全滅エンドを死に物狂いで回避した。パーティが病んだ。 作:雨糸雀
このままではマズい。俺は強烈に危機感を覚えた。
〈
しかし、これ以上はさすがに認めざるを得ない。
――暇を持て余したベッド生活で、体が怠け始めている。
そう感じてしまった一番の理由は、昼間に襲ってくる怠惰な眠気だった。夜の睡眠は充分すぎるほど確保しているのに、運動を終えたあと、昼食を摂ったあと、気づけばうつらうつらと舟をこいでしまっている自分がいる。
今まではこんなことはなかった。すなわちこの眠気は堕落の兆候に他ならない。
今すぐ鍛錬を再開しなければ。
別に、この体でも鍛錬して冒険者に復帰しようというつもりは――今のところ、なんともいえない。そもそも、この体での復帰が現実的なのかどうかもわからないしな。今はとにかく、運動不足を少しでも解消しなければ俺の精神衛生上よろしくないというだけの話だ。
この先は慣れない義足生活になるはずだから、なるべく体力を維持しておいて損もないだろう。
寝ながらできるストレッチ程度では運動のうちにも入らん。となれば、ここはやはり素振りを再開したい。一応座ったままでもできるし、今まで何千回何万回と繰り返してきたこの鍛錬なら、ストレッチよりずっと高い練度と集中力で取り組める。
というわけで、師匠に庭先まで車椅子を押してもらったのだが――。
「ウォルカ……やっぱり、
「ん……? ああ、
剣を振るのかって、そのために外まで移動するんだから当然では……?
「どうも俺には、これが一番らしいからな」
「っ……そう、じゃな。ウォルカは、剣が一番で……剣が、一番だったのにっ…………」
……なんだか深読みをされてる気がする。師匠、俺は体を動かしたいだけだからな? 深い意味は一切なくて、ただの運動だってば。
「わかってる……わかってるのじゃ…………」
わかってないだろそれ。
師匠? 師匠ー?
その後教会の庭先で素振りに勤しんでいると、ユリティアが俺を見つけるなり持ってきた荷物を地面に落とした。どこか心ここにあらずな虚ろな瞳になって、
「先輩……やっぱり先輩は、そんな体でも……剣を…………」
だからただの運動だってば。
ユリティア? ユリティアー?
/
久し振りの素振りは大いに身が入るものだったが、それでも午後になると眠気は襲ってきた。
まあ眠くなってしまうものはしょうがないので、軽く午睡を取ることにする。師匠もなんだか急に思い詰めた風になってしまって、俺の傍から離れてくれないため仲良くお昼寝だ。
そうして窓から注ぐ陽光の中でまどろんでいると、部屋に誰かがやってきた気配。ユリティアなら「失礼します」の一言くらい言うはずだから……この感じ、ウチのパーティの重戦士のアトリだな。
などとぼんやり考えていると、
「んしょ」
「……!?」
アトリがいきなり俺の腹に乗っかろうとしてきた。当然俺はすぐさま起きあがり、マウントを取られるすんでのところで彼女の肩をがっしり押さえる。
「あ……起きちゃった」
「……起きるに決まってる」
間違いなく、そこにいたのはアトリである。
いや今なにしようとした? 目で訴えるもアトリは真顔で、
「大丈夫、ちょっと襲おうとしただけ」
どのへんが大丈夫なのかさっぱりわからない件。
襲うってなにさ。襲撃? マウント取ろうとしたのってそういうこと? もし気づかなかったらあのまま首でも絞められてたのだろうか。うーん仲間とはいったい……。
「勘弁してくれ、俺はこの足だぞ」
「平気、ボクが動くから」
だからなにが平気なのかさっぱりわからないんだって。パーティ近接最強のキミに襲いかかられたら、今の俺なんて一瞬でボロ雑巾だろうに。ほんと強すぎるんだよこの子……。
我らがパーティの重戦士にして一騎当千の戦闘民族、『アトリ』について。
原作のパーティでは、ウォルカに次いでほとんど描写がないまま退場してしまったキャラだった。セリフがひとつもなくて名前も性格も不明、更にはコマの隅っこで描かれるだけだったため容姿すらもはっきりせず、ミステリアスな印象のまま例のシーンで無惨にも――という具合だった気がする。
なお重戦士とは、巨大な武器や強靭な鎧を身にまとい、敵の防御を打ち砕いたり攻撃を引きつけたりする役割を指す。彼女の場合は鎧をまとわず、自身の身の丈すら超える武器を手足のように振り回すという超攻撃型の重戦士だ。攻撃は最大の防御? いいえ、攻撃は最大の攻撃です。
さて、原作を抜きにした『俺』の認識は。
まず、アトリはこの国の生まれではない。
ここより遥か南方のとある少数部族の出身で、その血が浅い褐色の肌として表れている。真白の髪を肩に届く程度の流麗なセミロングにし、耳や首、腕にはこの国の意匠では見られない異国の装飾品。数多の文様が織り込まれた民族衣装はとりわけ上半身の布面積が小さく、健康的な肩やらへそやら胸元やらを艶やかに晒している上、生地まで薄いせいで胸の肌着がうっすら透けて見えるという大変
下も下で深いスリットスカートから脚が大胆に見え隠れしており、肌着が黒いショートスパッツだから見せても大丈夫なのかもしれないが、ともかく年頃の青少年などはちょっと目のやり場に困るだろう。
なんでも彼女の出身は、知る人ぞ知る一騎当千のバーサーカー民族らしい。長い歴史の中で遺伝子が戦闘に極振りされた結果、歴戦の猛者ともなれば〈
彼女にもその血が色濃く受け継がれており、ウチのパーティでは少なくとも近接戦最強。天才剣士のユリティアが、「アトリさんはちょっとレベルが……」と苦笑いするほどである。
年は俺よりひとつ下の十六歳で、身長は同年代よりちょっぴり高い。体つきは細身でしなやかながら、どう見てもパワータイプではなく、彼女が重戦士だといっても一発で信じてくれる人はそういない。
薄紫のぼやけた瞳には感情があまり宿っておらず、事実彼女は非常に寡黙でクールな性格だ。必要以上のことはあまり話さないし、口調もちょっとカタコトっぽいし、表情もほとんど動かない。
ただもちろん感情がまったくないわけではなく、今はどうも、俺にマウントを取れなかったのを大いに残念がっている様子だった。そんなに襲撃したかったのだろうか……。
「きっと気持ちいいから大丈夫。ボクにおまかせ」
「いや、ほんとに勘弁してくれ……」
戦って気持ちよくなっちゃうのは君だけだってば。
この子、故郷で叩き込まれた知識が戦闘やサバイバル関連に偏りすぎてるせいで、一般情操面が少々ぽんこつなんだよな。さっきから言い方よ。よその人に聞かれたら変な誤解されるでしょうが。
ただ、ボクっ娘なのは個人的にかなりポイントが高い。いやはじめて出会ったときは感動したね、ボクっ娘って本当にいるんだ! って。
のじゃロリな師匠然り、はわわ撫子なユリティア然り、こんな魅力的な子たちが一話であっさり使い捨てられた上、それが全滅凌〇死エンドだったなんて改めて理解できない。やはりあの作者は腐れ外道よ、生かしてはおけぬ。
「だめ?」
「ダメだ。ほら、師匠が寝てるから」
アトリはむむっと考える仕草をし、
「……たしかに。いきなり仲間に見せながらはレベルが高い」
「わかってくれたか」
「ん……はじめては、やっぱり雰囲気が大事かも」
仲間を襲撃するのにうってつけな雰囲気ってなんですかねェ……。
というか、そもそもこの子はどうして襲撃なんて……あれだろうか、俺が入院生活で堕落してきているのを察知して、ウチのパーティに腑抜けはいらんと釘を刺しにきたのだろうか。くっ、見抜かれている……! これからこの体なりにがんばって鍛錬するので、どうか今日は見逃してください。
しかし、改めて考えてみると。
俺はこのまま、剣士として終わってしまってよいのだろうか。
普通に考えて、片目だけならまだしも片足――しかも軸足を失ってしまったならば戦士としては一巻の終わりだ。前世の漫画やアニメでも、隻眼や隻腕ならむしろ強キャラの代名詞ともいえるステータスだったが、片足がない剣士なんてのはほとんどお目にかかった記憶がない。創作という自由な世界の中ですら、足は二本そろっているのが大前提――片足を失うというのは、それだけ大きすぎることなのだ。
ただ、もしこの異世界に優れた義足が存在していて、剣士として復帰するのが充分現実的だとするならば。
それなら俺はきっと――剣を振り続けると思う。ここが腐れ外道ダークファンタジー世界である以上、今後も仲間たちにどんな危険が降りかかるかは予測ができない。今の俺にとっては、仲間たちの
自分の命を投げ捨てるつもりはもうない。けれど最低限動く体さえあれば、なにかができる可能性は格段に上がるだろう。
しかし一方で、そもそも彼女たちに俺の力は必要なのだろうか?
アトリはもちろん師匠もユリティアも立派な実力者だから、怪我人が中途半端に復帰しようとする方が迷惑なのではないか。片目片足を失った不完全な剣士が、彼女たちの力になろうなど身の程知らずではないか。自分の面倒を自分で見る程度の社会復帰は成し遂げるとしても、そこから先は――
「……ウォルカ? どうかした?」
横でアトリが不思議そうにしている。俺は緩く首を振り、
「これからのことを、少し考えていた」
「リハビリ?」
「いや……もっと先だ」
短くなってしまった左足を撫でながら、
「俺は、もうこの有様だからな。もし、付き合いきれないと感じるなら……」
「ウォルカ」
思いがけず、アトリの少し大きな声。
顔を上げるとアトリが身を乗り出して、吐息がかかるほどの距離から俺の瞳を覗き込んでくる。
「あの戦いで、ボクはキミに助けられた。命を救われた。それなのにキミを置いていくなんて、絶対にしない」
「――」
息が詰まる。
紫の瞳に、落ちていきそうな錯覚を覚える。
「命を救われた恩は命で返す――それが部族の掟」
華々しい決意とも、美しい誓いとも、清らかな祈りとも違う。
見る者の腕に絡みついて、落ちゆこうとするような。光すら届かない底なしの執着、あるいは――欲望のような。
「ボクの髪一本、骨の一片、血の一滴、魂の一切まで……ぜんぶ、キミのものだよ」
俺が思わず仰け反った分まで、更に身を寄せて。
あくまでいつも通りクールな彼女のまま、こう言うのだ。
「ボク……アトリはキミのために生きて、キミのために死ぬ。安心して」
「……、…………そうか」
たったそれだけの答えを返すのに、何秒もかかった。
こういうときだけは、筋金入りに無愛想な自分をありがたく思う。たとえ心の中で気が動転していても、見た目だけは冷静に反応を返せるのだから。
ほとんどしなだれかかるようになっているアトリの体を、そっと押し返して。
「気を遣わせたな……ありがとう」
「ん」
そのときにはアトリも、元のアトリに戻っていた。その場で座り直した彼女は無表情に、
「……じゃあ、襲っていい?」
「いやそれはダメだ」
「むぅ……ウォルカは襲う方が好き? 実はボク、ウォルカなら襲われるのもちょっと興味ある」
「はいはい」
アトリは意外と、打ち解けた相手に対してはおしゃべり好きな一面がある。なんだか会話が若干噛み合っていない気もするけれど、そんなことよりも俺は、
俺は――
(…………お、おああ、あがががががががががが)
――ちょいと重すぎやしませんか、アトリさん。
今しがたアトリの激重発言に関して、心の中で白目を剥きながら痙攣するのだった。
胃が。胃があああ。
/
「――で、なんでこいつは灰になってんの」
「闘う前から負けたんだって」
「はあ……?」
その日男がギルドを訪れると、以前パーティで指導していた顔馴染みのルーキーがロビーの椅子で燃え尽きていた。
男はBランクの冒険者である。本来であればAランクでもおかしくないこの街きっての大ベテランだが、「俺はそんな器じゃない」とギルドの昇格勧告を断り続けてもう何年にもなる。ただその実力と面倒見のよさは誰もが知るところなので、気のいい親父ポジションで後輩はもちろん同期からも幅広く慕われている。
受付嬢ともタメで話す間柄だ。
「気になる女の子の冒険者ができたみたいでパーティに誘ったらしいんだけど、もうケンモホロロ。それで昨日からずっとこれ」
「なんだおい、青春してんなあ」
男はニカリと歯を見せて笑う。少年を小馬鹿にしているわけではないとひと目でわかる、なかなか気持ちのいい笑い方だった。
「しかし、こいつが気にするような女なんていたっけか?」
「ほら、あの子よ。ちょっと前からこの街に滞在してる、桜色の小さな」
「……あー、あの嬢ちゃんか! さっき道端で会ったぞ」
「……は!? おいおっさん、どういうことだ!」
少年が瞬く間に灰から甦った。大股で詰め寄ってきた彼に男はまたニカリと返し、
「ありゃパーティの仲間かね、車椅子押してそのへん散歩してたぞ。んで階段の前でちょっと難儀してたから、俺が野郎の方に肩貸してきたってだけだ」
「あ、ああ……なんだそういうことか……」
少年が見るからに安堵している。男はますます笑みを濃くして、少年の頭をガシガシと荒っぽく撫でくり回す。
「おいおい、マジで青春してやがんのか! かーっいいねえいいねえ、やっぱガキのうちはそうじゃねえとな!」
「ガキ言うな!」
少年は威勢よく吠え、しかしすぐに俯き、
「なにもよくなんかねえよ……断られたし」
「いやおまえ、DがAとパーティ組んでもらえるわきゃねえだろ。ガキの子守りじゃねえんだぞ」
「グフッ……」
ド正論を返されて少年は崩れ落ちそうになった。
「むしろオッケーされたら完全に脈アリだわ。今すぐ押し倒してこい」
「ちょっと、そういうのセクハラよセクハラオヤジ!」
「るせーるせー、行くときゃガツッと行くのが男ってもんだろが」
口うるさい受付嬢をしっしと追い払い、男は膝を折って少年と目線を合わせる。
太平楽で締まりのない声音が、少しだけ生真面目なものに変わる。
「ま、いいじゃねえか。……おまえ、パーティで三つ四つ依頼こなしたからって、なんとなく上手くやってけるような気分になってたろ? 冒険者稼業ったってやってることは魔物相手と命のやり取りだ、なんとなくでやってけるほど甘かねえよ」
「……」
「強くなきゃあ、冒険者なんざそこにいねえのと同じだ。ガキだからってナメてくるやつらの鼻は明かせねえし、気になる女の一人にだって見てもらえやしねえ」
少年も、慕うというほどではないが男のことは信頼できる先達と認めている。
だからこそ男の言葉は、一定の重みをもって少年の心に届いていた。
「目標ができたな? じゃああとは簡単だ、脇目も振らずに突っ走りゃあいい。思いっきり悔しがれ、血を吐くような思いをしろ、男が綺麗な手ェしたままで辿り着ける強さなんざゴミクソだ」
男は更に言う、
「――なあ、あの野郎の手はなぁ、俺よりもボロボロだったぞ」
「……!」
「数えきれねえくらいマメ潰して、何度も血だらけになって、そのたびにヘッタクソな治癒魔法で誤魔化してきたんだろうな。あちこちひび割れて、傷だらけで、硬くなったタコまみれだったよ。右腕と左腕で筋肉の付き方も違ってやがった。ありゃあ、生まれてこのかた剣を振ることしか考えてこなかった馬鹿も馬鹿、大馬鹿野郎の類だわな。……片目と片足がなくなっちまったみてえだが、まあ、いま嬢ちゃんと組んでんのはそういう男だ」
「っ……」
少年がきつく拳を握り締める。そのとき男は少年の瞳の奥に、今はまだかがり火のように小さな揺らめきだけれど、それでもたしかな赤い炎が灯ったのを見た。
おそらく、受付嬢にも見えたのだろう。肩の幅で両手を開いてやれやれとため息、
「男って単純よねー」
「おうさ、単純も単純だぞ。なんたって、女のためならいくらでも強くなれんだからな」
「それは体験談? それとも理想論?」
「体験談だわ。俺だってなあ、ひと昔前はそりゃあもうブイブイと」
「――訓練場行ってくる」
殻を破るように、静かな決意の言葉だった。男が振り返ったとき、少年はすでに背を向けてギルドから飛び出そうとするところだった。
辿り着くべき
「……ま、結果的にはいい経験だったんじゃねえの。ありゃ一皮剥けるぜ。やっぱ男はいっぺん鼻っ面へし折られねえとダメだな」
受付嬢は口の先と息だけで笑い、
「あんたもそうだったわけ?」
「たりめーよ、俺は今も昔も失敗ばっかだ。あいつの方がよっぽど強くなるだろうな。もうそろそろ隠居すっかぁ」
「はいはい、そんな失敗ばかりのベテランさんに今日もお仕事がありますからね」
「おい人使い荒ぇぞ。ちったぁ年長者を労われや」
「あら、じゃあなにしにギルドまで来たのかお伺いしても?」
「かーっあいかわらずかわいげねーなあ。モテねえだろおまえ」
「んなっ――あんたにゃ関係ないでしょ!?」
おいまた始まったぞ誰か水ぶっかけろ水、と近くの男冒険者たちが苦虫百匹噛み潰した顔をしたそのとき。
炉辺談話飛び交うギルドの賑やかな空気が、にわかにざわついた。
「おっと、噂をすりゃあ――」
男は入口の方を振り向き、眉をあげた。
このあたりではてんで見かけない、遥か異国の装いをした褐色肌の少女。件の桜色の少女とパーティを組んでいるという、おそらくこのギルドで今もっとも話題になっている冒険者。
名はたしか――アトリ、だったか。
なぜ彼女がギルドで一躍時の人となっているのか、理由は二つ。
ひとつ、すさまじく強いから。彼女の戦いを偶然目撃した者によれば、なにかの間違いかと思うほど巨大な
ただその戦いぶりは――曰く、
そしてもうひとつ。身にまとっている民族服の布面積がやたら小さく、よく見ればうっすらと肌着まで透けているため実に目の保養――もとい、目の遣り場に困るから。
彼女を追いかける衆目の中には
そんな話題の少女アトリは、周囲のどよめきをまるで気にせず男から一番遠い受付へ。ここで働き始めて間もない新人受付嬢が、やや緊張した面持ちで応対を始める。
「――実際のところさ、」
男はアトリまで聞こえないよう、正面の受付嬢に声をひそめて、
「こないだ〈ゴウゼル〉を再踏破したパーティって、あいつらだろ」
「……」
男は百パーセント確信を持ってそう告げたし、言い当てられた受付嬢にも驚きはなかった。静かにため息をついて同じように声を落とし、
「やっぱり気づく?」
「まあ、俺以外にも勘のいいやつらはみんな言ってるよ」
この街からそう遠くない場所にあるダンジョン〈ゴウゼル〉が踏破されたのは、ひと月以上前の話だったと記憶している。それが二週間前に突然、真のボスモンスターが討伐されたためギルドで詳細を確認中だと告知が出された。すなわち、最初に出した踏破承認が誤りだったというのだ。
二週間前といえば、ちょうどこんな目撃情報がある――アトリたちのパーティ〈
「普通、踏破を成し遂げたパーティは大々的にその名が称えられるよな。ボスモンスターだって公表されて、おいおまえあんなやつ倒すなんてすげえじゃねえかと冒険者も酒場で盛り上がる。俺たちにとっちゃ最高の名誉のひとつだ。
……けど、今回はどこの誰が踏破したのか、ボスモンスターはなんだったのか、そういう情報がまるでねえ。なんで隠すような真似をしてる?」
「私だってこんなの納得行かないわよ」
受付嬢の苛立ちを隠せない声。けれどそれは目の前の男にではなく、自分ではどうしようもないもっと大きなものに対する苛立ちだった。
「私が公表していいんだったらすぐしたいくらいよ、あの子たちは本当に……本当に、がんばったんだって。……ねえ、これはあんただから教えるんだからね。絶対声に出さないで」
有無を言わさぬ受付嬢の目つきに、男はやや考えてから無言で頷く。
「……本当のボスモンスター」
それだけ言って、受付嬢は手元の紙に小さくその名を記した。
〈
「――、……そうか、そいつぁ……」
男は柄にもなく、言葉を失った。すごいどころの話ではない。本当ならば歴史に名を刻むはずの大偉業だ。冒険者の命を摘み取る絶対的存在。もし出会ってしまったら、どう倒すかではなくどう逃げ延びるかに全力を注ぐべき怪物。
公式に認められた討伐記録は、どれだけ歴史を遡ったとしても果たして十を超えるかどうか。
それを、あんな子どもたちが。
「なんで公表しないのかは私も知らない。ただ聞いてるのは――当人たちが望んでないからだ、って」
〈摘命者〉、ただ一人片目と片足を失った傷だらけの青年、五体満足で傷ひとつない三人の仲間たち。男の頭の中で、それらが漠然と一本の線でつながっていく。
受付嬢の声音も、柄にもなく弱々しい。
「言い訳するわけじゃないけどさ、最初に踏破の報告自体を受けたのはウチだけど、ダンジョンに人を派遣して、間違いなく踏破されてますねって最終的な承認をしたのは聖都側なの。だから、向こうじゃ相当大騒ぎになったんでしょうね。すぐに調査員がすっ飛んできて、あの子たちのパーティに話を聞こうとした」
吐息、
「あんた、さっき車椅子の男の子に肩貸してきたって言ったでしょ。あの子、助かったのが本当に奇跡ってくらいの大怪我だったんだって。片目と片足も……、……パーティの大事な仲間がそんなことになったら、ね。
調査員の人、教会でシスターに門前払いされたって言ってた。今は話ができる状態じゃないからって……あの男の子じゃなくて、仲間たちの方が、よ」
「……」
「やっと許可が下りたのは、二日後だったかな。それでも、一番小さな魔法使いの子が途中で泣き出しちゃったらしくて……出てけって、追い払われたみたい。……キツかっただろうな」
「……遣る瀬ねえ話だな」
男は、今の自分が憤りにも似たしかめ面をしているとわかっている。男は冒険者としてはそこそこ年長者の方で、あの少年含め多くの若者に手解きをし、巣立っていく背中を見送ってきた。だからだろうか、この手の話を聞かされると遣り場のない怒りに胸が駆られるのを感じる。
責任の所在を求めるなら、十中八九でギルドが槍玉に挙がるのだろう。
踏破されたと思っていたダンジョンが踏破されていなかった――前例が、ないわけではないのだ。名声ほしさに嘘八百を並べたやつもいるし、本当に勘違いしてしまっていたやつもいる。だからギルドはわざわざ調査隊なんてものを派遣して、ダンジョンの活動が間違いなく止まっていると最終承認する体制を整えている。
だが今回、また同じ過ちが起こった。
調査になんらかのミスがあったのか、あるいは本当に嘘八百を並べたのは――
どうあれ、大人の失態が一人の若者の未来を奪ったということだ。たとえ、奇跡的に助かったとしても。片足を失った以上、冒険者としての道はもはや崩れ落ちてしまったに等しい。
受付嬢が、縋るような目で男を見る。
「……ねえ。ねえ、あの男の子ってさ、」
「ああ、守ったんだろうよ。仲間を、文字通り死ぬ気でな」
青年だけが片目片足を失って生死を彷徨い、仲間の少女三人は五体満足で生きている。……そういうことなのだろう。ああ、そうだろうとも。男が青年の立場だったとしても迷わず同じ選択をする。
だが少女たちにとっては、呪いのようなものかもしれない。ただ、守られただけ。青年の片目片足を犠牲にのうのうと生き延びただけ。
〈摘命者〉討伐の名誉を賜って、報奨金をもらって、Sランクに昇格して――だからなんだ。それで青年の足が元に戻るのか。目が見えるようになるのか。過去をもう一度やり直せるのか。なにも変わらない。なんの意味もない。
命を懸けたのは青年ただ一人なのに、あたかもパーティ全員の功績かのように褒め称えられるなど堪えられない。
そう、自分たちを責め苛んでいるのかもしれない。
「……なんでかな」
受付嬢の拳は、かすかに震えていた。
「がんばって、がんばって、生きて帰ってきたのにっ……」
「……」
そのとき、受付で話を終えたアトリが踵を返した。今日もこの近辺で魔物を狩りに行くのだろう。普通ならうら若い少女が一人で魔物討伐なんてありえないし、下心を抱えた野郎たちがあわよくばと声をかけようとするものだろう。
だが今この場に限っては、誰もが彼女の背を見送ることしかできない。誰も声ひとつかけられない。アトリもまた、周りの冒険者を誰一人として眼中にも入れていない。
――まるで、なにかに取り憑かれているような。
仲間を守れなかった後悔から、自暴自棄に陥っているのとは違う。己が殉ずる道を見出し、魂まですべてを捧げると神に誓った――そんな、後悔すら呑み込む
彼女は、いったいなにを見たのだろうか。
なにを、目に焼きつけてしまったのだろうか。
「……ほんと、遣る瀬ねえ話だよ」
「……」
未知の世界に思いを馳せる飽くなき探求心、あるいはあの少年のような勇ましき決意――若き冒険者を突き動かすのは、そんな輝かしい感情であるべきなのに。
少年とほとんど歳の変わらない少女が、若くして命の使い道を静かに見定め、殉じようとしている。
そんな少女に諭し聞かせる言葉を、男も受付嬢も持ってはいない。
何年も長く生きている自分たちすら、己の命の使い道など、一度として考えたこともないのだから。
Tips『アトリ』:
エキゾチック褐色なボクっ娘。あの戦いで『なにか』を見てしまったらしく、魂一切ウォルカのために死のうと覚悟ガンギマリ状態。とんでもなく強い。