全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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 今回は話の内容が内容なので、先に諸々の告知事項を。

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次にくるライトノベル大賞2025が、12/1(月)17:59まで投票受付中です。
 今年が最後のチャンスなので、激重感情推しな一票をいただけると大変励みになります。
 ノミネートNo.84からぜひ。

コミカライズ連載が始まりました。小説ともどもよろしくお願いします。



54. 遠き西より、殃禍と共にⅡ

「――はあああぁぁ~~~~、や~っと終わりましたわ~っ!!」

 

 聖都〈グランフローゼ〉から南方へ離れたとある鉱山の街で、クラエスタは人目も構わず上にぐいーっと伸びをする。義足グレードアップ計画を工房の仲間に託して数日あまり、現在のクラエスタは広がる青空と同じくらい晴れやかな心地に満たされていた。

 

 聖都の母なる偉大さと比べてしまえば、規模も活気も粗削りな埃っぽい街だ。しかしこの国でも指折り――とまでは言わぬもそれなりに大きな鉱石の産出地であるため、街のあちこちから元気な槌の音が響いているし、職人や商人がそこかしこを行き交っているし、中心部には〈聖導教会(クリスクレス)〉の小さな教会だって建てられている。そんな鉱石と槌と埃の街で、クラエスタはいくつか重要な商談を華麗に片付けてみせたところだった。

 

 ウォルカの義足をほったらかしにしてなにやってるんだ、というクレームはちょっと待ってほしい。

 

 至極当然な話ではあるが、現在〈グリフィス工房〉が請け負っている仕事は義足製作以外にも複数ある。工房経営とは、ただひとつの仕事で黙々と槌だけ振るっていれば上手くいくほど単純ではないわけで。素材の仕入れだったり、あるいは今回のような価格交渉だったり、時には棟梁自ら遠出しなければいけない日も出てくるのだ。

 

 なお今回の結果についていえば、隣でセボックがほっと一安心しているとおり、

 

「よかったですねえお嬢、すんなり話がまとまって」

「まったくですわ。これもラムゼイさんのお陰ですわね、ありがとうございます!」

「……あぁ?」

 

 クラエスタから七歩くらい後ろに下がった微妙な位置で、ラムゼイがちっともピンと来ない様子で眉をひそめた。釣り人から冒険者にクラスチェンジしたその出で立ちはガラが悪すぎて、ちょっとしかめ面をしただけでだいぶ物騒な凄みがある。

 

「なんでだよ。俺はなにもしねえで突っ立ってただけだろ……」

「いいえ、それが重要だったのですっ」

 

 クラエスタは力説する、

 

「普段ならわたくしをただの小娘とバカにして、上から目線な態度を取ってくる輩も多いんですの。でも、今回の相手はみんな明らかにビビり散らかしてました……これは間違いなく、顔面クソ凶悪なラムゼイさんが隣で睨みを利かせてくれたお陰ですわ!」

「褒めてねえだろてめえ」

 

 そんなことはない。たしかに目つきは最悪だし顔に傷もあるしで、いかにもヤバい感じの仕事をしていそうなくらい人相が悪い。しかし、その悪人面が今のクラエスタにとってはとても頼もしいものだった。

 ラムゼイはがっくり肩を落とし、

 

「さては、最初からそっち目当てで俺を連れてきやがったな……」

「適材適所の人材活用と言ってくださいませ。報酬はちゃんとお支払いしますわ」

 

 例の設計図盗難事件以降、クラエスタとラムゼイの間ではこうして細々とした交流が築かれている。というか、助けてもらったお礼くらいさせてほしいと何度も何度もせっついているのに、この偏屈やさぐれおじさんが「俺はそんな大層な人間じゃねえ」とかひねくれてひたすら逃げ回っているのだ。

 

 最近ギルドを脱退したばかりの元冒険者。Aランクでもおかしくないほどの腕前なのに、人柄が足を引っ張って最後までB止まりだったという話も頷ける。

 

 しかし生憎とクラエスタは、こういう面白くない態度をされると堂々受けて立ってしまうタイプの人間だった。

 まったく、人のお礼程度でなにをいちいち斜に構えているのか。そういうスカした態度がカッコいいと思っているのだろうか、思春期じゃあるまいし。礼儀というものを教えてやりますわ。

 

 とまあ、そんなこんなで今回のボディーガードを依頼したわけだ。依頼の報酬という正当な形であれば、さすがのこいつもこれ以上逃げ回ることなどできまい。

 

 なお義足製作その他諸々で今月の資金が地味に圧迫されており、そもそもちゃんとしたボディーガードを雇えるほど余裕がなかったというのは――まあ余談であろう。

 

 昔の人は言ったのだ、終わりよければすべてよしと。

 

「ちょうど馬車の時間ですし、さっさと聖都へ帰りましょう! これでウォルカさんの義足に集中できますわ!」

「へいへい……」

 

 乗合馬車の窓口で手続きを済ませ、出発時刻まで休憩する。そんな中でラムゼイがふと、

 

「……なあ。あんたがいま作ってるあいつの義足、相当いいもんらしいな」

「もっちろんですわ! そういえば、ラムゼイさんにはあまり詳しく話していませんでしたわね」

 

 時間を潰すのにちょうどよかったので、クラエスタは少しだけ思い出話を始めた。わざわざ〈魔導律機構(マギステリカ)〉の門を叩いてまでして、先代が老い先短い日々を義足の研究に費やした理由。かつて義足の製作を請け負い、そして救えなかったとある一人の冒険者について。

 

「もしおじいさまが生きていれば、きっとウォルカさんのために全身全霊で義足を作ったはず。だからわたくしがやるんですわ。それがおじいさまから託された、〈グリフィス工房〉の使命なのだと思いますから」

「…………」

 

 てっきり「そりゃご大層なこったな」と素っ気なく笑われるかと思いきや、意外にもラムゼイは真剣な表情で耳を傾けてくれていた。というより、まるで予想だにしていなかった事実に胸を衝かれ、言葉を失って沈黙しているかのようでもあった。

 

 やがてクラエスタから目を逸らし、ほんのかすかにひとりごちた。

 

「……十年以上前の、片足をなくした冒険者……か」

「ラムゼイさん?」

 

 ラムゼイはさらに数秒黙ったあと、突然生意気に小鼻で笑った。

 

「はっ。片足なくした体で剣を振り続けるなんざ……そんなバカが世に二人もいるとはなぁ」

「……」

 

 先ほどの沈黙を誤魔化すような、やけに強がりな口振りだった。クラエスタは隣のセボックと視線を交差させる。……そういえばラムゼイは、ついこの間まで十年以上冒険者をやっていたというベテランだ。ひょっとして、当時はその冒険者と面識があったりしたのだろうか。

 

 しかしラムゼイは、明らかに知らないふりをした。

 つまり、詮索されたくないのだろう。そうでなければ、「その話なら知ってるぞ」と自分の方から切り出してくるはずだから。

 

 小さな鐘の音が響く。乗合馬車の御者がハンドベル片手に声をあげ、もうまもなく出発の時間であることをクラエスタたちに告げている。

 

「おら、行くぞ」

「……ええ」

 

 それっきりラムゼイは義足のことなどすっぱり忘れたかのようになってしまって、クラエスタもセボックもあえて言及することはできなかった。

 

 乗合馬車とは文字通り、顔も名前も知らない人たちと一緒に乗り合わせる馬車。そんな空間で人のプライベートを詮索するような図々しさは、さすがのクラエスタといえども持ち合わせていなかったのだ。

 

 

 

 /

 

「――お客さん方ぁ、〈ルーテル〉の街に着きました。ここで少し休憩しましょう」

 

 やっとか、とラムゼイは御者の呼びかけにあくびを噛み殺す。

 道中、野盗はおろか魔物の一匹すら出てこない極めて平穏な旅路だった。それ自体は歓迎すべきことなのでなんら構わないのだが、お陰で体を動かす機会に恵まれずあちこちが凝り固まってしまっている。軽く伸びをした途端、いきなり動かすなとばかりに肩と背中の関節が抗議してきた。やっぱりもう若くねえもんだなあ、と思わず口の端から自嘲がこぼれる。

 

「いやあ、やはり馬車の旅はこたえますなあ」

「あ? おぉ、そうだな……」

 

 向かいの席から、クラエスタの世話役であるセボックが温和に話しかけてくる。ラムゼイのようなつまらない人間に対しても、いつも愛想のいい態度で接してくれるよくできた男だ。もし今回の旅がラムゼイとクラエスタの二人だけだったら相当気まずかっただろうが、たびたびこの男が間に入ってくれるのでまあそれなりに助かっている。

 

 セボックは腰を叩きながら、

 

「あいたたた……あっしもすっかり体が」

「セボックは仕方ないですが……ラムゼイさんはまだ現役でも行ける歳でしょう? 情けないですわよ」

「うるせえ。人間の体ってもんはな、四十も近くなりゃあちこちガタが来るんだよ」

 

 一方その隣に座るクラエスタといえば、まだ二十手前の若者らしくピンピンしながらラムゼイを冷やかしてくる。ラムゼイが言えた義理でもないが、本当にかわいげのないやつだと思う。見た目は華やか、中身は蛮族なエセお嬢様――こんなぶっ飛んだ女から雇われる日が来るなんて、かつての友人に話したら腹を抱えて大笑いされるだろう。

 

「ガタが来るのは歳じゃなくて、動くのをやめたせいでしょうに。使わないと錆びるのは人間も道具も同じで――」

「へいへい」

 

 エセお嬢様のお小言を適度に聞き流し、ラムゼイは首を回すついでで軽く周囲を見遣る。乗り合わせている乗客は他に四人で、別に自己紹介をしたわけでもないけれど、身なりからしてどこぞの商会や工房の使い走り。馬車の外では護衛の傭兵が二人同伴しており、この街で休憩したあとは東の港町へ向かって、そこから船で聖都に戻るルートとなっている。

 

 馬車の外から、傭兵二人の少し退屈そうな声が聞こえる。

 

「結局、小鬼(ゴブリン)の一匹も出なかったな。今日は運がいいらしい」

「ま、トラブルがないに越したことはねえよ」

 

 ラムゼイは幌の隙間から外を覗く。街道に沿って広がる視界のすぐ向こう側に、街を囲む境界線である灰色の防御壁が見える。

 

(そういや、〈ルーテル〉っていえば――)

 

 たしか、ウォルカが例の重傷で担ぎ込まれたというのもこの街ではなかったか。北へ向かえば聖都、南へ下れば先ほどまでいた鉱山の街、東は聖都と運河一本でつながる港、西ならば大小様々なダンジョンの密集地帯と、各所へアクセスできる街道の中継地点とも呼べる街。

 

 つまりあいつにとっては、ここが命の恩人ともいえる街になるわけか――。

 

「うわ。なんだこりゃ、壁が崩れてるぞ」

 

 思考に耽っていると、護衛の一人がふいにそんな声をあげた。御者の男も大層驚いた様子で、

 

「本当ですね。こりゃあひどい……」

 

 外の景色が流れ、ラムゼイが覗く幌の隙間にもそれが映った。たしかに今さっきまでどっしりと構えていた防御壁が、五~六人は通れそうな横幅で完全に崩落してしまっている。

 

「あーあー、手抜き工事でもしてたのかね」

「……誰もいないな。街の人は気づいてないのか?」

 

 護衛の二人が不思議がっている。たしかに妙だとラムゼイも思った。街の境界を守る防御壁が崩れているのに、周囲に人っ子一人の姿もないのはいささか違和感がある。

 

 もちろん大人が多少見上げる程度の石壁ごとき、街を防衛する手段としてはたかが知れているだろう。狡猾な盗賊であればあの手この手で登ってしまうし、空を飛べる魔物の前ではほぼなんの意味も成さない。それでもこうした設備が人々の暮らしに欠かせないのは、実際の防御性能よりも、街の秩序を保つ上で様々なメリットがあるからだ。

 

 たとえば壁を築いて街の入口を限定することで、出入りする人間の管理がしやすくなる。子どもや家畜がうっかり外に出て行ってしまう危険を防げる。外でうろつく魔物の気配を和らげ、住人を潜在的な不安や恐怖から遠ざける。考えてみれば当然のことだが、周囲に柵の一本もない剥き出しの大地より、たとえ見せかけでも壁で覆われていた暮らしの方が安心できるのだ。

 

 防御壁とは、そうやって人々の精神的支柱となる役割も併せ持っている。それが一部分とはいえ崩壊してしまっているのだから、聖都であればすぐさま然るべき場所から人がすっ飛んでくる事案だろう。

 

 なのに、まるで()()()()()()()()()()()()この静けさは――

 

「――!!」

 

 そして『それ』を理解した瞬間、ラムゼイは立てかけていた剣を握って立ち上がっていた。御者の背中に鋭く声を張る、

 

「おい、馬を止めろ! 街に近づくな!!」

「は、はあ?」

 

 御者が尻上がりに困惑する。ラムゼイは構わず、

 

「いいから止めろ! 誰も外に出るなよ!!」

「え――ちょ、ラムゼイさん!?」

 

 クラエスタの制止も突っぱねて馬車から飛び降り、崩れた防御壁へ一直線に走り出す。

 

「おっおい、なにしてるんだ!」

「こら、勝手に行動するなっ!」

 

 護衛の二人に怒鳴られるも知ったことではない。崩れた防御壁の目の前まで辿り着き、足を止め――歯を軋らせて、

 

「――クソッタレがッ……!!」

 

 その向こう側で広がる光景を前に、腹の底から吐き捨てた。

 

 

 街が、滅んでいた。

 

 

 静かな滅びだった。すべてがすべて、影も形もなく壊し尽くされていたわけではないけれど。多くの建物が倒壊し、無数の血痕が一帯に飛び散り、地面が抉れ、大気が沈み、聞こえるべき人の声も、あるべき人の姿も、あらゆる街の営みが完全に死に絶えた――むせ返るような『無音』だけが横たわっていた。

 

 追いかけてきた護衛にも、ようやくそれが理解できたのだろう。

 

「なん――だ、これは……!!」

「……おい、おいおいおい待て、待てよ。冗談だろ」

 

 立ち尽くすしかない。

 誰もいない。死体すら転がっていない。だからなにも聞こえない。

 助けを呼ぶ声も、誰かの泣く声も、悲鳴も、叫喚も、本当になにひとつとして――

 

「クソッ!!」

 

 護衛が力の限り吐き捨て――この街に、知り合いでもいたのだろうか――、強い赫怒(かくど)に染まった瞳でラムゼイを見据えた。

 

「誰かいないか捜してくる。あんたは馬車を頼む。なにか異常が起きたら、俺たちのことはいい。すぐ港に向かって救援を呼んでくれ」

「……わかった」

 

 護衛らが街に飛び込む。だが、二人の姿が見えなくなってもラムゼイはまだ動けなかった。思考がまとまらない。今まさに護衛から頼まれておきながら、急いで馬車へ引き返すという選択肢が頭の中に浮上しない。

 

 ――なにがあった?

 

 いや、なにが起こったのかはこの上なく明白だ。街が魔物に滅ぼされた、それ以外にありえない。ならばいったいどんな化け物の仕業だ。どこかへ逃げ延びたのか、それとも一人残らず殺されたのか――どちらにせよ、街から人の気配が途絶えるほどの襲撃などどう考えたって尋常ではない。

 

「…………」

 

 この街に思い入れはない。ラムゼイにとっては完全に見ず知らずの街で、死を悼むような友人や知り合いがいたわけでもない。だから一刻も早く冷静になろうとするのに、いつまで経っても神経を掻きむしられるような嫌悪感と、爪が肉に食い込むほどの怒りを抑えられなかった。

 

 自分にとっては与り知らぬ街――だが、()()()は違うだろ。

 ふざけるなよ。ここはあいつが世話になった街なんだろ。死にかけたあいつを担いで、仲間が藁にも縋る思いで駆け込んだ街なんだろ。あいつの命を救った街なんだろ。

 

 ――なのになんなんだよ、これは。

 

「っ……?」

 

 無意識のうちに眼前を直視できなくなり、そこでラムゼイはようやく気づいた。崩れた防御壁の瓦礫に混じって、この周囲だけ地べたがひと際赤黒く染まっている。

 

 血だ。それに、〈剣と杖(ソード&ワンド)〉の紋章が入った冒険者の額当て、折れた剣、ギルドの職員証……おそらく住人の遺留品だろう。

 間違いなく、ここで何人かの人間が殺された。防御壁が破壊され、外から魔物が一斉に雪崩れ込んできて――

 

(――いや、違う。()()

 

 瓦礫も血痕も遺留品も、()()()()()()()()()()()()()()

 魔物が外から押し寄せたのなら、瓦礫は内側に向けて崩れていなければおかしい。戦闘による血痕や遺留品だって、街の内部に残る割合が多くなるはず。

 

「……ああ、そうか。そういうことかよ……!」

 

 つまり、()()()()()()()()()()()()()なのだ。街の秩序を保つための壁が、人々を閉じ込める牢獄となってしまった。街全体が呑み込まれるほどの襲撃を前に、もはや壁を破壊してでも逃げるしか手がなかったのだ。

 

 冒険者の紋章が入った額当て。()()()()()()()()()()()()()が使うような装備。

 せめて一人でも多くを逃がそうとして、ここで追いつかれて――あるいは待ち伏せされて、死体すら遺らぬまでに蹂躙させた。

 

 吐き気がした。

 

「なんだってんだよ、クソがッ……!!」

 

 ようやく、足が動いた。

 引き返す。街道の脇に止まっている馬車へ走る。途方に暮れた顔で馬を休ませている御者へ、一切冗談めかさず端的に告げる。

 

「街が壊滅してる」

「は? …………は? え?」

 

 御者の片頬に引きつった笑みが浮かぶ。無理もない、こんな話を聞いた瞬間理解できる方がどうかしている。それでも続ける、

 

「護衛のやつらが街を調べてる。なにがあるかわからねえ、いつでも走れるようにしとけ」

「……ちょっと、どういうことですのッ!?」

 

 幌の中からクラエスタが飛び出しかけた。セボックに慌てて腕を押さえられながらも、

 

「壊滅、って……本気で言ってるんですの!? なんでそんな……っ!!」

「……状況がわからねえ。死体ひとつ転がってねえんだ」

 

 そう――この襲撃は明らかにおかしい。住人の死体ひとつ残さないなど、ただそこらの魔物が暴れ回ったにしてはお行儀がよすぎる。知性の欠片もない連中の仕業であれば、街はこれ以上の陰惨を極めた死臭であふれかえっているはずなのだ。

 

 無論、ラムゼイが見たのは街のほんの一部に過ぎない。今ごろ護衛の連中が犠牲者の遺体を見つけているかもしれないし、あるいは生存者の姿を確認して助け出そうとしているかもしれない。

 

 だがもしも、もしも本当に死体ひとつ残さず滅び尽くされたのだとすれば――それは魔物の本能を超えた狂気の類だ。〈獣魔侵攻(スタンピード)〉だってこうはならない。なにか、ラムゼイの知らない未曾有の惨劇が起こっている。

 

「……生存者が見つかるかもしれねえ。おい、俺たち全員のポーションをかき集めたらどれくらいだ。それとこの馬車、限界まで乗せたら何人までいける」

 

 乗客と必要な確認を進めながら、しかしラムゼイの脳裏にはウォルカの姿がこびりついて片時も消えない。

 

 これは間違いなく、聖都のみならず国全体を揺るがす大事件になる。いずれはウォルカの耳にも届いてしまうだろう。〈ルーテル〉の壊滅を知ったとき、彼はいったいどんな表情をするのだろうか。――この世界に神なんていないと、まるで知った風な口を利いていたあの青年は。

 

 自分の命を救ってくれた街が消えた。

 きっと、傷を癒やす中で親しくなった住人だっていたはずなのに。

 

「……ラムゼイさん」

 

 クラエスタが、別人になったようなか弱い眼差しでラムゼイを見つめた。

 

「なにか、わたくしにできることは――」

 

 そこまでだった。

 

 

 全身の血が凍りつくような、恐ろしく冷たい魔力の気配。

 

 

「……!!」

 

 振り返る。街の内部。護衛の姿は見えない。それだけ確かめてラムゼイは一秒で決断した。

 

「おい、馬を出せ!! 港に向かえ!!」

「は? い、いやいや待ってください! いま生存者がいるかもと――」

「口答えすんな早くしろッ!!」

 

 御者の肩を掴み、ぶん投げるも同然の勢いで無理やり御者台に座らせる。だが、御者はなにがなんだか動転するばかりで一向に手綱を握ることができない。ラムゼイは舌打ちする、こののろまめ、さっきのヤバい魔力をなにも感じなかったのか。

 

「ご、護衛の二人はどうするんです!?」

「ごちゃごちゃうるせえ、自分が生き延びることだけ考えろ!!」

 

 それでも御者は動けない。無理もないのかもしれない、常人が理解するにはいくらなんでも事態が急転直下すぎるのだろう。だがそれでも、もう自分たちには一刻の猶予すら許されていないのだ。

 

 こうなってしまっては、自分が手綱を奪って無理にでも走らせるしかない。ラムゼイは御者台に片足をかけ、邪魔な男を奥の荷台へ容赦なく投げ飛ばそうとし、

 

「――待ってよ」

 

 その幼い声が聞こえた瞬間、ラムゼイは残されていたわずかな時間が完全に潰えてしまったことを悟った。

 

 馬車と防御壁で挟んだちょうど中間の位置に、いつの間にか少年がいた。

 格式高くもどこか退廃的な、暗く沈んだ色合いの優美な出で立ち。一見すると何百年も昔から続く名家の嫡男が、これから社交界の場へ赴こうとするかのような。十代もまだ前半の幼い外見、光を吸い込む金の髪、そしてきめ細かな白い肌はどれも人間離れして美しく、本来であれば男すら見惚れるほどの美少年と評することができたのだろう。

 

 だが、今このときに限ってはできるわけがなかった。

 

 

 血まみれの屍となった護衛二人を、その両手で軽々と引きずっているのだから。

 

 

「……クソがッ!!」

 

 最悪だった。ラムゼイはあらん限りの感情で悪態を吐き捨て、しかし同時に心のどこかでは冷静に俯瞰していた――ああそうか、ここで()()()()が出てくるなら街が壊滅するのも納得だと。

 

「ひ、ひぃ……!?」

 

 御者が恐れ慄き、それを皮切りに乗客の悲鳴が飛び交った。

 周囲の気温が一気に数度は落ち込んだ感覚。人の恐怖という感情を否応なく掻き立ててくる、首に刃物が食い込むような冷たい魔力。そして人間のそれとは決定的に作りが違う、黒と赤だけで染め上げられた異形の(まなこ)

 

 なるほど、()()()()()()()()()()()()とおりだ。

 ウォルカに負けて以来落ち着いていたはずの神経の痛みが、またチリチリとぶり返してきた。

 

「……クラエスタ」

「……なんですの? わたくし、やっぱり工房に引きこもってればよかったって絶賛後悔中なのですけど」

 

 クラエスタが震える笑みで答える。彼女は乗客の中でただ一人、少年から発せられる魔力に呑み込まれていなかった。魔物と戦った経験などないただの小娘で、人が殺された姿を見たのだってはじめてだろうに、それでも精一杯虚勢を張れるのなら上々だった。

 

吸血鬼(ヴァンパイア)だ。生きて帰って、必ず大聖堂に知らせろ」

「っ……」

「時間くらいは稼いでやるよ、それが仕事だしな。……あんたには、やらなきゃなんねえことがあるだろ」

 

 クラエスタの性格から考えれば、きっと「ふざけるな」と叫びたかっただろう。だが、彼女は最後まで冷静に判断を下した。自分が持ちうる吸血鬼(ヴァンパイア)の知識を総動員し、目の前の状況から己の為すべきことを必死に見極め、喉まで出かかっていた「ふざけるな」を力ずくで呑み込んだ。

 

 馬車から身を乗り出す右手が、抉るように爪を立てた。

 

「――勝手に死にやがったら、ぶっ殺しますわよ」

「はっ……そりゃ、おちおち死んでもいられねえなぁ」

 

 腹は決まった。

 ラムゼイは剣の鞘で馬を打った。冷たい魔力に怯えていた馬たちはその一撃で完全な恐慌状態に陥り、本能に従って全速力で前へ走り出す。

 

 馬車が強制的に走り去る間際、クラエスタがなにかを叫んでいた気がするけれど。

 それは甲高い馬の嘶きと、暴走する車輪の音にかき消されてよく聞こえなかった。

 

「……」

 

 ラムゼイと少年だけが場に残される。剣を抜いて注意深く構えるラムゼイに対し、少年は馬車を追わなかった。引きずってきた二つの死体を横に放り、

 

「すごいねおじさん、冷静なんだ。こっちの二人はぜんぜんダメだったんだよ」

「……吸血鬼(ヴァンパイア)だな」

「ぴんぽーん」

 

 少年は構えない、ただ無邪気にその場で突っ立っている。まるで構える必要がないと言うかのようだったし、事実として吸血鬼(ヴァンパイア)であれば、ラムゼイごときにわざわざ戦闘態勢を取る理由もないのだろう。

 

 問う。

 

「街をやったのは、てめえか」

「んー、二割くらいはそうだよ」

 

 少年は素直に答える。

 

「残りの八割はそうじゃないよ。()()はなんていえばいいんだろ……とっくに人間じゃなくなってるし、かといって僕たちの同胞とも呼べないし……父様の実験体? まあ、もう()()()()()()()みたいな感じかな? それがやったんだ」

「……、」

 

 この状況だけですでに最悪だというのに、輪をかけて最悪な情報が二つも追加された。ひとつ、『父様』。こいつより格上の吸血鬼(ヴァンパイア)がもう一体いるということ。ふたつ、『実験体』。〈ルーテル〉を壊滅に追いやった魔物が、少年や『父様』とは別にいるということ。

 

 つまり街ひとつを容易く滅ぼせるレベルの化け物が、少なくとも三体はこの国に入り込んでいるわけだ。気が遠のきかけて思わず笑ってしまう。

 

「ここはもうほっといていいって言われたけど、そろそろ騒ぎになってるかなーって見に来たんだ。そしたらこの人たちを見つけたんだよ」

 

 それがどうして二人を殺害することにつながるのか、ラムゼイには徹頭徹尾まるで理解できない。理解しようとも思わない。

 さらに問う。脳の片隅がずっと小さな火で炙られているような、不愉快極まる神経の痛みを感じながら。

 

「……てめえ。十五年前に、五人組の冒険者パーティを潰したことはねえか」

 

 かつて、パーティの仲間を全員殺された友人はラムゼイにこう言っていた――自分たちが戦ったのは、まだほんの少年にしか見えない吸血鬼(ヴァンパイア)だったと。

 少年は「んー?」と首を傾げ、

 

「十五年前? ……わかんないなあ。弱い人間のことはいちいち覚えてないよ……」

「……そうかよ」

 

 まあ、そんなことだろうと思っていた。この少年はなんの関係もない別の個体かもしれないし、正真正銘かつての友人の仇なのかもしれない。

 

「ねえ、今度はおじさんが遊んでくれる?」

 

 だが、そのどちらであるとしても。

 

「そうだ、こうしようよ。おじさんが僕を楽しませてくれたら、さっきの馬車は見逃してあげる。楽しめなかったら――おじさんを殺したあとに追いかけて全員殺すよ」

「…………」

「それなら、おじさんも必死になってくれるよね」

 

 ――心の底から、『怪物』という言葉がふさわしいと思った。

 なるほど、かの(ドラゴン)と並んで『生きる災厄』などと恐れられるだけはある。人間とは到底相容れない思考回路。人間とよく似た姿をしていながら、人間の尺度にはまったく当てはまらない生命体――それが吸血鬼(ヴァンパイア)なのだと。

 

「あ、そうだ。一対一で戦うときは、ちゃんと名乗るのが高貴な振る舞いだって父様が言ってたっけ」

 

 少年の口が、三日月を描く。

 世界そのものが凍りつくような、悪しき極寒の魔力とともに。

 

「――僕は吸血鬼(ヴァンパイア)、〈朽ちし断絶のメルフィウス〉。がんばってね、おじさん」

「……はっ。随分とご大層な名前だなぁ」

 

 ――あー、なんでこんなことになってんだかなぁ。

 

 口端に浮かべた冷笑は精一杯の強がりだ。肌を打つ魔力だけでわかる、こいつはしがない冒険者が一人で太刀打ちできるようなやつじゃない。さっきからずっと頭の裏側で、ラムゼイの本能が馬鹿な真似はやめろとやかましく叫び続けている。

 

 けれど、尻尾を巻いて逃げようとは思わなかった。過去の因縁。亡き友の仇。散々人に迷惑かけて生きてきたツケ。いろいろ言い訳を考えはしたけれど、なによりも。

 

 ――あのお嬢サマが死んだら、誰があいつの義足を作るんだって話だしな。

 

 自分のようなろくでなしにも、まだ守ろうと思えるなにかが残っていた。

 男が退かない理由なんて、きっと、それだけあれば充分なのだろうから。

 

 

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