全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
本来ならば『彼』は、このときこの場所にいるはずのない人物だった。
ウォルカが知る『原作』において、主人公の立ち位置にいた『彼』が〈ルーテル〉に二度立ち寄るという筋書きは存在しない。物語冒頭において〈
本来がそういう筋書きである以上、ここで『彼』が援軍に現れる可能性はゼロだったはずだ。然るになぜ、ありえないはずのことが現実に起こったのか。
――〈
原作において、『彼』が〈ゴウゼル〉深層へ駆けつけた時点で〈
実のところその光景は、リゼルやユリティア、そしてアトリにも劣らぬほど鮮烈に『彼』の精神へ刻み込まれたといえる。
なぜなら『彼』は幼き頃、魔物の手によって故郷も家族もすべてを一瞬で奪われたから。
かつて運命という名の理不尽にまったく抗えず、屈してしまった側の人間だったから。
それゆえ『彼』にとっては、きっと目も
力尽きたウォルカに可能な限り応急処置を施し、自ら〈ルーテル〉まで担ぎ込んだ理由もそれがすべてだ。
見捨てられなかった。見捨てるわけにはいかなかった。そのときの『彼』は、誰よりも諦めず本気でウォルカの命を救おうとしていた。
その尽力がなければ、〈
その後はおよそウォルカの知るとおり、治療の結末を見届けることなく途中で街から去っていった。ただし、見届けない選択をした理由については一考の余地がある。ウォルカは「まあ人と関わりたがらない主人公だったし」と一人で勝手に納得しているけれど、果たして本当にそうだろうか。
いずれにせよ、街を去った『彼』が次に向かったのは北ではなく南だった。街々から遠く離れた人知れぬダンジョンをターゲットに、魔物を片っ端から掃討して回る戦いの日々に明け暮れた。そして戻りの道で再び〈ルーテル〉に立ち寄り、〈
あの青年は助かったのか。助かったとしてもどれほど後遺症が残ったのか。すでに日常生活に復帰して街を去ったのか、まだ動けない状態で苦しんでいるのか。九死に一生を得て安堵しているのか、それとも死んだ方がマシだったと絶望しているのか――原作通り北へ向かわなかったのは、ウォルカという存在がどうしても気掛かりで振り切れなかったからだ。
そして『彼』が目の当たりにしたのは、無残に滅ぼされた〈ルーテル〉の街だった。
かつて故郷を喪った『彼』が、変わり果てた街の姿を前にどんな感情を抱いたのかは想像に難くないはずだ。
だからこそラムゼイが残した痕跡を辿り、このとき、この場所に駆けつけることができた。
魔族だろうとなんだろうと、街と人々に手をかけた存在を『彼』が許すはずもないのだから。
この世界はすでに、原作のストーリーから外れかけている。
ウォルカが死神を討ち倒した時点で――いや、あるいはウォルカが『原作のウォルカ』と似て非なる存在となった時点で、乖離は始まっていたのかもしれない。
/
「任せろ。――敵は、オレが殺す」
そう誓った。必ずここで、あの
この世界はいつだって、なんの罪もない人間が理不尽に未来を奪われていく。かつて故郷と家族を喪ってからこの瞬間まで、生きるべき人間ばかりが死んでいく光景を何度も見てきた。そのくせ大して生きる価値もない、死んだところで誰も悲しまないような人間がのうのうと生き長らえるのだ。
自分のように。
仲間から『ウォルカ』と呼ばれていたあの青年を助けたときだってそうだ。自分が転移トラップの再起動に手間取ってさえいなければ、代わりに戦ってやれた。彼が瀕死の傷を負ってなお死に物狂いとなり、
自分はいつだって、間に合わなければいけなかったときに限って間に合わない。呪いのように。それが貴様の運命なのだと神が嘲笑うように。せめて自分があと少しでも早く動けていれば、喪われずに済んだ命はきっといくつもあったはずだった。
――そしてまた、一人の男の命が目の前で尽きようとしている。
最後まで死力を尽くして戦い抜いたのだろう。限界を超えて酷使した体はもう指一本動かず、血にまみれていない場所などどこにもなくて、自分が支えるこの瞬間もどんどん大切ななにかが抜け落ち、軽くなっていくかのように感じられる。
撃たれた場所が、あまりにも悪すぎた。
今すぐ〈
『――悔やむな、グレン』
心を読んだように、右手に握る大剣が口を利いた。男なのか女なのか、それどころか感情ある生命なのか、無機質なカラクリなのかも判然としない声だった。
けれど芯には、心が宿っていた。
『この男はよく戦った。――無駄にするな。それができるのはキサマだけだ』
「……ああ」
悼みに沈んだのはほんの一瞬だ。大剣の静かな喚起に応え、『彼』――グレンは心に憎悪という名の烈火を甦らせる。
自分には、誰かを救うことなどできないのかもしれない。
だが敵を殺すことはできる。それこそがこの赤い魔剣と契約し、復讐の道に堕ちた理由なのだから。
「はあ、今度は新手か……。ほんっと人間って往生際が悪いんだね。いい加減ウザったくてイラついてきたよ」
燃え上がる
グレンは心の中で冷笑した。あの
「それでー? 今度はお兄さんが相手ってこと?」
「……」
なればこそグレンは、少年の問いに答えなかった。
少年をふいと視界から外し、男の体を仲間の下へ運んだ。
「――はぁ?」
少年がはっきりと青筋を立てた気配。無視する。〈
「ラムゼイさん!! しっかりするんですわよこのバカッ!!」
服が血でべっとりと汚れるのも構わず、少女はすぐに男を両腕で抱き上げた。おそらくは職人や商人を運ぶ乗合馬車の一行で、男はその護衛役だったのだろう。他にも地面に投げ出され、意識を失っている乗客たちの姿が見える。
けれど全員、命に危険がある状態ではない。
この男がすべてを懸けて守ったのだと、改めて思い知った。
「す、すぐポーションを――」
『よせ、娘』
顔面蒼白で手当てを施そうとする少女に対し、グレンの大剣から冷たい声が響いた。少女が目を剥いて身動きを止める。『意思ある剣』というのは一種の伝説的な存在であるから、本来ならば余計な混乱を避けるために彼が人前で口を利くことはない。
だが今だけは、グレンにも彼を止められなかった。
自分には、その残酷な事実を告げる勇気などとてもなかったから。
『もう間に合わない。……命を賭して戦い抜いた戦士に、最期の言葉を送ってやれ』
「――ッ!!」
砕けていく少女の表情を、グレンは最後まで直視できなかった。ああ、この世界は本当に反吐が出る――だから自分が終わらせるのだ、今ここで。
立ち上がり、自分と少女の間の地面を直線に斬る。剣の柄に埋め込まれた赤い宝玉が光を放ち、斬った地面から空へと伸びる魔法の障壁を形成する。
「結界だ。ここから前には出るな」
「――僕を無視してんなよ、人間がぁッ!!」
痺れを切らした
振り返る。大剣が不敵に小鼻で笑ってみせる、
『ハッ、
「ああ」
グレンはひとつ呼気を置き、思考のスイッチを戦闘状態へと切り替える。燃えたぎる憎悪の感情そのままに赤い魔力を解放すると、それを貪欲に呑み込んだ大剣が再び
だがそれは決して、単なる火柱に非ず。
その炎の形をもっとも近く形容するのであれば――グレンの憎しみに応え、冥界より這い上がってきた四つ腕の鬼神。
「……はぁ!?」
驚愕した少年が反射的に魔弾を放ち、鬼神が拳を前方へ撃ち出した。
衝突はほんの一瞬だった。炎の拳が魔弾を土塊のように消し飛ばし、少年の体を掴んで一発で地面に叩きつける。
「ゴハッ!?」
そしてその瞬間にはもう、グレンは少年めがけ加減なしの一閃を振り下ろしていた――鬼神が逆の腕で真上より突き下ろす、業火の鉾の一撃とともに。
壊滅的な爆砕が巻き起こった。
その一撃で、グレン自身と結界に守られた少女たちを除いて、数十メートルの範囲内で原型を留めるものはなにひとつなくなった。
爆風と地鳴りが彼方へ走り抜け、煉獄と化した大地の上でグレンは剣を構え直す。跡形もなく燃え尽きたかに見えた少年の肉体が黒い霧へと変わり、空中で一ヶ所に
だが少年の再生は、完全ではなかった。
「ゲホッ……!! ガ、アアアアァァ……!! キィサマアアアァァッ……!!」
再生が遅い。辛うじて肉体の形こそ修復したが、半分以上が焼け爛れていて飛行すら満足にできていない。滞空姿勢が維持できず、地面に落ちて片膝をつく。大剣の牙を剥き出しにするような声、
『ホウ? 存外、再生限界が近いみたいじゃないか。どうやら必死の虚勢で取り繕っていたみたいだなァ?』
「キサマっ……ゴフッ!?」
この世に本物の不死など存在しない。目の前の
こいつらは個体ごとに『再生可能なダメージの許容量』を有しており、それを下回る限りいくら攻撃してもすべて再生され、永遠に倒すことはできない。しかし許容量を上回る一撃であれば、上回った分だけ再生能力を貫通して『魂』までダメージが通る。
そうして魂に及んだダメージは、さしもの連中といえども簡単には修復できない。つまり許容量を超える攻撃で魂が修復不能なまで損傷し、存在を維持できなくなること――それがやつらにとっての『死』なのだ。
そして少年は、すでに魂が崩壊寸前まで近づきつつあるようだった。
「クソッ……!! クソクソクソクソクソォッ……!!」
焼け爛れたまま再生しない少年の顔に、もはや傲慢と嘲弄は欠片も存在しない。存在できるはずもない。
無論、決定打となったのはグレンの一撃ではあるのだと思う。
だがいくらなんでも、たった一回の攻撃で瀕死にできるほど
それができる人間など、この状況では一人しかいなかったはずだ。
『……あの男が、あと一歩まで追い詰めていたということだな』
「……」
剣を握る手に、さらなる力がこもった。
『ぬかるなよ、グレン。キサマは託されたのだ――確実に殺せ』
「ああ」
当然だ。それだけが、今の自分に与えられた唯一の力なのだから。
その瞳から、色濃い赤の光芒を煌めかせながら。
/
「ッハハハ、つえーつえー……こりゃあ、マジで心配いらねえな……」
霞んでしまってもう多くが見えない視界の中でも、グレンとメルフィウスの戦闘が極めて一方的なのが手に取るようにわかった。間違いない、あの男はどこぞの剣術バカと同じ領域に到達している正真正銘の傑物だ。そんなやつが助けに来てくれるたぁ、最後の最後で奇跡ってのも起こるもんなんだな――そうラムゼイはゆっくりと長い息をつく。
自分の役目が、本当に終わったのだと思った。
クラエスタの膝を支えに寝かされている。ほんのついさっきまで喋るのも限界な有り様だったのに、彼女の気配を感じた瞬間呼吸が随分と楽になった。お陰で、こうしてなんとか言葉を絞り出すことができている。
クソッタレな神様が、最期の時間とやらを与えてくれたのだろうか。
「よかったじゃねえか……無事に、聖都に帰れんぞ……」
「……なにも、」
クラエスタの声が、よじれた。
「なにも、よくありませんわよッ……!! こんな、こんなッ……!!」
頬に雫が落ちたのを感じてラムゼイは驚く。こいつ泣いてくれるのか、とかなり意外に思った。なんとなく、人の死に際に涙を見せる女ではないと思っていたのだ。
喉の奥で、少しだけ笑った。
「よく聞け、敵はあいつだけじゃねえ……『父様』とかいう
「……!」
「魔物の成れ果て、とか言ってやがった……元は、人間だったやつかもな……」
今にも閉ざされそうな視界をなけなしの気力で保ち、クラエスタを見上げる。
「断言するぜ。もしそいつらに、聖都が襲われでもしたら……あのバカは、絶対に戦う」
怖くはない。後悔もない。けれど心の隅に刺さった小さなトゲのような心配事を、クラエスタへ託した。
「だから、完成させろ……最高の義足を、おまえが」
片目と片足がない、戦闘に耐えられる義足ではない――そんなのはあのバカにとってなにひとつ問題ではない。命を脅かされる人間が目の前にいるのなら、あのバカは必ず剣を抜いて立ち向かう選択をする。勇敢だの無謀だのと議論する域を超えた、それが彼という人間の存在証明なのだ。
ゆえに、仲間の少女たちにも止められない。もし本当に「戦うな」と言ってしまえば、それが彼にとってどれほど残酷なのかを理解しているから。
なればこそ、最高の義足が要る。
惜しみなく全力で戦えることこそが、結果的にあのバカをもっとも死から遠ざける。
「あいつの運命を、おまえが握ってる……泣いてる暇なんて、どこにもねえぞ」
「っ……!」
「頼まれてくれや。それだけが、どうにも……心残りなもんでな」
クラエスタは随分と長い間、嗚咽をこらえていた。
きっと、最期に伝えるべき言葉をめいっぱい考えたのだと思う。やがて頬に触れる指先とともに降ってきたのは、ラムゼイが知るクラエスタそのままの、力強い意思の声だった。
「――覚悟なさい。あなたには、本当に返しきれないほどの恩をいただきました。必ずわたくしの工房を聖都一にして、敷地にあなたのデッカい銅像を建てて、最高の恩人として子々孫々称えまくってやりますわ」
「あのなあ……」
半分嫌がらせだろそれ……と、聞いた瞬間こそ呆れたけれど。
「……まあ、いいか。楽しみにしてるわ」
「ええ」
今の自分はきっと、笑っているのだと思う。自分の銅像がみんなの笑い種になっている光景を想像したら、それはそれで、悪くないのかもしれないと思えたから。
意識が、ほどけていく。
「ククク……随分とまあ、贅沢な最期じゃねえか……」
自分のようなロクデナシには勿体ない死に方だ。
全力で戦い抜いて、未来をつないで、美人に看取られて――託して、逝けるのだから。
炙られるような神経の痛みは、もう感じない。
「…………、」
すべてが消える間際、あの青年の背中が見えた気がした。
まだ高々、十七歳程度の若造のくせに。
「てめえは、死ぬな……いや、そうじゃねえな」
ああ、まったく本当に――心の底からいけ好かない、まぶしい背中だ。
「――生きろよ。ウォルカ」
最期の言葉だった。
/
(マズい――マズいマズいマズいマズい、マズいッ!!)
生まれてはじめて、『死』という存在が自分の真後ろまで迫ってきているのを感じた。
メルフィウスは完全に錯乱している。斬撃が嵐のごとく乱れ飛び、烈火が巨大な塊となって押し寄せる疾風怒濤の中に取り残されている。一人の人間が生み出しているとは思えない常軌を逸した攻撃を前に、まともな防御も回避もままならず、辛うじて逃げ延びることしかできないでいる。
あらん限りの苛立ちを込めて、メルフィウスは歯噛みした。
(こいつ、ただの人間じゃない……!! 魔剣に魂を売った契約者だ!!)
赤髪赤目、深紅の外套と擦り切れた黒衣、そして無数の裂傷と返り血で濡れたような禍々しい大剣を持つ男。
ただの雑魚ではないと感じてはいたが、それどころじゃなかった。この男は目に映る魔物をすべて焼き尽くす以外頭にない、己のすべてを戦いに捧げた修羅の類だった。認めたくはないが、深手を負った状態で迎え撃つには分が悪すぎるほどの。
そう――グレンが現れた時点で、メルフィウスはすでに手負いの状態だった。
ラムゼイの前で「この程度すぐ再生できる」などと威張ってみせたのはただの強がりだ。肉体自体はたしかにすぐ再生できたが、実際は魂まで決して無視できない損傷が及んでいた。それをひた隠し不死身のごとく振る舞うことで、人間どもの心を砕き完全にひねり潰せるはずだったのだ。
グレンではなく、彼の握る大剣の方が炎のごとく吼える。
『どうした
「ッ――うるさいんだよ、クソがッ!!」
魔剣――怒りや憎しみといった負の感情を食い物とする代わりに、使い手へ絶大な復讐の力を与える神の造物。正の感情を守護の力に変える聖剣と並んで、選ばれし者だけが振るうことを許された人類の切り札。
その魔剣の柄、獣の顎門を象って装飾された部分がはっきりと笑っている。メルフィウスの焦りと屈辱が生み出した幻覚ではない。本来与えられるはずのない命を宿した、自由意志を持つ魔剣ということだ。
どうしてそんな伝説級の存在が、よりにもよってこのタイミングで自分の前に現れるのか。
あと一歩で勝てるはずだったのに、脆弱な人間どもを思いっきり皆殺しにできるはずだったのに。あまりに理不尽すぎて、眼球から血が噴き出てもおかしくないほどの苛立ちを覚えていた。
(どうする!? どうするどうする、どうすればッ……!!)
魔剣に認められたグレンの戦闘は、人間の尺度で測れる領域を超越していた。
そもそも
魔剣の性質が『炎の大剣』なのも厄介極まりない。両手剣と片手剣がまったく同じ速度で振るわれれば、デカさと重さの分だけ前者の破壊力が倍増するのは自明の理。炎に焼かれれば大抵の生物が死ぬのも自然の摂理だ。安直な武装理論ではあるが、それゆえ使いこなされれば凄まじい脅威となる。
技らしい技はない。狂暴な獣が暴れているに等しいのかもしれない。されど圧倒的な力と速度さえあれば、それはあらゆる剣技を凌ぐ必殺の一閃となりうる。グレンの戦いとは、そういう単純明快な『力』を桁外れのレベルで撒き散らすことにあった。
そして極めつきはグレンの背に宿る、魔剣の力によって生み出された炎の鬼神だ。
こいつがなによりもヤバい。ただでさえヤバいグレンと完璧に連携して、四つ腕だからこそ可能なとてつもない爆砕を生み出している。炎の鉾で貫き、炎の矢で撃ち抜き、炎の腕で掴んでは叩きつけるともはや手がつけられない。
もしメルフィウスが万全の状態で、かつ最初から全力であったならまだやりようもあったかもしれない。
だが今となっては、最初の一撃があまりに重すぎるハンデだった。あのふざけた爆砕ですべてが狂った。煉獄が意思を持ったかのような攻撃に囲まれ、魂に甚大な損傷を受け、挙句絶えず肉体の修復まで行わなければいけない中では、反撃に転じられるだけのリソースがどこにも存在しなかった。
このままでは火炙りのように、じわじわと力を削られてなぶり殺される。
背筋が冷えた。――殺される?
「
ずっと寡黙だったグレンが、口を利いた。
「覚悟は、できたか」
「――ひ、」
怖気立つ殺意を全身に浴びせられ、メルフィウスは生まれてはじめて、たった一人の人間に対して恐怖を抱いた。
「――ああああああああああぁぁぁぁぁッ!!」
それは、攻撃とも防御とも呼べるものではない見苦しい魔力の暴走だった。
しかし、それが
「……!」
グレンの攻勢が止まる。結晶に閉ざされた空間でメルフィウスは頭を掻きむしり、万が一のために仕込んでいた最後の手段を発動した。
足元に魔法陣が展開され、強い光を放ち始める。
「クソッ、クソクソクソクソクソォォォッ……!! 覚えてろ人間、必ず殺してやるからな……!!」
『ッ――固定転移魔法!! 逃げる気だぞ!!』
そう。最後の手段とは、転移魔法によってこの場から逃走することだった。
本来なら転移含めて空間に干渉するタイプの魔法は、
あのアルファナとかいう実験台を経過観察する間に、父が用意周到に仕込んでいた術式だった。
そんなの必要ないでしょと笑った手前、頼るつもりなんてなかったのに――屈辱極まりないが、それでも殺されるよりかはずっとマシだろう。
「チッ……!!」
『誇り高き
さしものグレンも、
「ハハ、残念だったね……」
三秒は稼げる。
そしてその三秒さえあれば、転移は完全に完了する。
腰抜けと笑いたければ笑えばいい。一度退いて体勢を立て直し、万全の状態で今度こそ殺す。ありとあらゆる手段を総動員して、肉片も残さず徹底的に殺し尽くす。
自分が好きなのは脆弱な人間を蹂躙することであって、斬るか斬られるかの殺し合いをすることではないのだから。
「さよなら、人げ――い゛っ」
バチ、と。
メルフィウスの体に突然電流が走り、そのせいで転移の発動に失敗した。
「――は、あ?」
意味が、わからなかった。自分を守る結晶はまだ砕かれていない。誰も自分に触れられるわけがない。なのにどこから、誰が、どうやって、なんでこのタイミングで――
――結論をいえば、それは単なる偶然でしかなかった。
ラムゼイが最期の力を懸けて放った〈
その魔力がメルフィウス自身の魔力に干渉されて、たまたまこのタイミングで弾けて電流を生んだ。
誰かが攻撃したわけではない。それどころか誰の意思も関係していない完全な自然現象であり、紛うことなき偶然の産物。
ただそれだけ。
それだけなのに、
「こ、の、オオォォッ……!!」
声が聞こえた。
幻聴に決まっている。それでもメルフィウスはたしかに聞いたのだ――自らの手で葬り去ったはずの、あの男の声を。
――ざまあみろ、と。
断絶が砕け散り、メルフィウスの体を業火の魔剣が貫いた。
「あ゛ああああああああああッ!!? に、人間風情がアアアアアアアアァァァァァッ!!」
『クハハハハ、足元を掬われたなァ
焼ける大地に縫いつけられる。全身が炎に包まれる。逃げられない。メルフィウスは絶叫とともにあらん限りの魔力を放射する。魔剣を握るグレンの指が、肌が斬り裂かれて鮮血が飛ぶ。だがグレンは痛みなどまるで感じないかのように、魔剣をさらにメルフィウスの奥深くまで押し込んで、
淡々と、宣告した。
「――死ね」
「――――――、」
それで終わりだった。
業火がメルフィウスの体を完全に呑み込み、焼き払い、魂まで喰らい尽くして――あとにはもう、黒い霧すら残らない。
そのときには、結界の向こうで馬車の乗客全員が意識を取り戻していた。
全員が、天まで昇る猛々しい炎の咆哮を聞いた。
雲が晴れる。
雨は、降らなかった。
「……終わりましたわよ、ラムゼイさん」
クラエスタは静かに、膝の上で眠る男の頬を撫でた。
この世界はどうしようもなく理不尽で、心の底からクソッタレで――それでもきっと、救いはたしかにあったはずだ。
だから、涙は流さない。
流さないったら、流さないのだ。
「そういう顔ができるなら、最初からしてなさいよ。このバカッ……」
今まで散々強面だったくせに。
己がすべてを賭して戦い抜いた男の死に顔は、今更もったいないくらいに澄みきっていて、優しかった。