全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
「……およ? なんだ、おたくも見に来てたのかい」
「ええ。……先日の審判では、ご協力ありがとうございました。フュジ殿」
訓練場で対峙するウォルカとラムゼイの姿を、出入り口にあたる通路の隅から人知れず注視している人影がある。今日も今日とてヒラ騎士の装いで出歩いているロッシュハルトと、あいもかわらずのらりくらりと精彩を欠くフュジである。
こちらからはウォルカの姿がはっきり見えるが、訓練場に集まったギャラリーからはこちらが見えない――二人はそんな絶妙な位置取りで、周囲に一切の気配を漏らすことなく陰に佇んでいる。
「もっと近くで見たらどうよ。認識阻害はちゃんとしてるんだろ?」
「抜かりなく。ですが、それでも騎士の姿はいささか目立つでしょう。僕はここからで充分ですよ」
「そうかい」
ロッシュが此度の騒ぎを耳にしたのは、昨日審判の場で聖女の身辺警護を終えたあと、いつも通り
曰く――若い義足姿の冒険者が酔っ払いとトラブルになり、明日の昼にギルドで勝負をするらしいと。
それで聖女のお勤めがあり外出できないアンゼから勅命、もとい涙ながら必死に懇願されて、ロッシュがこそこそと様子を見にやってきたというわけだ。
フュジもそのあたりの経緯は察しているのか、なぜロッシュがこの場にいるのかをわざわざ追及することはしない。二人そろって訓練場を見遣り、
「いやあ……それにしてもすごいねえ、ウォルカくんは」
「ええ、まったくです」
同時に笑みをこぼした。
ラムゼイなる男と対峙するウォルカから、常人離れした天衣無縫のオーラが逆巻いている。ロッシュだけではない、訓練場に集まった誰しもが全身の肌をゾクゾクと震わされ、唸り声のひとつもなく圧倒されるしかないほどの。
それはまさしく、無念無想。
その道に人生を捧げる者ならば、誰もが生涯かけて追い求めるという武の精神的極致。
口の端が吊り上がっていくのを抑えられない。えも言われぬ法悦の情がロッシュの心を隅々まで満たしていく。これが死の淵で『扉』をこじ開け、死神すら討ち滅ぼしてみせた男の辿り着いた領域――こうしてまざまざと目の前で立ち会えたことに、至福以外の言葉が見つけられなかった。
「フュジ殿、ここの映写魔法は……」
「もちろん動いてるよ」
決闘中、訓練場には周囲への流れ矢を防ぐための結界が張られるが、聖都のギルドにおけるそれは『映写魔法』の術式も組み込まれている。要はあとから不正だなんだと騒ぎになっても大丈夫なよう、決闘の様子を魔法的な映像として記録できるのだ。極めて高度な術式にあたるため、冒険者ギルドとしては、ここと王都の二ヶ所にしか存在しない技術である。
ロッシュは笑みを深め、
「では決闘が終わったら、映像を魔石に複写していただけますか」
「えー? 複写って結構手間がかかって大変なんだけどねえ……」
「アンジェスハイト様、およびレスターディア様からの御尊命です」
「うへえ……」
特にアンゼは、今ごろ聖女のお勤めがまるで手につかないほど心配しっぱなしでディアから叱咤されていることだろう。複写を持ち帰れば、きっと大喜びしながら暇を見つけるたび再生してくれるに違いない。
そして想いが抑えられなくなったアンゼは、きっと周りの人たちにも複写を見せて回るはずだ。ディアはもちろん〈
フュジは頭を掻きながら、
「……つまりおたくは、ウォルカくんの勝ちを疑ってないわけだ」
ロッシュは一秒も考えず即答した。
「無論です。どう勝つか、というだけの話でしょう」
「ッハハ、なかなか重い信頼だこと」
ちょうどそのとき、訓練場の舞台でラムゼイが力強く咆哮した。
「捻じ伏せてみろよ、なにも言えなくなるくらいに!! ――見惚れるしかないくらいにッ!! 見かけ倒しだったらぶっ飛ばすぞッ!!」
ざわめきひとつあがらない静寂の訓練場で、ウォルカとラムゼイが己の武器に〈
ただでさえ観衆を呑み込むようだった訓練場の空気が、いよいよ呼吸すら躊躇させるほどに鋭く張り詰めていく。ギルド公認のもと行われる決闘は〈
されど逆巻く気迫は、まさしく戦場で命を斬り結ぶがごとし。
「――あっ、」
観衆のどこかから、少女の小さな悲鳴らしき声が聞こえた。続けて、なにか棒状の物体が倒れる硬く乾いた音。おそらくウォルカの闘気に呑まれた魔法使いの誰かが、手を滑らせて床に杖を落としてしまったのだろう。
それが火蓋を切る合図となり、訓練場で疾風が巻き起こった。
ラムゼイが瞬間的に〈
縦に振るわれたラムゼイの剣が、
「おお」
フュジの短い感嘆の声。もちろん、本当にすり抜けたわけではない。すり抜けたと一瞬勘違いしてしまうほど淀みなく、ウォルカがラムゼイの剣を後方へ受け流したのだ。
ラムゼイの振り下ろしに対して剣を浅く傾けて立て、その刀身で滑らせるようにして受け流し、体に触れるギリギリの間合いで抜けさせる――おそらくラムゼイ本人の体感としては、なんの手応えもなく本当にすり抜けたと感じられたはずだ。
「……!?」
予想だにせず空を切った斬り下ろしの勢いに引っ張られて、ラムゼイの体が前のめりに泳いだ。しかし、そこからの判断は非常に素早く的確だった。振り返りざまで即座に一閃し、カウンターで迫っていたウォルカの剣を辛うじて弾き返す。
一旦距離を取って体勢を立て直す。不敵な笑みで舌打ちする。
「チッ……十七のガキにできる技かよ、それが」
観衆から小さなざわめきがあがる。相手の攻撃に対して最適な角度で剣を立て、向こうの勢いを利用しながら受け流す――言葉で表現するだけだと、比較的単純な術理に聞こえるけれど。
「ウォルカくんには、恐怖心ってのがないのかねぇ……」
「並の者は、真似しようとも思えないでしょうね」
なにせ、体を掠めるほどギリギリで相手の刃を通過させるのだ。力の緩急やタイミングを少しでも見誤ったら、あっという間に失敗して直撃を食らうことになってしまう。人並み外れて傑出した技量、そして一切の迷いも恐怖もない無想の心があってこそ成立する離れ業だった。
しかしロッシュの心に驚きはない。むしろ、あれくらいならやってのけて当然だろう――なにを隠そう、聖騎士の自分と剣一本で引き分けられる男なのだから。
「同じ手は二度食わねえぞ……!!」
再びラムゼイが踏み込む。言うだけあって今度のラムゼイは剣を受け流されてもまったく体勢が崩れず、次から次へとウォルカに鋭い連撃を見舞っていく。一見手当たり次第振り回しているだけにも思えるが、どうやら我流の剣術ではないらしいのがロッシュにはわかった。
連撃の組み合わせが、この国で広く学ばれている剣の流派に似ている。あれは、一度剣の道を真っ当に修めた経験のある者の太刀筋だ。
フュジに尋ねる。
「あのラムゼイという男のこと、どれほど調べておいでですか」
「ん? いやいや、おっさんにも知らないことはいーっぱいあるよ」
「ご謙遜を」
周囲に聞き耳を立てる者はいない。なのでロッシュはとぼけるフュジへ単刀直入に、
「――〈
「……買い被ってくれるねえ」
特殊捜査官――〈
聖都には現在六名の特殊捜査官がおり、ある者は冒険者ギルドのぐうたらな職員、ある者は街の物流を担う大商人、ある者は商港を管理する貿易事務官、ある者は知る人ぞ知る酒場のマスターなど、誰もが仮初の姿で聖都の日常に入り込んでいるという。〈
正直聖騎士であるロッシュも、その実態の詳しいところはよく知らない。
冒険者ギルド一のサボり魔とも揶揄される『フュジ』は、紛れもなくロッシュの目の前に存在しているのか、それとも民間に溶け込むため作り上げられたありもしない幻像に過ぎないのか――。
「まあギルドの人間だし、簡単なところは調べてあるけどね。なんでも――」
「オラオラどうした、守るので精一杯かぁ!?」
フュジがそう言いかけたところで、ラムゼイの挑発が威勢よく訓練場を駆け抜けた。ラムゼイの連撃がさらに苛烈さを増すが、そのことごとくをウォルカは一歩ずつ下がりながら寸分の乱れもなく捌いていく。まるで、最初から流れが決められている演舞のように。
ラムゼイの剣を、完全に読み切っている。
「チッ、ウザってえ……!!」
そのことにラムゼイが焦れ、今までより高い位置からやや力任せな縦一閃を仕掛けた。
だからどうしたという話だった。並の冒険者であれば、迫り来る一閃がかすかな大振りであることも、それゆえごくわずかに太刀筋が乱れていることも考える暇すらなかっただろう。しかし抜刀術由来の並外れた技量を持つウォルカの前では、その刹那の綻びはあまりに致命的な隙であった。
響き渡ったのは、剣が剣を打つ甲高い金属音。
「ッ――!?」
ラムゼイの剣が突然真上に跳ね上がる。甘い太刀筋に対してウォルカが神速の斬り上げを合わせ、相手の剣の刃元を正確無比に打ち上げたのだ。
振りかぶりの出だしを殺されたラムゼイの体が縦に大きく開き、そしてその瞬間にはもう、ウォルカは相手の懐で抜刀の構えに入っていた。
「……!!」
ロッシュの肌がぞくりと震える。いや君、その動きはちょっとおかしい――斬り上げを放った瞬間、すでに相手の懐で抜刀の構えに入っているとは。常人では目も思考も追いつかない神速の技で、ウォルカはいとも簡単に攻守を逆転させてしまった。
一閃。
無論、義足を壊さない程度の
訓練場全体に激しい金属音が鳴り響き、ラムゼイの体が弾き飛ばされた。
「ぐあッ……!?」
ラムゼイは、体勢を大きく崩しながらも辛うじて堪えた。それでも大の大人が踏ん張りも利かず、訓練場の半分近くの距離を滑ってようやく事なきを得た。
観衆のざわめきがますます大きくなる。ここまで来ればロッシュの位置からでも、いくつかの驚き困惑する声が聞き分けられるようになってきた。
「おい、あいつ本当に義足なのかよ」
「は、速すぎて目で追えねえぞ。噂には聞いてたけど……」
「てか今の斬り上げおかしいだろ、なんであんなタイミングで差し込めるんだよ。恐怖心バグってんじゃねえのか……?」
片や怪我ひとつなく壮健なベテラン冒険者、片や片目片足を失った大怪我人の決闘。おそらく、到底勝負にならないと考えていた人間も少なくはなかったはずだ。
(……ああ、やはりそれでこそだとも。君は)
そう、普通ならこんな決闘は成り立たないはずなのだ。ウォルカが今ラムゼイと立派に戦えているのは、ひとえに彼が積み上げてきた
ウォルカという男の、生き様とでもいうべきなのだろうか――それが、かつて『剣の寵児』とも謳われたロッシュの心を、どうしようもなく揺さぶって已まないのだ。
「ハッ、打ち合うだけならまあまあできるみてえだな……!」
「ああ――」
「なら、こういうのはどうだァ!?」
すでに実力差は痛感しつつあるはずだが、それでもラムゼイは微塵も怯む素振りを見せなかった。剣を構え直して再び前へ出る。最初は、先ほどまでと大して変わらない連撃の繰り返しに見えた。
――突如として剣の軌道を急降下させ、ウォルカの義足を攻撃するまでは。
「……!」
ウォルカが素早く義足を引いて躱す。しかし咄嗟の反応が仇となって、重心がごくわずかに宙を泳いだ。それを読んでいたラムゼイはすぐさま返す一閃で、
「シャアッ!!」
無論、不意を突かれたとはいえウォルカの体捌きには余裕があった。結果をいえば、義足狙いの卑劣な攻撃を見事に凌いだ形ではある。
だがウォルカがはじめて、ラムゼイの剣を『受けた』。受け流せなかった。ラムザイが口端を歪めて笑い、
「まさか卑怯とは言わねえだろ……こんなわかりやすく弱点丸出しにしてんだ、狙われるのが当然ってもんだぜ?」
「こ、こンの酔っ払いバカオヤジーッ!! 正々堂々って言葉知らないんすか!? ばかばかあほひきょーものーっ!!」
すぐさま観衆の中からシャノンの猛抗議が飛び、次いで若い冒険者たちを中心に手厳しい野次があがり始める。正面から敵の弱点を突くのはあくまで戦術のひとつといえるが、決闘の場にふさわしいかといえば疑問を抱く攻撃でもあった。少なくとも、ロッシュならそういう真似はしない。
フュジも目つきを細めて呆れており、
「あーあーあのバカ、そういうことやっちゃうんだから……」
「なかなかの命知らずですね。僕だったら、リゼル嬢たちの報復が恐ろしくてとてもとても」
怒り狂った三人娘が乱入してきてラムゼイをボロ雑巾に変えないあたり、彼女たちの堪忍袋は辛うじて理性を保っているようだが。
「おや、てっきり少しは怒るかと思ったけど」
「もちろん僕も、彼が冒険者の風上にも置けない人間だったのなら、黙ってはいませんとも」
剣は使い手の心を映す鏡だ。たとえどれほど腕前を磨いたとしても、邪な心で生きる人間の剣は醜く歪んで見えるものである。
その点ラムゼイの太刀筋についていえば、少なくとも意地汚い剣ではないというのがロッシュの印象だった。決闘前にウォルカへ問うていた言葉の意味を考えても、どうやらこの男、ただ悪意だけでウォルカに決闘を吹っかけたわけではなく――
「次はこいつだ……!」
続けて、ラムゼイが地を蹴り間合いを変え始める。今までは曲がりなりにも正面から勇ましく勝負していたのに、左側――すなわち、ウォルカが失った右目の死角を取ろうと動き回る。
もちろんウォルカは素早く反応したが、
「そォら!!」
「ッ!?」
振り向いた瞬間、ウォルカの顔になにかが降りかかった。――砂だ。ラムゼイが、上着のポケットに砂を仕込ませていた。
さしものウォルカも、まさか決闘で砂が飛んでくるとは予想できなかったはずだ。
ウォルカの左目が潰される。視界を奪われ暗闇に放り込まれる。
「片目がなくなったってことはなあ! こうやって死角に回り込まれて、砂でもかけられたらもう終わりだ! なにもできずにやられるしかねえんだよ……!」
ウォルカが体勢を崩し、義足が滑って
その隙を見逃すはずもなく、ラムゼイが容赦のない横薙ぎで剣を振るった。
誰かの悲鳴を聞いた気がした。それはシャノンだったのか、リゼルだったのか、あるいはユリティアかアトリか、名前も知らない観衆の誰かか。
――体勢を崩されながらもウォルカの体が抜刀の構えを取っていたことに、ラムゼイは最後まで気づかなかった。いや、たとえ気づいたとしても、彼は同じように剣を振り下ろそうとしていただろう。
ラムゼイの剣が、宙に飛んだ。
「――、」
その瞬間のラムゼイはおそらく、なぜ自分の手から突然剣が消えたのかまったく理解できていなかったはずだ。
そしてその一秒にも満たない刹那で、幾筋もの剣閃がラムゼイを斬り裂いていた。
「ガッ――」
大気の震える音が響いた。〈
ざわめきに包まれていたはずの訓練場が、いつしかまたしんと静まり返っていた。
「――ふふ。ふふふふふっ……」
「……おーい、ロッシュくーん? 笑い方が怖いよー?」
おっと、とロッシュは口元を押さえて、
「失敬。……あまりに美しい技を見てしまったものですから、つい」
ああ、本当にこの男は、どこまでロッシュの心を揺さぶれば気が済むのだろう。
ラムゼイの剣が突然宙に飛んだ理由。殺傷性が抑えられる〈
これはさすがに、ロッシュでも逆立ちしたって真似できやしない。
(まったく、本当に君は――)
ゆえにロッシュは、今一度心から確信した。それは『剣の寵児』と謳われるほどの才を与えられたことでも、歴代最年少で聖騎士に抜擢されたことでもない。
ロッシュの人生をもっとも強く彩る光は、間違いなく――。
「うげ、口に砂入った……」
そしてそんな重めの友情を向けられる張本人は、間の抜けたしかめ面で顔の砂を払っているのだった。
「てめえ、見えてなかったはずだろうが……!!」
「ああ。運がよかった」
打ち飛ばされたラムゼイが震える両腕に力を込め、制御不能に陥った体を少しでも早く起き上がらせようと足掻いている。砂を払い終えたウォルカはそんな男を見据え、誇るのでも得意がるのでもなくただ静かに、
「まだ、やるか」
「ッ――」
決闘の勝敗はどちらかが負けを認めるか、戦いを続行できなくなることで決まる。ロッシュが見る限り、贔屓目なしでもラムゼイの負けは明白に思えた。〈
「――ああ、まだだ」
しかしラムゼイは、なおも負けを認めなかった。自由が利かない体を腕の力だけで持ち上げ、這うように膝をついて、
「この程度じゃあ、俺はまだまだ理解できねえぞ……!!」
ふらつきながらも起き上がる。その相貌に、猛々しいまでの笑みを浮かべながら、
「言っただろうが、なにも言えなくなるくらいに捻じ伏せてみろって!! 俺はまだまだ無駄口叩けんぞ、偉そうに全力出し渋ってんじゃねえ!!」
取ってつけた程度の安い挑発は、まるでこのままウォルカに倒されることを望んでいるかのようで。
「……さっきの話の続きだけどね」
フュジが頭を掻きながら、諳んじるように口を開いた。
「今から十年以上前の話さ。聖都にとある冒険者パーティがいたのよ。若手の有望株で、結構なスピードでAランクまで駆け上がった……ちょうど、ウォルカくんたちみたいなパーティがね」
ロッシュはなにも言わず、前を見つめたままフュジの言葉に耳を傾ける。
「けど、ある日運悪く
「……」
「仲間の仇を討とうとは、してたみたいだけどね。結局最期は、怪我さえなければなんてことなかったはずの魔物に――」
そこで言葉を切り、吐息して、
「そんな、嫌になるような話だよ。……ラムゼイは、そいつの古馴染だったそうだ」
ラムゼイがやっていることは、決して正しくなどないのだろう。
ラムゼイも、そんなことはわかっているはずだ。
けれど人間は、正しい理屈だけで割り切って生きていけるほど器用な生き物ではなくて。怪我人は大人しく身を引けばいいという擦り切れた思いの裏に、かつて友人の行こうとした道を否定しかできなくなってしまった自分が、完膚なきまでに叩きのめされてしまえばいいと願う気持ちもどこかにはあって。
だからラムゼイは、最後までウォルカの前に立とうとしている。
ロッシュは苦笑した。聖都に戻ってきてからまだ四日ほどしか経っていないのに、どうしてそんな屈折した厄介感情持ちに執着されているのだろう、あの男は。もはやそういう星の下に生まれたのだとしか思えなかった。
「続けんぞ!!」
ラムゼイが吼える。打ち飛ばされた剣を拾わず、新しい武器を出すこともせず、解放した魔力で攻撃魔法の術式を組み上げていく。ラムゼイの背後に大きな魔法陣が浮かび、紫の光を帯びて輝き始める。
「次は魔法だ! 敵がいつも間合いで勝負してくれるとは限らねえぞ! ロクに動けもしねえその足で、近づいてこない相手とどう戦うってんだ!?」
「……」
対してウォルカは、少しの間無言だった。
それから、力を抜くようにふっと笑った。
笑って、言った。
「――あんた、ほんとにひねくれてんなあ」
/
「あんた、ほんとにひねくれてんなぁ」
「ケンカ売ってんのかてめえ……!!」
事実を指摘したら怒られた。そういうとこだぞおまえ。
いや、だってそうだろ。ここまで剣を交えてみて、やっぱりあんたもあんたなりに思うところがあるらしいのは伝わってきたさ。けどこれ、俺ってただのとばっちりだよな? やり方が回りくどすぎだろ、もうちょっとどうにかならんかったのか。
……なんてな。言うほど気分を害してるわけじゃない。むしろ、胸のつかえが取れてすっきりした感覚ですらあった。
俺ってこういう、『イヤミなやつかと思ったら実は』なパターンに結構弱いんだよな……。ハッピーエンド至上主義だから、ああ本当に悪いやつはいなかったんだってほっとしてしまうのだ。前の世でも今の世でも、悪人がいないのならそれに越したことなどないのだから。
言った。
「実際、あんたが言ったとおりなんだと思うよ」
「あぁ……?」
ラムゼイの術式の構築が止まる。俺は続ける、
「言ってたろ、俺が剣に縋るしかないやつだって。そのとおりだよ。俺には剣しかない。人付き合いは下手だし頭もよくないし、魔法だって魔力量が平均より多いだけだ。俺から剣を取ったらなにが残るんだって、自分でも思う」
結局のところ、俺は剣に縋っているんだろう。このクソッタレな世界で、今となっては俺でも誰かを守ることのできるただひとつの力だから。失ったら本当になにもできなくなってしまうから。剣が好きだからってのももちろん嘘じゃないけど、その裏ではたしかに、このまま折れてたまるかと足掻く感情も存在しているのだと思う。
ルエリィという女の子と出会って、俺はそのことを心の底から思い知った。
「剣がなくなったら、どうやって生きていけばいいのかわからないくらいだよ」
決闘を通して少しだけラムゼイの心が知れたからか、俺もちょっと本音をこぼしたい気分になっていた。
「たぶん、あんたならわかるんだろ……この世界に、困ったときに助けてくれる神様なんていない。自分で足を動かすしかないんだ。そうしなきゃなにも守れない」
「……」
他でもない、原作主人公がそうだったのだから。
「諦めない理由なんて、それだけで……あー、だからその、なんだ」
しかし、すぐにこっ恥ずかしくなってきたのでやめた。うん、やっぱり自分の本音を語るのはかなり苦手だ……。師匠たちに聞かれたらまた誤解を招きそうだし、これ以上はやめやめ。
構える。剣を左の腰に据えた右半身――抜刀の型で。
「――口だけじゃないのを見せてやる。来い」
「……ハッ」
息で笑い、ラムゼイが術式の構築を再開する。雷属性の攻撃魔法。ラムゼイの頭上で紫の雷光が集い、槍のような形を作り上げていくのがわかる。
意外と見事な腕前で俺は感心した。この世界における魔法は学問の一種であり、その腕前も大部分が頭の良し悪しに左右される。こいつ、実は勉強もデキるタイプだったのか……師匠ごめん、魔法の腕に関しては負けたかもしれん。
「だったら捻じ伏せてみろや!! そうすりゃ誰も文句はねえだろうよ!!」
「ああ――」
なんにせよ、胸のつかえが取れてすっきりしたからだろうか。もはや自分で考えるまでもなく、穏やかな呼吸にも等しい感覚の中で剣と意識が合わさっていく。
剣の視界――そうだな、とりあえず〈剣界〉とでもカッコよさげに呼ぶとしよう。
斬れる『白』、斬れない『黒』の二つしか存在しない世界。実戦で〈剣界〉に入るのははじめてだ。ラムゼイは『白』、だが魔法発動の前にここからぶった斬るようなつまらない真似はしない。真っ向から打ち砕く。それが不可能ではないと、混じり合う精神の中で愛刀が俺に明示してくれている。
「〈
ラムゼイの魔法が発動する。俺の身の丈以上ある雷の槍と、そこから派生する無数の小さな雷撃。普通に考えて、隻眼隻脚の怪我人が魔法もなしに迎撃できるレベルではない。そもそも魔法とは魔法で対処するのが基本であり、剣一本でどうこうしようとしている俺が根本的に間違っている。
「ウォルカぁぁぁ……っ!!」
師匠が俺の名を叫んでいる。
きっと、また泣きそうな顔をさせてしまっているのだろう。ユリティアとアトリも――けれどだからこそ、俺は。
神様なんていやしないこの世界で、片目も片足もなくなったこの体で、折れずに足掻き続ける理由を与えてもらっているのだ。
白。
/
――その瞬間なにが起こったのかをありのまま言葉にすると、『銀の雷が紫の雷を斬り裂いた』といういささか吟遊詩人めいた話をすることになる。
訓練場に集まっていたすべての者が、間違いなくそれを見た。
誰もが、一切の雑音も動きもない白い須臾の世界を感じた。ラムゼイの〈
静謐が砕け散る。
人々の視界に色が戻ったそのときには、銀の雷が紫の雷を幾重にも亘って絶ち斬っていた。
そして銀雷は空間を飛び越えてラムゼイまで届き、背後に展開されていた魔法陣を一刀両断した。
魔法陣、すなわち
術式とは本来魔力によって干渉するものであり、物理的に斬ろうとしてどうこうできるものではない。
ではない、はずなのだが。
/
「――ク、クハハハッ……あー、なんだよそりゃあ」
地面に大の字でぶっ倒れたラムゼイが、心底おかしなものを見たように大口を開けて笑っている。散り散りに砕けた雷が淡い魔力の残滓となって、星屑めいた煌めきを残しながら虚空に溶けて消えていく。ほとんど白一色に染まっていた〈剣界〉から俺が抜けると、訓練場がさっきより少しだけ明るく色鮮やかに映った。
ふっ、決まった……。なんてな。
自分で自分の技に驚くことはなかった。斬れるという絶対的な確信があった。だからそのとおりに斬った。
うん、そうだ……完璧に思い出した、これが〈
ラムゼイが、まだ腹をひくつかせて笑っている。
「凌ぐどころか、魔法ごとぶった斬りやがった……なんでてめえ、片目と片足なくして余計強くなってんだよ……」
「まあ、いろいろあってな」
それで、俺は構えを解いてラムゼイに尋ねた。
「まだ、やるか」
「……いぃや」
ラムゼイがのそりと起き上がる。片膝を立てた粗野な恰好で座り込み、両手を上げて降参の意を示すと、
「俺の負けだ! ――ぐうの音も出ねえ完敗だよ!」
観衆を見回し、訓練場の隅々まで届く大声で、
「てめえらも全員見ただろ!! 今の技見たあとで、こいつにつまんねえイチャモンつけられるやつはまさかいねえよなあ!! 文句があるなら同じことできるようになってから言えって話だッ!!」
なんか掌返しで俺のこと認めてくれるじゃん……。だからやめろよ、俺はそういうのに弱いんだって!
「ウォルカあああああぁぁぁ」
「ウ゛ォルぐうううぅぅん」
「うお」
そのとき観戦席を駆け下りて、マンガみたいなボロ泣きになった師匠とシャノンがすっ飛んできた。師匠はそのまま一直線で俺の腹に飛び込み、シャノンはこちらの右手を取ってぶんぶんと、
「ふぐ、ぶえ、心配したんじゃからな!! 心配したんじゃからなばかばかばかあっ!!」
「そうっずよ! なんだかぜんぜんわがんなかったけど、ウォルくんが勝っでよがっだっずうううぅぅ」
「うおおお」
ちょ、危ない危ない倒れるって! こっちは義足なんだから……ん? なんか今、義足がミシミシいったような……。
ついでに、義足の付け根あたりも少し痛い気がする。負荷を掛けすぎないように気をつけて戦ったつもりだったが、やっぱりそう上手くは行かないようだ。
まあ、またへし折れなかっただけ上々だろう。
「お疲れ様でした、先輩。……かっこよかったですよ。すごく」
「ん。やっぱり、ウォルカはすごい……」
ユリティアとアトリも俺を労ってくれる。ただ気のせいだろうか、二人とも……なんだか瞳に宿った感情が少し重めなような。ユリティアが、ほんのり火照った感じにも見える頬を両手で押さえて、
「はあ……わたし、今夜ちゃんと眠れるかなあ……」
「……とてもむずかしい」
ど、どういう意味だ……?
そして、俺を労ってくれる声は観戦席の方からも聞こえてきた。
「ウォルカーっ、痺れたぞー! やっぱすげえやつだよおまえはーっ!」
「すっごくスカッとしましたー! お疲れ様でーす!」
「今度剣を教えてくださーい!」
見れば知り合いのパーティが、指笛を吹いたり拍手を飛ばしたりしてくれていた。そこからだんだん人へ人へと輪が広がって、やがては訓練場全体が――俺を悪く言っていたらしい中年冒険者も、唇を尖らせながらではあったものの――温かな音で満たされていく。
これは……終わりよければなんとやら、ってことでいいんだろうか?
「ククク、よかったじゃねえか。……変に噂になるのが嫌なんだろうけどな、こんだけ強えんならこそこそすんな。堂々としてりゃあいいんだよ」
「……」
ラムゼイに負けて悔しがる様子は微塵もなく、それどころか憑き物が落ちきったあとの晴れ晴れとした印象すら受けた。
ふと俺は疑問に思う。……果たしてこの決闘は、どこまでがラムゼイの描いた絵図だったのだろうか。
「なあ、あんたまさかわざと――」
「んなわけねえだろバカが」
ラムゼイは途端にハリネズミみたいになって、
「勘違いすんじゃねえ、昨日俺がなに言ったかもう忘れたのか? こっちは全力で叩き潰すつもりだったんだよ」
「……まあ、そういうことでいいか」
どうやら、あくまでイヤミな先輩冒険者を貫くつもりらしかった。はいはい追及するなってことね、わかりましたよ。
とそこで、すんと
「おい、貴様」
「……なんだよ」
「謝って」
ラムゼイの片眉がぴくりと――いや、ギクリと動いた。
「ウォルカにたくさんいじわる言った。さっきも義足狙ったり、砂かけたり……謝って」
すかさずユリティアも笑顔で続く。心の中ではまったく笑っていないとひと目でわかる、十三歳の女の子らしからぬ圧力を感じる笑顔だった。
「そうです、謝ってください。……先輩を認めるんですよね? だったらできますよね? 大人ですもんね?」
「……、」
ラムゼイは視線を泳がせて逃げようとしたが、トドメにアトリが右手を鉤爪の形にして、
「できないなら、ボクが謝り方を教えてあげる。……力ずくで」
「…………」
女の子三人からガン詰めされて退路を失うラムゼイの姿は、申し訳ないが結構面白かった。
この期に及んでいけしゃあしゃあとしていられる男がいるはずもなく、ラムゼイはとても酸っぱそうな顔でひとしきり天井を仰ぎ、それからおもむろに胡坐で座り直すと、
「悪かった、このとおりだ。……誓って、二度とてめえらの邪魔はしねえよ」
「お、おう」
しっかり頭を下げて、割と真っ当に謝ってくれるのだった。な、なんかかえって調子狂うな……。
でもまあ、これで一件落着というやつだろう。師匠も「うむ」と納得した様子で頷いて、
「――じゃあ、わしらはビンタ一発で勘弁してやるのじゃ」
あ、そこは「ごめんなさい」とは別カウントなんだ……。
ラムゼイは、もはや抵抗の無意味を悟りきっていた。
「……好きにしてくれ」
「その態度やよし」
みんなでぞろぞろと一列に並び始める。まずは師匠がやる気満々で腕まくりをして、
「よーし、神妙に覚悟せいっ。……ふん!!」
ばちーん、
「じゃあ、あたしもギルドを代表して。いくっすよー、……うりゃあっ」
ばちーん、
「え、えっと……ほ、本気でいきますからねっ。覚悟してください! ――たあっ!!」
ずばちーん、
「最後はボク。――歯、食いしばって」
どばちーん。
「……ふう、すっきりしたのじゃ!」
「はわわ、お、男の人を思いっきり叩いちゃいましたっ……」
「みんな、すごくいい一撃だった」
「まったく、もう悪いことしちゃダメっすからね!」
四人の少女から怒涛の四連続ビンタを食らったラムゼイは、回転しながら空を飛んでいった。
飛んでいって、
「ラムゼェェェェェイ!!」
「見ろよ、やりきった顔で灰になってやがる……バカな真似しやがってっ……!」
「ラムゼイ、おまえのことは忘れねえからなぁ……!」
「……」
ラムゼイの知り合いと思しき中年冒険者たちが、アツい男涙で尊い犠牲を悔やむのであった。……どうやら、綺麗にオチもついたようで。
師匠がてこてことやってきて、
「ウォルカ、帰るぞっ。今日はもう無理しないで、宿でゆっくり休むんじゃからな!」
「ああ、そうするよ」
俺は頷いた。やっぱり義足の付け根がちょっと痛いし、これ以上心配かけないようにあとは大人しく過ごすとしよう。師匠の手を取り、左足で前に一歩を踏み出して――
――その瞬間、バキリととても嫌な音が聞こえて視界が横転した。
「っ、ウォルカっ!」
幸い、アトリがすぐ反応して抱き留めてくれた。しかし俺は咄嗟に礼を言うこともできず、ただ「あっ……」と青ざめる感覚とともにすべてを悟ってしまった。
やっちまった。
「ウォルカ!?」
「先輩っ!?」
「ウォルくん!? いきなりどうし――」
師匠もユリティアもシャノンも、全員がすぐ『それ』に気づいて身動きを止めた。気づかないわけがなかった。誰がどう見たって、なにひとつ言い逃れできない一目瞭然の事実が転がっていた。
義足が、折れていた。
「……あー、待ってくれみんな。これはだな、その」
言い訳をしたい。ちゃ、ちゃんと負荷が掛かりすぎないように気をつけて戦ったんだぞ? どれくらいの動きなら大丈夫かってのは、毎日の鍛錬でいろいろ試しながらやってたから。決してわざとじゃないんだ。ただその、さすがに最後でテンションが上がりすぎたというか……。
……。
ほ、ほら、今の今まですごくいい話で終わりそうだったじゃないか。師匠も言っただろ、あとは宿に帰ってゆっくり休もうって。俺もそう思う。だからみんな一旦落ち着こう。まずは目に光を戻してだな、……ごめん、ごめんって! ちょ待っ――
/
「――ねえ、ウォルカ」
そして約二時間後、大聖堂の白く清潔な病室のベッドにて。
「お話があります」
「な、なんだ?」
俺の正面やや右側に、師匠がぺたんと女の子座りで乗っかっている。笑っているようで笑っていないような、一見にこやかなのになぜか背筋が寒くなる不思議な笑顔を浮かべている。
そこからさらに視線を右へ動かすと、
「ウォルカさまの代わりの義足ですが、やはり数日はお時間がかかるようで……誠に申し訳ございません」
「そ、そうか。こっちこそ悪いな、面倒かけて……」
ベッドの縁にはアンゼが寄り添っている。大きく身を乗り出して俺の右手を取り、はちきれんばかりの祝福オーラを振りまきながら、
「ですがご安心ください! ここは大聖堂……義足が届くまでにいかなる不自由もないよう、わたくしたちで誠心誠意ウォルカさまをお世話いたしますっ!」
「……、」
正面やや左では、師匠と同じくベッドに乗っかったユリティアがとてもにこにこしている。
不安になるほどに。
「先輩はなにもしなくて大丈夫ですからねー。おはようからおやすみまで、ぜーんぶわたしたちに任せてくださいっ」
「……は、はは」
「わたしたち、本気ですよ?」
俺の唇がちょっと引きつる。気のせいだろうか、なんだかシチュエーションが〈ルーテル〉の街で療養していた頃の時間軸に戻っているような。いや、むしろそのときよりもみんなの圧力が――
「ウォルカ」
最後にベッドの左から顔を近づけて、四人揃い踏みで俺を完全包囲している現在の状況について、アトリがこう総括したのだった。
「おばばが言ってた。――男は責任を取るのが仕事だって」
なんの話!?