全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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41. 審判Ⅴ

 大聖堂の審廷を法壇後方から人知れず退廷すると、フロアを歩いてすぐのところに聖女専用の瀟洒な控え室がある。本来であれば、〈星眼(せいがん)の聖女〉ユーリリアスが審判の前後で休息を取る際の部屋なのだが……現在はディアが、情緒不安定に陥ったアンゼをよしよしと慰めるために使用していた。

 

「――わかった、わかったからもう泣くなって。ほんとに泣き虫だなぁおまえは」

「だ、だって……! だって……っ!!」

 

 普段の光り輝く祝福オーラがどこへやら、アンゼはディアの肩に顔を押しつけたきり一向に離れようとする気配もない。気を緩めた途端ソファに押し倒されてしまいそうだ。ディアは背中に力を入れてふんばりながら、

 

「ほら、じいやがお茶淹れてくれたぞー。お菓子もあるぞー。おいしいぞー?」

 

 テーブルではじいや特製の紅茶とお菓子がいつでも任せろとばかりにスタンバイしているのだが、さっきからさっぱり見向きもしてもらえない。平時であれば聖女の中で一番聖女らしいアンゼも、ウォルカが絡んだときだけはこうしてクソデカな感情を制御できなくなってしまうのだった。

 

 まあ、無理もない。あのアルファナとかいう女狐のお陰で、到底腹に据えかねるひどい審判だった。なんの言い訳も誤魔化しも許さないユーリの〈星眼(せいがん)〉を前に、ああやって自暴自棄に陥って開き直る輩は時たま出てくるのだ。

 

「ったくもぉー」

 

 仕方なく背中をさすって慰め続けていると、控え室のノブが動いてロッシュが戻ってきた。一点の曇りもない星銀の輝きに、赤と金の装飾で気高く完成させられた聖騎士の鎧。日頃からなにかとヒラ騎士の恰好で歩き回っている彼も、今回ばかりは自らの肩書にふさわしい高潔たるオーラをまとっている。

 

「おかえり。どうだった?」

 

 とはいえ、それもこの部屋に入ってくるまでの話だ。ディアとアンゼの前ではいつもの砕けた優男に戻って、

 

「あの女は、アルカ様が眠らせたようだね。なんでも、死ぬほどウォルカたちと同じ目に遭ってくればいいと」

「……もしかして、夢の中で〈摘命者(グリムリーパー)〉と戦わせてるとか?」

「おそらく」

 

 うひゃあ、とディアは思わず苦笑した。

 

「こわすぎ。ぜってー半分以上私怨だろ、あいつも相当根に持ってたし」

「大聖堂も、この件についてはかなりの労力と失費を割かされたからねえ」

 

 此度の審判で、〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉を一番許せないと思っているのは間違いなくアンゼだろう。しかしあのぐうたらお姫様ことアルカも、彼女なりの価値観に従ってではあるものの、実はかねてより結構怒り心頭だったのである。具体的には、「あんたらのせいで聖都がどれだけ面倒(こうむ)ったと思ってんのよ」という意味で。

 

 〈ゴウゼル〉の踏破承認事故によってもたらされた損害は、なにもウォルカが右目と左足を失ったことだけに限らない。

 

 そもそもダンジョンとは、勇敢な冒険者によってボスモンスターが討伐されたあとも、なるべく安全に稼ぎたい連中が財宝の取りこぼしを狙ったり、新米パーティが訓練の場として使ったり、珍しい景色が拝めるなら観光スポットになったりと、細々とした人の出入りが続いていく場合も多い。

 

 しかしそれらはすべて踏破承認という信用の上に成り立つものであり、今回の事故の発覚によって、多くの冒険者からギルドへ非難と追及の問い合わせが殺到することとなった。当然であろう。『自分たちが普段使っているあのダンジョンも、ひょっとすると踏破されてなくて、ある日突然ボスモンスターに遭遇して殺される可能性を否定できなくなった』のだから。

 

 そのケジメをつけるために、聖都周辺の主な踏破済みダンジョンに対して全面的な再調査を行わねばならなくなった。現在ではどうにかこうにか片がついたものの、もはやギルドだけで収拾をつけられる問題ではなく、一時は大聖堂が騎士隊を大きく動かす事態にまで発展した。

 

 すると当然ながら、人を動かせば動かした分だけ金がかかるわけで。

 さらに言えばこの騒動はやがて王都にも波及して、そっち方面でもいろいろと面倒があったわけで。

 

 要するに、アルカが〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉をよく思っていないのもそういう理由だ。何事もない平和な日常が(つつが)なく続き、自分はただゆりかごの中でのんびり寝ているだけでいい――それこそが、〈福禍(ふっか)の聖女〉にとってなによりも重要なことなのだから。

 

 こう表現するとものすごく自分本位な聖女様に聞こえるけれど、まあそれもあながち間違いではないのだけれど、見方を変えれば誰よりも聖都の安寧を願う平和主義者ともいえるだろう。

 

 〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉捕縛のために『気まぐれ』を起こしてくれたのも、きっとそのせいなんだろうなとディアは思っている。

 

「ほらアンゼ、あのクソ女はアルカがおしおきしてるってさ。今頃死ぬような思いしてるって」

「っ……」

 

 アンゼがディアからようやく離れた。真珠のように綺麗な涙をポロポロと落としながら、

 

「……わたくしは、ウォルカさまのお気持ちを尊重するつもりでした」

 

 自分に〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉を恨むつもりは一切なく、法に従って正しく裁いてくれれば充分だということ。待ち構えていたボスモンスターが〈摘命者(グリムリーパー)〉という怪物だった以上、誰かが必ず犠牲にならざるを得ない貧乏クジだった。だから自分の片目と片足だけで済んだのはむしろ幸いで、人の命には代えられないのだと。

 

 その言葉がいま改めて、ディアたちの心に計り知れない重さでのしかかってくる。なぜならば、

 

「でも、こんなのあんまりですっ……! どうして、ウォルカさまが目と足を失わなければいけなかったのですかっ……!? ()()()()()()()()()で、どうしてウォルカさまが……!!」

「……」

 

 ぶっちゃけた話――〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉の過失にも相応の事情があり、どうやっても避けられない不幸な事故だったと言われた方がマシだったのだ。少なくともアンゼにとっては、その方がまだ心に折り合いをつけられる余地があった。ウォルカの怪我は本当に悔しくて悲しいけれど、それでも責めるべき相手がどこにも存在しないのであれば、少しずつ気持ちを整理して前に進んでいくことができたはずだった。

 

 しかし現実は、そうじゃなかった。

 

 ――承認調査の途中で疲れて、飽きて、嫌になって帰った。

 どうせ調査の手抜きなんてよそのパーティもやってる。なのに自分だけ裁かれるなんて納得できない。

 ウォルカが生き延びたせいでこっちまでいい迷惑だ。〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉のやつらが、一人残らず死ねばよかったんだ――。

 

 大切な人が片目と片足を奪われる悲劇として、これ以上の理不尽が果たして存在するのだろうか。だからアンゼは背が折れ曲がるほどに涙しながら、

 

「どうしてウォルカさまばかりが、こんな、こんなっ……!!」

 

 アンゼの憤りと悔しさは審判を経て折り合いがつくどころか、かえって想像を絶する域まで深まってしまっていた。それこそ自分の感情を自分でもコントロールできず、危うく〈天剣〉の力が発現しかけてしまうほどに。

 

 彼女が普段からどれほどウォルカのことばかりか知っている分だけ、ディアにも気持ちは痛いほど理解できた。誰にも言えぬ暗い過去を歩み、神すら恨むほどこの世界に大きな失意を抱く青年。そんな彼が命懸けで仲間を守り抜いた英雄譚すら、『疲れて飽きた』という最低の筋書きで引き起こされた理不尽に他ならなかった。

 

 彼が心の支えとしていた剣の道も、そのせいで今や闇に包まれた茨の彼方だ。

 

「……ウォルカは、どこかで〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉を信じたかったのだろうね」

 

 ロッシュの言葉は一見すると冷静だったが、その(まなこ)は剣に指先をかけるような鋭さを帯びていて、

 

「踏破承認に過失があるとしても、なんらかの致し方ない事情によるものだと。恨んでいないというより、恨みたくないと自分に言い聞かせていたのかもしれない。……そんなウォルカの気持ちも、少なくともあの女には届かなかったようだが」

「……」

 

 ディアは長く陰鬱なため息をついて、ソファの背もたれにぐったりと沈み込んでいく。

 つぶやく。

 

「こんなの、ウォルカ様にどう説明しろってんだかな……」

 

 全身が重い。ウォルカが望んだとおり、規則に則って処罰を下すのはなんの問題もない。しかし、果たしてそれで彼は納得できるのだろうか。ふと悪い想像が頭を過る――この真実を知った結果、彼のこの世界に対する失望がより取り返しのつかないものに変わってしまうのではないかと。

 

 ただでさえ、「神を恨んでいる」と息をするように言い切ってしまうほどなのに。

 

「真実を話して、支えるしかないさ」

「はい……!」

 

 ロッシュが断言し、涙をぬぐったアンゼも神への誓いのごとく、

 

「絶対にお支えします……! ウォルカさまのお心を少しでも癒やせるように、必ず、必ず、わたくしの身も心もすべてでっ……!」

「……」

 

 一層クソデカな感情があふれ出ているアンゼを、ディアは「ほどほどにしとけよ」とたしなめられなかった。茶化せるような空気でなかったのはもちろん、思うところがあるのはディアも同じだったから。

 

(……どうしてこう、綺麗さっぱり一件落着にさせてくれないんだろうな)

 

 正直、最初は打算半分だった。無論個人的な興味があったのも否定はしないけれど、なによりウォルカと末永く良好な関係を築くことがアンゼのためであり、ひいては聖都のためでもあると聖女ぶって考えていた。ウォルカの社会復帰を教会がサポートすればいいというのも、その方が巡り巡って自分たちの将来的な利益になるという損得勘定に過ぎなかったのだ。

 

 そう――()()()打算半分()()()、である。

 

 あまり乙女らしくない性格だから誤解されているかもしれないが、ディアだって人を慈しむ感情くらいはその地位相応に持ち合わせている。友人が苦しんでいるのなら力になりたいと思うし、神を恨むような人生を歩んできたのなら救われてほしいとも思う。

 

 だからだろうか……アンゼのため聖都のためという損得勘定抜きで、ディア個人としてだんだんウォルカを放っておけない気持ちが芽生えつつある。

 

 ――今度ウォルカ様と会えたら、もっと距離縮めてみるかー。

 

 自分の距離感がすでにバグっているのをまったく自覚しないまま、ディアはそんなことを考えるのだった。

 

 

 

 /

 

 突如崩れ落ちたアルファナの体を騎士が支え、心なしかちょっとだけぞんざいな手つきで床に寝かせる。虚ろに開かれた彼女の瞳からは一切の光が消えていて、まるで魂を抜き取られたあとの抜け殻みたいだとフリクセルは思った。

 

 レックスが、わずかに後ろ髪を引かれるような表情でか細く問うた。

 

「彼女は……、」

「眠っただけよ。死ぬような悪夢を見てるだろうけど……」

 

 アルカシエルの長い長い髪から蒼白い燐光が散っていき、彼女は一切のやる気を失ってゆりかごの中に寝そべった。ぐうたらが服を着て漂う元の姿にすっかり戻って、

 

「はあ、疲れた……」

「お疲れ様でした、アルカ」

 

 ユーリリアスが斜め下から同僚を労う。ここまで来ればレックスにも、この空中浮遊する聖女様がどれほど規格外な存在なのか理解できたようだった。

 

 ユーリリアスの力も大概反則だったが、アルカシエルはそれに引けを取らず――いや、あるいはユーリリアスよりも遥かに、

 

「ようやく、わかりました。フュジさんが僕たちに使った、あのペンダントは……」

「そう、あたしが作って持たせたの……『さっさと聖都に帰ってきなさい』って、祈りを込めてね」

 

 言葉ひとつで人を操るのも、ありえない夢幻(ゆめまぼろし)を見せるのも思いのまま。アルファナの魅了がまさしく子ども騙しに過ぎないほどの、絶対的な精神掌握――それこそ、〈福禍(ふっか)の聖女〉が天から与えられた神の権能。

 

 つまり彼女がその気にさえなれば、今この瞬間フリクセルたちを教会の忠実な傀儡に変えることも可能なのだろう。レックスが薄く苦笑いし、

 

「その能力があれば、最初から僕たちに自白させられたのでは?」

「めんどくさい……。審判はユーリの領域だし……疲れるのよ、これ。少し使うだけで何時間も寝なきゃいけないから。ふあぁ……」

 

 アルカシエルは今にも落ちてきそうなまぶたをこすって、

 

「一番長くて、十年以上眠ったこともあるもの……」

「じゅっ……」

「だからあたしは、あたしに楽をさせてくれる人がほしいの……。あたし以外じゃ本当にどうしようもないときだけ、この力を使えばいいように……」

 

 うるさいやつ(アルファナ)が大人しくなって、審廷にやっとこさ厳粛な静けさが戻ってきている。フリクセルは証言台に両手で寄りかかり、あ~~~~~~と思いっきり蹲りたい気持ちをギリギリのところで堪え忍んだ。怒りも悲しみも悔しさもぜんぶぐちゃぐちゃになった感情が濁流となって氾濫して、なんだかひと思いに泣いてしまいたいくらいだった。

 

 最低だ。最低すぎて、ただひたすら〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉の子たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

 アルファナの魔族の血筋。仲間が魅了されて、パーティを乗っ取られて、フリクセルがヘソを曲げて別行動していたばかりに、責任重大な承認調査すら『疲れて飽きたから』と途中放棄していた――そんな下らない理由で事故が起こったなんて、そのせいでウォルカが大怪我をしてしまったなんて、最悪すぎてもうなんの言葉も出てこない。

 

 自分の目と足が代わりになるのなら、今すぐ抉り出すなり切り落とすなりして差し出したいくらいだった。

 

「さて……うるさい人が眠ってくれたので、あなたたちにはお伝えしておこうと思います」

 

 ユーリリアスの星屑の声が聞こえて顔を上げる。もう力を使う必要もなくなったからか、彼女の瞳は作り物みたいにきれいなまぶたで閉ざされていた。

 

「〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉のウォルカは、今回の事故にあたってこう言っていたそうです……踏破承認に過失のあるなしを問わず、あなたたちを非難するつもりは一切ないと」

「――え?」

 

 心臓を直接絞めあげられるような息苦しさがフリクセルを襲った。血の気が失せていく感覚の中で辛うじて息を吸って、

 

「……どういう、ことですか。なんであの子が、そんなことを」

 

 たしかにフュジが言っていた――ウォルカは生きるか死ぬかの大怪我をしたあとでもまったく落ち込んでおらず、むしろ一日でも早く社会復帰するためにがんばっていると。

 

 だがそれは、フリクセルたちを恨む恨まないとはまったく別の話だと思っていた。だって彼は巻き込まれただけの被害者なのだから、たとえ恨むとまでは言わずとも、なにかしら怒りや非難の気持ちを抱くのが当たり前のはずだった。

 

 なのに、

 

「ダンジョンの最奥で待ち構えていた魔物が〈摘命者(グリムリーパー)〉だった以上、どのような形であっても犠牲は避けられなかった。だから誰の命も奪われることなく、自分の片目片足だけで済んだのは……むしろ幸運だったのだと」

 

 ユーリリアスが告げるのは、自分より年下の青年から出てきた言葉とは到底思えないような、

 

「彼は両親を早くに亡くし、幼い頃から剣の修行に明け暮れて、剣でしか生きられないと自ら認めるほどだったと聞いています。片目と片足を失っては、今までの道もこれからの道も、すべてが崩れ去ってしまったようなものでしょう。……それでも彼は、この結果が幸いだったと言ったのです。まだたった十七歳の青年が、そう言ったんですよ」

「――……」

 

 そのときフリクセルの中で、ウォルカに対する罪の意識が限界を超えた。

 限界を超えて、一周回って怒りを覚えた。

 

「――なによ、それ」

 

 ああ、そうか――彼は、フリクセルたちすら庇うつもりなのか。

 仲間を守って、フリクセルたちを庇って、そうやってぜんぶ一人で背負い込むつもりなのか。

 

「彼がその言葉を、いったいどのような思いで口にしたのか……それは、私にも想像を絶するものです」

 

 仮にフリクセルが彼の立場だったとして、果たして同じ言葉を言えるだろうか。片目片足を奪われ、あと一歩で死んでしまうほどの苦痛を味わわされ、もう今まで通りの人生は歩めないと残酷な現実を突きつけられて、積み上げてきた研鑽がすべて崩れ去って、それでも誰も恨まないと、こんな目に遭ったのが自分だけでよかったと言い切ることができるだろうか。

 

 いったいどんな気持ちがあれば、そんな言葉を言えてしまうのか。

 その言葉を口にできるようになるまで、彼はいったいどれほどの気持ちを押し殺したのか。

 

(なに、カッコつけたこと言ってんのよ……っ!! バカじゃないの……!?)

 

 信じられない、ふざけないで、君は命懸けで仲間を守り抜いたんでしょ、もう充分すぎるくらいがんばったでしょ、だったらあとはぜんぶ大人のせいにすればいいの、あたしたちに当たり散らしても大丈夫なのよ――そういう怒りだった。

 

 ……どうやら、彼と会わなければいけない理由がもうひとつ増えてしまったようだ。

 

「最後に、なにか発言はありますか? なければ、以上をもって裁定に移ります」

「――待ってくれ」

 

 と、ずっと打ちひしがれてだんまりになっていたディーノが、ここでようやくまともに口を開いた。

 これまでの、女にうつつを抜かして腑抜けきっていた顔つきではない。まっすぐ力強く、ともすれば怒って睨みつけているように、

 

「オレにも、アルファナと同じ夢を見せてくれ。……できるんだろ、聖女サマ」

「んん……? ……まあ、できるけど」

 

 眠気をこらえながら、アルカシエルが胡乱げに眉をひそめる。どうしてわざわざそんなことを、という表情。フリクセルはまさかと思い、

 

「あんた、アルファナを助けに行こうってんじゃ――」

「違えよ!!」

 

 思いのほか、鋭く大きな声で遮られた。彼の握り込んだ拳が、フリクセルの目からでも明らかに震えているとわかった。

 

「違えよっ……同じ夢を見れば、オレにもわかるんだろ。オレらのせいでそのパーティがどんな目に遭ったのか、わかるんだろ」

 

 怒って睨みつけているような――否、事実彼は憤っていたのだろう。他でもない、アルファナの手のひらで何ヶ月も踊り続けていた自分自身に。

 

「――だったら知らなきゃなんねえだろうが!! それすら知らねえままじゃ、誰にどう顔向けすればいいのかもわかんねえだろ……!!」

 

 ……アルファナが好き勝手並べ立てた御託の中で、実はひとつだけ頭ごなしには否定できない言葉があった。それは、『冒険者がみんなアホだから』――アルファナはただの腹いせで言ったのだろうし、フリクセルの友人のように〈魔導律機構(マギステリカ)〉へ転職できるほど頭脳明晰な者だっているにはいるけれど、頭よりも腕っぷしなやつらが割合として大多数を占めるのは間違いない。

 

 そしてディーノという男についていえば、まさしくその『頭よりも腕っぷし』連中の筆頭だとフリクセルは思っている。言葉遣いはガサツだし性格は荒っぽいし、態度が悪ければ礼儀というものもまるでなっていない。他にも欠点を挙げ始めればキリがなく、フリクセルなら夜通しでケチョンケチョンにダメ出しできる自信がある。

 

 忌憚なく言って、ディーノはバカである。

 しかしそんな彼でも唯一褒められるのは、なんだかんだ悪事に手を染めることなく真っ当に生きてきたこと。

 

 アルファナの手のひらで散々踊らされた今となっては過去の話だが……ともかくディーノとは、本来そういう男なのだ。

 

「なるほど」

 

 ユーリリアスがまぶたを上げ、星の瞳で冷静にディーノを見据える。

 

「言っておきますが、今更反省しても処罰は軽くなりませんよ? そこは規則に従って例外なく執行しますから」

「そんなんじゃねえよ! ……あ、いや、そんなんじゃねえです」

「ふふ、別に敬語でなくとも気にしませんよ」

「――アルカシエル様、僕にも同じ夢を」

 

 そして、ディーノのあとにレックスが続く。

 

「ディーノの言うとおりです。あの〈摘命者(グリムリーパー)〉と相対する恐怖がどれほどのものか、僕たちには想像することもできない……だから、お願いします」

 

 レックスはリーダーという立場の割に流されやすく優柔不断な男だが、それは裏を返せば、なにかと相手を思いやれるお人好しということでもある。だからこそ見ず知らずのアルファナを好意的に受け入れて、結果情けないほどあっさりと魅了の術中に落ちてしまったわけで。

 

 云うなれば、ディーノとはまた違った意味のバカだ。あっちもバカならこっちもバカ。本当に、〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉の男どもはバカばっかりなのである。

 

 けれど、だからこそ、

 

「――ったく、しゃーないわね。じゃああたしも付き合ったげるわよ」

 

 ようやく……ようやく、フリクセルの知る〈炎龍爪牙(フランヴェルジュ)〉が戻ってきたような気がした。

 レックスとディーノが、面白いくらい目に見えて狼狽えた。

 

「え? ま、待ったフリクセル、君まで付き合うことはない! これは、僕たちが向き合わなきゃいけない問題で……!」

「夢っつっても、相手はあの〈摘命者(グリムリーパー)〉なんだぞ!?」

「わかってるわよ、そんなの」

 

 こいつらもたまにはもっともなことを言う――そう、自分たちだって〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉と同じ目に遭ってみるべきなのだ。どれほど恐ろしかったのか。どれほど痛くて苦しかったのか。それをこの身で理解してはじめて、フリクセルは彼らの下へ足を運ぶことが許される。

 

 だから、笑みを剥いて言ってやった。

 

「あたし、〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉の子たちが好きだったんだもの。だからあの子たちを苦しめた死神野郎に、一発喰らわしてやらなきゃ気が済まないの」

「「……」」

 

 その途端レックスとディーノが急に落ち着きを取り戻し、とても微妙な表情でチラチラとこちらを見返した。なによ、とフリクセルが不思議に思っていると、

 

「……なあ、フリクセル。てめえの年下好きはまあ知ってるけどよ、年の差十歳近けえのはさすがに……」

「僕たちが言えた義理じゃないけど……向こうに失礼なことだけはしないでくれよ?」

「ほんっとにあんたらが言えた義理じゃないわね……!!」

 

 どうやら死神よりも、まずは目の前の二人に一発喰らわしておく必要があるらしい。あとで覚えてなさいよとフリクセルは報復を誓った。夢の中なら思いっきりぶっ飛ばしてもノーカウントだろう、たぶん。

 

 アルカシエルがため息をついて、

 

「……好きにすれば。後悔したって知らないから」

 

 レックスが苦笑しながら、なぜか心なしか爽やかに答えた。

 

「後悔するために行くんですよ」

「なにカッコつけてんのあんた……」

「そういうこと言う場面じゃねえってオレでもわかるぞ……」

「ち、違っ、カッコつけてるわけないだろ!?」

「ちょっと、やるなら早くして……もう眠いんだから……」

 

 フリクセルたちは大人しくした。

 

「……じゃあ、やるわよ」

 

 アルカシエルの長い髪が、再び蒼白い燐光を帯びて煌めいていく。やがて自分の精神が体から切り離されていくような感覚を覚えながら、フリクセルはものの数秒で完全に意識を手放した。

 

 〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉の姿を思い浮かべ、ぜんぶ終わったら必ず会いに行くからと、そう思いながら。

 

 

 /

 

「……もうそろそろ、終わりにする?」

「っ……」

 

 周囲にこれといった人影もない豊穣街の長閑な原っぱで、ユリティアが息切れしながら全身で空を仰いでいる。少しのあいだ待ってみても起き上がる様子がなかったので、アトリは近寄って膝に両手をつき、ユリティアの顔を上からじっと覗き込んでみた。

 

「だいじょぶ?」

「ふぁ、ふぁい……」

 

 アトリが作る小さな影の下で、疲労困憊のユリティアが辛うじて笑顔で答えた。

 

 立ち上がれなくなるのも無理はないとアトリは思う。途中で何度か小休止を挟みながらとはいえ、豊穣街に到着してからかれこれ六時間以上も鍛錬に明け暮れているのだから。アトリやウォルカのような一部の例外でない限り、ユリティアほどの年齢ではまだ体力ができあがっていないだろう。

 

 ユリティアの額から、小さくてきれいな形の汗が流れていく。

 

「ア、アトリさんは、汗ひとつかいてなくて、すごいですぅ……」

 

 アトリはえへんとして、

 

「ボクは鍛えてるから」

「……はあ。わたし、ぜんぜんまだまだですね」

 

 こればかりは純粋に、今日まで鍛錬を積み重ねてきた時間の差だ。才能を見出される前のユリティアはまだ幼すぎたのもあり、鍛錬というよりはただ好きで剣を振っているだけの毎日だった。そして才能を見出されてからは、愚かな兄たちのせいで剣を振る生活から離れてしまった。

 

 他人に言えば、誰もが信じられないと仰天するだろう――ユリティアは、本格的に剣の修行を始めてからまだ三年程度しか経っていないのだ。

 

 そしてその三年のうちに、彼女は途轍もない速さでアトリの背中を追いかけてきている。

 本当に、すごいと思う。

 

「ユリティア、どんどん強くなってる。すごいすごい」

「わ、わわっ……」

 

 ユリティアの隣に座って、頭をよしよしと撫でてあげる。赤くなったユリティアは口をもにょもにょとさせてから、

 

「え、えっと、ちょっとだけ休憩してもいいですかっ?」

「ん」

 

 そのまま二人でそよ風に当たる。豊穣街の豊かな草原の匂いに、聖廷街(せいていがい)のほのかな海の香りが混じっている。ふと、この香りをウォルカとリゼルも嗅いでいるのだろうかと考えた。二人とも、今日はゆっくり楽しめているといいのだけれど。

 

 ユリティアの呼吸が、少しずつ落ち着いてきている。

 

「……アトリさん」

「ん?」

「今日って、大聖堂で審判をやってるじゃないですか。えっと……あのパーティの」

 

 アトリは小さく頷く。先日ウォルカが〈白亜の聖女〉と二人きりで話をしたとき、みんなで待っている間にアンゼから教えてもらったことだ。ダンジョン〈ゴウゼル〉の踏破承認を担ったパーティに過失が疑われるため、大聖堂で審判を執り行うと。

 そしてもし過失が認められたならば、自分たちが責任もってその罪を裁くと。

 

 ユリティアはやや言葉に迷いながら、

 

「アトリさんは、どう思いますか? もし、そのパーティのせいだったら……」

 

 アトリは頭がよくないので、踏破承認の過失と言われても正直あまりピンと来ない。でもたぶん、ユリティアが誤って作動させてしまった転移トラップを前もって発見できたんじゃないか、という類の話なのだろうと想像する。

 

 もう、数え切れないほど後悔したことだ。たとえ踏破承認にミスがあったとしても、あのダンジョンに行くと決めたのがリゼルだとしても、転移トラップを作動させてしまったのがユリティアだとしても。アトリがちゃんとみんなを守れていれば、それで済んだ話なのだから。

 

 答えた。

 

「ぜんぶそのパーティのせいにして、じゃああれは仕方なかったんだ、ボクは悪くないんだ――なんて、考えていいはずない」

 

 それは犯してしまった己の罪からも、すべてを(なげう)って戦ってくれたウォルカの覚悟からも目を逸らす行いだ。責任の所在がどこにあろうとも、アトリがウォルカに怪我をさせてしまった事実はなにも変わらない。人の罪を、自分が甘える免罪符に利用してはいけない。

 

 この世界で尊崇するただ一人の戦士のために、すべてを捧ぐということ。

 

「ボクの気持ちは、なにも変わらない。この体も魂も、いつか死ぬまで……ううん、死んだあともずっと、永遠にウォルカのもの」

「……」

 

 ユリティアはしばしの間アトリを一心に見上げ、それから口元に優しい笑みを作った。

 

「わたしも、アトリさんと同じ気持ちです。目を逸らしていいわけ、ないですよね」

 

 それに、と続け、

 

「もしそのパーティに過失があるのなら……一番辛いのは、きっと先輩のはずですから」

 

 その『過失』のせいで仲間の命が危険に晒された。あと一歩で全員殺されるところだった。自分が間一髪でなんとかできたからよかったものを――ウォルカという男はきっと、自分の怪我などそっちのけでそういう風に考えるのだろう。

 

 そうして表面上はいつもと変わらぬように振る舞いながら、せめて仲間だけはとこれからも己を押し殺し続けるのだ。

 

「そのパーティは、今日の審判で教会が裁いてくれます。先輩も、それ以上は望まないと思います。だから、」

 

 ユリティアは起き上がり、アトリを見つめて静かに微笑んだ。

 

「わたしたちはもっと強くなって、先輩をちゃんと支えられるようにがんばらないとですよね。少しでも、どんなことでも、いつまでも――」

 

 それだけが自分の存在理由だと、凄絶なまでの想いを桃色の瞳に宿しながら。

 

「――それすらできないなら、わたしに生きている意味なんてないですもの」

 

 アトリはなにもおかしいと思わない。むしろ、ユリティアもそれほど強い気持ちでウォルカを想ってくれているのが嬉しかった。

 微笑んだ。

 

「ん。――絶対に、ウォルカを独りになんてしない」

「はい。みんなでずっと、ずっと先輩を……」

 

 アトリはもう、己の中の神に誓ったのだ。ウォルカが幸せになってほしいと願ってくれている。だからアトリは彼の傍にいる。彼のための刃として存在し続ける。

 

 『この人のために死のう』――それこそが、〈アルスヴァレムの民〉にとってただひとつの誉れ(しあわせ)なのだから。

 

「……先輩とリゼルさん、今日は楽しんでるといいですねえ」

「明日は、ユリティアがウォルカと遊びに行ったら? そしたら明後日はボク」

「む、むむむっ……!」

 

 またそよ風が吹く。

 今度は草原と海と、どこか甘い花の香りがした。

 

 

 /

 

 ――そして審判もとっくに終わったであろう、夕暮れが近い昼下がりの聖廷街(せいていがい)で。

 

「おいおいおいウォルカぁ……噂は聞いてるぜえ? ククク、マジで右目と左足やっちまったんだなぁ。あーあー可哀想だねえ、将来有望なAランク冒険者様がまさかこんなことになっちまうなんてよ!」

 

 俺は、なぜか酔っ払いに絡まれていた。

 待った師匠、魔法はダメだ。ダメだってば!

 




Tips:『フリクセル』
 罪悪感の方向性が微妙に倒錯気味な女戦士。年下の子たちの成長を見守るのが好き(前向きな表現)。


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