全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。   作:雨糸雀

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60. 一切無我Ⅱ

 翌朝、身支度ができ次第俺たちはすぐに大聖堂へ向かった。

 

 突然の凶報から一夜明け、聖廷街(せいていがい)では昨日よりさらに多くの騎士があちこちを出歩いていた。大半は街の警備を強化する巡回兵だったが、一度だけ、張り詰めた様子で移動する数十人規模の部隊を見かけたのは……もしかすると、〈ルーテル〉の生存者を捜索するための救援部隊だったのかもしれない。

 

 今はただ、彼らによって一人でも多くの生存者が見つかるよう祈るしかない。俺も、さっさと自分の問題にケリをつけないとな。

 

 とはいえ――ロッシュはいったい、どうやって俺に全力で剣を振らせてくれるというのだろう。

 俺のこの願いを叶えるためには、今すぐ左足の問題を解決するしかない。そして、一瞬でどうにかする方法など存在しないはずなのだ。そうでなければ、クラエスタに義足を作ってもらっている今の状況はいったいなんなんだという話になってしまう。

 

 ロッシュのやつ、「明日来ればわかる」とか言ってなにも教えてくれなかったからな。勿体ぶりおって……。

 

 そうこう考えているうちに、大聖堂前の広場に到着する。てっきりロッシュが出迎えてくれるものと思っていたが、どこにも姿が見当たらない。みんなで周囲を見回して捜していると、

 

「お待ちしておりました、〈銀灰の旅路(シルバリーグレイ)〉の皆様」

 

 気づけば礼拝堂へ出入りする雑踏の中に、一際気品あふれる銀髪の老執事が立っていた。……この人、今どこから出てきた? さっき見たときは絶対いなかったはずだけど。

 

 ともあれ、知っている顔だった。俺がまだ大聖堂に入院していた頃、〈星眼(せいがん)の聖女〉ユーリリアスの車椅子を押していた――

 

「あ……えっと、ヴァインリッヒさん?」

「おや、この老骨を覚えていてくださるとは。光栄にございます、ユリティア様」

「い、いえいえっ、そんなご丁寧に……!」

 

 むしろ忘れられない要素しかないんだよな……。いやあ、こうして向かい合ってみるとやっぱりデカい。目測190くらいはある。体つきもあいかわらず、シャープな燕尾服だけでは誤魔化せないほど屈強な存在感にあふれているのがわかる。

 

 言わせてほしい。あんたみたいなじいさんがいるか、と。

 

 うちのジジイですら晩年は体格が衰えていたというのに、この人はまるで今なお全盛期の中で生きているかのようだ。俺も剣士としてそこそこ体を鍛えてきた自負はあるが、この人と比べてしまえばまだまだひよこみたいなもんだろう。もっと筋肉をつけなければ……。

 

 老いた頬に浮かぶ微笑にも、年長者らしい達観とした『格』が溶け込んでいる。

 

「本日は、わたくしが皆様をご案内いたします」

「そうなのか。ロッシュは?」

「彼は一足先に、然るべき場所でウォルカ様を待っておいでです」

 

 なるほど、まったくわからん。然るべき場所ってどこだよ。どこに連れて行かれるんだ俺は。

 

「それでは、こちらへ」

 

 不思議に思いつつも、まあ剣を振るために来たんだから変なことにはならないだろう、と俺は高を括っていた。――気づくべきだったのだ。普段から聖女様の世話係をしているというこの人が、わざわざ俺たちの出迎えにやってきたという意味に。

 

 つまるところ、どうなったかといえば。

 

「――ごめんな、ウォルカ様。おれ、あんたの目の前で約束したのに。せっかくあんたが信じようとしてくれたのに、裏切っちゃったよなっ……!」

 

 現在俺は、一般人の立ち入りが断固禁じられているはずの『聖処』に立っていて。

 そこで〈白亜の聖女〉レスターディア様から、可哀想なくらいにか細く震えた謝罪を受けていて。

 

 かつて聖女としての顔を取っ払い、仲のいいクラスメイトみたいに話しかけてきた彼女は見る影もない。俺の胸元を両手で掴み、額を押しつけるように震えるその姿はひどく弱々しくて――

 

「ごめん。ごめんっ……!!」

 

 俺は心の中で叫んだ。――おいロッシュゥ! いったいなにがどうなってんだこれ!?

 

 

 

 /

 

 状況を整理する必要がある。

 まず、ヴァインリッヒの案内で連れて行かれたのは〈アルナスの塔〉だった。大聖堂の中心からまっすぐ天高くへ伸びる、聖都でもっとも神々に近い構造物――最上部には聖女たちの住まう『聖処』があり、教会関係者でもひと握りしか立ち入りできない聖域である、というのは聖都の人間ならどんな寸足らずでも知っている常識だ。

 

 その時点で、猛烈に嫌な予感がした。

 なので率直に尋ねてみたところ、ヴァインリッヒは顎髭を撫でながらこのように答えた。

 

「ウォルカ様には、これからアルカシエル様とお会いしていただきます」

 

 なんでだよ! おかしいだろ……! ディアといいユーリといい、なんでしがない一般人の俺がこう何度も聖女様とご対面する羽目になるんだ!?

 

 しかし俺は、『全力で剣を振らせてもらえる』という目の前の餌に易々と屈した。なんともわかりやすい男であった。あのやる気皆無なぐうたら聖女様なら、まあ変に目をつけられる可能性はないだろうとここでも高を括ったのだ。

 

 塔の内部は、階段すら存在しない広大な半円型の空間だった。見上げた先が荘厳な宗教画の天井となっていて、物理的に上るのが不可能な構造だったのを覚えている。

 

 空間の中央に転移の魔法陣があり、それが唯一の移動手段とのこと。だからヴァインリッヒに導かれるまま、俺たちは陣の中で光に包まれたのだ――それが教会の仕掛けた罠とも思わずに。

 

 そうしたらもう、俺は一人になっていた。

 

 師匠たちもヴァインリッヒも忽然といなくなっており、どうやら俺だけ別の場所に転移させられたらしい。窓ひとつない白い回廊でぽつんと途方に暮れていると、向こうからぱたぱたと誰かが近づいてきて、

 

「やっほー、お待たせえー。元気してたぁ?」

 

 いや待ってないが……。

 という感じで、そこで登場したのがディアだったのだ。それはもう、学校のクラスメイトと待ち合わせしてたの☆ みたいに超軽いノリで。

 

 あのさ……ディア、あいかわらず距離感がおかしいだろ。関係者以外立ち入り禁止な塔の中とはいえ、聖女様がよその男に護衛もつけず会いに来るって。なんでこんな爆速で信頼度高まってんの?

 

 俺の頭痛をディアは知ってか知らでか、

 

「そんじゃあ、こっちこっち。こっからはおれが、アルカのとこまで連れてってやるな!」

 

 ――正直この時点で、ディアになんとなく元気がないのは気づいていた。

 

 一見気さくに振る舞ってはいるものの、いまいち笑顔に活力がなくてぎこちない感じがする。理由はおおよそ見当がついた。きっと吸血鬼(ヴァンパイア)の一件であちこち忙殺されていて、昨晩も充分な休息が取れなかったのだろう。

 

 だから案内に従って回廊を渡り、聖処のリビングらしき部屋へ通されたタイミングで振ってみたのだ。元気ないな、と。

 

 その瞬間ディアの様子が豹変して――今の状況に至っている。

 

「ははっ……『元気してたぁ?』って、バカみたいだよな。あんなことがあったのに、元気にしてるわけないよなっ……でも最初くらいああ言わないと、なんか、ぜんぶダメになっちゃいそうだったから――」

 

 聖処のリビングは、元日本人の感覚で見ても思わず唸ってしまうほど洗練されていた。前世でいうタワーマンションのごとく高級感あふれる空間――そこらの家一軒を悠々凌ぐ広大な間取り、たったいま完成したばかりのような内壁とフローリング、そしてなにより南側が全面ピカピカのガラス張りで、地平線の遥か彼方まで圧倒的な眺望が広がっているときた。さすがは聖女たちが暮らす聖域、この部屋だけでいったいどれほど莫大なお金が注ぎ込まれたのかは想像もできない。

 

 ――などと現実逃避している場合ではなかった。今はともかく、ディアの様子がおかしいのである。俺は縋りついてくるディアの肩を支えながら、

 

「ディア、落ち着いて。急にどうした?」

「……」

 

 ディアが俺の胸元から顔を上げ、一歩下がる。

 下手くそに笑っている。

 

「あのクソ女のこと、ロッシュから聞いただろ?」

 

 ク、クソ女? ……ああ、アルファナのことか。いやまあ、たしかにとんでもない悪女ではあったけども。

 

「〈ルーテル〉のことも……もう知ってるんだろ」

「知ってるけど……」

吸血鬼(ヴァンパイア)に攫われて消息不明のクソ女。吸血鬼(ヴァンパイア)が飼い慣らして、〈ルーテル〉を襲わせた実験体。……あんただって、これがぜんぜん関係ない別々の事件だなんて思わないだろ?」

 

 ――ああ、そういうことか。

 言われてみれば、たしかに。奪われてしまった命ばかりに目が行っていて、『実験体』とやらの正体なんて考えようともしていなかった。

 

 そうか……そういう可能性が、あるんだな。

 また少し、気分が悪くなってきた。

 

「あのクソ女の処罰、ぜんぶおれたちに任せてくれてただろ。……その結果がこれだよ。だから――」

「……待ってくれ。それがどうしてディアのせいになるんだ」

 

 だが、だとしてもだ。なるほど、ディアがこうして豹変してしまった理由はなんとなく想像がついた。けれども、

 

「アルファナが攫われたのは、隣の国に引き渡したあとなんだろ。こっちは関係ないじゃないか」

 

 このあたりはちゃんとロッシュから聞いている。アルファナの国外追放は、〈聖導騎士隊(クリスナイツ)〉の精鋭たちにより間違いなく完遂された。吸血鬼(ヴァンパイア)がでしゃばってきたのはそのあと、隣国の領地内で起こった見ず知らずの事件だったのだから、ディアが責任を感じる必要なんてどこにもないじゃないか。

 

 ディアはあいかわらず下手くそに笑う。

 

「たとえばさ。あんたが護衛の依頼を受けて、商人を目的地まで送り届けたとするだろ。で、依頼完了して別れたすぐあとに、商人が魔物に襲われて行方不明になった。……そしたらあんたは、自分は依頼をやり遂げたんだから知ったこっちゃないって思えるか?」

 

 ……そうか。そうたとえられるとたしかに――って待て待て、まんまと言い負かされてどうする。さすがにたとえ話が極端すぎるだろ。

 

「それと同じだよ」

「違う。君のたとえは個人の問題だけど、アルファナの方は国の問題だったはずだ」

 

 そう、ディアは己の主張を正しく見せるためにわざと問題を矮小化している。アルファナの最終的な処罰は国外追放だったが、そもそも論、追放しようがしまいが隣国へ身柄を引き渡すのは決定事項だったはずなのだ。

 

 なぜならこの世界には、『人の罪は罪を犯した国の法で裁く』という国際的な取り決めがあるから。

 

 これは俺の前世でも同じだった。考えてみれば当たり前のことである。罪の基準は国によって違う。文化的や宗教的な理由から、ある国では立派な犯罪として処分される行為が、ある国では罪に問われないどころか一般に定着しているケースだってあるだろう。その土地で犯した罪がその土地の法で裁かれなければ、「罪が軽くなる場所へ逃げればいい」という犯罪者の逃げ得がまかり通り、世界の秩序が大きく混乱することになってしまう。

 

 つまるところアルファナを国外追放は、国同士の取り決めに従って罪人の身柄を引き渡す側面もあったということだ。だから処罰が甘かったとか、もっと重罪にすれば回避できていたとか、そういう単純な話ではなかったのだと俺は思っている。

 

「別に、手抜きで追放したわけじゃないんだろ?」

「あ、当たり前だろ! あんたから任されたんだから……!」

 

 アルファナがこの国で犯した罪は、あくまで踏破承認の責務不履行と、パーティメンバーに対する精神干渉の二つだけ。そう考えれば、〈摘命者(グリムリーパー)〉に殺される悪夢を何十回と味わわせただけでも相当な重罰だっただろう。軽く精神崩壊したって言ってたし。

 

 こういう取り返しのつかない結果になってから、もっとああすべきだった、こうしていればよかったと後悔するのは簡単なのだ。

 

 実際問題として、今回の事件をあらかじめ想定して対策するなど誰にも不可能だったはず。たった一人の罪人を連行するためだけに、吸血鬼(ヴァンパイア)が襲ってきても大丈夫なよう護衛をつけるなんてめちゃくちゃだ。そんなことまで言い始めたら、世界中の騎士に聖騎士クラスの実力を要求しなければいけなくなる。

 

 俺はそのあたりを掻い摘んで説明しつつ、

 

「だから裏切られたなんて、これっぽっちも思ってないよ。考えもしなかった」

 

 ディアを安堵させるべくそう慰めるのだが、むしろ彼女は余計辛そうになってしまって、

 

「……踏破承認のときもそうだ。なんであんたはっ……なんで、そんな合理的に割り切っちまうんだよ!? 知り合い、死んじゃったんだろ……!? なのに、人のことばっか優先して……! おれなんかより、あんたの方が何倍も辛いはずなのにっ……!!」

 

 べ、別にそんなつもりはないんだけどな……ともかく理由など決まっている。俺は掛け値なしの本気で言い切る。

 

「目の前で誰かが悲しんだり苦しんだりなんて、もう真っ平なんだ。――本当に」

 

 あの『原作』で、漫画という形で読むだけでもキツかったのに。師匠たちは、誰かの定めたクソッタレな運命のせいで人生を完全に狂わされた。ルエリィとシアリィは、心と記憶に生涯消えることのない傷を負った。シャノンやフリクセルだって、本来なら涙を流す必要などなかった人たちだ。そしてラムゼイも、〈ルーテル〉の人々も――。

 

 もう二度と、元通りになることはない。

 それが、本当に、本当に――反吐が出る。

 

「っ……」

 

 ディアがびくりと震えた。……いかん、つい感情がこもって怖がらせてしまった。俺は握り込めていた指先を解きながら、

 

「だから俺は、ディアのせいだなんて絶対思わない。そんな顔しないでくれ。いつも通りのディアじゃないと、調子が狂ってしょうがない」

 

 ディアが不安そうに俺を見上げた。……こうして正面から見つめ合ってみると、やっぱりディアも普通の女の子なんだよな。雪の髪と紅玉の瞳を持つ、天から舞い降りたみたいに神秘的なアルビノでこそあるけれど。だからといって精神面まで常人離れしているわけではなくて、聖女の体面を気にして猫かぶりしたり、気安く付き合える話し相手をほしがったり、責任を感じれば途端に弱々しく怯えてしまったり。華奢で繊細で背もそんなに高くない、俺たちとなんら変わらないごく当たり前の『人間』なのだと。

 

 今だってなにかを言おうとしたものの上手く行かず、しばし視線を迷わせたり手を握ったりしてから、

 

「……じゃあ、その。これからも、あんたに話しかけたり……会ったりしても、いいのかな?」

 

 なんだそんなことを気にしてたのか、と俺は小さく笑った。

 

「もちろん。……まあ、聖女様が一般人に気安く会いすぎだとは思うけどな。ディアだけだろ、聖女なのにこんなことやってるの」

 

 と、そこでディアがぽかんと目を丸くした。俺の発言のいったいなにがおかしかったのか、やがて呆れ半分慈しみ半分の吐息をついて、

 

「ウォルカ様って……ほんっとに気づいてないんだなあ」

「……なににだ?」

「なんでもなーい」

 

 くすくす笑われる。気のせいだろうか、いま『馬鹿につける薬はない』判定をもらったような……でもまあ、それでディアが笑ってくれたのだから別にいいか。

 

「ありがとな、ウォルカ様」

 

 ディアはもう、怯えていなかった。

 

「でも、おれはこのまま自分の言葉を嘘にするつもりはない。あんたが神を信じられなくたっていい……おれたち聖女が、いつか絶対その代わりになってみせるんだから」

「お、おぉ……そうか」

 

 な、なんか微妙に重たい決意を感じるような……いやいや、これはきっと「迷える子羊を救済します」くらいのニュアンスだろう。聖職者の定番ともいえるセリフってやつだ。だから自意識過剰になるな俺、「え、誰もそんな意味で言ってないんだけど……キモ……」ってドン引きされるぞ。

 

「ごめんな、立ち話しちゃって。それで、今日の本題なんだけど……」

 

 と、そうだった。兎にも角にも、ディアが元に戻ってくれたのだからこの場はよしとしよう。今日の俺は、アルカシエルと会うためにわざわざこんなところまで連れてこられたのだ。

 

 軽く周囲を見回してみるが、あのふよふよ漂う聖女様はどこにもいない。彼女が真面目に働いている姿はあまり想像できないので、

 

「アルカ、いま自分の部屋で休んでてさ」

 

 そんなことだろうと思った。じゃあ俺はここで待ってるから、

 

「たぶん寝てると思うから、悪いんだけど起こしてやってくれ」

 

 今なんと?

 

 

 

 

 それから三分後。俺はリビングの階段から吹き抜けになった二階部分へ上がり、廊下で一番突き当たりのドアの前に立っている。今からこの部屋に単独で突入し、睡眠中のアルカシエルを起こすのが俺に課せられた緊急ミッションというわけだ。

 

 おかしいだろ。なにもかもが。

 

 俺は今、聖女たちのガバガバ防犯意識について速やかに教会へ直訴したい。まだ出会って日が浅いよそ者をリビングに招いただけでは飽き足らず、挙句の果てには寝室って。そこはどう考えてもダメだろ。聖女の皆様は、自分たちが女神のごとく美しい女性であることをまったく理解していないのではあるまいか。

 

 というのを、当然ながらディアにも訴えてはみたのだが、

 

「ウォルカ様は別に変なことしないだろ? そこは信頼してるって。じゃあおれ、ちょっと取ってこなきゃいけないもんあるから。よろしくなー」

 

 と、手をひらひらさせながらどこかへ行ってしまったのだった。いや信頼するな。俺は男だぞ。頼むから、女性として最低限の防犯意識は持ってくれ……!

 

 もっとも、ディアの信頼はある意味正しい。たとえ周囲に誰もおらずとも、眠っている女性相手に妙なことをする度胸など俺には欠片も存在しないのだから。

 

「……」

 

 一縷の望みに縋ってノックしてみるが、案の定返事はなかった。俺は仕方なく腹を括り、

 

「し、失礼します……」

 

 おそるおそるドアを開け、中に一歩足を踏み入れる。

 

 高級タワマン並みのバカ広いリビングを見たあとだからそう感じるのかもしれないが、思っていたほど大袈裟な部屋ではなかった。アニメやマンガでしか見たことがない大きな天蓋付きのベッド、使われた形跡のないピカピカの机、なにをしまっているのか想像もつかない立派な戸棚、五~六人は一度に映せそうな贅沢な姿見、さながら舞台幕のように豪勢なカーテンと窓、壁の一面で四つも並んだクローゼット、きらびやかなシャンデリア型の魔石ランプなど、おおよそ『高貴な人の寝室』で出てくるイメージをそのまま具現化した感じだろうか。

 

 女性のプライベートルームということで身構えていたが、この雰囲気なら俺でも普通に入れそうだ。俺はそろそろとベッドの傍まで歩み寄り――そして不覚にも、飛び込んできた幻想的な光景に目を奪われた。

 

 考えてもみてほしい。冗談みたいに長い長い髪がベッド一面に広がって、ある部分は蒼、ある部分は銀、ある部分は白の燐光を宿しながら床まで届くくらいにあちこちから垂れ下がっているのだ。そんな唯一無二の髪を持つ少女が、大きな天蓋の中で穏やかにまぶたを下ろして眠っている。そりゃあ目を奪われない方がおかしいというものだろう。

 

「おーい……」

「…………んぅ」

 

 幸い、ちょっと呼びかけただけでアルカシエルは反応してくれた。まつげの長いまぶたがほんの少しだけ持ち上がり、ぼんやりとしながら目をこすって、

 

「……ああ、来たの。おはよう……」

「……おはよう」

 

 のそりと起き上がり、手のひらで仰ぐように柔らかなあくび。聖女様ともあればあくびひとつ取っても綺麗なもんである。それからアルカシエルは寝惚け眼で俺を見上げて、

 

「いらっしゃい。じゃあ、一緒に寝ましょ……」

「は?」

 

 袖を掴まれベッドに引っ張り込まれそうになった。いやいやいやちょっと待て!?

 

「待った待った! なんだいきなり!?」

「……? なにって、そういう約束でしょ」

 

 俺はそろそろ、聖女様たちの常識に囚われない深遠な思惑を解読するのに疲れてきた。

 

「ね、寝惚けてるのか? 俺は、剣を全力で振らせてもらえるっていうから……」

「うん……だから、あたしが夢を見せてあげる」

 

 アルカシエルがとても眠そうに説明して曰く。

 どうやって俺の左足の問題を解決するのかと思いきや、どうやら夢の中に招待してくれるらしい。アルカシエルには、いわゆる明晰夢のようなものを操る力があるそうだ。それで俺に、右目と左足の怪我がない状態の夢を見せてくれるのだと。

 

「すごいな、そんなことができるのか」

「まあ……聖女ぱわー、的な?」

 

 割と適当らしい。ともあれようやく合点が行った。夢の中なら怪我の影響がなく、また余計な怪我をする心配もなく、思う存分全力で剣に没頭できるって寸法か。なるほどなるほど。

 

 ただ唯一納得できないのは、

 

「だからほら、こっち来て……」

「あー……それならほら、リビングのソファーとかでも。さすがに人のベッドで寝るのは」

「ぐちぐちうるさい……男なら度胸を見せなさい」

 

 それはこういうシチュエーションで言われる言葉じゃねえだろ……!

 

「あたしが面倒くさがりなのはわかるでしょ……さっさとして。気が変わっても知らないから」

「わ、わかった。わかったよ」

 

 い、意外と気が強い聖女様だなぁ……。ええい、もう細かいことを――いやまったく細かくはないはずなのだが――考えるのはやめだ。

 アルカシエルに引っ張られるまま、靴と義足を脱いでベッドへ横になる。

 

「じゃあ、力抜いて」

 

 アルカシエルが隣から俺を見下ろし、頬に指先を伸ばしてくる。彼女の肩から長い髪が一房こぼれて、俺の首あたりにくすぐったく垂れてきたのがわかる。青白い燐光がゆっくりと光を増していく。

 

 ベッドの上で、女性に見下ろされて頬を撫でられる――それはもしかすると、健全な男として多少なりとも動揺すべきシチュエーションだったのかもしれない。しかし人間、本当に綺麗なものを前にすると邪な心など消し飛んでしまうもので――

 

 などと考えているうちに、俺は気づけばどこか平原のど真ん中に立っていた。

 

「……おお」

 

 俺はぽかんと立ち尽くした。直前の記憶と状況から考えれば、ここが夢の世界ということで間違いないはず。しかし瞳に飛び込む光も、肌を撫でる風も、鼻腔をくすぐる草の匂いまですべてが本物同然で、また転移魔法でどこかへ飛ばされたんじゃないかと疑ってしまったのだ。

 

 傍にアルカシエルの姿がなければ、俺はまた一人で途方に暮れていたかもしれない。

 

「……はい。終わったわよ」

 

 彼女の立ち姿を見るのははじめてだった。もしも彼女が普通に立ち上がったら、長すぎる髪が地面について散乱してしまうだろう――かつてそう感じた印象と寸分も違わず、今のアルカシエルの足元では、青白い髪と草の緑が混じり合って綺麗な花が咲いているように見える。

 

 本当に、立っても座っても寝そべっても絵になる聖女様だな。

 

「どう? 体の具合は」

 

 そう言われてようやく、俺は右目と左足の違和感が消えていることに気づいた。

 自分の足元を見ると、左足がついている。手で左目を覆ってみると、右目が見える。

 

「……ちょっと待ってくれ」

 

 俺は愛刀の〈装具化(アクセサライズ)〉を解除し、少しのあいだ適当に体を動かしてみた。おお、動く……左足がちゃんと思い通りに動くぞ! 視界が広くて距離感もバッチリ掴める。間違いなく、怪我をする前の俺の体だ。

 

「――すごい、完璧だ。なんの違和感もない」

「そう」

 

 久方ぶりに違和感のない体を味わった途端、急にいろいろな感慨が込み上げてきそうになった。だが、今にも浮かれそうな心を俺は静かに制御する。ロッシュもアルカシエルも、俺を遊ばせるためにわざわざ協力してくれたわけではないのだから。

 

 ここから先は、与えてもらった時間を一秒たりとも無駄にしてはいけない――すべてを俺の血肉に変えて、糧としなければ。

 

「なにか、足りないものはある?」

「そうだな……全力で戦える相手がほしい。夢の中だし、なにか魔物を出せたりとか――」

「――はっはっはっは!! やあやあウォルカ、どうやらお困りのようだね! この僕に任せたまえよっ!」

 

 ……おかしいな。俺とアルカシエルしかいない夢の中なのに、なんであいつの声が飛んでくるのだろうか。

 

 やかましい声がした方を振り向くと、やはりそこにはキラキラエフェクトを振りまくロッシュがいた。アルカシエルが俺の表情から察して、

 

「彼もきみと同じよ。先に寝ててもらったの……今この世界には、あたしときみと、彼の三人がいるってこと」

「そういうことだとも」

 

 なるほど……そういえば、こいつが待ってくれているのを完全に失念していた。ヴァインリッヒが言っていた「然るべき場所で」って、こういう意味だったのか。

 

「どうだい、体の調子は」

「そりゃあ、すこぶるいい感じだけど……なんでおまえがここに?」

「おや、それを訊くのかい? ふふん、もちろん決まってるじゃないか――」

 

 夢の中でもあいかわらずな爽やかスマイルで、ロッシュが左耳のイヤリングへ静かに手を伸ばす。――そして、俺がこいつの動きを完全に目で追えたのはそこまでだった。

 

 

 地面ごと炸裂するような冗談抜きの踏み込みで、ロッシュの剣が俺を一手で間合いに捉える。

 

 

「――!!」

 

 だが俺は読んでいる。目では完全に追えずとも、体が先を読んで直感で動く。納刀状態の剣でそのままロッシュの一閃を受け流し、同時に自らの力にも変換して後方へ跳んだ。

 

「きゃっ」

 

 破砕。標的から逸れたロッシュの剣先が地面を穿ち、緑の平原に数メートルにはなろう裂傷を刻み込む。一瞬で細切れにされた草花が舞い飛ぶ中、ロッシュはゆっくりと構えを解いてまた朗々と笑った。

 

「いやあ見事だ、実に惚れ惚れする体捌きだね!」

「いきなりなにすんだ。びっくりするだろ」

「ふふ、今のどこがびっくりした人間の動きなんだい」

 

 そりゃあ最初おまえの姿を見た時点で、腹に妙な闘気を隠しているのは気づいてたからな。さしずめ、万全となった俺がどの程度動けるのか試したというところか。猪口才な真似をしおってからに……。

 

「ところで君、やっぱり騎士になった方がいいんじゃないかい?」

「あ?」

「いやなに。咄嗟の状況でも素早く聖女様を守る姿は、まさしく騎士そのものだと思ってね」

「……いつまで掴んでるの。離して」

 

 あんまり眠たげじゃない声は、俺の右腕の中から聞こえてきた。

 俺の右腕に抱きかかえられ、アルカシエルが胸元から抗議のジト目を飛ばしてきていた。

 

「ご、ごめん」

 

 俺は慌てて腕を離した。やってしまった。咄嗟の反応が仇となって、後ろへ跳ぶとき無意識にアルカシエルを守ろうとしまったのだ。俺から距離を取った彼女はんんっと咳払いして、

 

「まあ……別にいいけど。守ってくれたんだし……」

「ごめん……」

「いいってば」

 

 どんなときも常にぐうたらだったアルカシエルが、今はちょっぴりぶっきらぼうな感情を露わにしている。明らかに怒っている。終わった……夢から覚めたら俺は牢屋にぶち込まれるだろう。後悔がないように剣を振らなければ……。

 

 ともかくこれで、なんでロッシュが夢の中にいるのかははっきりした。

 

「つまり、おまえが相手してくれるってことでいいのか?」

「もちろんだとも」

 

 頷き、ロッシュが右手の剣で軽く自分の手のひらを斬る。俺がひやりとしたのも束の間、斬った位置にゲームのダメージエフェクトのような光が発生し、十秒ほどかけてゆっくりと消滅していく。もちろん、手のひらに血や傷は一切ついていない。

 

 ロッシュの微笑が、少しずつ宿す感情を変えていっているのがわかる。

 

「夢の中だからね。このとおり、〈刃なき剣(ハートレス)〉を使わずとも怪我の心配はない。正真正銘、心置きなく全力で戦えるということだ」

 

 ああ、そうか――ひょっとすると今の状況は、俺の願いであると同時にロッシュの夢でもあったのかもしれない。

 

 互いに研鑽を繰り返す生涯のライバルともいえる相手が、突然片目片足を失って剣の道から転落した。全力で剣を振れる体ではなくなり、義足を使ったとてどこまで復帰できるのかも未知数。五十勝目を懸けた真剣勝負は、もう二度と訪れる時が来ないかに思われた。

 

 しかし、この夢の世界ならすべてが叶う。いま一度だけ、惜しみない全力で研鑽し合うことができる。

 

 ゆえにロッシュは笑うのだろう――いつもより少しだけ大胆不敵に、血が沸き立つのを抑えきれないように。

 

「――君の全力を受け止めるのは、この僕の役目だろう?」

 

 いや、そんな知らん役目を決め台詞みたいに言われても……。まあいいや、ここまでお膳立てしてもらってあれこれ言うのは野暮ってもんだ。

 

「……じゃ、あたしは先に戻ってるから。気が済むまでやりなさい」

 

 アルカシエルの体が淡い光に包まれて消える。これでこの世界には、俺とロッシュの二人だけ――それ以外はなにも必要ない。

 

 剣を握り直し、構えた。

 

「付き合え、ロッシュ」

「ああ」

 

 ロッシュの魔力が急速に剣へ集約する。するとたちまち剣が呼応し、金色(こんじき)に輝く神聖な光を宿し始めて――爆ぜた。

 

 無論、本当に爆発が起こったわけではない。光の炸裂だ。ロッシュの魔力をトリガーにして剣から超高密度の波動が発生し、爆発にも等しい縦横無尽の烈風を発生させた。

 

 ロッシュの剣が、今までとまったく別物に姿を変える。形状自体はほとんど同じだが、剣身に極限まで圧縮された金色の波動をまとって、とてつもない魔力を撒き散らしながら神聖に光り輝いている。周囲の風の流れが完全に変わり、触れれば焼けるほどの存在感が俺の全身に打ちつけられる。

 

 もしアンデッド系のモンスターがこの場にいれば、光を浴びただけで消し飛んでしまいそうな熱量だった。

 

「おまえ、やっぱり今までの手合わせは本気じゃなかったんだな」

「すまない、出し惜しみをしていたわけじゃないんだ。なにぶん威力が高すぎて、普段は教会から制約をかけられていてね」

 

 なんだそれ、扱いがもはや兵器の類じゃねえか。おいいきなり武器の格差がエグすぎるだろ、こっちはただの剣一本だぞ!

 

 だが、俺たちは笑っていた。

 

「一瞬たりとも気を抜くなよ、ウォルカ。――じゃないと、五十勝目はあっさり僕がもらってしまうからね」

「ハッ……言ってろ」

 

 上等だ。むしろそうでなくてはいけない。なにも考えず己の全力を出し尽くすのなら、針に糸を通すかのような勝ち目でなければ話にならない。

 

 俺にできることはそう多くない。ロッシュのように一級品の武器を持っているわけではなく、師匠のように強大な魔法を使えるわけでもなく、ユリティアのようにずば抜けた才覚を秘めているわけでもなければ、アトリのように優れた血筋と教育で力を培ってきたわけでもない。

 

 できるのはただ、この一振りにすべてを注ぎ込むことだけ。

 

 

 ああ――眼帯と義足の枷がなくなるだけで、こうも変わるものなのか。

 

 

 映る景色が今までとまるで違う。克明に浮かび上がる剣の世界。深く落ちゆけば落ちゆくほど意識が澄み渡り、一切の雑念が途絶えて真白へと変わっていく。

 

 ここからの束の間だけは、なにも余計なことを考えなくていい。邪魔な感情はひとつ残らず断ち切って、己のすべてを白一色で染め上げてしまえばいい。

 

 ラムゼイとの決闘で掴んだ感覚より、さらにその奥。

 

「ああ……君はまったく、本当に――」

 

 ロッシュの恍惚としたため息は、もう聞こえない。

 

 剣と、意識が完全に合わさったのを感じた。

 

 

 

 

 

 /

 

「――ウォルカを返してえええええ――――――ッ!! アンゼのばか! せーじょのばかばかばかぁっ!! 誘拐犯! ごくあくにん! 人さらいいいいぃぃっ!!」

「リ、リゼルアルテさま、落ち着いてください! どうかわたくしの話を――ひゃうっ!?」

「うがぁ――――――――――――ッ!!」

 

 一方その頃、愛弟子と無理やり引き離されたリゼルは大層暴れてアンゼを困らせていた。

 




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