全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
「先輩、待ってください! 先輩っ……!」
夢を見ていた。
どっちが前でどっちが後ろかもわからない暗闇の中、ユリティアの傍からウォルカがどんどん遠くに行ってしまう。やがて彼の姿は手の届かない彼方に消え、ユリティアだけがひとり闇の中に取り残される。ウォルカがどこかへいなくなってしまう――そんな悪夢。
「いや、いやですっ、置いていかないで……!」
ユリティアがどれだけ必死に手を伸ばしても、伸ばした分だけウォルカは遠くへ行ってしまう。
ユリティアがどれだけ必死に走っても、走った分だけウォルカは先へ行ってしまう。
「わたし、がんばりますから……! ちゃんといい子にしますからっ……!」
それはユリティアが、ウォルカとの間に感じている隔絶の顕現だった。
ユリティアの心の底で
叫んだ。
「せんぱいっ――!!」
目が覚めた。
早朝の明かりが広がって闇を払い、その先に見えたのは自室の見慣れた天井だった。
「っ――」
喘ぐように息を吸った。額の上に手の甲を乗せると、部屋が暑いわけでもないのに粘ついた汗をかいているとわかった。続けて吐いた息は安堵から出たものではなくて、今にも凍ってしまいそうなほど冷たく震えていた。
起き上がる。体が重くてまるで眠れた気がしない。でもあまりに最悪な目覚めのせいで、もう一度まぶたを閉じようという気にもなれなかった。
――ウォルカ。ユリティアがこの世でもっとも敬愛する剣士。自分がこれまで歩いてきた道のすべてであり、これから歩いていく道のすべてでもある人。
過日の決闘で見た銀の雷光が、今でも色褪せず頭の裏に焼きついている。
空間を無視するのみならず、魔法の術式という物理的に干渉できないはずのものすら斬り払ってみせた絶技。彼自身が、『思い描いた未来を現実に変える』と表現した剣の極致。ああやって戦いの中に浸るたび、死神を討ち滅ぼしたときの感覚を思い出し、深く馴染んでいくかのような。
それは本来であれば、ユリティアをますます抜刀術の虜にするはずだった。
事実ユリティアは、彼の剣に心の底から惚れ込んでいる。抜刀術こそが世界で一番美しくて洗練された剣術なのだと思っている。ウォルカが決闘に勝利した日の夜は、いつまで経っても銀雷の煌めきがまぶしくて、心臓がどきどきして体が昂って、眠れるようになるまですごく大変な思いをしたくらいだった。
しかしその興奮が一度治まると、生まれたのは針で刺されるような小さく冷たい痛みだった。
ウォルカは手負いの剣士だ。片目と片足を失ったせいで体の自由が利かず、それでもなお本気で戦おうとすれば、ほぼ確実に義足が壊れて動けなくなってしまう。
だがまともに戦えるごくわずかな時間に限れば、彼の剣技はもはや無念無想の領域にあるといっていい。
そう――もうユリティアでは、どんなに手を伸ばしたって届かないくらいの。
もちろんウォルカの抜刀術が潰えてしまわなかったことは嬉しいし、今なお進化し続ける師の姿は弟子として最高に誇らしい。けれど同時に、心のどこかでどうしても考えてしまうのだ――いやだ、置いていかれたくない、独りにしないでほしいと。
それはまるで、ウォルカにこれ以上強くなってほしくないと考えているみたいで。
ウォルカは、ユリティアのせいで取り返しのつかない大怪我をしたのに。ウォルカがいま苦しんでいるのはユリティアのせいなのに。剣に殉ずる彼の澄んだ生きざまを否定するような、浅ましい考えを、抱いてしまうなんて。
――ユリティアは技でウォルカに、力でアトリに、魔法でリゼルに遥か遠く及ばない。唯一無二と呼べる武器がユリティアにはなにもない。〈
「う、ううっ……!」
かつて父親から、将来は聖騎士も夢ではないと褒めそやされた天才。先を行く者の背に容易く追いつき、抜き去っていく側だった少女は今、
「ごめんなさい、ごめんなさい先輩、一番苦しいのは先輩なのに、先輩はがんばってるだけなのに、諦めたくないだけなのに、こんな、置いていかれたくないって、独りにされたくないって、わたしはこんな、自分のことばっかりで……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……」
十三年の人生ではじめて、追いつけない焦燥と、置いていかれる恐怖の中に囚われていた。
/
二日目である。
〈白亜の聖女〉様にベッドを乗っ取られたり、アルファナなるとんでもない悪女の暗躍が明らかになったり、激重すぎる師匠たちに押し倒されかけたりと初日からいろいろあったものの、守るべきラインだけは無事守り切っての二日目である。
すなわち師匠からバトンタッチして、ユリティアが俺をサポートしてくれる日だった。
だったのだが――。
「ユリティア」
「……」
「……ユリティア? おーい」
ユリティアの様子がどうもおかしい。
心ここにあらずで上の空、というべきか。朝早くからやってきて「先輩はなにもしなくて大丈夫ですからねっ」と重めの選手宣誓をしたところまではいつも通りだったのだが、朝食を片付けているとき、病室の掃除しているときと、気づけばぼんやりと棒立ちになってしまっているのが窺える。
今だって俺の呼びかけに返事どころか、身動きひとつの反応すらなく、
「あっ――ご、ごめんなさい先輩! えっと、どうかしましたか?」
と、数秒経過してからようやくはっと再起動する有様だった。
どうにもおかしい。
そう思って注視してみると、ユリティアは少し疲れているのかもしれなかった。昨日までは特に変わりなかったはずの可憐な笑顔が、今日は元気がなくて落ち込んでいるようにも見える。ベッドの傍までやってくるだけでも体が重そうで、こうしている間もみるみるとエネルギーを奪われていっているみたいだ。
顔色自体は悪くないから、風邪ではないと思うが。
率直に問うてみる。
「少し、疲れてないか?」
「え……」
「昨日、アトリと鍛錬しすぎたとか……もし本調子じゃないなら、」
ユリティアが焦りながら大声で否定した。
「ぜ、ぜんぜん疲れてなんかないですよ! その、あの……す、少し考え事をしてただけで! 元気です、なんともないですっ!」
とても怪しい。今日は自分が担当の日だと約束していた手前、休みたいとも言い出せず無理をしているんじゃなかろうか。俺のサポートなんて二の次で問題ないんだから、まずは自分の体調を優先すべきなのに――
「ほ、本当に大丈夫なんです、お願いします! わたし、ちゃんと先輩のお役に立ちますから! がんばりますからっ……!」
捨てられる寸前のように必死な顔をされてしまっては、この場でダメと言えるはずもなく。
まあたまたまぼーっとしてただけかもしれないし、それで無理に休ませるのも大袈裟か。とりあえず様子見だな。
「体調がおかしいときは、ちゃんと言うんだぞ?」
「は、はい……」
ユリティアの返事はやはりぎこちない。俯き、唇を引き結びながら胸を押さえたその様子は――まるで、漠然とした不安に後ろから追われているかのようでもあって。
いったい、なにがあったのだろうか。
/
さて、この日は早速物珍しいお客さんがやってきた。
時刻は陽が充分に昇りきり、聖都という都市の一日が本格的に始まった頃。アトリが師匠と一緒にお出かけの支度をしているさなか、ふと病室のドアが颯爽と二度ノックされた。知り合いかシスターだろうと思って半分無意識に返事をすると、
「失礼するよ、青年」
「……?」
入ってきたのは、俺のまったく知らない人だった。
視界に入った瞬間の直感的な印象を言うなら、炎みたいな人だ、と俺は思った。所々赤が交じった力強い金の長髪、男顔負けに精悍で整った顔かたち、そして燃え盛るような自信に裏付けされた足運び。これ以上ないほど『威風堂々』という言葉が似合っていて、まるで気高い
明らかに一角の騎士であろう。身にまとっている〈
「はじめまして。突然不躾に訪ねる非礼を許してほしい」
声音も凛とした生命力がみなぎっており、はっきりと滑舌がよくて非常に聞きやすい。常套句的な謝罪ひとつ取ってもとにかく堂々としていて、しかもそんな態度にまったく嫌味がないどころか、竹を割ったような清々しささえ吹き抜けるかのようだ。これにはヨソモノ嫌いな師匠も警戒するにしきれず、
「何者じゃ? 見たところ騎士のようじゃが……」
「なに。君たちの友人、ロッシュの上官のようなものさ。名乗るほどの者ではないが、ふむそうだな……この場は『ベル』とでも呼んでくれ」
なるほど、ロッシュの上官……のようなもの、という言い回しは少し引っかかるが、まあ騎士隊の隊長さんあたりだろう。それならばヒラより明らかに格上装備なのも頷ける。
一応こちらも名乗ろうとしたが、
「ああ、君たちのことはすでに聞き及んでいる。私は辺境生まれの育ちが悪い成り上がり者だ、構わず楽にしてくれ。用向きも至って個人的なものに過ぎないからな」
まさに豪放磊落という言葉そのものであり、俺たちの手を頼もしく引っ張ってくれるような……これが上に立つ者の風格ってやつか。カッコいい。俺もこういう大人になりたいもんである。
ユリティアが、テーブルのところからおずおずと椅子を持ってきた。
「あ、あのー……もしよければ、どうぞ」
「む。ありがとう、可憐なお嬢さん」
「かか、可憐だなんて……」
女騎士がイケメンすぎてユリティアもたじろいでいる。この人、間違いなく異性よりも同性からモテるタイプだろう。ロッシュの上官だけあってめちゃくちゃ強いってひと目でわかるし――アトリも実力を察知してちょっと目が据わっている――、騎士隊にもこんな立派な女性がいたんだな。
しかして、椅子に座った『ベル』なる女傑は精悍な笑みで俺を見据えた。
「用というのは他でもない。ウォルカ殿、君だ」
俺?
「一言礼を言わせてほしい。君には、坊やがとても世話になっているそうだな」
「坊や……?」
「ああ、ロッシュのことだ。言っただろう、上官のようなものだと」
いや、上官は部下を『坊や』なんて呼ばないだろ。それに外見だけ見ても、ロッシュを坊や扱いできるほど歳の差があるとは思えない。師匠のように見た目より長命なパターンでもない限り、どんなに高く見積もったってロッシュのおねえさんがいいところだ。
……でも、ロッシュが『坊や』って呼ばれてるのはちょっと面白いかも。そうだよな、あいつにもちんちくりんの子どもだった時代があったんだよな。俺の思考を読んだのかベルはニッと白い歯を見せ、
「あれにも昔はこれくらいの、まさしく『坊や』だった頃があってな」
自分の胸元の高さに手で線引きしながら、
「私もいくらか剣の手解きをしたことがある。普段はどうにもおちゃらけたやつだが、あれでもガキの頃は神童の名をほしいままにした天才だ。『剣の寵児』と呼ばれたほどの」
「は?」
俺は思わず目を剥いた。え、ロッシュが神童? しかも『剣の寵児』って、なんだその仰々しすぎる称号は。そんなにすごいやつだったのかあいつ……。
師匠たちもみんな意外そうにしている。こちらの反応にベルはひとつ頷き、
「やはり坊やは話していないか」
「はじめて知った……」
「まあ無理もない。坊やにとって、当時のことはあまりいい思い出ではないみたいでな」
どこまで話すか考えるような、ごく数秒の間があった。
「突き抜けた天才というのは孤独な生き物だ。坊やも決して例外ではなく、同年代で肩を並べられる人間が一人もいなかった。私のような一部の理解ある上官を除いて、騎士隊の中で孤立していたといっていいだろう」
へえ、あいつにそんな過去があったのか……。言動はちょっとナルシストだけど普通にいいやつだから、てっきり誰とでも上手くやれてるもんだと思ってた。そう言われてみれば、あいつが同僚の騎士と親しげにしている姿は一度も見たことがないかもしれない。
そしてふと思ったのだが、ロッシュのナルシストなところって若干この人から影響受けてるだろ。いや、この人は決してナルシストではないと思うけど、今さらっと自分を『理解ある上官』としてカウントしてたし。自分に確固たる自信を持っているという点では、まさしく姉弟みたいにそっくりだといえる。
「だが、そこに現れたのが君だ。ウォルカ殿」
ベルは手のひらを反転させて、いかにも洒落た素振りで俺を指差す。
「坊やにとって君は、ともに肩を並べて歩める真の意味での『友』となった。退屈にくすんだ人生の中、突如目の前で燃え上がった凄烈たる
詩的か。重いわ。なにやらロッシュの人生が俺の影響で変わったみたいな言い方だけど、それはさすがに誇張が過ぎるってもんだろ。いつも自信満々で「はっはっは!」って高笑いしてるような男だぞ。
「む、信じていない顔だな。社交辞令ではないぞ?」
「重い友情を感じるんだが」
「それだけのものを君が坊やに与えてくれた、ということだ」
俺とロッシュが今までやってきたことって、ひたすら手合わせして時々メシ食ったくらいなんだが……。でも『剣の寵児』なんて興味深いネタが入ったことだし、今度会ったときに昔話を振ってみても面白いかもしれない。
己の胸に手を当て、ベルが真摯に言葉を紡ぐ。
「迷惑でなければ、君と坊やが末永くよき友であることを祈らせてほしい」
「ああ」
言われるまでもなかった。
「あいつとはまだ決着がついてないからな。このまま勝ち逃げさせるつもりはないぞ」
あいつとは49勝49敗12分けのイーブン――だが実は、それもちゃんと勝敗を数え始めてからの話だ。はじめて手合わせした瞬間から律儀にカウントしてたわけじゃなかったからな。しかも最初のうちは割とボコボコにやられてばかりだったので、通算だと俺が完全に負け越してると思う。
この体になって最初の頃は、50勝目を賭けた約束はもう果たせないのか、と寂しく思ったりもしたけれど。
やはりこのまま終わらせてなるものかよ。最高の義足が手に入った暁には見てろよ、あのイケメンめ。
「……ふふ、神も時には粋な計らいをするものだな」
俺の回答に満足した様子で微笑み、ベルはすっと椅子を立った。
「今日は会えて幸運だった。縁があれば、またどこかで」
颯爽とやってきたかと思えば颯爽と去ってゆく。病室を出ていくその最後まで、いちいち堂々としていて気持ちのいい女騎士であった。
ベルの気配が充分に遠ざかってから、アトリがぽつりと口を開いた。
「……あの人、すごく強かった」
師匠とユリティアが同意する。
「そうじゃな、普通の騎士ではあるまい」
「わ、わたしにもわかりました。ロッシュさんの上官、ということは……」
みんなもそう感じたなら間違いなさそうだ。ああ、と俺も自信をもって頷いて、
「騎士隊の隊長あたりだろうな。ロッシュがめちゃくちゃ強いんだから、隊長にあんな人がいるのも納得だ」
「……え、えっと、そうですねっ。あはは……」
ふと考える。彼女ほどの騎士でも隊長止まりなら、この国最強の称号である『聖騎士』はどれほど桁外れの存在なのだろうか。
『原作』では、どう描かれてたんだっけ。
少なくとも、作中最強格だった原作主人公にも引けを取らないだけの描写はあった気がする。聖都に三人いる聖騎士はいずれも未登場だったから不明として、王都の〈
何分、俺が『ウォルカ』として生きた年月も含めると二十年くらい昔の記憶だから、ただでさえうろ覚えだったのがほとんど風化しちゃってるんだよな。エルフィエッテ以外にもうっすらと顔を覚えているキャラはいるが、名前までは引っ張り出せない。思い出せるのは第二席〈創生の法典〉、第三席〈聖者の法典〉、それと――
「――……」
けれど俺は、それより先に思い出してしまった
……ああ、そうだ、そういえばそんな
最高意思決定機関〈
今はまだ、思い出したくなかったな。
その後しばらくして師匠とアトリがお出かけすると、なんともタイミングがいいことに今度はロッシュがやってきた。
あんな興味深い話を聞かされてしまったあとでは、まさか本人に確認しないのももったいない。俺は思い出してしまった嫌な原作設定を振り払う意味も込めて、
「ロッシュ。おまえ、子どもの頃は『剣の寵児』って呼ばれてたのか?」
すると珍しいことに、いつもキザな笑顔を絶やさないロッシュが真顔になった。物々しく光った碧眼で俺を見据え、
「誰からそれを?」
「今朝、ベルっていう女騎士が突然ここに来てな」
「……ふむ、なるほど」
ロッシュは顎先に手を遣ってしばし考えてから、さっといつもの調子で爽やかに前髪を払った。
「いかにも! いかんせん、僕は生まれながら剣の才能にあふれていたのでね。気がつけばそう呼ばれていたのだよ……ふっ、我ながら罪な男だ」
「はいはい」
「それにしてもそうか、あの御仁がここに来たのだね」
「ああ。……おまえ、あの人から『坊や』って呼ばれてるんだな」
ちょっとはこいつの面白い反応が見られるかと期待したものの、ロッシュは特に恥ずかしがるでもなく肩を竦め、
「あの御仁には、手合わせで勝てた試しが一度もなくてね。お陰で今でも子ども扱いさ」
いや強すぎだろ、ロッシュが一度も勝てないってどんなバケモンだよ。今の俺が手合わせを申し込んだら、なにかする間もなく文字通り鎧袖一触にされそうだ。世界は広いなあ……。
「それで、あの御仁はどんな話をしていったんだい? どうにも僕のプライベートを暴露された気がするのだが」
「あー……要は、これからもおまえをよろしくって話だったんだが」
「ロッシュさんが『剣の寵児』って呼ばれてたことと……えっと、あんまりお友達がいないって! だから、先輩との出会いがすごく大きかったんだって言ってました!」
ユリティアの補足説明が火力高すぎる件。ユリティア、「あんまりお友達がいない」ってそんな笑顔で叩きつけないでやってくれな。俺にとっても流れ弾だから。
しかし当のロッシュはどこ吹く風で、
「はっはっは、これは参った! 僕の秘密がバレてしまったようだね」
「で、でも、わたしも先輩と出会う前は同じだったので。ロッシュさんの気持ち、すごく想像できますよ!」
そういえば、ユリティアとロッシュの境遇は少し似ているのかもしれない。
ユリティアも生まれは代々優秀な騎士の家系で、両親に「聖騎士も夢ではない」と言わしめたほどの天才児。その才覚たるや、遊び半分に習っただけの剣術で、日々真剣に鍛錬していた兄らをあっさり打ち負かしてしまうほどだった。そのせいで兄から激しい嫉妬と暴力を振るわれ、家にいられなくなって、かつては大好きな剣を諦めかけてしまうくらい精神的に孤立していたという。
「うむ……そうだね、あの御仁の話に間違いはない」
ロッシュはやや感慨に耽る素振りを見せながら、
「君、僕とはじめて会ったときを覚えているかい?」
「ああ。なんせ、手合わせでコテンパンにされたのはジジイ以来だったからな」
俺たち〈
「あの頃の僕は、今と比べるとだいぶ印象が違っただろう」
「ん……そう言われれば、たぶん……?」
あまり自信はないけれど、強いて言えば……目、だったのだろうか。あのときのロッシュは、あまり楽しそうな目をしていなかったかもしれない。
「『剣の寵児』などと呼ばれたがゆえに、騎士隊で孤立していたというのは君も聞いたと思う。あの御仁のように分け隔てなく接してくれる上官もいたが、年が近い連中からは煙たがられた。手合わせひとつ取っても、おまえとやっても勝てるわけがない、つまらない、こっちに来るなとね。弱いやつを蹴散らして遊ぶのはさぞ楽しいだろうと、嫌味を言われたこともある」
苦笑、
「恥ずかしながら僕も当時は青二才でね、むしろ必然であったはずの無理解にヘソを曲げた。誰にも僕を理解などできまいと増長し、他人を冷めた目で見ていたのさ。君に手合わせを申し込んだのも……ただの遊びと暇潰しだった」
ロッシュは詫びるようにそう言ったが、正直、赤の他人にいきなり手合わせを申し込む理由なんてそんなもんじゃないか? 遊びと暇潰し、要は好奇心を刺激されたというわけで、つまりは「おまえの実力に興味がある、いざ尋常に勝負……」ってやつだろう。
ともかくそんな経緯で手合わせすることになって、結果は俺のほぼ完敗だったのである。
それで負けた俺がどうしたかといえば、
「けれど君は負けて不快な顔をするどころか、その場ですぐさま再戦を申し込んできたね。『待てもう一度だ、勝ち逃げするな』と僕の胸倉を掴んで」
いま思い返すとちょっと大人げないかもしれないが、「は? こんなクソ強騎士様が一回ぽっきりで勝ち逃げとか許さんが……」という反骨心で再戦を申し込んだのだ。しかも何度も。ジジイに何百回何千回とボコられたせいで、俺は剣に限ってはだいぶ負けず嫌いなところがあるらしい。
「あのときの君は――笑っていたね」
ロッシュは楽しげに目を細める。
「そうやって何度も何度も僕に食らいついて、土まみれになって、みるみるうちに適応して……その日の最後には、とうとう僕に土をつけたときた!」
「ああ……何回挑戦したんだったか、最後の一回でようやく勝てたんだよな」
「あはは……夕方みんなで先輩を迎えに行ったら、知らない騎士の人と一緒に倒れてるんですもん。びっくりでしたよ」
こいつに尻餅つかせて見下ろしたときの達成感は、今でも結構鮮明に覚えている。それで満足して手合わせを終了したら、今度は「君こそ勝ち逃げじゃないか!」とこいつの方が突っかかってきたっけ。
「うん。――あれは衝撃だった。本当に」
ロッシュは、なんだか本当に楽しそうだった。
「あの日を境に、僕の冷めきった世界はすっかり叩きのめされてしまった。『次は絶対に負けない』――ああ、あんな感情を抱いたのは、きっと生まれてはじめてだったとも」
そしてなんともいい笑顔で、俺の肩をちょっと痛いくらい大袈裟に叩くと、
「ゆえに君は、今や僕の至上の友というわけさ! 光栄に思いたまえよ!」
「……そいつはどうも」
そんなもんかね。まあそう言われて悪い気はしない。俺にとってもロッシュという友人は、師匠たち仲間の次くらいに――いや、ある意味では師匠たち以上に恩があるかもしれないやつなのだから。
「これからもよろしく頼むよ我が友! はっはっはっは!」
……うん、こいつに関しては過去を気にするだけ無駄ってもんだな。昔はまあまあワケありでやさぐれてたとか絶対に信じないからな。なにを言われても「はっはっは!」と余裕綽々笑い飛ばしてる姿しか想像できんわ。
「ユリティア嬢もこの男に遠慮することはない! いかんせん、朴念仁で不器用極まりないやつだからね!」
「あ、あはは……」
一言うるせえぞ!
/
……それにしても、ユリティアの様子がやっぱりおかしい。
ロッシュが帰ったあともしばらく普通に過ごしながら注視していたが、時折ぼーっと動かなくなるのはもちろんのこと、何度も同じ場所を掃除したり、ほうきで物を倒してしまったり、昼食の支度ではうっかり包丁で指を切ってしまったり――これはすぐにシスターさんが治してくれた――と、ユリティア史上最悪の絶不調といっても過言ではなかった。
そのせいで昼食を終えて一日が折り返す頃には、ユリティアもかなり落ち込んでしまっていた。しかも耳を澄ませてみれば、「どうしよう、どうしよう、このままじゃわたし……」とぶつぶつ独り言を繰り返しているようだ。相当切羽詰まった様子である。
い、いかん、どうすればいいんだこれは。ともかくユリティアを放っておけないのはたしかなのだが、
「ユリティア、大丈夫か? やっぱりなにか……」
「うっ……ご、ごめんなさい、わたし、今日は先輩に迷惑かけてばっかりでっ……」
できるだけそっと訊いてみるも、ユリティアの自己嫌悪を加速させてしまうばかりで成果は芳しくない。
「そんなことない、ただ心配なんだ。やっぱり調子が悪いんじゃないか?」
「ううっ……」
「あー……食器片付けて、外の空気でも吸いに行こうか。気分転換になると思うし」
「はい……」
俺は弱い……女の子の悩みひとつ聞き出すことすらできやしない……。こういうときロッシュなら、しっかりと相手の気持ちに寄り添った完璧なカウンセリングができるんだろうなあ。さっきついでに相談しておけばよかっただろうか。
本当にどうしたんだろうな、ユリティア。パーティの最年少なのが嘘みたいにしっかりした子だから、こうも落ち込んでいるとなればよほどの悩み事だと思うんだけど。昨日まではぜんぜんそんな素振りもなかったからなぁ……。
と、ユリティアがワゴンに食器を戻そうとしたそのときだった。
「っ、」
やはり注意力が散漫だったのだろう。食器をいくつか重ねて振り向いた拍子に、ユリティアの手がうっかりワゴンの取っ手とぶつかった。そのせいで一番上の食器がバランスを崩してしまい、
「あっ……!」
――パリン、と。背筋が冷える高音を響かせて、バラバラになった陶器の破片がユリティアの足元に散乱した。
その瞬間、俺の体が思考をすっ飛ばして反応したのがわかった。
「大丈夫か、怪我はっ――ぐあ」
しかしながら、義足がない体でベッドから飛び出せばどうなるかは自明の理。俺もバランスを崩してあっさりと転倒、カエルみたいに情けない苦悶の声で床を転がるのだった。カッコ悪すぎるだろ。なにやってんですかねこの男……。
「先輩!? 先輩、先輩っ……!!」
ほとんど悲鳴のようにそう叫び、ユリティアが顔面蒼白で駆け寄ってくる。小さく華奢な手を貸してもらいながらなんとか起き上がって、
「わ、悪い、義足がないってすっかり忘れてて……咄嗟のことがあるとすぐこれだ」
「ご、ごめんなさい……! わたしが、わたしがっ、」
ユリティアの瞳にみるみる涙がこみあげてくる。ちょ、泣くな泣くな! こんなのすっかり慣れっこだから大丈夫だって! 義足がないのに立ち上がろうとした俺がアホなんだからな、むしろ笑ってくれ!
「俺は平気だ。ユリティアこそ怪我してないか?」
「は、はい……」
「そうか、よかった」
しかしさすがに、ここまでなってしまえば心を鬼にして言わねばなるまい。ユリティアががんばろうとしてくれているのはわかるけど、このままじゃ失敗が失敗を呼ぶ悪循環続きだ。
「やっぱり、あんまり無理しない方がいい。今日は宿に戻って――」
「っ……!!」
その瞬間、ユリティアの表情に広がっていく冷たい絶望の色。
「わ、わたし、やっぱり、いらない子ですかっ……!?」
えっ。
「い、いやです、捨てないでください……!! ごめんなさい、ごめんなさい、お役に立てなくてごめんなさい……!! わたしがんばりますから、ちゃんといい子にしますから、だからお願いします、わたしを置いていかないでくださいっ……!!」
……は? す、捨てる? いらない子? いや待て、いきなり話題が異次元空間に飛躍したな。捨てるとかいらないとかいったいなんの話で――。
しかし俺の頭が追いつかないうちに、ユリティアはボロボロと泣きながらこちらに縋りついてきて、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ、捨てないでください、捨てないでくださいっ、独りはいやです、い、いやでっ――ふ、ふええええええええ」
うわー!? まままっ待ってくれユリティア、誤解だ! なにか致命的な誤解があると思われます! ごめんなきっと俺の言い方が悪かったんだよな、大丈夫だぞ捨てるとかいらないとかなんのことかぜんぜんわかってないから! だから何卒、何卒ガチ泣きは勘弁いただきたく……! このままじゃ俺の胃が、胃ががががががが。
しどろもどろになりながら懸命にユリティアを宥めて、なんとか胃が千切れ飛ぶ寸前で泣き止んでもらえた。
それからユリティアはようやく、ぽつぽつとなにがあったのかを教えてくれて。
「……なるほど、そういうことだったか」
なんでも昨夜、俺に置いていかれて独りぼっちにされる怖い夢を見たらしい。ぶっ飛ばすぞ夢の中の俺。なにユリティアを悲しませとんじゃ!
ユリティアは泣き止んでこそくれたが、まだ俺の胸に縋りついたまま離れる気配がない。こびりつく恐怖に震えながら、
「だ、だからわたし、先輩にとっていらなくなってないか不安で、怖くてっ……!!」
うーむ、たしかに後味悪い夢だったかもしれないけど、まさかそれだけでこんな発想に陥るなんて……。
……いや、でもそうか、ユリティアはまだほんの十三歳なんだもんな。たとえ最年長みたいにしっかり者でも、俺たちの中では紛れもなく一番幼い女の子なのだ。しかも本来家族から受けられるはずだった愛すら不充分なまま、逃げるように家を飛び出して、同年代の友達もほとんどいない冒険の世界に――そう考えれば、ある日突然孤独に苛まれてしまっても無理はないのかもしれない。
しかし、俺はかえって安心していた。
なぜなら、ユリティアの不安がまったく事実無根な勘違いだからだ。
「ユリティア」
ユリティアの両肩に手を添えて、そっと俺の胸元から引き離す。未だ涙で濡れている彼女の瞳をまっすぐに見つめて、
「たとえばな、ユリティアより剣も魔法も上手くて料理も掃除もぜんぶできる。そんな完璧なやつが突然、ユリティアと入れ替えでパーティに入れてくれって言い出してきたら」
「っ……!」
またユリティアの呼吸が悲しげにつかえる。ゆえに俺は一言一句はっきりと言ってやった。
「ふざけるなって追い返すぞ、俺は」
「……え?」
いや、「え?」じゃない。
「当たり前だろ」
「で、でも……わたしより、剣も魔法もお料理もぜんぶ上手なんですよね? ならもう、わたしがいる意味なんて――」
それが勘違いなのだ。俺の前世では仲間を有能な人材と入れ替える『追放系』なるジャンルが一世を風靡していたが、そんな真似だけは絶対にしないからな。
「ユリティアが俺たちの仲間なのは、剣や魔法や料理ができるからじゃない。ユリティアが『ユリティア』だからだ」
「――、」
「どんなにすごいやつが取って代わろうとしても、『ユリティア』じゃないなら俺にはなんの意味もないんだよ」
だから俺は、ユリティアの肩を安心させるように軽く叩いて。
「不安にならなくていい。また夢の中で置いていかれそうになったらな、そんなひどいやつは俺の代わりにぶん殴っておいてくれ」
「っ……」
ユリティアの瞳が強く大きく揺れ動き、表情から不安と恐怖が引いていくのがわかった。……よかった、どうやらわかってもらえたみたいだ。ユリティアはすんとはなをすすって、
「……先輩は、いつもそうです。こんなわたしを、わたしのまま受け入れてくれて……はじめて出会ったときから、ずっと……」
そういえば、はじめて出会ったときのユリティアも似たような状況だったんだっけ。俺が朝の鍛錬をしていたところにたまたま通りかかって、抜刀術に興味を持ってもらえたのがすべてのきっかけだった。
もちろん、当時のユリティアを今日みたいに大泣きさせたわけではないと前もって明言しておく。ただ例の兄たちによる冷遇のせいで、そのときのユリティアも精神的にかなり孤立した状態だったらしいんだよな。そんな中俺と一緒に鍛錬したことで、改めて剣の楽しさを思い出せていろいろと救われたんだとか。
なお当時の俺がそこまでまったく気づいておらず、ただ未来の抜刀術仲間を見つけてテンションが上がっていただけだったというのは――このまま秘密にしてても大丈夫だよな?
「先輩!」
ユリティアがぱっと顔を上げた。俺が「なんだ?」と返すと彼女は至って真剣に、
「ひ、膝枕させてください!」
……なにゆえ。
ユリティアは前のめりになりながら、
「わたしを元気づけてくれたお礼です! わたし、今すぐなにかしないと気が収まりません……! 膝枕ならすぐ簡単にできますから、ねっ!」
さっきまで落ち込んでいたのはなんだったのやら、両手を拳にして並々ならぬ熱意に満ちあふれている。お礼というのはまあわかるのだが、まさかそれで膝枕とは……ユリティアらしいというべきか、なんというか。
「だ、だめですかっ……? 今のわたしじゃ、ほ、他のことは失敗しちゃうかもしれないので……」
四つも年下の女の子から膝枕――果たしてなんらかの事案に抵触しないものか葛藤はあったが、思いっきり泣かせてしまったあとでは断るのも忍びなかった。
結局、俺はユリティアの真剣な眼差しに押し切られてしまい、
「わかった、わかったよ」
「はいっ! それじゃあ、すぐ片付けちゃいますね!」
ユリティアが活き活きとした機敏な動きで、あっという間に割れた食器を片付ける。うむ、ユリティアが元気になってくれてよかった……よかったんだよな?
「それでは先輩、どうぞ!」
そんなこんなで、俺は言われるがままベッドで膝枕されてしまうのだった。
見上げるとユリティアの優しい笑顔がある、それがいつもと違う状況というだけで妙にくすぐったく感じる。俺はそのむず痒さに堪えかねて、横を向いてさっさと眠ってしまうことにした。
「ゆっくり休んでいいですからねー。わたしにぜーんぶ委ねちゃってくださいっ。ふふ」
ユリティアは将来いいおかあさんになるんだろうなあ……と、そんなハッピーエンドをぼんやりと願いながら。
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「…………先輩、起きてますか? 寝てます……よね?」
ウォルカからの反応はない。穏やかで規則的な呼吸を聞くに、どうやら眠ってくれたようだ。ユリティアはほっとする。だって自分の膝枕を、眠れるくらいには心地よく感じてもらえたということだから。
「せんぱい……」
そう呼ぶだけで、ユリティアの心はとても苦しい感情でいっぱいになった。でもそれは決して嫌な痛みではなく、むしろ蕩けるような幸福すら感じてしまうものだった。
はじめてウォルカと出会ったときを思い出す。他者の剣術を見ただけで物にしてしまうユリティアの才能。実の兄から『盗っ人』と侮蔑されたこの才を、ウォルカは決して否定しなかった。それどころかどうぞ真似してくれと言わんばかりに、ユリティアの剣が好きな気持ちを肯定してくれた。あのときウォルカは、ユリティアのすべてを当然のように認めて受け入れてくれたのだ。
そして、今だって。
ユリティアが『ユリティア』じゃないと、自分にはなんの意味もないんだ――あんな台詞をこの人は、相手の目を恥ずかしがらず見つめて、文字通りの本気で言い切ってしまうのだから……ほんとに、もう。
「せんぱい――」
だからユリティアは、ウォルカの灰色の髪を優しく撫でる。
撫でる。
撫でる。
撫でて――、
「――わたしもリゼルさんやアトリさんと一緒です。やっとわかりました。わたしはあなたがいないと生きていけない、あなたがいない世界なんていらない、あなたがわたしの生きる理由のすべてです。絶対に離さないでくださいね。わたしはこれからも毎日先輩の隣で、毎日先輩のお顔を見て、毎日先輩とお話しして、毎日先輩の声を聞いて、毎日先輩に名前を呼ばれて、毎日先輩の瞳に映って、毎日先輩のことを考えて……毎日憧れて、お手伝いして、助けになって、償って、先輩のために、ずっとずっと永遠に――」
ユリティアは、微笑んでいる。
ウォルカ以外の一切をこの世界から排除して、まるで彼とひとつになろうとするかのように、光が差し込まない瞳で心から優しく微笑んでいる。
病み堕ち回避に向けて前進するどころか、どんどん取り返しがつかない事態に陥りつつあるのだと――隻眼隻脚の青年は未だ、自覚できていない。
Tips:『〈
王都のなんかすごい組織。原作では、七人のメンバーのうち約半数が『退場』して瓦解したらしい。
Tips:『ロッシュ』
昔はちょっとやさぐれていたが、そんな天才故の孤独をとある剣バカに吹き飛ばされた。なので『友人』はウォルカ一人いればいいと思ってるとか。
Tips:『ユリティア』
※まだ十三歳の女の子です
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⇒本作PV:【リゼルver】 / 【ユリティアver】 / 【アトリver】