全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
なんともわかりやすいものだった。上機嫌なおっさんと不機嫌な少年という対照的な取り合わせ。男の方は至って快活な冒険者姿だが、少年の方はあちこち土の汚れを払った跡があって哀愁が漂っている。加えて髪がいつもより乱れているし、腕や頬には軽い擦り傷までくっつけている。完全にそっぽを向いて隣の男を見ようともせず、「あそこでああしてれば……」「あと一歩だったのに……」などと未練がましくぶつぶつ言っている。
〈
「おう」
「はいはい、お疲れ様」
一方少年はあいかわらずむすっとしている。受付嬢はもうすっかり見慣れた様子で、
「あはは、今日もコテンパンだねえ」
「コテンパンじゃっ、」
勢い任せで反論しかけ、それから少年はぐぬぬぬぬぬとひとしきり唸り、
「……なかった、と、思う! 今日はもうちょっとで一発入れられそうだったんだ!」
「おう、あれはなかなか悪くなかったな。やっとこさ鍛錬の成果が出てきたってとこか」
「やっとこさ言うな!」
「へえー」
踏破承認事故にまつわる騒動がようやく終わり、この小さなギルドにもすっかり平穏な日々が戻ってきた。一時は人もかなりまばらになっていたが、元より西のダンジョン密集地帯からほど近いとあって、今ロビーを賑わせているのは大半が街の外からやってきた連中だ。男や少年のように、この街自体に根を下ろしている冒険者は実は結構少数派だったりする。
しかしそれゆえ、受付嬢含めたこの三人はもはや勝手知ったるご近所付き合いでもあった。
少年が土まみれになってむくれているのも、男のもとで朝の鍛錬に励んできたからである。ユリティアと別れた日を境に、少年がこつこつ健気に継続している新しい日課だった。受付嬢は頬杖をついて穏やかに、
「どう? Cランク、そろそろ上がれそう?」
「そうだなあ、まずはなんとしても俺に一発入れてもらわねえとな」
「ぐぬぬぬ……!」
それもこれも、少年がユリティアの前で「俺は必ず強くなる」とか誓ったり、ウォルカの前で「このまま負けるつもりはねーからな!」などと啖呵を切ったりしたせいであろう。
そこまでカッコつけてしまったからには、有言実行せねば男が廃る。なので男も受付嬢も、Aランク目指して邁進する少年を大変有意義な心地で見守っているのだった。いい青春してんなあ、と後方腕組み年長者面しながら。
と、少年が唇を尖らせながら尋ねる。
「……そういやあのパーティ、最近なにか連絡あったか?」
もちろんユリティア、もとい〈
「うん。聖都の工房と協力して、新しい義足を作り始めたって。すごーいハイテクなやつ」
ここは例の事故に間近で関わった街なので、ウォルカたちのその後を含めて聖都のギルドから定期的に連絡が飛んできていた。
差出人の名は、今のところすべて『シャノン』で統一されている。事故が起こってすぐに聖都から派遣されてきて、大切な友人であるウォルカたちと必死に会おうとして――そして拒絶され、失意のまま街を去ってしまった少女の名だ。こうして元気な筆跡で連絡を送ってくれるようになって、受付嬢は心の底からほっとしていた。
「……そっか。やっぱり、あいつは諦めてねえんだな」
人目を盗んで胸を撫で下ろすような、一方で心からは安堵しきれず気を引き締め直すような、そんな少年の口振りだった。
「うん、きっとそう」
「あんなボロボロの手ェしてたやつだからな。そりゃ諦めないだろうさ」
男は少年の肩をバシバシと叩き、
「おまえももっとがんばんねえとな。あの野郎に勝つのは生半可じゃねえぞぉ」
「わかってるっての……!」
まるで親子のようにも見える二人を、受付嬢はどこまでも優しく見つめる。
きっと、少年は約束通りに強くなるだろう。強くなって、そう遠からぬうちにこの街を出て聖都に旅立つだろう。そんな明るい未来を思い描くと、寂しくもあり感慨深くもあり、どうか彼の旅路が健やかであってほしいと祈りたい気持ちになる。
多くのダンジョンと魔物がひしめくこの世界は、人間にとって決して生きやすくはないけれど。一歩街を外に出れば、なにがあってもおかしくない理不尽と不条理に満ちているけれど。
どうかこれから生きる子どもたちが、一人でも多く壮健であるように。
「……ん?」
そのとき、最初に違和感に気づいたのは男の方だった。振り返り、入口のドアの向こう側を凝視する。
「どうしたの?」
「なんか騒がしいな」
やや遅れてから受付嬢も気づいた。たしかに外で幾人かの声が飛び交っている。あえて怒号や悲鳴というほどでもない、突然の事態に困惑しているようなどよめき声が。
ちょっと行ってくる、と男がドアへ向かう。少年が咄嗟についていこうとするも、
「おまえはポーションで怪我治しとけって」
少年を受付嬢に任せて外へ出ると、ちょうど街の警備を担当する衛兵が一人、慌ただしい駆け足で目の前の道を通り過ぎていくのが見えた。丘がある方向――どうやら教会を目指しているらしい。
ということは、なんらかの事故が起こって怪我人でも出たのか。
人手が要る状況も想定して騒ぎの渦中へ向かうと、ほどなく男は街の入口付近まで辿り着いた。防衛門の傍にごく少数の人だかり。別の衛兵が地べたで誰かを抱きかかえ、「大丈夫か! しっかりしろ!」と懸命に声をかけている。
「おい、どうした?」
「っ……あ、ああ、あんたか」
男が駆け寄ると、顔馴染みの衛兵は少しだけ安堵の表情を見せた。いくらか落ち着きを取り戻して、
「この女が、森の方から一人で歩いてきたんだ」
衛兵が抱える女を見下ろして、男は思わず顔をしかめた。
それは、『見るも無残』としか表現のしようがないボロボロの女だった。街の外から一人で歩いてきたということは、冒険者の可能性がもっとも高いはずだ。だが無理やり色を抜き取ったような薄汚れた白髪も、骨が浮くほど痩せこけた肌も、元のデザインが想像できないボロ布同然の衣服も、彼女の身分はおろかぱっと見の年齢すら推測を困難にしている。
もしこんな女と森の中で出くわしたら、アンデッドと勘違いして剣を抜いてしまうかもしれない――それほどまでの凄惨極まる姿だった。
「こいつは――」
いずこかで魔物か〈
男はひりついたため息をつく。命を危険視するほどではないものの、女の体には大なり小なり外傷も目立っている。彼女の身にあったことを思うと反吐が出そうになる。しかしそれでも、可及的速やかに情報を聞き出す必要があった。人手が限られるこの街で討伐隊を組織するなら、決断は早ければ早いほど望ましいからだ。
膝を折り、かすかに意識がある女へ問うた。
「おい、大丈夫かあんた。いったいなにが――」
――それはつまるところ、ほんのわずかな差でしかなかった。
だからもしも、知らせがあとたった一日だけでも早ければ。
せめて疑うことさえできていれば、もしかすると、最悪の結果だけは避けられたかもしれない。
そして現実は、そうならなかった。
ただそれだけの、無意味な夢想に過ぎないのだ。
「――――――――イひっ」
女の。
アルファナの笑みが、黒く裂けた。
/
真っ黒い澱んだ魔力が火柱のごとく噴き上がる。誰かの悲鳴があがり、絶叫が響き、怒号が飛び交い、それらすべてを甚大な破砕の音が根こそぎ押し潰していく。ひとつの街の日常がいとも簡単に崩れ去っていくその光景を、上空から風とともに見下ろす鮮紅色の瞳がある。
〈紅き戦乱のオスカーレイン〉、〈朽ちし断絶のメルフィウス〉――遠き西よりこの国に
眼下を見下ろす。
「ねえ父様、結局
「いや、失敗作であるな」
メルフィウスの問いに、オスカーレインは
「あと一息といったところだったのだが、精神が壊れて呑まれてしまった。我らが同胞と呼ぶには遠く及ばぬ、謂わば魔物の成れ果てであろう」
かつてアルファナと呼ばれていた人間の背がばくりと裂け、そこから何倍も巨大な図体の
化け物だ、と街の人々が叫んだのもうべなるかな。
ここが人間の住む街でなければ、ダンジョンのボスモンスター、あるいは
そういう怪物が体から瘴気を撒き散らしながら、人だった頃に覚えていた魔法を手当たり次第乱射しながら、狂笑とともに街と人々を薙ぎ払っていく。
「でも、なんで
「さて……。吾輩の血を飲んだ人間の中でも、あのような形に堕ちたのははじめてであるな。おそらく、精神的ななにかが表出した結果ではあろうが」
「父様の血は、人間には劇毒みたいなものだしなぁ」
そして、街を狂乱に陥れるのは怪物だけではなかった。
怪物の足元、魔法陣によって展開された黒い泥水のような空間。そこから次々と
「あれ、魔物を召喚してるの?」
「正確には、あれは魔物の骸である。なにやら血肉を求めていたから、適当なダンジョンに放り込んでみたのだが――」
オスカーレインは口元にかすかな笑みを含め、
「ダンジョンの魔物を、
「ふーん……」
――怪物の蛇体の傍。大量の瘴気を直に浴びて動かなくなっていた住人たちが、ゆっくり起き上がり、
「……生者じゃなくて、死者を操るようになったってことかぁ」
「失敗作ではあるが、聖都への妄執だけは消えていないと見える。聖女どもの懐へ放り込むにはちょうどよかろう」
「そういえば聖女って、父様がわざわざ気にするくらいの人間なの?」
メルフィウスの疑問に、オスカーレインは直接答えなかった。
「なに……少しばかり、聖都なる都市に興味があるのだ。どうやらあそこには、人には言えぬ妙な謎があるらしい」
「謎って?」
「〈
オスカーレインは地平線を見遣る。人外の域を超えた
「曰く、聖都とは初代の聖女が興した都市である。天より神の遣いが舞い降り、ただの平地だったその場所へ国を築くよう神命を下したと。その後何代もの聖女の治世を経て、人が集い、教会が組織され、港が造られて塔が建ち、街はやがて広大な都市へと発展していったそうな」
唐突な語り口に、メルフィウスはいきなりなんだと面食らいつつ、
「それが、偽りの歴史?」
「うむ。真実は違う。街が興ってから塔が造られたのではない――
「?」
考える。それはつまり、
「えーっと……初代聖女とか天の遣いとかが出てくるより先に、元からあの塔だけが存在してたってこと?」
「然り。人間のいない土地に最初から塔があった……それすなわち、人間以外の手によって造られたものである、ということであるな。さて、では誰がなんの目的で造ったのか」
なるほど、とメルフィウスは一応納得。しかしまたすぐに首をひねり、
「でも……だからってそれがなに? って話な気がするけど」
「ふふ、まあ、そうであるな」
オスカーレインはくつくつと喉を鳴らす。
「無論、大した意味もないことやもしれぬ。しかし吾輩は興味をそそられた。なぜ〈
「まあ……」
「あの塔はなんなのか、聖都とはいったいなんなのか……吾輩には、聖女どもがなにか興味深い真実を隠している気がしてならないのだよ」
そうして、オスカーレインは語りを終えた。シルクハットを被り直し、
「同胞を塔に侵入させるつもりだ。そのために、
「うわー捨て駒扱い。父様は本当に、掻き乱すだけ掻き乱して自分では絶対手を出さないよねー」
「吾輩は、戦乱を眺めるのが生き甲斐であるからな。ちょうど今のように」
足元では人々の叫びが響き渡っている。元よりさして大きくもない街は、もうすでに半分近くが魔物によって崩壊していた。逃げ惑う者、立ち向かう者、なにもできず呆然とする者、ただ泣き喚く者、それらひとつひとつが呑まれては消えていくのを見つめながら、
「――命とは、死の淵にこそもっとも耽美に輝くのだから」
メルフィウスには、父の言う美学とやらがよくわからない。そんなもんなのかな、という気もするし、そうなのかもしれないな、という気もする。自分だって戦いで一番楽しいと感じるのは、弱者の無駄な抵抗を味わいながらトドメを刺す瞬間だから。
「……ところで、姉様はどこ行ったの?」
それからメルフィウスはふと気になって尋ねた。一緒にこの国へやってきたもう一人の
問うや否や、上機嫌だったオスカーレインが嘆かわしく息をついた。
「前もって今日の予定を話したのだが……無意味な殺しは嫌いだし、興味もないとのことだ。どこでなにをしているのやら」
「あはは、あいかわらず姉様は変わってるなー。ストラ小父様の影響かな?」
「その名を口にするな」
今度は不機嫌どころではなかった。闇夜の奥から大気を震わせる、光なき雷鳴のごとく剣呑な言葉だった。
「虫唾が走る。あの惰弱な王に絆されるなど……まったくもって愚かな娘よ」
ステッキを握るオスカーレインの指先に、吐き捨てるような怒気がこもっている。思わずメルフィウスの呼吸が止まる――ヤバ、尻尾踏んじゃった。
〈紅き戦乱のオスカーレイン〉は、当事者よりも傍観者であることを美学とする。だがそれは決して、彼が
「――む? あの人間、壁を壊して逃げようとしているな」
怒気が霧散した。メルフィウスがこれ幸いと彼の視線を追うと、なるほど防御壁の間際に人間の姿。一人の少年が剣に魔力を込め、ギルドの受付嬢など、後ろの人々のために逃げ道を作ろうとしているのがわかる。
「ふむ、困ったものだ。
「じゃ、じゃあ僕が行ってくるよ!」
メルフィウスは、尻尾を踏んだ尻ぬぐいをすることにした。そうして飛んでいった息子をひとしきり目で追い、やがてオスカーレインは再び彼方の白き塔を見遣る。
つぶやく。
「聖女――神の化身か」
もちろん、聖都や〈
だがその数十年の間で、聖女が人々に説く虚構の歴史を知った。
今のオスカーレインにとって、この地は立派な『興味』の対象だった。どのように聖都へ一石投じるか決めあぐねる中、あつらえ向きな捨て駒も手に入った。この地に戦乱を起こし、塔の実態と聖女の力量を探るにはちょうどいいだろう。
そう――結局のところ、オスカーレインが今ここにいるのは単なる興味本位だ。アルファナに目をつけたのも、今日の計画にこの街を選んだのも特に重要な意味はなく、そんな好奇心の延長線上のことでしかない。
魔族として与えられた絶大なる力を存分に振るい、他者を寄せつけず思うがまま君臨する――それが古よりあるべき
微笑した。
「人間の信ずる神とやらがどれほどのものか……吾輩に見せてもらおうではないか」
銃声。
――かくして〈ルーテル〉は誰にも知られることなく、たった数十分足らずのわずかな時間で壊滅した。
逃げ延びた住人が何人いるのか。そして、
知るのはただ、すべてを空より見下ろしていた赤い瞳だけだ。
/
見たことも感じたこともない速度で馬車が疾走している。
視界が縦に斜めに絶えず揺さぶられて平衡感覚もクソもなく、幌の骨組みに力いっぱいしがみついていなければ、体ごと吹っ飛ばされて馬車から振り落とされてしまうだろう。乗客のクラエスタたちは言うまでもなく、御者すらも片手が辛うじて手綱を握っているだけの状態に過ぎず、馬車はただひたすら目の前の道を暴走し続けている。
それでも、クラエスタは声の限りで御者へと叫んだ。
「もっと速く走れませんの!? 非常事態ですのよ!!」
御者が、それよりも必死に叫び返した。
「無理ですっ!? 馬がよくても車体が壊れちまう!!」
クラエスタは歯噛みする。御者の訴えは至極正しい。これ以上暴走すれば先に車輪が壊れるし、揺れに耐えきれず振り落とされてしまう乗客だって出るかもしれない。わかっている、クラエスタにもそんなことはわかっている――だがそれでも今は、一刻の猶予すら許されていない危機的状況なのだ。
たった一体でも侵入が確認されれば、万全の討伐には聖騎士やSランク冒険者を複数人結集させなければならない――そう噂されるほどの化け物なのだ。
そんな規格外の存在がどうしてこの国で、どうしてわざわざ〈ルーテル〉という小さな街を。
まさか単なる散歩感覚でやってきて、単なる暇潰し感覚で滅ぼしたとでもいうのだろうか。そんなふざけた話があってたまるか。もし本当に街が全滅してしまったのなら、理不尽に奪われた命は数十や数百どころじゃ済まない。
振り落とされないよう掴む幌の骨組みを、そのままへし折ってしまいそうだった。
「港に、救援に向かえる騎士か冒険者はいるんでしょうね!?」
「騎士なら港の警備が多少は!! 冒険者は運次第でしょうな!! それにもし数を集められたとしても、相手が
それもまた正論だ。冒険者が一人で
いや、そもそも港は無事なのだろうか。〈ルーテル〉が壊滅した以上、そこからもっとも近い街である港まで滅ぼされている可能性もゼロではない。なら、いま自分たちが必死に馬車を走らせているのも無駄ではないのか。もし港まで壊滅していたら、クラエスタはいったい誰に助けを求めればいいのか――。
最悪の事態は最悪の想像へ連鎖する。もうわけがわからなかった。ほんのついさっきまで、面倒な商談をすべて片付けたあとの青空みたいな帰路だったのに。みんなで無事に聖都へ帰って、クラエスタはウォルカの義足製作へ、ラムゼイはぐうたらな釣り人生活へそれぞれ戻っていくはずだったのに。
なのにどうして、こんな。
もはや、クラエスタにできるのは神へ祈ることだけだった。〈ルーテル〉の住人が一人でも多く逃げ延びているように。港が滅ぼされていないように。救援の戦力が都合よく集まるように。そしてラムゼイが無事であるように。この世に人々を見守る天上の世界があるならば、だからどうか、神様――
「――見ーつけた」
その瞬間自分たちになにが起こったのか、クラエスタにはついぞ最後までわからなかった。
光と轟音、それを目と耳が知覚した瞬間にはもうすべてが破壊されていた。視界がめちゃくちゃに狂い飛んで体が宙を舞い、繰り返される重い衝撃とともに一切の感覚が途切れ、最後には掠れきった視界の隙間で澱んだ空だけを見上げていた。
いつの間にか、雨が降りそうな天気になっていた。
「…………なに、が」
胸部が痙攣し、咳き込みながら必死に息を吸う。ようやく体の感覚が戻ってまず感じたのは、せっかく取り戻した呼吸がまた止まりかけるほどの鈍痛だった。体が剥き出しの地面に横たわっている。ついさっきまで馬車にしがみついていたはずなのに、どうして地べたで寝転がっているのか途中の記憶が完全に欠落している。
呻きながら体を起こそうとし、そしてすぐに気づいた。
馬車が、大破していた。首から上が消し飛んで絶命した馬。横転し、木に激突して見るも無残に壊れた馬車。地面に投げ出されて動かないセボック、御者、そして他の乗客たち――。
「セ、セボック……! みんなっ……!」
なにが起こったのか見当もつかない。空から放たれた魔法一発で馬が撃ち抜かれ即死、倒れた体に乗り上げたせいで馬車まで横転し大破した――鈍い痛みで呻く今のクラエスタに、そこまで瞬時に把握する余力はどこにも残っていない。
とにかくわかるのは、
「まずいですわよ、馬車がやられたら……っ!」
どうやって港まで逃げるのか。そもそもみんな無事なのか、意識はあるのか、動けるのか、負傷して歩けない人がいたらどうするのか、こんな街道のど真ん中で、ぐずぐずすればするだけラムゼイが――本当に次から次へと最悪すぎて、さすがのクラエスタも脳が処理限界を起こしかけていた。
そんな
「うわー……ごめんねお姉さん。こんなめちゃくちゃになっちゃうなんて思わなかったんだ」
「……!!」
声は、腹が立つほどあっけらかんと空から降ってきた。
蝙蝠に似た黒い翼をはかめかせ、クラエスタたち全員を見渡せる位置にあの少年が降り立つ。ラムゼイが命懸けで足止めしてくれていたはずなのに、肌はおろか服に傷のひとつすらついていない。
血の気が落ちた。まさか、そんな――
「あの人は……ラムゼイさんはどうしたんですの!?」
「死んだよ」
――少年は至って朗らかに、
「結構がんばってくれたけど、もう一歩って感じだったかな。だからお姉さんたちも殺しに来たんだ」
「――ふざ、け、」
喉が干上がって言葉が出てこない。全身の痛みが余計にひどくなって、頭の中が明滅して気を失ってしまいそうだった。
ふざけるな。本気でそう思った。
だって、自分たちはただ、生きていくために必要な日常を過ごしていただけで。〈ルーテル〉の人々だって、いつもとなんら変わらない一日を送っていただけだったはずで。それをこうも、こんなにも、地べたでたわいもなく踏みにじられるような、
「……あれ? お姉さん、戦えるの?」
冷静に考えて動いたとは言い難い。
それでもクラエスタは起き上がり、片膝をつき、持ちうるすべての力を込めて術式の構築を始めていた。
クラエスタは冒険者でも魔法使いでもない。魔物と戦った経験だってない。この術式だって最低限の護身術として昔覚えたものであって、魔族はおろかそのへんの魔物に通用するレベルなのかもわからない。
けれど後先考えず、全身全霊の力で目の前のクソガキにぶっ放してやれと、なにか強烈な感情がクラエスタの心を駆り立てるのだ。
どのみち状況は詰んでいる。馬車が大破し、みんな意識が混濁していて動けるのはクラエスタのみ。逃げるのは不可、こんな平原のど真ん中では助けを呼ぶ手段もなし、だったら残されたのはなにもかも諦めて死を受け入れるか、最期の最期まで死ぬ気で抗うかのどちらかだけだ。
そしてクラエスタは、己の運命を他人の好き勝手にされるなどクソ喰らえな女だった。
「一応言っとくけど、無駄だと思うよ。それ、ただ石の飛礫を飛ばすだけの魔法でしょ? そんな子供騙しで、」
「そんなの、あんたが決めることじゃありませんわね……!!」
もちろん、一介の職人ごときでは万にひとつも勝ち目はないのだろう。だが思い知らせてやる、なにもかも好き勝手に踏みにじれると思ったら大間違いだ。人間を舐め腐っているとしか思えないその傲慢な脳みそに、せめてどでかい一撃を叩き込んでやる。
祖父が遺した想いを自分の手で果たせなかったのは、心残りだけれど……工房の優秀な仲間たちなら、きっとクラエスタが死んでも義足を完成させてくれる。
クラエスタの仇だって、この国の誰かが討ってくれるに違いない。聖都には神に匹敵する力を持つと言われる四人の聖女がいて、そんな聖女を守る最強の聖騎士が三人いて、おまけに王都には〈
そう考えれば、悔しさこそあれども恐怖はなかった。
少年は面白おかしそうに、
「人間って、ほんとに無駄な抵抗が大好きだよね。よくわからないなあ」
「わかってたまるもんですか、あんたごときに」
クラエスタが震える足で立ち上がり、少年が右手に『銃』を構える。人間でいえば魔法使いの『杖』に相当する、
少年の指先が、引鉄にかかった。
「じゃあさようなら、バカなお姉さ――」
――そしてクラエスタは、少年の背後から斬りかかるラムゼイの姿を見た。
「うわ!」
首狙いの横一閃を、少年は銃身を盾にしてすんでのところで防いだ。さりとてラムゼイの方も防がれるのを読んでおり、そのまま力ずくで振り抜いて少年の体を逆方向へ弾き飛ばす。
無論それで少年に手傷を与えられたわけではないが、少なくとも、今まさに殺される寸前だったクラエスタの命を救った。
思わず声が出た。
「ラ、ラムゼイさん……っ!!」
そして返ってきたのは、あいもかわらず可愛げもへったくれもないクソ生意気な声だった。
「でしゃばってんじゃねえよ、なんちゃってお嬢様が!! 引っ込んでろ!!」
「な、なんちゃってっ!?」
なんですのこいつ!? とクラエスタは憤慨した。
/
「びっくりしたー……まだ生きてたんだ、おじさん」
「ハッ……勝手に殺した気になってんじゃねえ」
実際のところ、『まだ生きてるのか』と一番驚いているのはラムゼイ自身なのかもしれない。
意識が途切れていたのは数十秒ほどだったはずだ。気づけば瓦礫の下に埋もれてぶっ倒れていた。どんな攻撃を喰らったのかはほとんど覚えていないが、とにかくふざけた威力の一撃をもらって吹っ飛ばされ、街の防御壁を破壊してなお勢い止まらず、辛うじて残っていた家屋に突っ込んで倒壊した瓦礫に潰されたのだ。
本当に、よく生きていたもんだと思う。体は全身血まみれの一歩手前のような有様だったし、骨も何ヶ所かイカれていた。それでも決定的な致命傷だけは存在しなかったから、手持ちのポーションを残らず注ぎ込んでなんとか動けるまで立て直した。
メルフィウスが瓦礫ごとトドメの一撃をぶち込むような用意周到なやつだったら、間違いなく殺されていただろう。
もっとも、回復したとはいえほとんど死に損ないみたいなものだ。視界が霞み、全身が痛みという痛みをあげて、〈
いよいよ状況は最悪だった。悠長によそ見する暇などないので確認したのは一瞬だけだが、馬が殺され、馬車が横転し大破していた。クラエスタは立ち上がるのがやっとで、他の連中も地面に投げ出されて気絶しているのは間違いない。
逃げ道が完全に絶たれている。
メルフィウスを倒すか、撤退させるか、それができなければみんな仲良くあの世行きだ。
「あはは、じゃあ第二ラウンドってやつだ。ほら、もっとがんばってあのお姉さんを守らなきゃね」
「……ガキが。たたっ斬ってやる」
それがただの虚勢だと、メルフィウスには完全に見抜かれただろう。
「ばーん!」
メルフィウスがいきなり銃を構えて撃った。魔族由来の高濃度魔力を、超高密度で圧縮して放つ弾丸――さしずめ『魔弾』とも呼ぶべきシロモノ。
それをラムゼイは、魔法で剣に雷をまとわせて斬った。
もちろん、『魔法を剣一本のみでたたっ斬る』なんてどこぞの剣術バカみたいな真似ができるわけはない。ゆえに正確を期すのであれば、『剣にかけた属性付与の魔法で打ち消した』というのがもっとも正しい。
ただし、向こうは人間の体を紙屑同然に貫く魔弾である。魔力が足りず相殺しきれなかった余波だけで、ラムゼイの体に複数の裂傷が刻まれた。
気にも留めない。この程度の攻撃が単発で飛んでくる分にはまだ可愛げがある。それよりも問題なのは、
「ほらほら、どんどん行くよー!」
その魔弾を、一切のインターバルなしでいくらでも連射できることだ。
メルフィウスの銃を起点に五連の魔法陣が起動し、途端にラムゼイの視界が魔弾で埋め尽くされた。剣で相殺云々というのが馬鹿らしくなるほどの物量差だった。〈
木や岩の遮蔽物すら、魔弾の前では一撃で砕け散るのだから。
(ッ――こンの、クソ野郎が!!)
死を真横に感じながら心底毒づく。本当にふざけているとしか言い様がない。魔法使いが遠距離で撃ち合いを挑めば、術式を構築する暇すらなく魔弾の雨に貫かれる。かといって剣士が接近戦に持ち込もうとしても、大抵の者はそもそもこの連射を掻い潜ることすらできない。
それでも戦いの神が慈悲を与えて、奇跡的に懐まで入り込めたとしよう。
間合いに踏み込みさえすれば勝ち――そんな単純な話が通用するのなら、
「遅いよ」
メルフィウスが軽く銃を振る。それだけでラムゼイの一閃が、大剣でぶっ叩かれたような信じられない衝撃を受けて真上に吹っ飛び、
「えいやっ」
武術の訓練など一度もやったことがないとしか思えない、子どものお遊戯にも等しい拙い蹴りだった。
「ガッ――!?」
鋼鉄製の馬車が全速力で突っ込んできたのかと思った。受けた左腕が〈
放り投げられた水切り石のように、三度モロに地面を転がった。
四度目で体勢を立て直し、剣を突き立てながら滑ることができたのはただの奇跡だ。メルフィウスの退屈そうな声、
「おじさーん、それじゃあ第一ラウンドと一緒だよ?」
「この――ガハッ!」
血を吐いた。どうやら衝撃が内臓まで届いたらしい。左腕も痛い苦しいを通り越して、もはやほとんど感覚がなくなっていた。
勝てるビジョンが浮かばない。遠距離も駄目、近距離も駄目、そして最後はジリ貧となって、集中力と体力が途切れた瞬間にめでたく射殺されるというわけだ。
あまりに馬鹿馬鹿しくて、変な笑いがこみあげてきそうだった。
(意味わかんねえ……どうしろってんだよ、こんなの)
だんだん頭がぼーっとしてきた。そもそもどうして自分は、こんなボロボロになりながら必死こいて戦っているんだったか。
頭の裏側からささやき声が聞こえる――もういい、はじめから勝ち目のない戦いでおまえはよくやった、これ以上無駄に苦しむ必要がどこにある、ここで諦めたって誰もおまえを責めやしないと。天使のように優しく慈しみに満ちた声で、悪魔のように容赦なくラムゼイの心をへし折ろうとしてくる。
そうなのかもしれない。
ウォルカの銀雷に敗れたあのときから、釣り竿を振る心の片隅ではどこかずっと、あとはいつ死んだって構いやしないと思っていたのだから。
(…………)
体が重い。
思考が解けて、このまま眠ってしまいそうだ。
「……そっか、これで終わりかぁ。まあこんなもんだよね、人間なんて」
メルフィウスが拍子抜けしながら銃口をラムゼイに向ける。あとはその引鉄が引かれれば終わり。頭の中がささやき声だけで埋まる。そうだ、もうそれでいいんだ、別におまえが悪いわけじゃない、どうせ誰がやったところでほとんどが同じ結果になることだ、どうしようもなかったことだ、おまえには抗う理由もないだろう、いつ死んだって構わないと思っていたんだろう、おまえは諦めていい、いい加減楽になっていい、だからもう、
引鉄が、
「――ざッけんじゃねえですわ、クソッタレがッッ!!!」
ささやき声がかき消えた。
クラエスタ。歯を噛み砕かんまでに食いしばって、職人の大切な指が傷つくのも構わず土を抉って、頭から流れる血を止めもせずに絶叫していた。
たぶんその言葉を向けたのは、ラムゼイでもメルフィウスでもなかったのだと思う。目の前の理不尽に心底嫌気が差して、堪忍袋の緒がブチ切れて、正気を保つためにはもう叫ぶ以外の方法がなかったのだと思う。
目が合った。
クラエスタは、泣いていた。
けれどそれは不条理な運命に対する絶望などではなく、牙で噛み千切るような純然たる怒りであり、命ある者の咆哮でもあった。
その涙が、ひと目見た瞬間すとんとラムゼイの心に落ちたのだ。
放たれた魔弾を、完全完璧に相殺した。
「――!?」
メルフィウスが表情を変える。肌を引き裂く余波は生まれない。最後の力で立ち上がる両膝は震えない。
――ああ、そうだな。俺も同じ気持ちだ。
不思議な感覚だった。頭の中がもやひとつなく澄み渡り、極めて冷徹に、淡々と――腹が立っている。
ふざけるなと思う。こいつは明らかに人間を舐め腐っている。十の力に対し百の力で叩き潰すのではなく、わざと二十程度に手抜きして遊んでいる。そんな腐ったガキにされるがままで全員殺されるなど、運命という盤上で遊び道具にされている感覚がただただ不愉快だった。
どうせ死ぬのなら、死ぬまで足掻いてから死んでも同じことだ。
そう――こんなのは、
大丈夫だ。
戦おう。最期まで。
――それはラムゼイ自身、決して意識しての変化ではなかった。
だが今のラムゼイにとって、もっとも強く記憶に焼きついていた戦士の姿が
踏み込み、メルフィウスの体を一手で間合いに捉えた。
「なっ――!?」
メルフィウスが再度表情を変える。明確な驚愕と焦燥だった。迸る一閃に対し即座に後方へ飛び、辛うじて切っ先をやり過ごした――はずだった。
「うあ!?」
胸部から少なくない血が飛ぶ。人間に斬られた、その事実に気づいたメルフィウスが歯を軋らせ魔弾を放ってくる。すべて斬る。相殺する。ラムゼイはただ心のまま剣を振る、今の自分ならこいつを斬れると確信している。
逃がすな。食らいつけ。仕留め切れ。
――魔族だろうが運命だろうが、気に入らないもんはぜんぶまとめてぶった斬れ!!
「オオオオオオオオオオォォォォォッッ!!」
走る。追い縋る。ただ前へ、前へ、命を燃やす死力とともに。
一人の男がすべてを擲ってこじ開ける、人生最期の扉。
その瞳からはほんのかすかに、紫の光芒が走っていた。
迅雷が野を穿つ。一歩踏み込めば地で雷撃が爆ぜ、一閃剣を振るえば空に雷光の軌跡が煌めく。乾坤一擲の覇をまとい、幾筋もの紫電を従える鬼神となって、ラムゼイが咆哮とともにメルフィウスの首へ肉薄する。
後方に距離を取ろうとしたのは、メルフィウス自身意識してのことではなかった。
それは回避のためではなく、剣が届かない安全圏に逃れたいがための後退だった。意識していないのに体が勝手に動いていた。その事実に一瞬遅れて理解が追いつき、
――気圧された。
歯噛みし、舌打ちした。それはメルフィウスにとって、己の心を満たす絶対的な自信と不遜に亀裂が入ったことを意味していた。
(このおじさん、
絶え間ない剣閃が降り注ぐ
ひとつは彼女にとって興味のない人間――魔族という存在に絶望し、勝てるわけがないと押し潰される者。もうひとつは彼女が焦がれて已まない人間――魔族という存在に抗い、己の限界すら超えて死を拒絶してみせる者。
目の前の男は、後者だった。いや、
なにがきっかけだったのかは知らないが、こいつが常人では超えることのできない境界に片足を踏み込んだのは間違いない。事実メルフィウスがどれだけ距離を取ろうとしても、もはやラムゼイを
二度目の舌打ちだった。
(クソッ、往生際が悪いのは姉様とやってろよ……!!)
皮膚を裏側から炙られるような苛立ちに駆られた。こんな切羽詰まった状況に喜ぶのは『姉様』だけで、メルフィウスにとってはなにひとつとして面白くない。自分が好きなのは脆弱な人間を力で蹂躙することであって、斬るか斬られるかの殺し合いをすることではないのだから。
ゆえに一瞬、空へ退避する選択肢が頭を掠めた。人間に空は飛べない。精々が魔法による一時的な滞空や、ごく短距離の直線移動が関の山だ。空へ飛べば、この男をほとんど一方的に攻撃して蹂躙できる。
(――いや、逃げるもんか!!)
しかしメルフィウスはその考えを棄却した。防戦一方な今更になってそれをやれば、人間に恐れを成して逃亡したのと同じだ。メルフィウス個人の打算よりも、
叫んだ。
「僕は求めてないんだよ、そういうのはァッ!!」
そこから先の攻防は、時間にすればおよそ十秒程度に過ぎなかったはずだ。
メルフィウスが剣を弾いて撃つ。ラムゼイが銃を弾いて斬る。魔弾と迅雷がひとつの巨大な渦となって駆け巡り、大気を切り裂いて地を焼き焦がし、双方の鮮血が刹那の火花がごとく咲き乱れた。
均衡は、十三秒目で崩れた。
「「ッ!?」」
剣で弾かれた銃口が下を向き、放たれた魔弾が双方の足元で炸裂した。
衝撃と石片が飛び散り、砂塵に視界を断たれて図らずも距離が生まれた。決死の交錯を重ねる中で生じたただの偶然――されどメルフィウスは見逃さない。即座に後方へ下がり、ここまでずっと片手持ちだった銃をはじめて両手で構える。
もう魔弾では仕留められない。
なればこそ、打ち消すなど到底不可能な大火力で焼き払う。ただの人間には使えない、魔族だけに許された魔法――精霊魔法で。
最低限の術式構築を一秒で終え、撃った。
「〈
カツン――と。
メルフィウスの銃身に真横からなにかがぶつかって、わずかに狙いが逸れた。
ラムゼイを消し飛ばすはずだった黒い極光が、虚空に外れた。
「――、」
飛礫、だった。石の。拳大くらいの。
なんでそんなものが、真横から――
「――あ、」
あの女だった。
メルフィウスに向け伸ばした右手に、小さな魔法陣が光っていた。
その瞬間メルフィウスを襲ったのは、全身から火柱が上がるような屈辱だった。あの女が。どうせなにもできやしないと放ったらかしにしていた小娘が。このタイミングで、石の飛礫を飛ばすだけの子供騙しで、よりにもよってこんな、都合よく運を味方につけたかのような、
「ッ、貴さ
喉を焼く叫びは、そこで一刀両断された。
虚空に外れた極光が砂塵を吹き飛ばし、ラムゼイの視界を瞬間的に確保してしまったこと。撃った反動で銃が頭の後ろまで跳ね上がり、重心が崩れてしまったこと。勝敗を決する最後の局面で、メルフィウスは天運に見放されたのだ。
雷をまとう刃がメルフィウスの首を灼き切り、斬り飛ばす。そして制御を失い棒立ちとなった胴体へ、
「――オオオオオオオオオオオオオッッ!!」
〈
いかに強靭な
一刀両断された胴体を雷槍が貫き、炸裂する。
あとはもう、多くの魔物が辿る運命と同じ。
地面ごと爆ぜ飛んだ胴体は土くれのように崩壊し、魔力の残滓となって消滅した。
「――ブハッ!! ハッ、ハッ、ハッ……!!」
まるで今までずっと呼吸が止まっていたかのように、ラムゼイは全身を上下させて激しく息を吸った。
まさか本当に呼吸をしていなかったはずもないが、最後の交錯を除いては、どういうわけか自分がどう戦っていたのかまるで判然としない。限界を超えた死に物狂いで戦うと、感情と一緒に記憶すら蒸発してどこかへ消えてしまうのかもしれなかった。
剣を地面に立て、倒れかける体を辛うじて支えた。足の一本でも動かせば、その瞬間全身がバラバラに砕けて崩れてしまいそうだった。限界を超えたがゆえの甚大な過負荷のフィードバックで、ラムゼイの体が壊れかけているのだ。
前を見れば砂塵の向こうで、メルフィウスの肉体の最後の一欠片が消滅していく。
本当に、紙一重だった。あと一歩、あと一瞬でもなにかが違っていれば、結果は真逆だったとしか思えないほどに。
なにもかもがクソッタレな戦いだったけれど、最後の最後で運を拾えた。メルフィウスの必殺の一撃が、なぜ虚空に外れたのかはわからないが――
「ラムゼイさんっ!!」
声が聞こえた。それからようやく思い出した。
あのとき――逸れた魔弾が地面に炸裂し、砂塵に一瞬視界を奪われたあのとき。
はっきりとはわからなかったが、クラエスタの方から魔法陣の小さな光が見えた気がした。まさかメルフィウスの一撃が外れたのは、単に運がよかったからではなく――。
クラエスタを見た。
彼女はすべての緊張が解けて地面にへたり込み、情けなく震えながらもがんばって笑おうとしていた。だからラムゼイも、こんなときくらいは笑ってもいいのかもしれ
撃たれた。
「――――――――、」
空いてはいけない場所に風穴が空いたのが、己の胸元を見ずともはっきりとわかった。
砂塵が晴れる。
「……やるじゃん、人間」
首を飛ばしたはずなのに。胴体を一刀両断したはずなのに。全身全霊の雷槍を喰らわせたはずなのに。
メルフィウスが、再生していく。
消滅したはずの残滓が再び集い、魔弾を撃ち終えた右半身から左側が、そして頭部すらもが再生していく。
「――マジ、かよ」
これだけやっても。
死力を尽くして、命を燃やし尽くして、一人の人間がすべてを懸けて抗ってもなお。
「マジだよ。僕たち
――ああ、くそ。これでも届かねえのか。
それでも平然と甦るなど、もはや不死と同じではないか。
「はじめてだよ……人間なんかにここまでやられたのは」
まあでも、とメルフィウスが口の中の血を吐き捨てる。
彼はもう、笑っていない。
「もう油断しない。――肉片も残さず消し飛ばしてやる」
空間が歪むほどの、途方もない魔力の解放だった。
一度虚空に外れたあの黒い極光が、今度こそ百パーセントの威力で飛んでくる。
――ここまで、だな。
体が動かない。仮に動いたところでどうしようもない。すべて出し尽くした。それでも届かなかった。何年も無為な人生ばかり生きてきたロクデナシが今更本気になったところで、あの青年と同じ真似ができるほど世界は甘くなかった。
胸に空いた風穴から、命が尽きていく。
クラエスタがなにかを叫んでいる。だがその言葉も、彼女が泣いているのかどうかもラムゼイにはもうわからない。
体が、崩れた。
「死ね。人間」
終幕だった。
――あくまで状況から考えれば、ラムゼイもクラエスタもここで殺される運命だったはずだ。
しかしラムゼイは、一縷の奇跡に賭けてあるひとつの策を残した。ありったけのポーションで応急処置を終えたあと、街からメルフィウスを追いかけると同時に魔力で痕跡を示したのだ。
もしも直後にここへ現れる人間がいたとき、戦いがまだ続いているとわかるように。
分が悪いどころの賭けではなかった。まず人が現れるかどうかがわからない。現れたところで痕跡に気づかなければ意味がないし、
だが可能性は、決してゼロではなかったのだ。
「――ッ!?」
炎。後方からラムゼイを守るかのように地を走り、巨大な顎門となって瞬く間にメルフィウスへ喰らいかかる。やつが咄嗟に空へ逃げざるを得ないほどの熱量だった。闇のように禍々しい黒であり、そして猛々しく壮烈な真紅でもある――そんな
その熱気の傍らで、ラムゼイは地面に倒れていなかった。
ラムゼイの体を片腕で抱き留める、男がいた。
「……すまない。遅くなった」
ラムゼイが残した痕跡を辿って、全速力でここまで追いついてきたのだろう。その男はわずかに息切れしていて、腕も小さく震えていた。もう少しだけでも、早く辿り着いていれば――そんな自分自身への強い怒りがにじんだ震えだった。
ラムゼイは心の中で笑った。もうじき己の命が尽きるのを理解しながら、されどもこの上なく愉快な気分だった。
知らない男だ。この男がメルフィウスに勝てるほど強いのかはわからない。しかしラムゼイは欠片も疑わない。
なぜなら男の気配が、あの剣術バカとよく似ていたから。無念無想の静謐を宿していた彼と違って、この男は万象を焼き尽くす煉獄のごときオーラだったけれど。
それでも、根底にあるのはまったく同じ――己自身が一振りの剣であるかのような、他者の心を焦がす抜き身の覚悟。
だから、こいつになら託せると思った。
「どこの、どいつかは……知らねえが……」
顔を上げることすらできない。もう体にまったく力が入らないし、声もロクに出てきやしない。
それでも、言った。
「任せて、いいか」
「ああ」
即答だった。
一見するとひどく冷たいぶっきらぼうな言葉だったけれど、その奥で誰よりも強い感情が煮えたぎっているのがラムゼイにはわかった。
笑えたはずだ。
「頼んだ」
――死ぬまで足掻いた甲斐があった。
ようやく心から、そう安心できたのだ。
……今この場所に、
けれど、この世界にはいるのだ――少なくとももう一人。
目の前の悲劇を少しでも変えるために、たとえ神が相手であろうとも剣を抜き放つ男が。
「任せろ。――敵は、オレが殺す」
赤黒い復讐の炎とともに立つ、