全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
『――そうか。それは困ったことになったね』
「ええ……ほんと、嫌になってくるわ」
大聖堂〈アルナスの塔〉が最上部、聖女たちのプライベートエリアである聖処には、当然ながら彼女ら一人ひとりの私室にあたる空間が存在している。瀟洒なリビングから吹き抜けの二階へ上がり、あらゆる面倒事を遠ざけるかのような突き当たりまで進むと、〈
部屋の中では、大きな天蓋付きのベッドで巨大なクッションにもたれながら、アルカが少なからず忌々しげな感情を発露させている。話し相手の姿はどこにも見えない。代わりにナイトテーブルの上で、以前アンゼが引っ張り出してきた『映写機』によく似た魔導具――通称『伝声機』が稼働している。
その伝声機から、深い思慮と落ち着きを払った男性の声が聞こえる。
『
「はあ……王が代替わりしてから、やっと大人しくなってくれたと思ってたのに……」
『いくら
読んで字のごとく、離れた場所にいる相手と声を伝え合う魔導具である。繊細かつ高度な術式が内蔵されているため一般には普及しておらず、聖女をはじめ一部の要職のみが保有している最新技術に当たる。
ただしどれほど離れた相手と会話できるかは、使う人間の魔法の資質によって決まる。たとえば聖都では〈
そしてそんな教会お墨付きの魔法使いであっても、聖都から離れたよその街まで声を伝えろと言われたら、苦笑しながら白旗を上げるものなのだが――。
「今は、枢機卿たちがあちこち走り回ってるわ……。〈ルーテル〉に救援部隊を出さないとだし、あちこちから避難したがる人も増えるでしょ。その警備体制とか……」
『ふむ……。うちの〈
アルカが現在会話しているのは、この国でもトップクラスの高位顕職に就く王都の人物である。『うちの〈
つまりは『聖都から離れたよその街』どころではない、広大な海を隔てた二つの都市間で、一切の遅延も雑音もない鮮明な超長距離伝声を成立させているわけだ。教会のお墨付きたちがこれを見れば、完全に自信喪失して白目を剥きながらひっくり返るだろう。
「……」
そんな離れ業をケロリとやってのけているアルカは、ものすごく面倒くさそうにクッションへずぶずぶと埋もれていって、
「……動かすとしたら、誰?」
『うーん……第七席はどうだろう。大の戦闘好きだし、君たちに変な感情も持っていないよ。なんだかんだ常識も弁えてる』
「七席……? 誰だっけ。あたしと会ったことある?」
『そろそろ覚えてあげてほしいなあ……まあ君が一番苦手なタイプだろうから、興味ないのも仕方ないけど』
「……ああ、ちょっと思い出したかも。あのクソうるさいやつ」
『あとは、動かせても五席くらいだろうね。三席と四席はこっちに欠かせない戦力だから難しいし、六席は戦闘向きではないし。最後に、第二席の彼女は――』
「あいつなんて絶対やめてよ。こっちから願い下げだから」
『あはは、だろうね……』
今の話を要約すると、およそ以下のとおりになる。
最高意思決定機関〈
第六席は、戦闘が苦手なため不可。
第三席と第四席は、逆に王都の重要戦力であるため不可。
そして第二席――すなわち〈創生の法典〉エルフィエッテ――は論外。こっち来んな。
二席のエルフィエッテを差し置いて三・四席が重要戦力とされているあたり、〈
「……大丈夫よ、まずはこっちの人員で対応するから。今はとりあえず、昔のよしみで連絡ってだけ」
『わかった。こっちでも情報共有はしておくよ』
アルカは吐息で頷く。それから、「じゃあ切るわよ……」とカタツムリみたいな動きで伝声機に手を伸ばし、
『――それと、ひとつお節介を言わせてほしい。君が動けば大抵の問題は即解決だろうけど、タイミングは見極めるんだよ』
指先が触れる寸前でアルカは動きを止める。伝声機の声は滔々と続ける、
『君の力は代償が大きすぎる。魔族が相手ではなおさらだろう。……君が力を使うときは、必ずその一手を以て事態が完全に終結しなければいけないんだ』
「わかってるわよ……」
アルカは、特に声の調子を変えなかった。
あくまでどこまでも眠たげに、宙をぷかぷかと漂うようにして答えるのだ。
「あたしが前に出るのは……本当に、あたしが動く以外どうしようもなくなったときだけだから」
『そうならないように、祈ってるよ』
通信が終わる。伝声機が淡い魔力の光を失って沈黙すると、アルカは「はああぁ~~~~…………」と肺の中身をすべてため息に変えて、
「もぉやだ……なんなのよ、次から次へと……もうなにもしたくない…………」
身長よりも長い髪をベッド一面に広げ、ありとあらゆる力を放棄してクッションと一体化していく。そのまま十秒動かず、三十秒動かず、一分経ってもやはり一向に動く気配がなく、やがてすぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてきた――と同時にドアがノックされた。
『アルカシエル様。ロッシュハルトです』
「…………」
安眠を妨害されたアルカはやや不機嫌になる。けれど彼が下らない理由でいちいち訪ねてくるとは思えなかったので、なにか必要な用事なのだろうと渋々判断。
「どうぞ……」
無気力に返事をすると、すぐにロッシュが入室してきた。入ってすぐのところで恭しく一礼し、
「お休みの最中、申し訳ありません」
「別にいいけど……なにかあった?」
「ウォルカのことで、どうしてもご相談したいことが」
大聖堂において、ウォルカが関連するあらゆる物事は原則アンゼの担当になっている。そのせいか、〈
というのをロッシュが理解していないはずはないから、アンゼでは解決できない厄介事なのだろう。ほんとに次から次へと……とアルカは億劫に思いつつ、
「……一応、聞いたげるわ」
「ありがとうございます」
しかし、どうせなら聞くだけ聞いてみようと判断した。気まぐれのようなものだった。もしも自分の能力で簡単に解決できるなら、
「――ウォルカに、『夢』を見せてやってはくれませんか」
「……ふうん?」
あの人に『貸し』を作っておくのも、悪くはないかもしれないと思ったからだ。
/
「――くそっ!!」
〈白亜の聖女〉レスターディアは、自分が到底聖女の名にふさわしい性格をしていないと自分でも認めている。だだっ広いホールと一流の料理人が腕を振るった食事より、座り慣れたソファーとじいやのお菓子の方が何百倍も性に合っている。ただそれでも一応は聖女として育てられた身分なので、激しい大声で悪態を吐き捨てたり、感情のままテーブルに拳を叩きつけたりといった野蛮な言動はほとんどした記憶がなかった。
その両方を同時にやった。激しい大声で悪態を吐き捨て、感情のままテーブルに拳を叩きつけた。鈍い痛みが広がっていく拳を緩慢に解き、両手で顔を覆って、
「なんで……なんで、こうなるんだよ」
座り慣れたソファーの上で、蹲るように項垂れた。
最悪の報せだった。〈ルーテル〉が
ラムゼイ。覚えている。ウォルカの決闘を記録した映写に映っていた男。
ウォルカに決闘を吹っかけ完敗したのちは、なんだかんだ良好な関係に収まりつつあったという元冒険者。
曲がりなりにも聖女として、報せを聞いた時点でまっさきに考えたのは事の深刻さだった。街ひとつが消える、という国にとって甚大すぎる被害。数十年来魔物の脅威と無縁だった聖都の平穏が、
だがディア個人として、次の瞬間に脳裏を
「どうして――どうして次から次へと、ウォルカさまを苦しめることばかり起こるのですか?」
茫然と立ち尽くすアンゼの言葉は、悲痛な呻き声のようでもあった。本当に、アンゼの言うとおりだった。踏破承認事故の騒動がようやく終結して、最高の義足を手に入れたウォルカが新たな一歩を踏み出す――そんな希望ある未来が始まろうとしていたところだったのに。
なのに、現実はこれだ。
もしこの報せを、ウォルカが知ったなら。
不器用で傍迷惑なやり方ではあったけれど、自分に在るべき姿を示してくれた冒険者。瀕死の重体で運ばれてきた自分を救い、療養させてくれた恩人ともいえる街。その二つがどちらもこの世から消えてしまったと、神を憎むあの青年が知ったならば――。
彼の心を蝕む失望と憎悪の深さを、ディアごときが推し量るのは到底かなうまい。
「……嫌な予感がする」
ウォルカを思う個人としてのディアと、聖都を思う聖女としてのディアが同時に思考する。歯車を軋ませながら無理やり加速する脳の裏側で、神経が炙られるような不快感を抑えられずにいる。
「街を襲った
「っ、まさか……!」
アンゼが息を呑む。隣国ではアルファナを護送する騎士団小隊が全滅し、この国では『実験体』によって〈ルーテル〉が壊滅した。事ここに至っては、その二つを無関係な別々の事件と考えるやつなどいるはずもない。
アルファナが
「そのまさかだったら……もう、最悪だよな」
なぜならアルファナの処罰は、ウォルカの意思によって自分たち聖女へ委ねられていたのだから。
その結果がこれならば、こんな取り返しのつかない事態を招いてしまったならば、
「おれたちのせいで、こうなったようなもんじゃねえか……!」
「っ……!」
無論、今となってはすべてがたらればの空想に過ぎない。自分たちがアルファナをどのように処罰していたとしても、どのみち
けれど、けれどディアは誓ったのだ。他でもないウォルカの目の前で、紛れもない自分自身の意志で。
彼の中の神がどれだけ彼を裏切ってきたのだとしても、自分たち聖女は絶対に違うと。決して失望なんてさせないと。
そう、誓ったはずだったのに。
(自分がウォルカ様の信じられる存在になればいい――そんな偉そうなこと考えといて、このザマかよ……!)
これでは彼を救うどころか、ますます崖の際まで追い詰めてしまうだけではないか。人を救う神などいないと世界に失望し、そして聖女とて信ずるには値しないと見限ったならば、あの人はもう本当に、己が傷つきながら進み続ける以外の選択肢を捨ててしまうのではないか。
ああ――自分はきっと、ウォルカの気持ちに応えられなかったのだと思う。
ウォルカの信頼を、裏切ってしまったのだと思う。
「ごめんな、ウォルカ様っ……!!」
にじみ出た贖罪の言葉は、自分の声とは思えないくらいみっともなく震えていて。
もしかすると自分は、もう二度とアンゼのことを笑えないのかもしれない。
たしかにこれは、体が引き裂かれておかしくなってしまいそうなくらいに痛くて、辛くて、苦しかった。
/
じっとしてなどいられるはずがなかった。その日のうちから宿の裏庭に飛び出し、俺はユリティアたちと追加の鍛錬を始めた。
気が塞ぎ込んでため息ばかりついているとき、剣を振って精神統一するようになったのはいつからだったのだろう。前世でごく普通の日本人だったやつが、今となっては刃物を握って心が落ち着くようになっている――と表現するとまあ、いかんせん語弊はあるけれど。ジジイの愛情こもった鍛錬のお陰で、俺はまんまと一端の武人に育て上げられてしまったというわけだ。
ただ、夢中でのめり込めるような娯楽も少ない異世界生活において、剣一本あれば自分のストレスをコントロールできるというのはありがたくもあった。だから今回も、剣に一意専心して雑念を鎮めようと考えていたのだが――。
「――ぐ!?」
「あっ……せ、先輩!?」
ユリティアの剣を受け流し、返す刃で踏み込もうとした瞬間膝から体勢が崩れた。辛うじて倒れはしなかったものの、膝と両手を地面について座り込んでしまう。
「ウォルカっ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫だ……いつつ」
すぐさま師匠が駆け寄ってくる。このところ連日〈グリフィス工房〉へ出向いていた師匠だが、今日はいつもよりかなり早めに帰ってきていた。師匠にとっても、ラムゼイと〈ルーテル〉の凶報はそれだけ大きな衝撃だったということだ。
居ても立ってもいられず工房から飛び出そうとする師匠を、クラエスタは特に引き止めなかったらしい。師匠曰く、触れれば焼けるほど鬼気迫るものを感じたという。ラムゼイから託された約束を、本当に己のすべてを懸けて成し遂げるつもりなのだろう。
それに引き換え俺はどうだ。左足の痛みに情けなく呻いている。長時間歩き回ったあと断端が多少痛むのは経験済みだが、それをもっと何倍もひどくしたような。立ち上がろうした途端また鈍痛が走って、今度は師匠だけでなくアトリにも支えられてしまった。
三人全員から凄まじい待ったがかかった。
「きゅ、休憩! 休憩するんじゃ!!」
「先輩、無理しないでくださいっ……!」
「ダメ。少し休んで……お願い」
うおお落ち着け、圧が、圧がすごいって! みんな総出で「もう見てられない」みたいな悲しい顔しないでくれ、ちゃんと休むから!
アトリに肩を貸してもらいつつ、なんとか近くのベンチまで移動する。義足を外してみると、断端がひと目でわかるほどに赤く腫れ始めているのがわかった。剣の鍛錬にせよ普段の歩行にせよ、足を動かすたび義足と断端の間で圧迫が起こって、やがてはこうした炎症が引き起こされてしまうのだ。
それにしたって、鍛錬開始からまだ一時間も経ってないのに……前の義足よりいくらか強度が上がった分、足にかかる負担も増大しているのかもしれない。道理でクラエスタが作ろうとしている義足に、負荷分散の術式なんてものが設計されているわけだ。
「……くそ。こんなもんか」
つい、小さな悪態がこぼれてしまう。足の痛みも然ることながら、そもそも心が乱れてぜんぜん剣に集中できていない。ラムゼイのこと、〈ルーテル〉のこと、『原作』のこと、本来の筋書き、外れたレール、
雑念に囚われている暇はない。グレンが
だから、さっさと嫌な感情を鎮めておきたいのに……今の俺にはもう、思うがまま剣を振って精神統一することすらできないのか。
もどかしいもんだな、この状況じゃ。
「ウォ、ウォルカっ、これ以上自分を追い詰めちゃダメじゃ……!!」
などと考えていたら、いつの間にか師匠が涙ぐみかけていた。……え、自分を追い詰める? な、なんの話だ?
ユリティアとアトリも左右から俺を取り囲んで、
「先輩、思い詰めないでください……! 先輩がこんなに苦しまなきゃいけないなんて、おかしいですよっ……!!」
「ウォルカはなにも悪くない。すごくすごくがんばってるよ。だから、もう傷つかなくていいの」
いや待て待て、ほんとにいったいなんの話で――さてはみんな、また変な誤解してるな!? ああもうごめん、俺が意味深な悪態ついたせいだな! そしてアトリはじりじり接近してくるな! みんな重く考えすぎだってば!
俺はアトリを押しやりつつ、
「違う違う、考えすぎだ。ただ、剣振って頭の中を整理しようと思って……昔からときどきやってただろ?」
「ほ、本当なのかっ……? 本当に……」
「本当だよ」
自分を追い詰めているつもりはない。それに、今が辛いのはみんなも同じなはずだろ。なのに俺だけ特別扱いで慰めてもらうなんて、自分のメンタルくらいちゃんと自分でコントロールしないと。
「心配かけてごめん。もう少しだけだから」
「ウォルカっ……」
ぐし、と師匠がはなをすする。……ううむ、すっかり空気を悪くしちゃったな。こういう心配をかけたくなかったから精神統一しようとしていたのに、完全に本末転倒である。
もがくような思いで空を見上げる。たった一日、ほんの一度だけで充分なのだ。今すぐ足をどうにかしろとは言わないし、現実が無理なら夢の中でも構わない。
この不快な感覚を断ち切るために、一度だけでいいから全力で――
「――やあやあウォルカ、ここにいたのかい! うっかり部屋まで行ってしまったじゃあないかっ!」
少し、肩の力を抜けたと思う。
嫌な空気を吹き飛ばす朗々とした挨拶は、今の俺にとってはまさしく救世主の到来にも感じられた。
「なんだロッシュ、また来たのか」
わざとらしく颯爽と現れた救世主ことロッシュへ、俺もわざとらしく軽い態度で応じる。先日は話の内容が内容だけに真面目なツラをしていたこいつだが、今日は普段通りのやかましいスマイルが炸裂していた。お得意のキザな仕草で前髪を払い、
「うむ、来たとも。やれやれ、さては無理に体を動かしていたんじゃないだろうね」
うぐ、と窮する俺に呆れるでもなく、むしろ表情をいくらか優しいものへと変えて、
「だが、君が動こうとする気持ちもわかるとも。今、全力で剣を振りたい気分なんだろう?」
こいつ、登場して早々当然のように俺の心を読んでやがる……。以前「言葉にしないと伝わらない」とアドバイスをくれたくせして、おまえには言葉にしなくても伝わってるじゃねえか。このイケメンが……!
「そこでウォルカ、今日は僕からひとつ提案をするために来た」
だがまあ、こいつになら心を読まれたとしても困らないか。
いかんせんキザでやかましいやつではあるが、俺もなんだかんだで、そう思うくらいにはこいつのことを信頼しているのだろう。
とどのつまり、なにが言いたいのかというと。
「明日、大聖堂に来てほしい。――君の願い、叶えてみせようじゃないか」
おまえならわかってくれると思ってたぜ、友よ。