「──別に、『銀眼』を捨てたと言った覚えはないが」
久方ぶりに沸る妖力を感じながら、私は大剣を構える。
妖力操作技術は我ながら凄まじい精度だと思う。
身体の部位ごとの妖力解放率を容易く操作できるレベルだ。
それこそ内臓だけ美味しく造っておいて、四肢や骨、筋肉に関しては半人半妖のまま、なんて常識外のことも出来る。
(だからまぁ『戦うだけ』なら銀眼に戻る必要もないんだが。せっかくだしな)
『黒眼』に変質したのも、内臓を美味しくする──つまり、人間に近づくからだ。人間の旨みを凝縮させていった過程で、瞳の色が黒くなったに過ぎない。『奴』には性格の悪さが滲み出てるんだろ、とか何とか言われて散々弄られたが。
医学的には違ったはずだが、まぁ眼球も広い意味では内臓という事なんだろう。
つまり、今の私は覚醒者から見れば、かなり不味そうに見える。
「あんたバカ!? 勿体なさすぎるんだけど!?」
「ははは。──さて、再開しようか」
「ッ!?」
急激に増した速度で、一息に距離を詰めた私の剣戟がリフルの身体を砕いた。
刃が抜ける際の強い抵抗感を握りしめた大剣を振り抜いて無理矢理にぶち抜く。
切ると言うよりも、砕くに近い破損痕がリフルの胴体に刻まれ、砕けた身体が飛び散った。
とはいえ、さすがに両断とまではいかない。
それでも胴体の一部が欠損したリフルは驚愕の表情を浮かべる。崩れた腹部を、即座に再生させたリフルの眼差しに警戒が色濃く出るのを確認して、私は微笑を浮かべた、
動揺を即座に鎮めるのはさすがと言えるが、いまの攻撃で、実力差を見抜けないのは青いというべきかもな。……いや、想像すらしてこなかったからか。
──己を超える強者の存在を。
「ぐっ! 舐めんじゃないわよッ!」
リフルの、ともすれば遊んでいた雰囲気は既にない。
怒りによってか、今までの油断を捨て去った猛撃が古城と森を消し飛ばして平べったい鞭が地面を薙ぎ払った。
抉られ湧き立つ砂塵。
その中で、私はさらに強く大剣を握りしめる。
解放的な快楽が蝕むように身体を流れる。細胞の一つ一つが沸くような感覚に思わず目を細めた。
ここは一つ、煽り文句でも言っておくかね。
「んー、久しぶりすぎて手加減できないかもな。瞬殺しても許してくれ」
「はァ?」
ビキビキと、妖力と怒りのボルテージの上昇によってリフルの額が軋み上がった。煽り耐性がないのは訓練生時代から変わらないな。
「……もういいわ。美味しい匂いもしなくなったし、その生意気な口ごと消し飛ばしてあげる」
「ほぅ。やはり匂いは消えたか」
「……戦士の、不味そうな匂いに上書きされちゃったわよ」
不快感で眉を顰めたリフルにそう言われて半ば確信した。
覚醒者の嗅覚は特殊で鋭敏だ。先ほどの私を美味そうに感じて、今の私を不味そうと感じる。
私の方向性は間違っていなかったわけだ。
「問題はこの後どうなるか、だな。──リフル。一応聞いておくんだが、なぜお前ほどの女が覚醒したんだ?」
「この状況で、それをあんたに教えると思う?」
「思わんね」
「──そういうところが、ムカつくのよ」
言葉と共に、夥しい量の鞭が空間を埋め尽くす勢いで伸びる。
その合間を縫うのは流石に難しい。
だが。
「避けられないのならば、全て壊せばいい。──だろう?」
一息の剣戟で、私に伸びてきた全ての鞭が砕け散った。
舞うリフルの硬質な肉片の最中では、砕けたキラキラと光る黒色の輝きが美しい。
「……嘘」
次の一手を打つことも出来ず、呆然と立ち尽くすリフルは隙だらけだ。
大剣を握りしめ──、ふと思考が過ぎる。
『銀眼』から『黒眼』に戻った時の反応も気になるが、それよりも。
──リスクはあるが、試してみるべきか。
「リフル。私の本気を見せてやるよ」
ビキビキと肉体が軋み、体内で渦巻く妖力が溢れ出る。
『黒眼』は妖力遮断。『銀眼』は妖力保持。そして、その次の段階。
溢れ出る妖力が止めどなく上昇していく。まるで堰を切ったように漏れ出る莫大な量の妖力。
我ながら化け物だ。
ともすれば妖力操作に秀でる私ですら制御不能になりそうなほどの、尋常ではない妖力が噴出する。
視線を上げれば、一歩退いたリフルが見える。
「な、なに? なによ。この馬鹿げた妖力……」
「私の『妖力解放』だよ」
言い放って、私は変質した『金眼』を輝かせる。
──妖力解放。
半人半妖は10パーセントの妖力解放で目の色が変わり、30パーセントで顔つきが、50パーセントで身体つきまでもが変化する。
私の場合は『金眼』となる10パーセントの運用が限度。それ以上の運用も不可能ではないが、一部や一瞬ならまだしも、全身を常時となれば負荷がデカすぎて戻ってこれなくなる。特に旨く作った内臓が致命的に不味くなってしまう。
だが、それだけで十分。
「あまり耐えられんのでな。全力で行かせてもらう」
「ちょ──」
間延びする時間の中。
さらに一歩退いて全力で防御に鞭を回したリフルの外殻を、私の剣閃は瞬く間に切り刻んだ。
剥がれ落ちる覚醒者の肉体がボトボトと地面に溢れる。
外殻を剥げば、後は生身を嬲るだけだ。
無防備なリフルの覚醒体としての四肢を、手加減を忘れず、首だけは避けて切り刻む。
全身を膾斬りされながら、それでもリフルは奥歯を噛み締めて抵抗を見せる。
人であれ、戦士であれ、覚醒者であれ、そのいずれであっても致命傷ではあるが、覚醒者の中でも弩級の怪物である『深淵』の名を与えられたリフルの命を削り尽くすまでには至らない。
「かッ、なめんじゃ、ない、わよ……!」
致命傷に近いほどのダメージを喰らいながら、それでも反撃に移ったリフルの乾坤一擲の一撃を掌で受けて握り砕いた。
衝撃的な光景を前に硬直するリフルの戦意を折るべく、私は追撃に袈裟斬りを叩き込む。
だが、リフルの目はまだ死なない。
肩口から大きく斬られ、身体を散らしても、プライドだけで立ち向かってくる。
──それでこそ。
思わず笑みを浮かべて拳を握り込む。
崩壊寸前のリフルの胴体へと、握り込んだ拳を振り抜き、首から下を完全に砕かれたリフルが吹き飛んだ。
古城跡に突っ込んだリフルが噴煙を上げた瓦礫に埋もれるが、それでも彼女は戦意を失わない。
瓦礫を吹き飛ばす噴煙が立ち昇り、残り少ない古城が崩落する音色と共にリフルが歩いてくる。
その姿はダメージを負い過ぎたために覚醒体を維持できなくなっている。
人型の幼くも愛らしい容姿は砂埃で汚れてはいるが五体満足だ。しかし、その内側で累積するダメージはあまりにも大きい。
肩を押さえながら、それでも瞳に戦意は灯ったままだった。
「……やって、くれるわね」
見た目の上では傷はない。
だが、中身は満身創痍と言っても過言ではない。それでも尚も逃げずに向かってくる姿はイジらしさすら感じる。
ついつい本音が漏れた。
「背を見せない、か。見事だ」
「は……? あたしが、逃げると思った訳?」
呆気に取られたリフルが、次の瞬間には憤怒としか表現できない歯すら剥き出した表情を見せた。
「どこまでもコケにしてくれるじゃない……!」
「……おっと、藪蛇だったか」
覚醒体を維持できない状態だというのに、まるで翳りを見せない戦意のリフルの攻撃を捌いていく。
だが、その膂力も速力も今までの覚醒体とは比べるべくもない。
『金眼』のまま捌き続けていたが、ビキリと身体に凄まじい快感が走った。
──身体が軋む。これ以上の維持は危ないな。
攻撃を受け流しながら、瞼を閉じて妖気を鎮める。
身体中に巡った妖力を、どんどんと身体の奥底に沈めて四肢の末端に集めて圧縮していくイメージ。源泉たる中心は頭部だ。厳重に幾十もの封を掛けていく。
これにより戦士として活動できる最低限の戦闘力が残る。……それでも、並みの戦士を軽々と超えるが。
数十秒ほどそうしていただろうか。
再び瞼を開いた私の瞳は、元の『黒眼』にまで戻った。
「ほんっとうに、舐めてるわね……!」
奥歯を噛み砕かんばかりにギリギリと表情を歪めるリフルに少し申し訳ない気持ちが湧き上がるが、リフルはこの調子だといつまで経っても攻撃をやめなさそうだし、もう一手を打つべきだろう。
これに関しては本当に気が進まないが。
「煽って怒らせるならまだしも、痛めつけるのは趣味じゃないんだがな。まぁ仕方ない」
残った妖力を四肢に集めて、最後にリフルの行動選択の余地を削ぐ。
──リフルの利き手は、右だったな。
『黒眼』に戻ったとはいえ、集めた妖力残滓もあって私の速度は落ちない。人型に戻ったリフルに対応できる速度ではなかった。
「まずは一つ」
リフルの脇を駆け抜けながらその右腕を切り落とし、すぐに回復できないよう粉微塵に切り刻んだ。
「ぐっ」
伸びてくる黒髪を変質させて放たれた、リフルの平べったい鞭を大剣で弾き、返す刃で左足を狙う。
「そしてもう一つ」
「く……」
片足を失って、バランスを維持できなくなったリフルが地べたに這いつくばる。
泥を噛むような体勢で一際強く口元を結ぶのが見えた。
──再生能力はもう残っていないのだろう。再生の兆しは見えない。
残ったもう片方の腕を切り落とすべく振り下ろした刃を、リフルは精一杯の抵抗を見せて鞭で弾いた。
その勢いで辛うじて立ち上がって、私から距離を取ったリフルは、頭部から伸ばす平べったい鞭を地面に突き刺し、せめてもの抵抗とでも良いたげに立ったまま私に相対する。
意地でも地べたを這わない。
余力を振り絞るように立ち上がった、リフルの健気な姿に微笑が溢れる。
「それでこそ元ナンバー1。『深淵の者』だな」
「……」
つい反射的に煽ってしまったが、渦巻く憤怒を冷えた頭が抑え込んだのだろう。
沈黙の意味を私はそう察する。
リフルはその桁違いの妖力もさることながら、冷静に状況を把握し判断する能力にも優れていた。
この土壇場で私の挑発を耐えるのは、やはり、さすがだ。
だが、今回のリフルは覚醒者に成り立てということもあって未熟である感は否めなかった。
加えて、まだ原作の数十年以上前だ。後々の実力とはほど遠いだろう。
私が完封できたのも、予想外による驚愕と速度の落差によって生まれた隙を突いた事が大きい。経験値の差が顕著に出た形だ。
まぁ、仮に十数年後に戦っても私の勝利は揺るがなかっただろうが。
「ムカつく……」
ポツリとリフルが呟いた。
「ムカつく、ほんっとにムカつく。そのニヤケ面を何度殴ってやりたいと思ったか」
思いあたるのは訓練生時代のことだが、首を傾げる。
「……そんなこと思ってたのか?」
「あんた性格悪いし。それに、あんただけだったもの、あたしのことを子供扱いする奴は」
「……いやまぁ」
そう言われれば心当たりはある。
訓練生時代にリフルと関わり合っていたのも一方的だった理由はそこにある。
なんだか放っておけなくて色々と世話を焼いてやっていたのだ。ちょっかい出したらプリプリ怒ってくるのも可愛かったし。
「嫌だったのか?」
「別に。……とにかくムカつくのよ」
衰えない戦意を瞳に宿したまま、ジッとこちらを見つめるリフルの姿は私からすれば少しバツが悪い。
嫌われるようなことは……あまり、してない、筈だ。
記憶を辿りながら思わず視線を泳がせて無言になった私に、リフルはため息を吐いて続けた。
「それで? このままあたしを殺すの? いっとくけど、あんたに従うつもりなんてないから。 やるならさっさとしてよね、嬲るのは趣味じゃないんでしょ?」
堂々と言い放つリフルだったが、私は首を横に振って答える。
「いや、殺すつもりはない」
「はァ? ──じゃ、なんでここに来たのよ」
「お前に会いたかったから」
「──なっ」
「まぁ覚醒者が私を美味そうと感じてくれるかを知りたかったからだが」
「……そういうところが! ムカつくのよ!!」
頬を赤くしたリフルが、ズンズンと力強く残った足で足踏みする。私を睨む眼差しにより一層の険を滲ませるのが可愛い。嘘ではないぞ、嘘ではない。
「そう言われてもな。……ところで、いまの私は『黒眼』だが、美味そうに感じるか?」
「……解放した妖力が、そんな簡単に抜け切る訳ないじゃない。めちゃくちゃマズそうよ」
険の籠った眼差しながら、リフルは正直に答えてくれた。
『黒眼』に戻れてはいるのだから問題なさそうだが、そうは問屋がおろさないらしい。覚醒者の腹を満たし続けるのなら『銀眼』になることすら許されない、という訳だ。
「……どのくらいで抜けるかな?」
「あたしが知るわけないでしょ!」
「そんなに怒るなよ。可愛い顔が台無しだ」
「ああああ!! こいつ! ほんっとに! ムカつく!!」
髪から伸ばした鞭で立ちながら、残った右足で地団駄を踏み怒りを露わにするリフルに両手をあげて降参しつつも、私の意識は他に向いていた。
この場から僅か数十メートル先の木陰で、ひっそりと私を見つめる怯えの混じった眼差しに。
「──ところで。その木陰に潜んだ覚醒者は、いつになったら姿を現すんだ?」
ビクリと反応するのはリフルだった。
僅かに緊張を滲ませた面持ちで続ける。
「……気付いてたの」
「当たり前だろう。あれだけ気配を隠すのが下手なのも珍しいぞ」
「ま、そりゃそうよねぇ。あたしの妖力で誤魔化せるかなーとか思ってたんだけど。……アイツは見逃して。あたしだけでいいでしょ」
「ほう、表情が変わったな。そんなに大切な奴なのか」
「別に? 巻き添え喰らうのも可哀想でしょ、それだけよ」
「……ま、いいか。じゃあ、私は帰る」
「──本気? ここまであたしを追い詰めてトドメを刺さないなんて。組織が見逃すと思ってるの?」
「思わんね」
「ほんとに、行動が読めないやつねぇ……」
「ははは、褒め言葉として受け取っておくよ」
リフルに背を向けて、私はこの場から立ち去る。
確認したいことは全て終えた。リフルたち訓練生たちとの関わり合いの中で『戦士を作り出す方法』も学んだ。あとは、独力でどうとでもなるだろう。
「──問題ないんだよ。組織は、今日限りで抜けるからな」
リフルには聞こえない距離で、私はひっそりと呟いた。