全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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58. 今はまだ、交わらぬ道

 ラムゼイが死んだ。

 

 その凶報をクラエスタから伝えられたとき、正直、悲しいとか悔しいとかいう感情はあまり追いついてこなかった。ただ、目の前の事実を静かに受け止める気持ちだけがあった。自分でも不思議なほど取り乱さずにいられたのは、前々から心のどこかで小さな息苦しさを覚えていたからなのかもしれない。

 

 このクソッタレなファンタジー世界で、これから誰一人として隣人を奪われずに生きていけるものなのかと。

 いつかは誰かが、非業という形でいなくなってしまう時が来るのではないかと。

 

 目元の擦り切れたクラエスタが俺の部屋にやってきた時点で、静かに覚悟せざるを得なかったのだ。

 

「本当に……立派な方でしたわ。つい最近まで酔っ払いの荒れ放題だったなんて、まったく信じられないくらいでした」

 

 クラエスタは気丈だった。ラムゼイを喪ってから聖都に戻るまでの短い時間で、きっとすでに心の整理を終わらせてきたのだろう。己がその目で見届けたすべてを冷静に、そして正確に俺へと伝えてくれた。

 

 ラムゼイの死と、〈ルーテル〉の壊滅を。

 

 ……今の聖都は、いつもより少しだけ空気が張り詰めている。

 大多数の住人は普段となんら変わらない日常を送っているが、街のあちこちで物々しい面構えの騎士が散見されるようになった。先日ロッシュが伝えてくれたとおり、この国からほとんど目と鼻の先の隣国で、強大な魔族である『吸血鬼(ヴァンパイア)』の活動が確認されたせいだ。もしかするとすでにこの国へ入り込んでいるかもしれないと、教会を中心として警戒網の構築が進められている。

 

 そう――ロッシュがやってきたのは、本当につい先日の話だった。

 

 この世界では、スマホやインターネットのように一瞬で情報をやり取りする手段がまだ発達していない。近年では『伝声機』なる魔導具の研究が進んでいるとも聞くが、今でも昔ながらの人的な方法に頼っているケースがほとんどだろう。国を跨ぐ超長距離の情報伝達ともなれば、なおさら時間がかかってしまうのは想像に難くない。

 

 もしかするとすでにこの国へ、などと悠長に警戒している場合ではなかった。隣国から吸血鬼(ヴァンパイア)出現の報せが届くまでの間に、やつらはとうにこの国で暗躍を始めていた。

 

 そしてラムゼイも――〈ルーテル〉の人々も、みんな殺された。

 

 ……師匠たちがいないタイミングで心底よかった。今の自分がいったいどんな表情をしているのか、正直わかったもんじゃないからな。

 

 案の定、あまりまともな顔はしていなかったのだろう。俺を見つめながらクラエスタは痛々しく微笑し、

 

「わたくしを、恨んでくださっても構いませんわ。すべてはわたくしが、ラムゼイさんを護衛として連れて行ったせいですから」

「……バカ言わないでくれ」

 

 俺はそう言って強張っていた肩の力を抜く。……ったく、一番辛いのはぜんぶ目の前で味わわされたクラエスタだろうに、なんてこと言わせてんだ俺は。

 

 首を振り、指で義足をコンコンと叩いてみせながら、

 

「俺が、そんな風に考える人間だと思うか?」

「……」

 

 クラエスタはごく数秒、胸の痛みをこらえるように瞑目してから、

 

「ウォルカさん。ラムゼイさんが、最期にあなたへ……一言一句そのまま、お伝えしますわね」

 

 

 ――死ぬな……いや、そうじゃねえな。

 ――生きろよ、ウォルカ。

 

 

「…………」

 

 ようやく、感情が追いついてきた。……「死ぬな」じゃなくて、「生きろ」か。そうだな、そっちの方がずっとずっと心に刺さるよ。

 

 ああもう、あのおっさんが。最初はただの酔っ払いダメ人間だったやつが、嘘みたいに恰好つけた死に方をしていきやがった。

 

 本来であれば到底勝てるはずのない敵を相手に、逃げも隠れもせず最期まで戦い抜いてクラエスタを守った。そしてクラエスタは工房の若き棟梁として、これからいくつもの道具を作り出しては世の人々を助けていくだろう。謂わばあいつはクラエスタだけでなく、彼女が未来で救うたくさんの命まで守り抜いた英雄みたいなもんなのだ。

 

 そう思いたい。あいつは決して、道半ばで無為に命を散らしたわけではないのだと。

 

 これでくよくよしてたら、ラムゼイが化けて出てきて後ろから蹴り飛ばしてきそうだしな。「下向いてる余裕があるたぁ随分暇になったみてえだな、あぁ?」とかメンチを切りながら。うーむ、今にも愛想の欠片もない声が聞こえてきそうだ……。

 

 クラエスタだって、きっと同じ気持ちだろう。

 彼女の面持ちには、己の成すべきを悟りきった悲壮の決意があった。

 

「義足は、わたくしのすべてを懸けて完成させます。――最高の義足を、必ずあなたに」

「……ああ」

 

 だから大丈夫だ。受け止められる。()()()()()()()()()

 つまり俺が今、クソッタレな神様を目の前に引きずり下ろして叩き斬ってやりたい衝動に駆られているのは――。

 

「それと……わたくしたちを助けてくださった方が、ウォルカさんを知っているようでしたの」

「……?」

 

 思いがけず、クラエスタの言葉で現実に引き戻された。往生際が悪い吸血鬼(ヴァンパイア)に引導を渡したのは、〈ルーテル〉の崩壊を知って駆けつけた旅の男だったという。ラムゼイの体を聖都まで連れて帰ることができたのも、その男が道中の護衛を引き継いでくれたお陰なのだと。

 

 だが俺と関わりのある人物で、魔族を単騎討伐できるほどの実力者といえば――

 

「――名は、グレンさんと仰いました。ご存知ですか?」

「……!」

 

 呼吸が止まった。

 

 それはもはや覚えていることの方が少ない『原作』で、今でも俺の記憶に一番強く刻まれている男であり。

 そしてこの世界においては、俺を死の一歩手前で救ってくれた恩人の名でもあったから。

 

 原作主人公、グレン。

 

 ああ、そうか――ここでまた、その名前を聞くことになるのか。

 

「……ああ、少しだけ知ってる。今どこに?」

「わたくしたちを遊楽街(ゆうらくがい)まで送り届けて、すぐに去ってしまいました。人が多い場所には近づきたくないと言って」

 

 あいつらしいな、とぼんやり思う。あいつは原作において、故郷を救うためになにひとつ行動してくれなかった王都や聖都に強い失望を抱いていた。しかし単にそれだけで孤高の一人旅をしていたわけではなく、実のところ、『人の多い場所自体受け付けない』という設定の方が理由としては大きかったはずだ。街で平和に暮らす人々の姿を見ると、故郷が滅ぼされたときのことを思い出してしまって強烈な忌避感に駆られるのだと。

 

「残りの吸血鬼(ヴァンパイア)を見つけて殺す、とも言っていました。相当、魔物を強く憎んでいる方だったのだと思いますが……」

 

 それはそうだろう、あいつほど魔物を憎悪している人間は原作にもいた記憶がない。魔物を滅ぼすべく戦い続ける男が、吸血鬼(ヴァンパイア)を一体倒した程度で立ち止まるとは思えなかった。

 

「ごめんなさい。上手く、引き留められなくて……」

「……気にするな」

 

 俺は首を振り、

 

「俺が怪我したときに助けてくれたやつだ。きっと、〈ルーテル〉の仇を討とうとしてるんだと思う」

「そう……なんですのね」

 

 〈ルーテル〉を故郷と同じ運命に追いやった魔物が野放しになっているのなら、あいつは見つけ出して殺す以外の選択肢を考えもしないだろう。それにここで顔を合わせたとしても、助けてもらった礼ができるかどうかもわからないしな。……たくさんのことが一度に起こりすぎて、今はどうにも、『原作主人公』という存在まで思考を割けるほどの心の余裕が見つからない。

 

 一度目といい今回といい、原作で一番尊敬していた人物を拝めるチャンスともいえるのに、どうしてこんな形でしか巡り合わせが来ないんだろうな。

 

 俺たちの道がもっと違う形で交わっていたなら、打ち解けることは難しくとも、もしかすると――。

 叶うのなら、そうであってほしかったのに。

 

「……では、わたくしは工房に戻りますわね。今はとにかく、一日でも早い義足の完成を目指します」

「ああ、頼む。こうなった以上、早ければ早いほどいい」

 

 あいつのお陰で敵の一体は討伐されたが、まだ『お父様』なる吸血鬼(ヴァンパイア)と、『実験体』なる謎の魔物が行方知れずになっているという。他に仲間がいる可能性もゼロではないだろう。もはや、聖都がやつらのターゲットとなる危険性を本格的に考えねばならなくなった。

 

 そしていくら聖都が王都と並ぶ戦力を有しているといっても、街ひとつが簡単に滅ぶレベルの敵を鎧袖一触できるのかはかなり疑問だ。

 

 なぜなら王都の〈七花法典(セブンズ)〉ですら、突如現れた魔族との戦いで半数が死んで壊滅状態となったのだから。

 

 原作のそんな未来を知っているのに、「聖都にいれば大丈夫だ」などと楽観できるはずがない。事が起これば間違いなく被害が出る。また誰かが殺される。

 

 もし本当にそんなことが起こるなら、俺は――。

 

「ですが、これだけは言わせてくださいな」

 

 たぶん、心の中を見透かされたと思う。クラエスタは俺の瞳を射貫くようにして、静かに、強く断言した。

 

「わたくしがあなたの義足を作るのは、断じて、ラムゼイさんのように死なせるためではありませんわよ」

「……ああ。そうだな」

 

 クラエスタを見送り、俺は一人きりになった自室で重ったるい思考の泥に沈んでいく。義足を放り投げてベッドに寝転がり、手の甲で視界を遮りながらよじれるようにつぶやく。

 

「…………なんだよ、それ」

 

 ラムゼイの死は、まだ受け止められるのだ。

 

 だが、〈ルーテル〉が壊滅したってのはどういう了見だ。何人が殺されたのか。何人が生き延びたのか。俺の面倒を見てくれた老シスターは、俺たちの幸福を願ってくれた受付嬢は、いつかユリティアの隣に立つと誓った少年は、俺に肩を貸してくれたベテラン冒険者は、小さくも長閑で平和だったあの街は――。

 

「こんなの、知らねえぞ……」

 

 頭が痛い。視界が渦を巻いている。心臓の根元あたりから、鈍重な冷たさがじわじわと胸全体に広がっていくのを感じる。

 

 疑念。――なんで、主人公(グレン)が今ここにいる?

 

 一度ならず二度も助けられてしまった。いま俺が生きているのも、クラエスタが生きて帰ってこられたのもすべてあいつのお陰だ。だがそれはそれとして、あいつがなぜ再び〈ルーテル〉を訪れたのかという疑念は絶対に無視できない。

 

 うろ覚えの原作知識を懸命に引っ張り出す。たしか物語序盤で俺たち〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉の死を弔ったあとは、いくつか短いエピソードを交えながら王都方面へ北上していくはずではなかったか。〈ルーテル〉の壊滅に直面するなんて、そんなものが作中で描かれていたなら間違いなく俺の記憶に残っているはず。

 

 いるはずのない主人公がそこにいた。死ぬはずのない人々が死んでしまった。

 

 つまりこの世界は、すでに原作から乖離していて。

 そう考えたとき、原作のストーリーと決定的に道が分かれたきっかけは――

 

「俺たちが、生き残ったから……?」

 

 じゃあ、なんだ。

 

 〈ルーテル〉のみんなが殺されたのは、俺たちがストーリー通りに死ななかったせいだとでも言うのか?

 この世界本来の筋書きに従って、師匠もユリティアもアトリも惨たらしくなぶり殺しにされるべきだったとでも言うつもりなのか?

 

 本当に、本当に――――このクソッタレが。

 

「………………」

 

 気分が悪い。

 なんだか無性に、剣を振りたい気分だった。

 

 

 

 /

 

『――おいグレン、キサマいつまでダウンしてるつもりだ。いい加減に立て。ええいこんなところで吐くなよ、やめろ右手で口を押えるなワタシにかかるだろうが!』

「……うるさい。黙ってろ、シャル……」

 

 ウォルカが宿でクラエスタを見送った頃、聖都からやや離れた道の木陰でグレンは吐き気を催していた。

 

 木の根元に座り込みながら口を押さえると、右手のグローブに埋め込まれた宝石がつんざくように抗議してきた。男とも女ともつかないせっかちな声音は、メルフィウスとの戦闘において赤い魔剣が発していたのと同じものだ。もし宝石商の手に渡ればペンダントとして加工されそうな楕円形が、いわば魔剣の待機状態ともいえる姿だった。

 

 魔剣の名を、シャルノスという。

 グレンにとっては復讐を共にするパートナーであり、今すぐむしり取ってそのへんに投げ捨てたくなる頭痛の種でもあった。とかく短気で激情家な人格だった。意思を持っているのが周りにバレたら面倒だとわかっているはずなのに、隙あらばこうしてやかましいおしゃべりが止まらなくなる。

 

『まったく、人の多い場所がダメなのはあいかわらずか? 魔物なら何十匹と囲まれても平気なくせに、情けないぞ』

「うるさい……」

 

 しかもグレンに戦いや魔法の知識を叩き込んだ張本人でもあるので、得てして口うるさい師匠気取りな発言も多い。グレンは深く項垂れながら、

 

「もう知ってるだろ。人が多い場所は、故郷を思い出すんだよ……次の瞬間には全員殺されてるんじゃないかってな」

『……チッ』

 

 シャルノスは小さく舌打ちし、

 

『馬鹿者が……茶化しづらいことを言うな』

 

 それからやや出鼻を挫かれたように、少しのあいだ口を閉ざした。

 

 深呼吸しながらゆっくり顔を持ち上げると、グレンの視界に聖都を囲む砦の堂々たる姿が映る。ラムゼイから託された言葉を果たすためとはいえ、聖都に足を運ぶ日が来るとはまったく考えてもいなかった。グレンが立ち入ったのは砦からすぐの遊楽街(ゆうらくがい)までだったが、さすが国の双璧だけあって人と活気の豊かな街だったと思う。

 

 だが街に広がる『平穏』の空気が濃ければ濃いほど、グレンにとっては息がしづらく吐き気を催す空間に変わってしまう。かつて平穏そのものだった故郷が、一瞬で地獄と化したときの記憶――それが否応なく甦って目の前を侵食してくるのだから。

 

 ゆえにクラエスタを送り届けたあとは最低限の補充だけで街を出て、こうして吐き気が治まるのを待っているという次第だった。

 

 もっともこの忌まわしい記憶がなかったとしても、グレンが聖都から早々に立ち去っていたのは同じだろう。宝石に尋ねる、

 

「……なあ、シャル」

『なんだ』

「オレは……あそこまで不審者に見えるのか?」

 

 クラエスタと一緒に移動しているうちは大丈夫だった。しかしそのあと一人で道具類を補充し始めた途端、騎士に呼び止められ職務質問されること実に四度。どうやら吸血鬼(ヴァンパイア)出現の情報がすでに出回っていて、素性の知れないグレンにいろいろと疑いの目が向けられたらしい。

 

 シャルノスは即答した。

 

『まあ、普通の人間には見えんだろうな。だから言ってるだろう、少しは見た目に気を遣えと』

 

 戦いの傷と汚れを誤魔化すための黒い衣服に、返り血を染み込ませたような赤黒い外套――それがグレンの出で立ちである。もちろん単にそれだけであれば、暗い色合いを好む旅人として特に疑われはしなかっただろうが、

 

『そのフードが悪いんだ、フードが。顔を覚えられたくない人間だと自己紹介してるようなもんだろうが』

 

 外套のフードを目深に被り、いかにもな様子で顔を隠しているのが悪手だった。

 

 れっきとした理由はある。こうしてフードで視界の情報量を減らすことで、前述の吐き気を多少なりともマシにできるのだ。『相手から見られたくない』というよりは『自分が見たくない』からであって、人の多い場所へ立ち入るときはいつも欠かさずフードを被るようにしている。

 

 だがそのあたりの事情を上手く言語化するのは難しかった上に、フードを脱いだら脱いだで、赤い長髪に赤い瞳というのも面倒に拍車をかけた。髪の方はさておき、赤い瞳は吸血鬼(ヴァンパイア)に共通して見られる特徴なのだから。

 

 人間、十九歳、魔物を狩る目的で流浪する旅人――たったそれだけのことを納得してもらうのにバカバカしいほど難儀してしまい、すっかり辟易して早々に退散したというわけだ。とりわけ年齢すらまともに信じてもらえなかった件については、オレってそこまで老けて見えるのか……? と結構ダメージを受けているグレンである。

 

「やっぱりオレに、人と関わるのは向いてない……」

『知ってるわそんなの。引率者がいなければ街すらロクに歩けないガキ、それがキサマだ』

「……」

 

 元々人付き合いはかなり苦手な部類だったが、復讐の道に堕ちて以来は人との関わりを長年絶っていたせいでコミュニケーション能力が死滅している。シャルノスが代わりに喋ってくれたらどれだけ楽だろうか、と人と関わるたびに考えている。それはそれで、シャルノスの口の悪さが余計なトラブルを起こす未来しか見えないけれど。

 

 シャルノスは乱暴に吐息、

 

『ったく……キサマ、このままもう()()()と会わないつもりか?』

「……生きているとわかれば充分だ」

 

 シャルノスが言う『あの男』とは、ウォルカのことだ。グレンの目の前で〈摘命者(グリムリーパー)〉を討ち破り、仲間を全員守り抜いてみせた冒険者――よりグレンの主観に沿って表現するなら、今もなお己の脳裏に刻まれている男の名、と言い換えることもできるだろう。

 

 どうやらクラエスタがウォルカの知り合いだったらしく、聖都に辿り着くまでの道中で彼の現状を教えてもらえた。その時点でグレンとしては、吐き気と戦ってでも聖都に滞在する必要性はもはやなくなったのだ。

 

 だがシャルノスは納得しない、

 

『ハッ、未練タラタラであちこちのダンジョンを徘徊してたのはどこのどいつだ。ひと目でいいから、今のうちに生きている姿を確認しておくべきだろうに』

「……」

 

 グレンは言葉の代わりに渋面で答える。図星であった。瀕死のウォルカを〈ルーテル〉の教会に担ぎ込んだあと、グレンは治療の結果を見届けずに途中で立ち去った。そのくせ脳裏に焼きついていた彼の姿をどうしても振り払えず、後ろ髪を引かれに引かれ、当初の予定である北へ向かえなかったのは正直に認める。

 

『そもそも、あのとき最後まで治療を見届ければよかっただろうが。それをキサマは、コソコソと途中で――』

「できるわけないだろ、そんなの」

 

 今度ははっきりと言葉で止めた。ぎこちなく首を振り、

 

「オレは、死神みたいなもんだ。……オレが近くにいたら、教会の治療が失敗する気がした。だから……」

 

 ――あの場で最後まで待ち続けるだけの勇気が、自分にはなかった。

 シャルノスが呆れ果て、今日一番の大きなため息をついた。

 

『ハアァァ……始末に負えんな。こじらせすぎだ、キサマは』

「……うるさい」

 

 だが事実なのだ。自分の周りでは、いつも死ぬべきでない人間ばかりが犠牲になっていく。今回だって〈ルーテル〉が街ごと滅ぼされ、ラムゼイという男が命を散らす結果となってしまった。

 

 挙句の果てに、そのラムゼイがウォルカの友人だったというのだから笑えもしない。

 

 自分がもっと早く駆けつけていれば、ウォルカが片目片足を失うことはなかった。

 自分がもっと早く駆けつけていれば、ウォルカが友人を喪うことはなかった。

 

 ウォルカからすれば、自分はきっと〈摘命者(グリムリーパー)〉以上の忌まわしい死神に違いない。

 

 一度無事な姿を確認しておけとシャルノスは簡単に言ってくれるが、今更会ったところでいったいどんな言葉をかけろというのか。どんな言葉をかけてもらおうとしているのか。

 

 彼の前に立っていい資格が、今の自分にあるとはどうしても思えなかった。

 

「……」

 

 なんだか不思議な感覚だ。シャルノスと契約し復讐のために生きると決めてから、一定の職務を淡々と遂行する自動人形(オートマタ)のごとく戦いに身を投じてきた。魔物の返り血を浴びれば浴びるほど、人間らしい心の機微からだんだんと遠ざかっていく感覚さえ覚えていた。

 

 けれどいまグレンの中では、到底一言では言い表せないいくつもの感情が複雑な渦を巻いている。命懸けで仲間を守り抜いた男への敬意と称賛、唾棄すべき運命を捻じ伏せる意志への共感と羨望、間に合わなかった己への後悔と咎め――そして自分とあの男はあまりにも違うのだという、ほんの一抹の、醜い嫉妬。

 

 一人の人間のせいでここまで強く心を揺さぶられるのは、いったいいつ以来なのかもわからなくて。

 

「もっと、違う形だったなら――」

 

 なんの後悔も嫉妬もなく、互いの道を交える未来もあったのだろうか。

 思わず喉から出かけた夢想に唇を歪め、吐息した。

 

「……行くか」

『いいんだな。お互い、次があるかはわからんぞ』

「ああ」

 

 彼が今も仲間とともに生きているとわかれば、それでいい。多少吐き気がマシになったのを確認し、グレンは立ち上がって聖都に背を向ける。

 

 歩き出す。彼とはじめて出会ったときの記憶が、再び脳裏に甦ってくるのを感じながら。

 

 

 

 /

 

 それは、グレンが知る限りもっとも完成された剣の極致だった。

 

 魔剣という強大な武器をただ振り回しているだけの自分とはまったく違う。磨き抜かれた極限の絶技、清冽に澄み渡る魔力、そして人の領域から隔絶する一切無我の境地をもって、不死の死神がたった一刀のもとに斬り伏せられる。

 

 グレンはその瞬間を、しかと己の(まなこ)で目撃した。

 

 ダンジョン〈ゴウゼル〉の深層。状況は絶望的だった。グレンが右手に握る魔剣はすでに、転移トラップの先で待つ存在がかの死神であることを看破していた。それなのにグレンは、あろうことかトラップの再起動に三分以上も手間取った。魔剣より教えられた魔法の術理をよく理解せず、普段から力任せに戦ってきたツケを一気に支払わされたのだ。

 

 到底、間に合いはしないはずだった。転移した先でグレンが目の当たりにするのは、無残になぶり殺された冒険者たちの亡骸であるはずだったのだ。

 

 

 ――銀の雷光が、世界を両断していた。

 

 

 わずか幾秒かの煌めきだった。銀に絶ち斬られた死神は下半身を宙に留めたまま、上半身だけがずるりと地面に滑り落ちて――あとはまるで砂が飛び散るように、黒い魔力の粒子へと還って消滅した。

 

「――、」

 

 グレンは動けなかった。目の前が未だ銀の光で染まっているかのような錯覚の中、呼吸すら、瞬きすらも忘れてただ立ち尽くした。

 

『なっ――ん、だと』

 

 右手の魔剣も、珍しく呆然と言葉を失っていた。

 

『……倒した、のか? バカな』

 

 間違いなかった。そこら中の柱から噴き上がっていた青い炎が活動を止め、薄気味の悪い冷気がみるみると氷解していく。足元に充満していた緑の瘴気が掻き消え、大して珍しくもない殺風景なダンジョンの景色へと戻っていく。

 

 死の気配は、もうどこにも感じない。

 あるのはただ、

 

『――あいつか』

 

 無念無想。

 死神を斬り伏せた男がその背にまとう、白き清浄のオーラだけだった。

 

 正直な話グレンは、そのとき彼が人間なのかどうかを疑ってしまった。戦いに明け暮れる中でSランクと呼ばれる連中を見る機会もあったが、あれだってもっとまともな人間らしい気配をしていたと思う。

 

 あたかも自身が神霊の依り代であるかのごとき、神的とも呼べる別次元の存在感。

 

 グレンはようやく状況を確認する。周囲には、男以外に女の冒険者が三人。いずれも地面にへたり込んで戦意喪失しているが、大きな外傷はなく全員無事なのが見て取れる。

 

 翻って男は、全身という全身に血がにじんだ満身創痍。あくまで状況から判断すれば、男が先陣に立って命懸けで戦い抜いたかのようであり、

 

(――まさか、)

 

 その可能性に思い至り、グレンは視界がくらむほどの衝撃を受けた。

 

(守ったのか――あいつが、一人で)

 

 戦えなくなった仲間を守るために。戦えば死ぬと恐れられる死神を前にして。

 理不尽極まる死の運命を、たった一人で覆した。

 

 なればこその、限界を超越して剣の極致へと至った姿。その背中が、かつて誰も守れなかったグレンにとってはあまりにも――

 

 そのとき真白のオーラがふっと途絶え、男がすべての力を失って倒れた。

 

「ッ、ウォルカ!? ウォルカあああっ!! いやああああああああッ!!」

 

 魔法使いの少女が悲鳴をあげて男に縋りつく。さらには小柄な剣士と褐色肌の戦士も、

 

「先輩!! しっかりしてください先輩ッ!! あ、あああああ……!! し、死んじゃだめっ、だめですっ、だめえええええッ……!!」

「ウォルカっ、目を開けて!! お願い、お願い、お願いッ……!!」

 

 少女たちの痛々しい叫びに耳朶を叩かれ、グレンはやっと己の為すべきを思い出した。

 

「どいてくれ……!!」

 

 地を蹴り、少女たちの中に割って入って男の状態を確認する。唇を噛んだ。おそらく自分よりも年下の青年――転移トラップの再起動に手間取った自分が、吐き気を覚えるほどに恨めしかった。

 

 魔法使いの少女が涙を流すまま凍りつき、

 

「え、だ、誰!? やめてっ、ウォルカに触らな――」

「――頼む」

 

 グレンは自分の考えを言葉で伝えるのがとてつもなく苦手だ。ここ数年を振り返っても、女とまともに会話できた覚えなど一秒たりとも存在していない。

 しかしこのときだけは、迷いなくはっきりと言葉が出てきた。

 

「まだ間に合う。死なせたくない……!」

「……!!」

 

 ひとつ、グレンは嘘をついた。間に合うという保証は一切ない。青年の全身に及んだ傷は、なぜここまで戦えたのか理解できないほど凄惨なものだ。もしかすると、もう間に合わない可能性の方が高いのかもしれない。

 

 だが、死なせたくないのは紛れもなく本心だった。顔も名前も知らない赤の他人だけれど、このままなにもせず見殺しにするなど断じて認められるわけがなかった。

 

(諦めてたまるかっ……!!)

 

 こいつは死ぬべきではない。死んでいいはずがない。かつて誰ひとり守れなかった自分がのうのうと生き延びているのに、最後まで仲間を守り抜いたこの男が死ななければいけない理由などあってたまるものか。

 

 ただそれだけの衝動に突き動かされ、グレンは己にできる限りの処置を施していく。自分で自分の体を手当てする経験だけは積んでいたのが幸いした。〈保管庫(ストレージ)〉のあらゆる道具をひっくり返し、使える物はすべて使って青年の出血を少しでも抑え込む。

 

「ウォルカっ、やだあっ、やだあああああ!! 置いて行かないで、独りにしないでっ、お願いだからあああぁぁっ……!!」

「先輩っ、勝ちましたよ、勝ったんですよっ……!! だから目を開けてください!! こ、こんなっ……こんなのいやあああぁぁッ……!!」

「ボクのせいだ……!! ボクが、庇われたからっ……!! ウォルカあぁぁ……ッ!!」

 

 少女たちにとって、この青年は誰にも代えられない大切な仲間だったのだろう。全員が絶望のどん底で、ただ涙を流し叫ぶ以外なにもできなくなっている。もうすぐ消えてしまうろうそくの火を必死に守ろうとするような拙い抵抗が、かつて故郷を失ったときの自分と重なって胸が軋んだ。

 

 だからこそグレンは処置に全力を注ぐ。言葉にこそしなかったけれど、体の奥底には迸るほどの激しい想いがあった。

 

 ――仲間を残して死ぬ真似はするな。誰にもオレと同じ気持ちを味わわせるな。

 おまえはオレと違って、どこでくたばっても変わらないような人間ではないはずだから。

 

 今まで数え切れないほどグレンの精神を蝕んできた、内側から肉が爛れていくような憎悪とは違う。

 目の前のふざけた結末を少しでも変えてやりたいという、純然たる強い真紅の怒り。

 

 魔物を殺すことしか考えなくなりつつあった自分にも、まだこんな感情が残っていたんだなと。

 そのとき両手が宿していた熱の感覚は、今でもはっきりと覚えているのだ。

 




Tips:『グレン』
 ウォルカが知る『原作』で主人公を務めていた男。自他ともに認める魔物ぶっ殺バーサーカー。
 例によって、ウォルカに対しいろいろと厄介な感情をこじらせている。

Tips:『魔剣シャルノス』
 グレンが持つ憎悪の感情に惚れ込み、契約を交わした魔剣。
 非常に短気な性格でグレンとはよく言い合いをしているが、それが口うるさいオカンっぽく見えることを本人はまったく自覚していない。



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