CRYMORE   作:風梨

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約1800字



聖者

 

 ──男は、聖都ラボナに住む町人の一人だった。

 名前はリーブル。宿屋を経営する者の一人で、巡礼者の多いラボナでは特段珍しくもない立場の者だった。

 

 宿の経営はそこそこ大変だ。

 各地から集まる信者に食と住居を提供する訳であるから、その品質の如何によっては信仰の中心地である聖都の威光に影を落とす事にもなってしまう。

 だから、念には念を入れながら、それでも経営であるから利益はキチンと確保しつつ、日々を営んでいた。

 

 リーブルの朝は早い。

 起きてまず朝食の用意を行い、水などを沸かす間に洗濯を済ませる。

 朝食の提供を終えれば洗濯物を中庭に干していく。量が量であるから従業員と力を合わせて、それでも毎朝てんてこ舞いだ。

 

 それでも、その日は何の変哲もない始まりだった。

 強いて言えばカラッと晴れた空が清々しい青を演出していたくらいだろう。

 

 あんまりに天気が良いから、洗濯物を干した後、たまには広場に出て知り合いの店でも冷やかしに行こうか、と足を伸ばした。

 

 そんな日に、彼女はやってきた。

 

 

「──皆さん、初めまして。私の名はエマ」

 

 広場の只中で彼女の声が明瞭に響いた。

 

 声だけではない。

 一目見れば視線が釘付けになるほどの存在感を露わにして彼女は佇んでいる。

 

 それは彼女の誇る美貌も大いに貢献しているであろうが、何よりも目を引いたのは名状し難い圧力だった。まるで圧倒的な上位者を前にした時のように、痺れる身体は不安と興味を掻き立てたが、それは実のところリーブルだけのようだった。

 

 他の者たちはただ単に変なことをする者に向ける眼差しを、広場にある大きな屋根の縁に立つ彼女──エマと名乗る女にむけていた。

 

 呆然と、そして訝しげに、あるいは無関心に眺める周囲の視線を一身に惹きつけながら、彼女は胸に手を当てて語る。

 

「聖都ラボナ。この街に暮らす皆様は色々な方がいるでしょう。信仰の中心地にて、様々な職種の、善良な方々が暮らしていらっしゃる」

 

 耳心地の良い声だった。

 澄んだ鳥の鳴き声のように、しっとりと鼓膜を揺らす音色が心地良い。

 

「そして皆様はこんな噂話を耳にしていませんか? ──太古の昔より存在する妖魔が、人を喰らっている、と」

 

 そんな彼女の声が紡ぐのは、眉を顰めて怪訝を浮かべざるを得ない言葉。

 

「私ならば、その妖魔から皆様を守る事ができます。そのために、神は私を遣わしました」

 

 次々に紡がれる言葉を聞きながら、次第に驚きから周囲の人々が己を取り戻していく。

 困惑と囁き合いの中から疑念を持った声が飛び出すのも当然だった。

 

 なにせ。

 

「──神を騙るのか!? このラボナで!」

 

「そうだ! そうだ! そんなことは許されないぞ!」

 

 信仰心が強い者たちほど、それを愚弄する者を許さない。

 一度の罵声から生まれた流れは止まらない。

 喧々囂々と騒ぎ立てる周囲の声は伝播する意思のように次々と大きな賛同をもたらした。

 

 非難の声を一身に引き受けながら、それでもエマと名乗る女は微笑を浮かべたままだった。

 

「奇跡を持って、証明しましょう」

 

 ただそれだけ述べた彼女は虚空に飛び出した。

 あまりにも軽やかに、草原で走る馬のように身を踊らせる。

 

 誰かが「あっ」と言葉を漏らしたのが聞こえる。

 

 落ちてしまう。

 誰もがそう思った。

 

 それも決して低い高さではない。

 見るからに華奢な彼女の身体など、ザクロのように弾けてしまうだろう。脳裏で連想された赤い血溜まりに「ひっ」と、誰かの引き攣った悲鳴が漏れる。

 

 最悪の想像が広場の者たちを支配する、一瞬の静寂が広場を満たした。

 

 そんな中で。

 

 ──彼女は浮いた。

 

 こんどは、信じ難い驚きの静寂が広場を埋める。

 そんな中を、ゆったりとした動作で宙を歩き、そしてくるりと彼女が身を翻す。

 ロングスカートが靡かせ回転させて、彼女は宙に立ちながら、その両足をしっかりと踏み締めているかのように見えた。

 

「これは、あくまで皆様に興味をもって頂くための奇跡です。明日のこの時間に、より多くの奇跡を皆様のご覧に入れられるでしょう。場所はこの広場です。──ぜひ、もう一度足をお運びください」

 

 ニコリと微笑んだ彼女は、それだけ言い残して。

 

 ──空を歩きながら、街の外へと消えていった。

 

 

 それから、1日後。

 彼女は様々な奇跡を披露した。

 

 水を葡萄酒に変えてみせ、業火の中から無傷で姿を現してみせ、言葉だけでいちじくの木を枯らしてみせ、死からも蘇って見せた。

 

 そして、この日から聖都に新たな奇跡が生まれ、誰かが彼女をこう呼び始めた。

 

 ──『聖者エマ』

 奇跡を体現する者と。

 

 

 








ご報告。
戦士黎明編なるものが存在していると、本日、初めて知って悔し涙を流しております。
リアルタイムでは追えておらず、単行本のみで、尚且つコンビニ版持っていないため知りませんでした。知識不足で書き始めてしまい、申し訳ありません。

そのため更新中断し、修正を行うことも考えました。
しかし、せっかくの毎日更新を途絶えさせてしまう事になるため、誠に勝手ながら、戦士時代における過去編は独自設定で進ませて頂きます。

今後とも拙作をよろしくお願い致します。


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