全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
――もし、神様にひとつだけ願いを叶えてもらえるとしたら。
フリクセルは間違いなく、今すぐ二ヶ月前に遡ってあいつらを片っ端からぶん殴らせてほしいと願うだろう。女にうつつを抜かして散財ばかりしていたとか、みんなでコツコツ集めてきた貯金まで切り崩し始めたとか、そんなのは身内の話で済んでいる分だけまだマシだった。あの時点で止めるべきだった――自分が全力でぶん殴って、バカどもの目を覚まさせなければいけなかったのだ。
自分たちの下らない
何歳も年下の子どもを巻き込んで、その子の人生を壊してしまうなんて。
それだけは、絶対にあってはいけなかったはずなのに。
発端は、今から半年以上は前の話だ。当時フリクセルたち〈
パーティのリーダー、赤髪の魔法剣士レックス。
金髪の重戦士ディーノ。
そして自分、槍使いの女戦士フリクセル。
なにせ後衛職がいないのである。ゆえに新たな魔法使いのスカウトは急務であったが、それなりに長く活動しているAランクパーティともなれば眼鏡に適う人材は少なく、結果いつまで経ってもなかなか後任を決められずにいた。
そんな中でレックスとディーノが、突然見知らぬ魔法使いを連れて宿に帰ってきたのだった。
「フリクセル。これから、彼女を僕たちのパーティに加えようと思うんだ。そこの酒場で偶然知り合って、彼女も組む相手を探していたんだって」
「魔法使いで、Aランクパーティにいた経験もあるんだと。ちょうどオレらにぴったりだろ?」
レックスは貴公子然とした甘く優しいルックスを持っているものの、一方ではやや流されやすく優柔不断。ディーノは筋骨たくましい偉丈夫なものの、一方ではやや粗暴でいい加減。そんな外面だけの二人が一体全体どうやって口説いたというのか、その魔法使いはフリクセルでも目を見張るほどよくできた女だった。
おそらく歳はフリクセルとそう変わらないはずだが、目つきが優しくて笑顔にも上品さがあり、キツい性格に定評のあるこちらとはまさしく正反対。薄く紫がかった長髪は軽くウェーブがかかっており、指を通せば少しも引っかかることなく毛先へするりと抜けていくであろう、女として羨むばかりの艶加減が見て取れる。身嗜みも潔白そのもので、冒険者というよりかは、どこかの国の聖職者みたいだった。
実際彼女は最近この国に移住してきたばかりの異国の魔法使いで、今までいくつかA~Bランクパーティに所属した経験もあるという。フリクセルは口を半開きして、
「……あんたら、よくこんな人に話聞いてもらえたわねー。酔わせて誘拐してきたんじゃないでしょうね?」
「するわけないだろ、そんなこと!」
「てめえ、オレらをなんだと思ってんだよ……」
「外面がいいだけのバカ二人」
「あーん?」
「なによ」
「こら、ケンカするなってば……」
フリクセルとディーノがメンチを切り合い、レックスが呆れながら間に入って宥める。もちろん本当にケンカしようとか仲が悪いとかではなく、〈
魔法使いが、いかにも育ちがよさそうにくすくすと笑った。
「ふふ、賑やかそうなパーティですわね」
「やかましいだけよ。……ま、とりあえず組んでみるのは悪かないわ」
フリクセルは右手を差し出し、
「そこの二人からどんな甘い言葉をかけられたかは知らないけど、あたしの目は厳しいからね」
魔法使いはフリクセルの手を数秒見つめ、目尻を下げると実に愛想よく答えた。
「――ええ。よろしくお願いしますわ、フリクセル先輩」
この異国の魔法使い――アルファナをパーティに引き入れたことが、結局はすべての発端になってしまったのだと思う。
いつからだったのか、と問われるとフリクセルも答えるのは難しい。少なくとも最初は普通にパーティの活動ができていたし、アルファナもこれといって問題を起こしたことは一度としてなかった。
しかし一ヶ月が経つと、レックスとディーノが妙にアルファナと親しくなっていた。とはいえこのときはまだ、パーティの仲間として健全な交流の範囲内だったと思う。
いつの間にか、おかしくなってしまっていた。
三ヶ月が経つ頃には、二人がアルファナに日常的な
より正確には、金を貢ぎ始めるようになっていた。
/
フリクセルの最初の過ちは、アルファナがパーティに加わってから四ヶ月ほど経った頃。
「フリクセル。ダンジョンの踏破承認調査を受けようと思うんだけど、どうかな?」
「はぁ?」
リーダーのレックスが宿へ戻ってくるなりそう言い出して、フリクセルは思わず尻上がりのトーンで訊き返してしまった。およそ一週間ぶりに依頼を受けようというから、ようやくやる気になってくれたんだと思って感心しながら待っていれば――
「ほら……僕たち、前にも別のダンジョンで承認調査をしたことがあっただろ。それで実績ありってことで、ギルドから声をかけられたんだ」
「そりゃそうだけど……」
たしかに間違ってはいないが、実績といってもそれはアルファナが来る前の話だ。そして現在は魔法使いがアルファナに入れ替わって、パーティの状態も今までとは少なからず変わってきている。そんな中で随分デカい依頼を持ってきたもんだとフリクセルは呆れた。
レックスはえらく自信ありげに、
「大丈夫だよ。調査対象のダンジョンは〈ゴウゼル〉……ダンジョンとしては規模が小さくて、大して強い魔物が出現する報告も挙がってない。その程度ならアルファナも問題ないだろ?」
「そういう問題じゃなくて……」
フリクセルは首を振って嘆き、
「あのね、承認調査はそこらの依頼と責任の桁が違うでしょうが。もしもがあったら降格処分だってありえるのよ?」
「アルファナなら大丈夫さ」
……これである。ここ最近のレックスは、口を開けばアルファナアルファナアルファナとアルファナのことばかりだ。フリクセルは大して興味がないので干渉していないけれど、彼女を連れて食事に行く回数が明らかに増えているし、いろいろとアイテム類も買い与えているようである。
「他にも候補に挙がってるパーティはいるらしいからよ、早いもん勝ちだぜ」
そして、それはディーノについても例外ではない。どうしてそこまで自信満々なのか不思議なほどに、
「オレは賛成だ。アルファナならこの程度どうってことねえ」
「……はぁ」
要するにレックスもディーノも、綺麗な女がパーティに入ったからとうつつを抜かしてしまっているのだ。しかも彼女の面倒を見てやる立場なのもあいまって、男の庇護欲を満たされすっかり得意になっているというオマケつきである。そんな有様で責任重大な承認調査を請け負おうなど、果たして本気で言っているのだろうか。
「も、もう。レックスもディーノも、言いすぎよ……」
レックスの隣でアルファナが満更でもなさそうにしている。フリクセルは頭痛を我慢しながら、
「あのさぁ……一応訊いとくけど、報酬に目がくらんでるわけじゃないわよね。最近、随分と羽振りがいいみたいじゃない」
承認調査は極めて重大な責任が課せられる役目であるため、報酬も他の依頼とは一線を画すだけの内容が保証されている。このところ二人はアルファナのために散財続きだったみたいだし、決して懐に余裕がある状況とはいえないだろう。
「で? その報酬で、またアルファナと美味しいレストランに食事でも行こうっての?」
別に、報酬目当てで依頼を受けるのが悪いとはいわない。冒険者なんて大なり小なり命の危険がある仕事なのだから、そのぶん金を稼いでいい思いをするのは正当な対価だ。しかし報酬のためしっかり責任を持って引き受けるのと、報酬に目がくらんで軽率に引き受けるのとではまるで意味が違う。
少なくとも、女にうつつを抜かしているようなやつが受けていい依頼ではない。ゆえにフリクセルはここは一言言ってやらねばならぬと思い、
「あんたらねえ、アルファナを甘やかすのもいい加減に――」
「ほら見ろレックス、オレの言ったとおりだ。こいつはぜってえぎゃーぎゃー文句つけてくるってな」
フリクセルはディーノを睨んだ。無論、フリクセルとディーノが軽口を言い合うのはいつものことだ――だが今のこいつの言葉には、間違いなくフリクセルを嘲る意図が乗せられていた。
ディーノもフリクセルを睨み返し、
「フリクセル……てめえ、ここ最近アルファナが絡むと文句ばっかだよな。いつからそんなに偉くなったんだよ」
「実際あんたらが文句を言われるようなことしかしてないからでしょ? 昨日はアルファナのためにいったいいくら使ったの? すっかり夢中になっちゃって、そんな有様で承認調査なんてまともにできるのかって言ってんの」
ディーノは白けた目つきで明後日の方を向いて、心底面倒くさそうなため息とともに耳の穴をほじくった。
「やる気がねえならついてこなくて結構だぜ。文句しか言わねえやつがいるとこっちも萎えるからな」
「……あ、そう」
なんだろう……こいつに生意気な反応をされるのは、今までだって何度も何度もあったはずなのに。そのたび近所の悪ガキ同士みたいに、遠慮も容赦もない言葉でやり返してきたのに。
なんとなく、気づいてはいたのだ。二人がアルファナと仲良くなればなるほど、フリクセルとの関係にだんだん距離ができてきていると。
だからだろうか――今のはちょっと、本気で冷めてしまった気がした。フリクセルはレックスを睨みつけ、
「レックス……あんたも、こいつと同じ意見なの?」
「……、」
問われたレックスは迷うような息遣いを見せ、それからアルファナに目を遣った。――なんでそいつを見るのよ。質問してるのはあたしで、質問されてるのはあんたでしょ。あんたが自分の言葉で考えて答えなさいよ。
アルファナが、その両手でレックスの手を優しく握った。
「レックス、大丈夫。私はあなたの味方だから」
そしてレックスの瞳から、波が引くように迷いの色が消えていった。
「……フリクセル、少し短絡的すぎるよ。もっと
「もういいわ。知らない、好きにすれば!」
フリクセルはレックスの言葉を最後まで聞かずに、部屋を出た勢いのまま階段を下って宿からも飛び出した。怒り心頭の早歩きでしばし道を突き進み、やがて運河沿いの欄干にもたれかかって、はあ~~~~~~と地の底まで沈んでいくようなため息を吐き出した。
「……なによ。アルファナ、アルファナ、アルファナって」
たしかにフリクセルは性格がキツいし、可愛げもなければ女性らしさだって皆無だし、そんなのと比べてしまえば綺麗で愛嬌のあるアルファナをかわいがりたくなるのは当然なのかもしれない。
でもだからって、一週間近く依頼をサボってまで高いレストランで食事して、様々なアイテムはもちろん戦闘の役に立たないアクセサリーまで買い与えて――男として甲斐性があるといえば響きはいいけれど、さすがに鼻の下を伸ばしすぎではないか。
呟いた。
「いっそ、こっ酷く失敗してくればいいんだわ……」
ダンジョン〈ゴウゼル〉だったか……どうせなら踏破されていなければいいんだ、と思う。冒険者がダンジョンでボスモンスターを誤認するなんて滅多に起こらないことではあるけれど、過去にまったく例がないわけでもない。それで、生き残っていたボスモンスターにうっかり強襲されてしまえ。尻尾を巻いて逃げ帰って、小規模なダンジョンだからとメンバーが欠けた状態で調査に臨んだ怠慢を嫌というほど追及されてしまえばいいのだ。
パーティのキャリアに傷はつくけれど、女にうつつを抜かすバカどもにはいい薬だろう。
「はあ……」
フリクセルはもう一度重ったるいため息をついて――そのときふと、背後から記憶に引っかかる声が聞こえて思わず振り返った。
「もー、リゼルさんもアトリさんも買い食いばっかりして……」
「ふふーん、甘い物は別腹なんじゃー」
「ん。歩きながら食べてかろりーぜろ」
「いや、そうはならないだろ……」
「なるの!」「なるっ」
(あっ……あの子たち)
銀髪の小さな魔法使い、淡い桃色の髪の女の子、褐色肌の少女、そして長い灰色の髪を結った剣士の青年。
〈
今日は冒険者稼業をお休みにして、みんなで休日でも満喫しているのだろうか。リゼルとアトリがワッフルを食べ歩きし、ウォルカとユリティアが後ろをゆったり歩いて追いかけている。
どうして、フリクセルが最近個人的に気になっているのか。その一番の理由が、
(はあ……………………あの子たちほんっといつ見てもかわいいんだけど。癒やしだわぁ…………)
であった。
有り体に言えばフリクセルは、結構ガチめの年下好きであった。
「ちょうど昼下がりだし、ユリティアもたまにはいいんじゃないか?」
「わ、わたしは、そのぉ……ふ、ふ、ふとるっ……ので」
「気にしすぎだと思うけどな……」
「その油断が命取りなんですっ。それにわたし、最近はお腹よりも……」
「お腹よりも……?」
「なななっなんでもないですっ!! うぅ……」
なんというか……あのパーティは、メンバーの仲がすごくいいのだ。
もちろん命を預け合って一緒に冒険する関係なのだから、パーティの仲がいいのはむしろ当然のことなのだろう。しかし〈
特にフリクセルは今まさに人間関係がこじれている真っ只中なので、余計に彼らの姿がまぶしく見えてしまうのだった。
「……あれ、師匠とアトリはどこ行った?」
「え?」
ウォルカとユリティアが話をしている隙に、リゼルとアトリはとっくに別の露店へと吸い寄せられており、
「ふん、嬢ちゃんたち……そのワッフルはわかるぜ、ティモシーの店だな? だが俺のだって負けちゃいねえぞ、味わってみてくれ」
「ほほう……? ふむ、よかろう。ひとついただくのじゃ」
「ボクも」
ウォルカとユリティアはそろってがくりとした。
「ああ、また買ってる……」
「もぉー二人とも、お夕飯食べられなくなっちゃうんですからねー!?」
ふと気づけば、フリクセルの頬には笑みが浮かんでいた。
あれだけ陰鬱だった気分が、〈
「……よし! あたしも気分入れ替えなきゃ」
どうせレックスたちは、これから承認調査で一週間ほどいなくなるのだ。その間にフリクセルも一人でぱーっとリフレッシュしよう。短絡的といわれるのは癪だがまあちょっと冷静さに欠けたところはあったかもしれないし、あとでもう一度じっくり話をしてみよう。
こうして結局、フリクセルは承認調査に同行しなかった。
あとになって振り返れば、これが第一の過ちだった。フリクセルは、この時点でパーティの現状を早急にギルドへ申し出るべきだったのだ。もちろん、ギルドにパーティのプライベートまで干渉して是正させるような権限はない。だが少なくとも、レックスたちの調査に嫌疑の目を向けさせることはできたはずだった。
その考えが頭を過りもしなかったのは、やはり心の奥底では、レックスたちがこっ酷く失敗することを望んでいたからなのかもしれない。
そうやって盛大に痛い思いをすれば、きっとあいつらも目を覚ましてくれるだろうと。自分のパーティのことなのに、フリクセルはどこか他人事で考えてしまったのだ。
――宿の部屋を飛び出すその間際、アルファナが浮かべていた悪意ある笑みに気づかぬままで。
/
第二の過ちは、それから一週間ほどあとだった。
「――ふざけんじゃないわよ」
「あぁ? ったく、いきなり喧嘩腰かよ」
フリクセルは
承認調査の潤沢な報酬を受け取ってレックスたちがまずやったことは、設備も広さもツーランクは上なこの高級宿に引っ越すことだった。もちろん、元の宿にフリクセル一人を置き去りにしたままで。
それ自体は別にいい。冒険者はパーティメンバー全員が同じ宿で暮らさなければいけないなんて決まりがあるわけでもないのだから、こいつらが自分の金でどこへ引っ越そうともこいつらの自由だ。だから今、フリクセルがこうしてレックスたちの前に殴り込んでいるのは別の理由。
「あんたら、パーティの貯金に手ぇ出したわね」
かねてより〈
かつての宿より二倍は広い分不相応な一室で、ディーノはいかにもうるさそうにソファーでふんぞり返ってみせた。
「我らがリーダー様がいいって言ったんだよ」
「少しまとまった金額が必要になったんだ。そういうときのための貯金だろ?」
レックスもまるで平然としている。真ん中にアルファナを座らせて、二人してその左右を恭しく取り囲んで……今や貴族のお嬢様を接待する召使いのような有様だった。
ワインが飲み散らかされたテーブルに、フリクセルは力の限り拳を振り下ろした。
「じゃあなにに使ったのか言ってみなさいよ。――言ってみなさいよ、今ここで!!」
どうせまたアルファナに貢ぐためだろう。パーティの貯金は当然ながらメンバー全員で積み立ててきたお金であって、フリクセルはもちろん、かつての仲間が稼いでくれた分だって含まれている。それをこいつらは、さも自分たちのお金であるかのように。
「なんだっていいだろうが。つーか、こないだの依頼をサボったやつなんかに口出す権利ねえだろ」
「依頼の報酬だったらあんたらの好きに使えばいい。でも貯金は違うでしょうが。あれは、あんたらの下らない見栄を満たすために貯めてきたお金じゃないでしょうがッ!!」
あれ以来フリクセルなりに根気強く会話をしてきたつもりだったのに、結局こいつらの心にはなにひとつ届いていなかったわけだ。本当に信じられない。こいつら、二人そろってアルファナに洗脳でもされているんじゃないのか。そうでも思わなければやってられなかった。
「レックス、あんたも、あんたまで――同じなの? あたしにここまで言われて、なにも感じないの?」
正直、自分としてはよく堪忍袋の緒が持った方なのだろう。これがもしそこらの知人友人程度の相手だったなら、とっくの昔にボコボコにして教会送りの刑に処していたはずだ。それでもフリクセルが、最後の最後まで一縷の可能性に縋ろうとしたのは――こんな二人でも子どもの頃から一緒に旅をしていた、唯一無二の『仲間』だったからなのだろう。
レックスは、今度は迷わなかった。
「フリクセル……正直、ここ最近の君には目が余る。本当に、僕たちがなにをやっても文句ばかりだ。パーティの和を乱しているのは、君の方じゃないか?」
ぜんぶ無駄だった。
「これ以上は……さすがに、それなりの対応を考えないといけなくなるよ」
「レックス、そんなこと言わないで。フリクセル先輩も、今は少し冷静じゃないだけだと思うから……」
「アルファナは優しいな」
「どっかの誰かさんにも見習ってほしいもんだ」
――このパーティはもう、自分の知っている〈
もうダメだ。レックスもディーノも、アルファナのせいで見る影もない腑抜けにされてしまった。もはやこの二人は、目の前で子どもが魔物に襲われていたとしても、アルファナを優先して平気で見殺しにする方を選ぶのかもしれなかった。
フリクセルの知っているレックスとディーノは、もうどこにもいないのだ。
「――フリクセル先輩、ひとつだけ助言してあげる」
いつの間にかアルファナは、フリクセルに対して敬語も使わなくなっていた。
「いい加減身の振り方を考えた方がいいわよ? あなたがあーだこーだ文句ばっかり言ってる間に、私とあなたでこぉんなに『差』ができちゃったんだもの」
出会った頃に見た品のよさなどどこにもない。自分の方がこいつよりも『上』なのだという、歪んだ愉悦にまみれた醜い笑み。
ああ、そうか。
つまりこの女の目的は、最初から。
「……もういいわ」
フリクセルが生まれてはじめて味わう完膚なきまでの『失望』は、心が沈黙に包まれていくような静かな感情だった。
「レックス、ディーノ……失望したわ。心の底から」
「あらひどい。レックス、ディーノ、大丈夫よ。私はあなたたちの味方だから」
吐き気がした。
これが第二の過ちだった。これが、三人をぶん殴ってでも止めなければいけなかった最後の分水嶺。
こういうときこそ、普段の自分の喧嘩っ早さが暴走してしまえばよかったのに。いっそなにも考えず殴りかかってしまえばよかったのに。
しかしフリクセルは失望のあまりかえって冷静になっていて、ただ淡々と、レックスたちの前から消える選択をしてしまったのだ。
/
「――フリっち、あんたは偉い! 偉いよっ! よくがんばったね、私だったら全員まとめて魔法でぶっ飛ばしてるもん!」
「そ、そう……」
そして三日後、フリクセルは王都のとある酒場で、かつてパーティメンバーだった魔法使いの友人に愚痴を聞いてもらっていた。あの一件以来もう聖都にいるのも嫌になって、貯金の残りをいくらか引き出すなり後先考えず連絡船に乗って、ほとんど着の身着のまま王都まで飛び出してきたのだった。
きたのだが――。
「ってか、いっそこれからボコボコにしにいく? ウチの旦那、〈
「い、いいわよそんなのしなくて」
そうだった、こいつあたしよりも喧嘩っ早いんだった。フリクセルは、早くも酔いが回ってきているらしい友人をどうどうと宥める。友人は酒が入ったグラスを半分から一気に飲み干して、
「急に王都まで来てどうしたのって思ったら、そんなことになってたんだねえ……なんだっけその女。アルパカ?」
「……アルファナ。なによアルパカって」
あははははは、と友人はズレた音程で笑い、
「そのアルファナってのがどんな女か知らないけど、そりゃあレックスとディーノが悪いよ。さいてー! 幻滅っ!」
「ほんとよもぉ~……」
フリクセルは体の中の空気をすべてため息に変え、歴戦の老騎士のようなテーブルにがっくりと突っ伏した。
「なんかさあ……これ、もうダメなのかなぁ」
「あんたが何回言ってもそのザマだもんなー……ま、私ならとっくに見切りつけてバイバイだねえ」
「……あいかわらずサバけてるのね」
非難するつもりはなかったけれど、少し意地の悪い言い方になってしまったかもしれない。しかし友人は気にした素振りもなく、ほんのり赤らんだ顔でお茶目にウインクして、
「そりゃあもう、旦那と一緒になるためにあんたのパーティ抜けたくらいですから」
「その思いきりのよさが羨ましいわ……」
「どうせだし、フリっちもいい男探しちゃえばいいじゃん。そんな二人なんてほっといてさ。結婚はいいぞぉ~」
「あんたねえ」
フリクセルは唇を尖らせる。こっちがその手の話にまったくの無縁だと知ってて言っているのだ、こいつは。
「いないわよそんなやつ……」
不貞腐れてみせると友人はますます調子づいて、
「あー、フリっち年下好きだもんねえ。しかも結構ガチめの。子どもじゃないとダメなんでしょ?」
「ばっ――」
――っかじゃないの!? と叫びそうになったのをすんででこらえる。それから死ぬほど後悔した、こいつ相手に好みの異性の話なんてするんじゃなかった。いや違うのだ、『子どもじゃないとダメな年下好き』ってもはや完全にヤバいやつだが、フリクセルはだいたい十五歳とか十七歳くらいの、子どもからだんだん大人へ変わっていく曖昧な境にいる男の子がなんかいいなあと思うだけであって、
「フリっち、一応言っとくけど――」
友人がフリクセルの目の前まで身を乗り出し、この日一番の笑顔で声をひそめた。
「十歳差までにしときなさい、それ以上はさすがにドン引きだからね。ひぎゃあ」
もちろんフリクセルは、必殺グリグリの刑で友人を処刑した。
そんなこんなでフリクセルは、落ちぶれてしまった仲間のことなど忘れて王都旅行を楽しむことにした。
王都〈アイゼンヴィスタ〉――さすが世界最高峰の魔法都市だけあって、街のあちこちに聖都では見たこともない魔導具があふれていた。お金を投入すると品物が吐き出される商品棚、板切れをかざすだけで勝手に開く宿屋のドア、毎日決まった時間に誰の手も借りず点いたり消えたりする街灯、人間に代わって様々な単純作業を遂行する
特に、去年実用化されたばかりだという『列車』なる乗り物は圧巻だった。百人以上の客を一度に乗せて、馬車や船など目じゃない速さであっという間に地上を走り抜けるのだ。今はまだ王都の主要なエリアでしか運行されていないらしいが、もしあれが将来、聖都と王都の陸路をつなぎでもしようものなら――まさしく世界が変わることになるだろう。
また、度肝を抜かれたのはなにも魔導具だけではなかった。
完全な偶然ではあったけれど、ちょうど任務から帰還したところだったらしい〈
(……うわー。なにあれ)
かなり遠目だったのに、それでもフリクセルは笑ってしまった。あんなの自分が百人束になったって傷ひとつつけられまい、と見た瞬間否応なく理解できてしまうほどの実力差。あれは間違いなく、人の領域を踏み外しすぎて変な世界に行ってしまった化け物の中の化け物だった。
気づけばあっという間にひと月が過ぎ去って、ようやくフリクセルはそろそろ聖都へ帰ろうと考えられるようになった。
聖都に帰って、もうあんなパーティとはさよならしよう。すべてが思い通りになってアルファナはさぞかし高笑いするだろうが、どのみちあの散財っぷりでは早晩パーティごと破滅するに決まっている。金の切れ目がなんとやら、これ以上とばっちりを食らう前にさっさと縁を切ってしまった方が身のためだ。
無一文になってから泣きついてきたって、知らないんだから。
一ヶ月ぶりの聖都、一ヶ月ぶりの自分の部屋。それから腹をくくってレックスたちを捜したが、例のお上品な宿屋に三人の姿はなく、従業員に訊いてみるとどこかへ行ったきり二~三日ほど帰ってきていないという。
さては、お金が尽きて遊んでいられる状況じゃなくなったのか。だったらざまあみろだと思いつつ、一応ギルドでも確認するだけしてみようと思い、
(――?)
しかし、ギルドへ一歩足を踏み入れてフリクセルは眉をひそめた。なんだかギルドの空気が妙に騒がしいというか、慌ただしいというか。
しかしあまり自信がない、前々からこのくらいわいわいと賑やかな場所だった気もする。結局フリクセルは久し振りだからそう感じるだけだろうと結論し、気にせず顔馴染みの受付嬢に声をかけた。
すると受付嬢は目を皿のようにして驚いて、
「あっ、フリクセルさん!? 今までどこに行ってたんですか!?」
「な、なになに? どうしたの?」
「と、とにかく話を聞かせてもらいますからね! 逃げないでくださいよ!?」
フリクセルはまったく意味がわからず、
「逃げるってなによ? ってかなんか騒がしい気がするけど、なにかあったの?」
「なにかって――」
受付嬢は「なにを言ってるんだこの人は」とばかりに呆れかけ、しかし急に真剣な顔つきで数秒考えると、
「――まさか、ほんとになにも知らないんですか?」
「あー……ここ一ヶ月くらい一人で王都に行ってて、今日帰ってきたばっかなんだけど」
「い、一ヶ月……!? ええ、じゃあフリクセルさんは無関係……?」
「ねえ……」
ハッと正気に返り、受付嬢はフリクセルへ耳打ちした。
「あなたたちが以前承認調査をしたダンジョンで、踏破承認事故が起こったんですよっ……あなたのリーダーさんたちも、気がついたらいつの間にか行方がわからなくなってて……!」
「――は?」
受付嬢の言う意味が、何秒考えてもまったく理解できなかった。
「なに、それ。どういうこと? いったいなにが――」
「……あの、他のメンバーは今どこに? 聖都中捜してもいなくて、逃亡疑惑がかかってるんですよ?」
「――……」
ああ、そうか。
あいつらはとうとう、そこまで
「とりあえず今、詳しい人を呼んできますからっ!」
受付嬢がいずこかへ走っていって、ほどなく謎のサボり魔職員として有名なフュジがやってくると、フリクセルは普段あまり立ち入ることのない二階の別室へ連れて行かれた。
そして、自分がいない間になにが起こったのかを聞かされて。
「――う、そ」
「……冗談じゃ言えないさ、こんなこと」
そのとき味わった感覚を、フリクセルは生涯決して忘れることはないだろう。『目の前が真っ暗になる』、それが比喩ではなく文字通りの感覚で襲いかかってきた。強烈なめまいで背中が折れ曲がって、天地の感覚が喪失して、自分が今どんな体勢かもわからぬままか細く呼吸に喘いだ。
――Aランクパーティ〈
心臓が、耳元でドクドクと鳴り続けている。
「ともかくそういうわけだから、おたくの身柄は一旦ギルドで預」
視界が辛うじて戻ってきた瞬間、フリクセルは椅子を跳ね飛ばしてフュジの胸倉に掴みかかった。
叫んだ。
「なんで、なんでよ!! あの子たちがッ、どうして!! どうして、そんなぁっ……!!」
お菓子を買い食いしながらのどかな休日を楽しんでいた四人。リゼル、ユリティア、アトリ、そしてウォルカの姿が、次々と脳裏に浮かんでは消えていく。
フュジはわずかに瞠目し、
「……ウォルカくんたちのこと、知ってるのかい」
「っ……」
友人でなければ知り合いですらない。ただフリクセルが、一方的に興味を持って知っているだけ――けれど、それでも。
順風満帆な冒険者人生を歩んでほしいと思っていた。フリクセルみたいに下らない仲違いなんてしないで、これからもずっと家族のように。みんなフリクセルの心の癒やしになるほどいい子たちなのだから、当然そうあるべきなのだと思っていた。
なのに、
「――あたしの、せいだ」
もう何年も、涙を流した記憶なんてなかったのに。
「あたしが……あいつらを、止めなかったからっ……!」
いや、止めなかっただけじゃない。レックスたちが承認調査の依頼を受けると言い出したあの日、フリクセルはいったいなにを考えた? なにを願った?
調査に失敗してしまえばいいと、不貞腐れながら考えたのではなかったか。
ボスモンスターが倒されていなければいいんだと、当てつけのように願ったのではなかったか。
――ほら見ろ、ぜんぶ願ったとおりになった。
フリクセルが願ったとおりレックスたちは承認調査に失敗し、ボスモンスターも倒されておらず、そのせいでなんの関係もない心優しい子たちが――
「あ、あぁあああああぁぁぁ……ッ!!」
フュジの胸倉を掴んだまま、フリクセルは為す術もなくその場に崩れ落ちた。
フリクセルは、かつて騎士であった祖父の孫として生まれた。それゆえ幼い頃から、謹厳実直だった祖父の騎士道精神と呼ぶべきものに触れながら育ってきた。
その中でも、とりわけ記憶に深く刻まれている理念がある。大人になったばかりのフリクセルに、祖父が何度も口を酸っぱくしながら教えてくれた言葉。
自分たち大人が、絶対にやってはいけないこと。
それは大人が責任を果たさなかったせいで、なんの罪もない子どもが犠牲になってしまうこと――
「……今はおっさんたちが、必死こいておたくの仲間の行方を捜してる。だからおたくも、もし心当たりがあるなら」
「あたしにも、手伝わせて……!」
涙に濡れた
震える膝に懸命の力を込め、立ち上がった。
「ごめんなさい。どんな言葉で謝ればいいのかわからないっ……だから、あたしを使って。犬みたいに」
泣いている場合じゃない。泣きたいのは、泣いているのは、突然平穏を奪われたあの子たちの方でしょ。
――だったら膝をついてる暇なんてないでしょ、フリクセル!!
「絶対見つけ出して――思いっきり、ぶん殴るから」
大人が決してやってはいけない過ちとは、果たすべき責任を放棄し、なんの罪もない子どもを犠牲にしてしまうこと。
そしてその過ちを犯してなお、目を逸らして逃避し続けることに他ならないと――。
そう、祖父から教わったのだから。