全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
義足が届いた。
大聖堂生活五日目、待ちに待った我が救世主の到来である。みんなに介護されてばかりな不甲斐ない生活に終止符を打ち、男の名誉回復を成し遂げるための頼もしい援軍。見た目は以前の義足とほぼ同じながら材質がパワーアップしており、なにかの拍子に折れるんじゃないかという心もとなさはなくなった。とはいえ走ったり跳んだりできるほどの安定性はなく、あくまで日常生活用の義足なのは変わりないようだ。
クラエスタの義足が完成するまでの助っ人としては充分だろう。早速中庭をぐるりと散歩したり、シアリィとルエリィに会ったりしつつ使用感を確かめたが、これといって気になるような問題もなく。
そういうわけで、昼が近づく頃には予定通り退院の運びとなるのだった。
「師匠、そろそろ支度をするぞー」
「ぐむぅー…………」
俺が窓際へ呼びかけると、大量の魔導書に埋もれる師匠がか細い唸り声をあげた。師匠は昨日からずっとこんな感じだ。クラエスタから一枚だけ拝借した術式部分の設計図と、昼も夜もずっとにらめっこしてうーうー唸っている。くしゃくしゃに放り投げられた紙があたりにいくつも散乱しているあたり、作業はあまり順調とはいえないようだった。
「師匠ー」
「うがあああああ!!」
師匠が噴火した。お気に入りの帽子をぶん投げて頭をヒステリックに掻きむしると、
「あ――――――もう本ッッ当に見ててイライラするこの術式!! なんでこんな組み方するの! たしかにちゃんと発動するし魔力効率もいいんだろうけど! 結果だけ見れば理想的なんだろうけどっ! こんなのそのまま組み込んだって誰もメンテナンスできないでしょーっ!?」
ひとしきり叫んだのち、ぽてんと力なく床にひっくり返る。その表情には苛立ちを通り越して、全身の毛が逆立つような恐怖すらにじんでいる。
「た、堪えられないっ……! こんな術式が世に解き放たれると考えただけで悪夢じゃあ……!」
そんな大袈裟な……と思うが、『魔法は無駄なく美しく』を信条とする大魔法使いにとってはよっぽど我慢ならない術式なのだろう。俺もちらっと見せてもらったけど、最初から最後まで完全に意味不明・理解不能のオンパレードだった。術式が難しいとか汚いとかではなく、こう……魔導書に載っているようなのとは根本的に違う、まったく別次元の理論が使われているというか。
病室の私物を片付け始めながら、ユリティアとアトリも同意した。
「わたしも少しだけ見てみましたけど、ぜんぜんわかりませんでした……」
「ちんぷんかんぷん」
「そうじゃろ、そうじゃろ。まったく、こんなハチャメチャな術式で動くなんて感動するわっ」
欠片も感動していない口振りでそう褒め称え、師匠が〈
「……その術式を考えたのって、どんな人なんだろうな」
いくら〈
まるで、この程度の術式はほっぽり出したって構わないというような。
この鼻にかけた感じの余裕とふてぶてしさ、原作を知っている俺はどうしてもエルフィエッテの姿がチラつくのだが……まあありえないか。聖都からやってきた職人という完全な部外者に、〈
「ふんっ。どーせ生意気で自己中で性悪でひねくれたやつに決まっておるわ!」
「そうなのか」
「そうじゃっ。ウォルカもよく覚えておくんじゃぞ、こんな独りよがりな術式を考えるやつは絶対ロクな人間じゃないのじゃ! こーいう女に騙されちゃダメなんだからね!」
師匠はぷんすかと魔法使いのプライドを爆発させている。さすが師匠ほどの大魔法使いとなれば、術式を見ただけで相手の人間性はおろか、性別まで看破できてしまうらしい。生意気で自己中で性悪でひねくれた女学者か……エルフィエッテみたいなやつもいたもんだなあ。
――そのとき、コンコン、と誰かが窓を叩いた音。
音に引かれて窓を見遣り、そして俺たちは全員同時に絶句した。
車椅子に乗った少女。
両目を覆う特徴的な眼帯。
陽光の下でもほのかに見て取れる、星空のように摩訶不思議な輝きを帯びた髪。
病室の一番大きな窓の向こうに、とても見覚えがある、どう足掻いても見間違いようのない幻想的な少女が、
「…………ふえっ……」
ユリティアがそんな声を漏らした。うん、すごくわかるぞその気持ち。誰がこんなん予想できるか。
百歩譲って、先日のディアはまだ納得のしようがあった。彼女はまあ、距離感がちょっとバグり気味な変な聖女様みたいだし。でもこの人は違うだろ。たとえ見た目が師匠並みの幼女だったとしても、法の世界で数多くの罪人を裁いてきた厳格で思慮深い人物のはずだろ。
そんな思慮深いはずだった人物――〈
「ふふ。来ちゃいました」
ドッキリ大成功。
そんないたずらっぽい微笑を浮かべながら、上品に、そしてどこか楽しげな様子で小さな手を振っているのだった。
や、野生の聖女が飛び出してきた……。
「驚かせてごめんなさい。普通にお伺いするより、こっちの方が印象的かと思いまして」
「そ、そうか……」
結論から言うと、本当に俺たちを驚かせるためのいたずらだったらしい。老執事に車椅子を押されながら入室したユーリリアスは、眼帯の上からでもはっきりわかるくらい満足げな様子だった。ふふん、とどこか得意そうにしながら、
「私、これでも好奇心は旺盛な方なんです」
旺盛すぎるだろ。なんで俗世から遠く離れた聖域に住まう聖女様が、二人連続で俺の病室にノーアポ突撃してくるんだよ。ただの庶民ごときがいくら願ったところでお目にかかれないような、もっと神聖で手の届かない存在じゃなくていいのだろうか。
「……で、突然なんの用じゃ」
師匠が俺の隣に陣取り、早くもヨソモノ警戒モードでユーリリアスを睨んでいる。毛が逆立った猫みたいな気配をユーリリアスはたおやかに受け流し、
「本当はもっと早くお伺いするつもりだったんですが、なかなか体が空かなくて……」
「忙しいんだな」
「ええ。今しがたも
なんだか平和的な会話をしてきたように言っているが、実際はその〈
師匠の警戒モードが一段階上がった。
「もう、なんの用だって訊いてるでしょ!」
「皆さんが帰ってしまう前に、せめて挨拶だけでもと思ったんです。……お勤め以外で外の方とお話しできる機会なんて、私にはありませんから」
そう寂しげに言われてしまえば、さすがの師匠も「む、むう……」と引き下がるしかない。
そうか……雰囲気が大人びてるからあまり気にしてなかったけど、両目と両足が不自由なんだもんな。片目と片足をなくしただけの俺なんぞ可愛いもんだ。常日頃誰かに付き添ってもらわねば生活できず、自分の意思では大聖堂から出ることもできなくて、唯一外の人と接する『お勤め』とはつまり、悪意と罪にまみれた世界で来る日も来る日も裁きを下し続けること――か。
気が変わった。これは、相手が聖女だからといって尻込みしている場合ではあるまい。外とほとんど交流できない立場の人が、俺たちならばと信頼してやってきてくれたのだ。世間話くらいならいくらでも付き合おうじゃないか。
「いいよ。別に急いでもないし」
「そうですか。ありがとうございます」
ユーリリアスの口元がほころんだところで、背後から老執事が慎ましく上奏した。
「ではユーリリアス様、皆様にお飲み物をご用意しても?」
「ええ、お願いします。……あ、紹介しますね。彼は私たちの身の回りの世話をしてくれている――」
老執事は俺たちへ端正に一礼し、
「お目にかかれて光栄に存じます。わたくし、執事のヴァインリッヒと申します」
そう、老執事である。長い人生の中で磨き抜かれた気品ある佇まいと、耳に心地よく染み込むような老成円熟の声音。マンガやアニメでしかお目にかかれない精悍で屈強で優雅で貫禄のある銀髪老執事が、紛れもなく俺の目の前に存在していた。カ、カッコいい……。
「紅茶などは、皆様のお好みに合いますでしょうか」
「む、わしはジュースがいいのじゃ。甘いの」
「ボクも」
「かしこまりました」
師匠とアトリの遠慮がない注文にも快く答え、澄み渡るような所作で支度を進めていく。なんかこの人、先日突然やってきたロッシュの上官――ベルなる女騎士と雰囲気が似てる気がする。身にまとったオーラというか、常人にはない先達者の風格というか。さすがは聖女様、御側付きひとりとってもよそとは一線を画しているようだ。
しかし一方で、まっすぐ見つめている間は一流の存在感が漂うのに、ちょっとでも目を逸らした途端気配がぼやけてどこにいるのかわからなくなる。この老執事、只者ではあるまい。眼光が一般人のそれではないし、燕尾服でもわかるくらいめちゃくちゃ体が鍛えられている。俺の前世では執事を英語で『バトラー』といい、その由来は『ボトル』を意味する古い言葉だとかなんとか聞いたが、この人に限っては絶対『バトル』が語源なタイプのバトラーだ。
たぶん、元々は騎士だったんじゃなかろうか。若かりし頃から教会に忠義を捧げた騎士が、引退後もこうして執事に姿を変えて――というのはありえそうな話だと思った。
会話のボールがユーリリアスに戻る。
「どうか畏まらないでくださいね。私が聖女なのは忘れてください。おばあちゃんの話し相手をしてくれると嬉しいです」
「いやいや、おばあちゃんって」
思わず一笑に付そうとしてから、俺はふと真顔になった。ああそうか、やっぱりユーリリアスって、師匠と同じで外見と年齢が一致してないタイプの人なんだな……両目を覆う眼帯に星空の髪という見た目の印象が強すぎて、年齢のことがすっかり頭から抜け落ちていた。
見れば師匠たちもおおむね、やっぱりそうだよねという納得の反応。ユーリリアスは物足りなそうな様子で、
「むう、あまり驚いてもらえなかったですね……私、これでももうすぐ百歳なんですけど」
「なんとなく、すごく年上なんだろうとは思ってました。わたしたち、身近にリゼルさんがいるので……」
「審判で悪い人をいっぱい懲らしめてる聖女様が、本当に子どもの方がびっくり」
ユリティアとアトリの言うとおりである。見た目と実年齢が一致しない『長命種』的な人たちがいるのは師匠を通してよく知っているし、ファンタジー世界のお約束でもあるからな。師匠もユーリリアスもどう見たって十歳児なのに、俺の何倍も長生きしているというのは神秘的な話だ。
「見た目が子どものままなのは、聖女だからなのか?」
「ええ。個人差はありますが、聖女になると肉体の成長が止まるようで。ちなみに、アルカが大聖堂で一番のおばあちゃんですよ」
ああ、あの三日月のゆりかごに乗ってた個性的な聖女様……なんとなく年上だろうとは思ってたけど、実は教会最古参の長老様だったらしい。ときには半人半神なんて呼び称えられることもあるくらいだし、聖女もある意味では人間と神の混血みたいなものなのかもな。
それにしても、『聖女になると』か……。裏を返せばそれって、最初は聖女じゃなかったってことだよな。つまりユーリリアスの外見が十歳程度なのは、ちょうど聖女になったのがその頃だったと。そして、神に近い存在となることで肉体の成長が止まるのだとすれば、
「もしかして、聖女になる前は……」
「ええ」
ユーリリアスは首肯し、
「元々の私は、教会となんら関係のない辺境の村娘でした。教会に見初められて聖女となったのは、この『眼』があったからです。歴代の聖女の中でも、そういった来歴はかなり珍しいみたいですね」
眼帯を指でそっと撫でる。師匠が尋ねる、
「よいのか、そんなことまでわしらに話して」
「大丈夫ですよ、別に秘密というほどでもないですし。それにあなたはディアが太鼓判を押す人たちですもの、面白がって言い触らしたりはしないでしょう?」
そりゃあもちろん、「〈
「……」
と、そこで俺はさらに考える。……もしかしてこの流れなら、もう少し訊いてみても大丈夫だろうか。どうせ聖女と接点ができてしまったんだし、今のうちに情報を把握しておくのも損ではないと思う。
両目が眼帯で覆われた視界には、いったいどんな景色が映っているのだろうか。ユーリリアスは俺が考えて込んでいるのを自然と察して、
「ウォルカ、なにか気になることがありますか? よほどでなければお答えしますよ。私は質問するのもされるのも好きなので」
「……じゃあ」
礼節に欠けた常識知らずな質問ではないし、普通の人には出てこないような突飛な疑問でもない……と思う。答えてもらえるかは別として、聖都で暮らして数年の新参者なら不思議に思っておかしくない範疇だろう。
問うた。
「聖女って、実際のところどういう役目を負ってる人なんだ?」
そもそも俺があまり興味を持っていなかったというのもあるけれど、聖女の世間的なイメージってかなり曖昧なんだよな。無論、聖都でもっとも尊い存在であり、〈
話のタネに訊いてみるのもいいだろう――というのは、嘘ではないにせよ単なる方便。
これは、俺がついぞ知ることなく終わった原作設定のひとつ。『聖女』とはなんなのか。なんのために存在しているのか。ストーリー後半で満を持して登場するタイプの勢力だった以上、信仰の象徴として祀り上げられるだけの乙女ではないはずなのだ。
原作では、『たった四人だけで王都の全戦力に匹敵する』とまでほのめかされていた記憶がある。だが、それも今となってはかなりおぼろげと言わざるを得ない。そのあたりが補強できるかもしれない情報を、いま本人の口から聞けるのならちょうどいいと思った。
「ああ……たしかに、一般の方はあまりイメージが湧かないかもしれません」
幸い不審がられることもなく、ユーリリアスは口元に人差し指で答えてくれた。
「ざっくりというなら――聖女とは、この世界を守護する存在です」
「せ、世界……?」
「なんちゃって」
「……」
ユーリリアスがくすくすと微笑する。法の番人をやってる聖女様がさらりと嘘つくのは反則だろうが……!
「ふふ、さすがに『世界』は大袈裟ですね。私たちの役目は、この聖都という地を守護することです」
ともかく、いたずら好きなユーリリアスが仕切り直しして曰く。
まったく予想外なことに、話はこの国の成り立ちから始まった。そもそも聖都とは、遥か昔に初代聖女がその礎を築いた都市。ある日突然天から神の遣いが降り立って、ここを人々のための地とするよう聖女に神命を下したのが始まりだったとか。
国の成り立ちを語る伝承としてはよくある気がするな、とりあえず感覚で神様が出てくるパターン。
で、その神の遣いとやらはこの地を聖女に一任して、自分は海を挟んだ向こう側にもうひとつの土地を拓いた。それが王都の礎。海を隔ててふたつの聖地を結び、人々が安寧のもと繁栄する国となるように。神命によって初代聖女が聖都を興し、同時に神の遣いが王都を興したというわけだ。
「つまり聖女は、この地――聖都を守護するよう神から命じられた立場なのです。聖都が王都の権力からある程度切り離され、教会による統治が認められているのもこういった歴史的背景からですね」
「じゃあ『聖都を守護する』ってのは、政治的な意味なのか」
「元を辿ればそうなります。昔の聖女は、なにからなにまでそれは大変だったと聞きますが……今では優秀な部下が何人も育って、聖女の仕事もかなり切り分けが進みました」
遠い記憶の海に浸るように、ユーリリアスは浅く天井を見上げる。
「ですが、聖女が守護の存在であることは今も変わりません。代々の聖女がこの都市を発展させてきたのも、政治に関わるのも、他国と外交するのも、罪を裁くのも、騎士隊を組織しているのも、ギルドという仕組みを作ったのも、有事の際に魔物を退けるのも……すべてはこの地を魔の脅威から守護するため。それが、初代聖女から続く私たちの役目なのだと思います」
「魔物を退けるって……聖女様、戦うの?」
アトリの疑問にユーリリアスははっきりと頷き、
「この地の守護が役目ですから、必要があれば」
アトリは難しい顔で考え込んでいる。どうやら聖女の戦う姿が想像できないらしい。俺もできない。
「大抵の場合は騎士隊が対処しますが、国中にダンジョンが蔓延っている以上、いつなにが起こるかはわかりませんから。実際過去には、聖女が〈
〈
いくつもの街や村を地図から消し去り、数え切れないほどの人々を喰らい尽くしてきた生きる災厄――それをかつての聖女が討ち破ったというのなら、きっと俺のおぼろげな記憶も間違ってはいないのだろう。
これでほぼ確信した。聖女は原作主人公や〈
――そして、そんな最強格の人たちすら容赦なく死に追いやっていたのが、あの原作だ。
なにせ王都最強であるはずの〈
「……なにか、気になることがあるみたいですね」
「ん、ああ……いつなにが起こるかわからないってのは、俺も同意見だ」
結局、原作最強格っていっても所詮は人間サイドの話で、魔物まで視野を広げればそれ以上の化け物が存在してるんだよな。紛れもなく最強の人たちが聖都を守ってるってわかったのに、どうして安心するどころか不安になってるんですかね……ほんと嫌になってくるぜこの世界。
「……」
思考が闇の中に沈んでいく。考えてみれば、俺は例の全滅エンドを覆してすっかり安堵しているわけだけど……この世界って、今も原作と同じストーリー上で動いているんだろうか。
いくら前世で読んでいた漫画の世界だからって、この世界でもストーリー通りの未来がやってくると考えるのは荒唐無稽な発想かもしれない。現実と妄想の区別がついていないのかもしれない。しかし『俺』という異物が混ざり込んでなお、〈
なら俺が全滅エンドを覆した今、この世界はとっくに本来の筋書きから外れたといえるのか。それとも、原作主人公を待ち受ける運命という意味ではなにも変わっていないのか。
単刀直入に言おう――俺がこのまま聖都でのんびり過ごしていたら、原作通り〈
そうしたら次はどうなる? 結局前世の俺は見届けられなかったけれど、きっと『原作』では舞台が聖都へ移って聖女たちが登場したのだろう。そして主人公の前に再び災厄が立ちはだかって――またたくさんの人が犠牲になったのだろう。あの腐れ外道原作者が描く物語なら、聖女が最強格だろうとなんだろうと関係ないはずだから。
ああ……どんどん気分が悪くなってきた。
俺が片目と片足を捨ててまで変えた未来が、広大な海に小石を投げ込む程度のことでしかないのだとすれば。師匠たちが生きている以外、今でもなんら変わらず『ストーリー』が進み続けているのだとすれば。
この先ずっと平穏無事な日々が続く保証なんてない――そう常々考えてはいた。
けどひょっとして、平穏無事な未来を願う時点ですでに履き違えているのではないか。あの腐れ外道原作者が動かす操り糸で、聖都が災厄の舞台になる日はいつか必ず――
「ウォ、ウォルカ……どうかしたのかっ……?」
師匠に手を握られてはっと正気に返る。いつの間にか、場の空気がしんと静まり返っている。隣の師匠が張り詰めた表情でこちらを見上げ、ユリティアとアトリも、椅子を蹴飛ばして今にも傍へ駆け寄ってきそうになっている。
い、いかん、また変な誤解をさせてしまったかも……!
「ウォルカ。今のあなたからは……とても不安定な気配を感じます」
「き、気のせいじゃないか」
ユーリリアス、今はそういうの察知するのやめようか! 師匠たちが余計誤解しちゃうからな! 別にそこまでの雰囲気は出してなかっただろ!?
「なんでもない、大したことじゃないんだ。ちょっと、思い出すことがあっただけで……」
「っ……」
師匠たちが、どんな言葉を選べばよいのかわからずに目を伏せた。そんなに? そんなにわかりやすかったの俺? おかしい、俺ってあんまり感情が顔に出ないはずじゃなかったのか……。
「本当に大丈夫だ。変な空気にしてごめん」
く、空気が重い……! な、なにかないか! なにか、この空気を払拭する会心の一手は――
「――皆様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
救いの手は、品性高潔たる老執事から差し伸べられた。ヴァインリッヒさん、俺はあなたを心から尊敬します。
「ささやかではございますが、焼き菓子をご用意いたしました。もしお好みでしたら、どうぞお召し上がりください」
たまたまタイミングよく支度が終わっただけなのか、それともベテランの執事スキルで暗い雰囲気を察知してくれたのか。重く立ち込めていた沈黙を優雅に払いのけて、ヴァインリッヒが俺たちの席に飲み物と焼き菓子を並べていく。ナッツやドライフルーツがふんだんに盛り込まれた、高級感あふれるパウンドケーキだ。いったいいつの間にこんなものを……。
紅茶とケーキの華やかな香りで、ユーリリアスの口元に微笑が戻った。
「そうですね、今は楽しい話をするための場でした。どうぞ召し上がってください。じいやの焼き菓子は絶品なんですよ」
「ああ、ありがとう。ほら師匠、いただこう」
「……うん」
一時はどうなることかと思ったが、その後はパウンドケーキが本当に絶品すぎたため次第に空気も回復。しばらくとりとめのない世間話に花を咲かせたのち、おばあちゃんの名残惜しそうな見送りで俺たちは大聖堂を退院するのだった。
そして、数日ぶりに〈ル・ブーケ〉へ戻ってくると。
「あらみんな。おかえりなさい」
「まあ。グッドタイミングですわ、皆様」
なぜか、宿屋のロビーでロゼがクラエスタをもてなしていた。あれ、なんでクラエスタがここに? 住所は教えてなかったはずだけど……もしかしてロゼの知り合いだったのか?
「む? なぜおぬしがここに……」
「ええ、ちょっといろいろありまして。……でもまずは、ウォルカさん」
師匠にそう答えるなり、クラエスタは席を立って俺へそそくさ接近。新しい義足を前から後ろからひとしきり観察し、
「ふむふむ……まあ悪くはありませんわね。ですが、おじいさまの義足はこの比じゃありませんわよ!」
あまりお嬢様らしくない――けれどこの上なく頼もしい、白い歯が覗く大胆不敵な笑みを見せて。
「――早速始めましょう。よろしいですわね?」
「ああ。もちろんだ」
こうして〈グリフィス工房〉主導の下、義足グレードアップ計画が本格的にスタートする。
新たな一歩を踏み出す節目にふさわしく、空は爽快なほどの青で澄み渡っていた。
/
騎士に守られた重厚な扉の奥で白い光が満ち、〈アルナスの塔〉一階から最上階へ転移魔法が起動。認識阻害および退魔の術式で幾重にも隠蔽された回廊を越え、ユーリとヴァインリッヒが聖処のリビングへ戻ってくる。
他の聖女の気配はない。アンゼとディアはお勤め中で、アルカは……たぶんそのへんをぷかぷか漂っているのだろう。
「ご苦労様でした、じいや」
「滅相もございません」
ヴァインリッヒがユーリの小さな体を抱き上げ、羽根のように柔らかな所作でソファーへ座らせる。ユーリはふかふかの背もたれに体重を預けて、わずかな疲労と大きな充足感に満ちたため息を吐き出した。
「いかがでしたか」
「ええ、楽しかったです。外の方とあんな時間を過ごしたのは、いったいいつ以来でしょう……ふふ、少し汗をかいてしまいました」
眼帯を外し、ヴァインリッヒが間髪容れず用意したタオルでそっと顔をぬぐう。本当に久し振りだった――眼帯の下にうっすら汗をかいてしまうくらい、誰かとの世間話に熱中したのは。
お勤めで罪人に裁きを下す以外、外の人間と関わる機会がないのは本当だ。両足が不自由なユーリは自分の意思で外に出られないし、挙句両目も見えないのでは出たところで大した意味もない。そして、わざわざ外から招いて交流するような知人友人もいない。ユーリの人生は、教会に拾われてからもう何十年も大聖堂の中だけで閉じ切っていた。
そんなユーリにとって、ウォルカたちと過ごすひと時は想像より何倍も楽しかった。
生来目が不自由な数少ない長所というべきか、ユーリはいちいち〈
そして〈
単なる冒険者パーティという枠組みを超えた、家族みたいに温かな人たち。人の醜い悪意ばかりを、何千何万と見続けてきたせいだろうか――こういう子たちが今の聖都で暮らしているのなら、自分たち聖女が積み上げてきた歴史にも意味があったのだとすら感じていた。
けれど同時に、無視できない違和感もあった。
「ただ……ウォルカのあの反応は、少し気掛かりでしたね」
「そうですな。彼が反応したのは、おそらく――」
「――〈
間違いなかった。ユーリが会話の流れでその言葉を口にした瞬間、ウォルカから感じる空気が明らかに変わった。思い出したくない記憶が呼び起こされ、言葉を失って苦しんでいるような。自分ではどうすることもできない『なにか』に対して憤り、強い嫌悪を制御できないでいるような。
数日前に映写魔法の記録で垣間見たのと同じ、ウォルカという青年の闇の側面。この世界に神などいないと容易く切って捨ててしまうほどの、まばゆい魂の影に隠された深い厭世。
だからユーリは理解したのだ――ああそうか、これがディアの言っていた『神に対する失意』なのかと。
「……彼の過去に、大きな関係があるのかもしれませんね」
「フュジに調べさせることもできますが……」
ユーリは即座に首を振り、
「それは彼に対する裏切りです。誰にも知られたくない過去を勝手に探ったとなれば、その瞬間に私たちは彼の信用を失うでしょう」
アンゼが聞き出せないでいるのも無理はない。たしかにあれは、他人が興味本位で立ち入っていい領域ではなかった。あのあとかたくなに誤魔化そうとしていた反応から見ても、彼が余計な詮索を断固として望んでいないのは明白だろう。
今はまだ、自分たちに知る資格はないのだと思った。
「それより目先の問題を。――明日のアルファナの追放、細心の注意で執行するよう伝えてください。こちらも、万一があれば彼らの信用を失うのは同じです」
アルカが見せた悪夢で精神が壊れかけている上に、今まで渡ってきたすべての国で改めて罪を問われるのだ。ここから先、二度と日の当たる場所を歩くことは不可能だろう。
吐息した。
「……午後の審判まで、少し休みます」
「承知いたしました」
ヴァインリッヒの気配が消えるのを待ってから、ユーリはゆっくりとソファーへ横になる。
目を開ける。人の魂を捉えることができる以外、物の輪郭と光の強弱がぼんやり感じられるだけの星の瞳。
「……私は、彼にとってあまり好ましくない存在かもしれませんね」
ウォルカから嫌な冷たさは感じなかった。突然押しかけてきたユーリを邪魔に思う素振りもなく、まるで一人の女であるかのように快く応じてくれた。人の魂から隠された真実を暴くユーリは、彼にとってむしろ警戒しなければいけない存在のはずなのに――本当に、アンゼとディアが太鼓判を押すのも頷ける人柄だと思う。
そして、だからこそ残念だった。
本当に居心地がよかったからこそ、ユーリは今こうして思い出すのだ――人々から忌み嫌われ、化け物と蔑まれ、
「…………」
――〈
こんな自分でさえなければ……アンゼやディアのように、彼らと心から笑って話せる未来もあったのだろうか。
そうありもしない幻想を抱きながら、ユーリは静かに星の瞳を閉ざした。
/
――翌日、アルファナの追放は予定通りに執行された。〈
聖都の騎士隊も隣国の騎士団も、双方事細かな手続きでしっかりと記録を残しており、どちらの対応にも一切不手際はなかったといっていい。こうしてアルファナの身柄は隣国へ渡り、〈
そして、現実はそうならなかった。
その後隣国の騎士団になにがあったのか、己の目で見て記憶し、誰かに語ることのできる人間は一人もいない。火急の報せが隣国から聖都へ届けられたのは、これより何日もあとになってからのこと。
アルファナを連行する騎士一隊が、
アルファナの遺体のみが発見されず、生死および消息不明。
場に残された痕跡から――
Tips:『〈
よくあるダンジョンから魔物があふれる的なアレ。なろう系作品においては、こういった魔物の暴走現象を必ず『スタンピード』と呼称しなければいけないルールがある(偏見)。
Tips:『ユーリリアス』
現在の聖女でただ一人、元々は教会となんの関係もない辺境の出身。およそ十歳の頃、〈星眼〉が原因で人々から殺される寸前に陥ったことがある。両足が不自由なのもそのときの怪我が影響している。
Tips:『ウォルカ』
ウォルカ「ほんと嫌になってくるぜこの世界」
周り「もしかして、昔〈獣魔侵攻〉で……っ」
本作の書籍3巻が11/29に発売予定です。
18万字ほど詰め込みましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
⇒書籍(Amazon)は【こちら】
⇒X(告知等)は【こちら】
⇒本作PV:【リゼルver】 / 【ユリティアver】 / 【アトリver】