石ランプが置かれたままとなっている。師匠の光があってもなお足元は暗く、おまけに所々が崩れているため片目片足だとかなり注意が必要だった。
アンゼが左からぴたりと寄り添って、
「ウォルカさま、どうかお気をつけて。ゆっくり、ゆっくり参りましょう……」
「むっ……」
面白くなさそうな顔をした師匠が、更に右からくっついてくる。こんなことで張り合うなとか、逆に歩きづらいからやめてくれとか普段の俺なら言えたかもしれないけれど、あいにく今は精神的な余裕がなかった。
反応が、二つ。
二つしか、ない。
ここまで来て最悪の結末を用意しているようなら――恨むぞ、神様。
/
崩れかけた階段を下り、魔物の腹の中にでもつながっていそうな薄気味悪い通路を進むと、ほどなく軽く見渡せる程度の広い空間が現れた。
〈
なんというか……言葉を発する気も起きないな。
「……ここには誰もおらん。行こう」
杖に光を灯しながら、師匠は〈
ロッシュの先導で奥の通路へ進む。すぐ左に扉。中は小さな部屋になっており誰もいない。
続けて右に扉、こちらも小さな部屋だが、
「ッ――」
呼吸が凍った。部屋の奥が一部崩落しており、まるでそこへ投げ捨てたかのように――なにかを引きずった、生々しい血の跡があった。
……いや、なにを引きずったかなどわかりきっている。魔物は倒されるとその亡骸がひび割れて崩れ、特定の
「……」
俺は足元から小さな瓦礫の欠片を拾い、崩落した穴の底へ
音が返ってくるまでは、四秒ほどかかった。四秒だとたしか、高さは――
「ウォルカ、……」
師匠が苦しそうに首を振る。落ちた先に、
そして、部屋の片隅には。〈
血にまみれ砕けた、〈
最初からずっと気掛かりだった。ルエリィの仲間、カインとロイドは、〈
なら――本物の、カインとロイドは。
この、なにかを引きずって遺棄した血の跡は。
「……行こう、ウォルカ。今は、生き残っている者たちが先だ」
「……ああ」
それ以上の思考を、俺は奥歯を噛み締めて断ち切った。……そう、今は生き残っている人を助けなければならない。せめて、生き残っている人だけでも。
諭すようなロッシュの声に従って先へ進む。ほどなく道は左右に分かれたが、左は天井が崩落していて進めない。右。誰もいない小部屋の扉を更に二つ越え、三つ目の扉に差し掛かったときだった。
「……!」
「下がって」
死体があった。即座にロッシュがアンゼを、俺は師匠を一歩後ろへ下がらせる。
脈を確かめるまでもなく、ひと目ではっきりそれとわかる死体だった。身なりは〈
おそらく裸足と思われる血にまみれた足跡が、通路の奥へと引きずるように続いている。
「……君たちは、三歩後ろをついてきたまえ」
この男を殺した何者かが、奥にいる。
ロッシュが剣を握り直し、師匠は〈
師匠の杖の光が照らす先で、やがて通路が終わり、また少し広い空間につながっているのがわかった。師匠が低く言う、
「そこの奥に二人。隠れてはおらん」
「……」
心臓がひりつく感覚で喉が焼けそうになっている。後ろを振り返っても他に道はなく、あの空間へ足を踏み入れれば最後、たとえどんな光景が広がっていたとしてもすべてを受け止めるしか選択肢はない。
覚えている限り、原作で描かれていた数々のバッドエンドが脳裏を過った。情けない話をすれば、俺は怖くて仕方がなかった。『原作知識』なんてものを思い出したせいで、俺はこの世界の見え方が根本から変わってしまった。もちろん、スタッフィオがこの国で冒険者を捕まえていた目的を考えれば、女まで殺される可能性は限りなく低いとわかってはいる。それでもあの『原作』なら、ルエリィ以外全滅というバッドエンドも決してありえないとは言い切れないのだ。
だが俺は神に祈らない。原作知識を思い出してしまった俺にとって、この世界の『神』とはすなわちあの外道作者だからだ。あの作者なら、縋ってきた相手を嬉々として絶望に突き落としかねないからな。
祈る神など、いない方がマシだ。
入った。
目に入ってきた情報は三つ。
先ほどの死体と同じように、鮮血の中で息絶えた三人の男。
そのすぐ近くで倒れ伏す一人の少女。
そして師匠の光がわずかに届く奥の壁際で、身を寄せ合い、暗く沈んだ
まずは、生きている二人を考えた。ルエリィから聞いたおねえさんの特徴と照らし合わせると、スタッフィオが〈
師匠が探知した二つの反応というのも、状況から見てあの二人だろう。
片方が金色の髪、もう片方が桃色の髪をしていて、歳はどちらも俺と同じ十七歳ほどだろうか。……ああ、くそ。ほとんどなにも着ていないのと大差ないボロ布一枚と、手足に鎖。それだけで、彼女たちがここでどんな目に遭っていたのか容易く想像できてしまうことに腹が立つ。
「……師匠、アンゼ、あの二人を頼む」
「……わかったのじゃ」
「はい。お任せください」
男の俺やロッシュが近づくわけにはいくまい。生存者を師匠とアンゼに任せ、俺はもう一人の倒れている少女に歩みを寄せる。
ルエリィよりも長くて色が濃い、菫色の髪。アトリよりほんの少し背が低い程度の体躯。そして、ルエリィとどことなく似通った印象を受ける顔立ち。
「………………はぁっ……」
ため息が出た。
安堵のため息だった。俺は立てた片膝に肘をつき、倒れ込んでしまいそうなほど深く深く項垂れて、
「……よかった。生きてる」
少女は、生きていた。気を失っているだけだった。
……本当に。本当に、情けないくらいに安堵してしまった。奥の二人と大差ないボロ切れ一枚の姿。こんなのがハッピーエンドであるはずがない――けれど、それでも。
「……シアリィ嬢だね」
「……ああ」
傍らに血まみれのナイフが落ちている。素足の裏が擦り切れた血の跡で汚れている。俺たちが最初に見た男の死体、あれをやったのも彼女なのだろう。
〈
正直、無謀な真似だと言わざるを得ない。もし、俺たちがスタッフィオを討っていなければ。もし、なにかのタイミングが少しでも違っていれば。ここに広がる光景は、まさしく原作のようなバッドエンドとなっていただろう。そうなってしまう可能性の方が圧倒的に高かったはずだ。
けれど俺は、シアリィの行動を浅はかだとは思わなかった。
むしろ――心の底から、共感した。
「……なにか着せてやれるものはあるか?」
「うむ……そうだね、探してみよう」
ロッシュと一緒に〈
「こっちは大丈夫だ」
「わかった。……アンゼ! 一旦これを着せてやりたまえ!」
ロッシュがつくりのいい外套を二着取り出し、アンゼへ手渡しに行く。俺も自分の外套を引っ張り出して、念のため状態を確認。ロッシュのと比べれば粗末な安物だが、汚れもないし間に合わせとしては充分――
――そう俺の意識が完全にシアリィから逸れた、ほんの一呼吸か二呼吸の空隙。
「――ぐ!?」
右目の死角だった。シアリィが突然目を覚まし、獣のような動きで起き上がった。突き飛ばされた俺は義足のせいもあって背中から倒れ、気づいたときにはシアリィが馬乗りになっていて、
「ル゛エ、リィをっ……!!」
黒い憎悪の血が混じった言葉。目の前の敵を噛み千切ることしか考えられない、死に物狂いに染まった瞳。
「――返せ゛えぇッ!!」
「……!!」
なにかをする暇もなかった。四人の命を吸って輝きを失ったナイフが、なにひとつ容赦のない渾身の力をもって――
俺の喉元めがけ、振り下ろされた。
/
痛恨だったと言わざるを得ない。
崩れ落ちるように安堵するウォルカの背中を見て、ロッシュも無意識のうちに気が緩んでしまったのだと思う。聖騎士の称号を賜る立場としてまこと情けないことだが、間に合わせの外套をアンゼへ手渡すために、ほんの何秒かウォルカの傍から完全に離れてしまった。そのせいで。
おそらくシアリィは、目を覚ましてすぐ飛び込んできた男の姿を見て、〈
――シアリィが振り下ろしたナイフは、彼が咄嗟に盾とした左腕を完全に貫通した。
上手く骨と骨の間を抜けただろう。しかしそれゆえナイフは根本まで深々と突き刺さり、ウォルカの左腕を瞬く間に鮮血で濡らした。貫通した刃を伝って血が飛び散り、彼の胸元をみるみる真っ赤な色で染め上げた。
「――――ッ!!?」
アンゼとリゼルが、悲鳴のように息を呑んだのがわかった。
ロッシュはすでに動き出している。刹那で剣に〈
だが、
「――黙ってろッ!!」
――滅多なことでは声を荒らげないはずのウォルカの大喝が、一切を縫い留めた。
「手ェ……! 出すんじゃ、ねえ……ッ!!」
小さなナイフ一本に込められたシアリィの擦り切れるような殺意を、ウォルカは真っ向から受け止めていた。たとえ腕を貫かれようとも、片足が義足であろうとも、シアリィを突き飛ばす程度は彼ならば容易にできるはずだった。
だが彼はそうしない。ゆえにロッシュは悟る。
――ああ、そうか。この男はもう、自分の腕を貫くナイフなど目に入ってすらいない。
腕が千切れ飛ぶような痛みなど、一切歯牙にもかけていない。
「返ぜっ!! ルエリィ゛をッ、ル゛ェ、りぃを……!!」
掠れきってしまった声で、それでも懸命に喉を震わせる――
衰弱し、余計なことに使える水分など残っていないはずなのに、それでもとめどなくあふれてウォルカの頬を叩く――
「――お願いっ、かえしてぇぇ……っ!!」
――その言葉こそが。その涙こそが。
この男にとって、腕を貫かれるよりも耐え難い血染めの刃なのだ。
「…………馬鹿者め」
ロッシュは迸ろうとする衝動を理性で抑えつけ、強張った体から少しずつ力を抜き、剣を下ろす。腹の底から嘆息する。
大馬鹿者だ。
この男は本当に、救いようがない大馬鹿者だ。
横を見てみろ。シアリィに負けないくらいの涙をにじませて、それでも君の意思を汲んで必死に耐えようとしている二人の少女を見てみろ。
なにをしているか、わかっているな。
あとでどうなるか、わかっているな。
なら、やってみせろ。
――今ここで、
/
――正直、腕をナイフで貫かれ、今まさに殺されかけている状況で感じる気持ちではないとわかってはいるのだが。
このとき俺がシアリィに対して抱いたのは――親近感、だった。
ほとんどなにも着ていないのと大差ないボロ布一枚で、薄汚れていて、目立たない場所に傷や痣があって、ロクな食事も睡眠も摂れていないその体は擦り切れていて。それでも彼女は妹を守るという、妹を助けるという、ただそれだけの感情にすべてを
その姿に、なんとなく。
かつて死に物狂いで仲間を守ろうとした自分の記憶が、重なったのだ。
「ウ゛ううっ……! う、う゛ウ゛うぅぅ……ッ!!」
シアリィの涙が何度も俺の頬を叩く。貫いた腕ごと俺の喉を抉ろうと、両手のナイフに何度も何度も体重をかける。肉が裂かれ、血が飛び散り、まるで悲鳴のように俺の名を呼んだのは師匠だったのか、アンゼだったのか。
「返してっ……!! かえ、してぇ……っ!! ルエリ゛ぃ……ッ!!」
……ああ、そうだよな。理屈じゃないんだ。
〈
わかるよ。
俺も君と同じで――自分の命なんてもうどうなってもいい覚悟で、戦ったことがあるんだから。
呼んだ。
「――シアリィ」
俺は自分でも呆れるくらいの無愛想で、話すのも苦手だけれど。それでも、今できる限りの感情を込めたつもりだ。
「――っ、ぁ、」
シアリィがかすかに震えた。そのときはじめて彼女の瞳に、俺という人間が正しい姿で映ったのがわかった。
言う。
「ルエリィは無事だ。俺の仲間と一緒に、外で君を待ってる」
「――、」
シアリィが揺らぐ。腕にかける体重が軽くなる。ナイフを握り締める両手が緩む。こぼれ落ちた涙が、俺の頬ではなく、彼女の手の甲をそっと叩く。
その涙の跡を拭うように、俺は右手で彼女の指先に触れる。
「悪いやつはもういない。全員死んだよ。だから、もうこんなのは持たなくていい」
言えるだろ、俺なら。
いま一番必要な言葉を、
いま一番必要な事実を、
いま一番必要な想いを、
彼女と同じ覚悟を知っている、俺ならば。
「大丈夫。――君は、妹を守ったんだ」
「………………………………ぁ、」
そのはずだ。彼女の心を駆り立てていた冷たい呪縛が、氷解した。憎悪で沈んでいたシアリィの瞳に、弱々しくも彼女本来の命の息吹が戻ったのだとわかった。
必死にナイフを握り締める力が、怖々と緩んでいく。
「――――ほん、と、に……?」
「ああ。……よく、がんばった」
「――、」
俺の言葉の意味を、限界などとっくに超えてしまったはずの頭で、何度も何度も飲み込もうとして。
か弱い指先がナイフから完全に離れてようやく、消えゆくような笑みが浮かんだ。
「…………よ、かっ――――、」
倒れる。もう、それだけの言葉を紡ぐ力すら残っていなかったのだ。意識を手放したシアリィの体が真後ろへ傾き、地面に思いきり頭をぶつける寸前でロッシュに優しく抱き留められた。
俺はほっと一息つき、無事な右腕を杖にして起き上がる。左腕を根本まで深々貫通するナイフを見て、今更ながらうげぇと顔をしかめた。腕で庇うのがあと一歩遅かったら、俺もここで転がる死体の仲間入りを果たしていたかもしれない。
「悪い、ロッシュ。ついででその外套」
「――そんな呑気なことを言ってる場合じゃないだろうがッ!!」
――知り合って以来はじめてロッシュの怒鳴り声を聞き、俺は思わず目を白黒させた。いや、怒られる理由はまあ想像できるのだが、こいつがこうも愚直に怒りをあらわにするとは思っていなかったというか、
「ウォルカ!! ウォルカぁっ!!」
「ウォルカさまっ!!」
更に師匠とアンゼまで詰め寄ってくる。師匠は顔面蒼白で半狂乱に陥っていて、アンゼもいつもの微笑みが見る影もなく崩壊している。
「や、やだっ……血、血があっ!! ウォルカが、ウォルカが死んじゃう!!」
「ウォルカさま、腕を出してください!! お願いします、早くっ……!!」
「うお、わ、わかった、わかったから」
ちょ、ちょっと待った、さすがにみんなして大袈裟すぎやしないか。たしかに見た目はちょっと痛々しいけど、別に右目が潰れたわけでも、左足が千切れかけたわけでもない。こういうときはまず落ち着いてだな、
「まったく、君という男は……!」
シアリィをその場に寝かせたロッシュが、悪態をつきながら俺の左手首を取る。
「いいかい、抜くよ。歯を食いしばれ」
「お、おう」
「アンゼ、用意はいいね?」
「はいっ……! 絶対に、絶対にわたくしが癒しますからっ……!!」
「やだ、やだぁっ、死なないで、死なないで、死なないで、死なないで、死なないでっ…………!!」
みんながあまりにも必死なせいで、俺もだんだん不安になってきてしまった。い、いやこれ、腕にナイフが刺さっただけで――もしかして、こう見えてアンゼの神聖魔法でも治癒が困難なヤバい傷なのか? あの、手当てする側が深刻だとこっちまで動揺してしまうから、できればみんな一旦冷静になってほしいというか……。
しかし俺の内なる願いが届くことはなく、ロッシュがナイフを引き抜くと同時にアンゼが神聖魔法を発動。一分もしないうちに出血が止まり、三分ほどで傷はほとんど跡形もなく消え去るのだった。
……や、やっぱり大丈夫じゃないか。怖がらせないでくれ、まったく。
「ウォルカのばかっ、おたんこなす、あんぽんたん、ばかっ、すっとこどっこい、ばかばかばかぁっ」
ご立腹を通り越して幼児退行してしまった師匠が、ベソをかきながら俺の頭やら背中やらをぽかぽか叩いてくる。べ、弁解の余地を! あの状況はもう腕で庇う以外になかっただろ……!
俺の手を握ったまま離そうとしないアンゼも、瞳の奥にやや非難の色があった。
「ウォルカさまっ、もっとご自分を大切になさってください! 傷つくことに、慣れないでくださいっ……!」
「む、むう……」
だからしょうがなかったんだって! 俺だって、他に防ぐ手段があったならそうしてたぞ! 好き好んでナイフを腕でガードするやつがいてたまるか。
ロッシュも、もはや打つ手なしみたいなクソデカため息ついてるしよぉ……。くそう、どうすればよかったっていうんだ……。
しかしどうあれ、これでようやく――ようやく、終わりだった。
こんなものが、ハッピーエンドであるはずがない。奪われてしまった命がある。仲間を喪い、決して癒えることのない傷を負ってしまった少女がいる。仲間と笑顔で旅をしていた頃の、自由に満ちて光り輝くようだった日々はもう二度と帰ってこないのだ。
けれど、それでも。
「ねえさまっ! ねえさまぁぁ……っ!!」
耐え忍んで、苦しみ抜いて、やっとその両腕で姉を力いっぱい抱き締めることができた少女もまた、ここにはいる。
その温かな涙がせめて、死んでいった者たちへの手向けとなることを。
彼らの死が無駄にはならなかったことを、願うしかないのだ。
――それはこの世界において、いつ誰に降りかかっても不思議ではないありふれた悲劇である。
この事件が国を揺るがすことはないし、冒険者という職の安全性が見直されるきっかけになることもない。ただほんの少しの間ギルドで話題となって、俺たちも気をつけねえとなぁとお決まりの同情心を買い、そうして忘れ去られていく。
だが、俺は絶対に忘れない。
原作知識を思い出した俺に、ここがどういう世界なのか改めて突きつけてくれたこの事件を、決して無駄にはしない。
バッドエンドが大嫌いな俺にとって、ここは本当にクソッタレな世界だけれど。
なんの因果であれこの世界に生きる一人となってしまった以上、顔をあげて前に進むしかない。
刻むべき背中なら、何度も見てきた。
/
なお、その後の俺について言えば。
「――先輩? どうして……どうして、血まみれなんですか?」
「……約束、破った?」
「……」
「また、無茶したんですねっ……? みなさんの目の前で……」
「ウォルカ――ちょっと、おはなししよ」
「………………お手柔らかに、頼むっ……」
年下二人からめちゃくちゃ説教される俺に、味方は一人もいなかったとだけ記しておく。
この場を借りまして、本作の書籍化&コミカライズの企画が同時進行しておりますことをご報告いたします。
打診自体は9月の時点でいただいておりまして、来年春頃を目指し本格的に動き出そうというところです。
書籍としてはかなりニッチなジャンルになりそうですが、だからこそリゼルたちのクソデカ感情を全面に押し出せるよう、やれるだけのことはやるつもりです。
詳報は、春が近くなる頃をお待ちください。
それでは今後とも、本作を楽しんでいただけますように。