―――怖い。
アタシがコイツに抱いた感情……昨日抱いた感情はそれであり、同時に今日は全く違う意味が込められていた。
―――『恐い』。
昨日はただ怖かった。
年上の男の暴力が、強い言葉が、冷たい目が、攻撃的な姿勢が、イジメとか犯罪者とかそういう分かりやすい、この身と心を容赦なく傷つけて攻撃してくる強い存在として、怖かった。
だけど、今日のは、より正確に言うならば今この場で対面して言葉を浴びせてくる、目の前の存在が昨日よりも何倍も恐い。
不気味な感じ、シンプルな暴力で屈服してくるものではなく、精神面へとゆっくりじったりと沁み込んできては徐々に汚染していき、気が付いたら手遅れの毒が侵略し終わっていて、その毒の強烈な一撃によって壊されるような感覚。
分かりやすい攻撃と、知らない内に致命的なものを喰らったような攻撃、その違いだ。
ここまでやり取りの信頼を築くためではなく、コレのための布石だったのでは勘繰ってしまうほど。巧妙かつ陰湿で独特で、毒々しい代物。
なぜこの男はこんなにも私を持ち上げてくるのか、なぜ私のことをこんなにも評価してくるのか、それが分からない。
時鬼の能力で自分が生まれてきたことを無かったことにしてくれ、と言ってくるくらいに頭が終わっているヤツだと思っていた。というか、何かしらのブラフなのだと思っていた。
これが……まだ時間操作における絶大なチカラに屈して大人しく従うだけならばまだ分かりやすくてよかった。それならこっちも遠慮なく利用するだけで利用して、後はおさらばで済ませられた。
でも違う。この短期間の付き合いと、アタシ自身がコイツの過去を視てしまったから、確信してしまった。
この男は本気で自分の存在を消したいがために、アタシ自身の逃げ場を封じに来たのだ。
逃げるな、折れるな、負けるな! 君は強い!
進む道に間違っているのではないかとずっと迷って、うじうじ悩んでいた弱いアタシ。自信がなくてもそれでもそうしなければならない危機感のみで、時鬼のチカラを借りて、自分の失敗した過去を清算しようと、躍起になっているアタシに……。
……だけど本当は自信がなく、投げ出していいと、叶わなくてもしょうがないと、心のどこかでは諦めているアタシに。
それに対してこの男は。
そう、しょげて曲がった背中を優しく押すようにして、温かくも強い言葉を向けてくるのだ。
普通の人間同士ならば、ある意味でドラマの名場面での感動でしては主人公の精神面が強くなるようなシーンだが、アタシにとってはそうとは思えない。
コイツの事を知っている、理解っているからこそ断言できる。
この男は驚くほどに自分のことしか考えていない! 故にチカラの施しを受けるために、悩んでいるアタシを言葉巧みにそう誘導しようとしているようにしか思えない。
詐欺師、悪魔、腐れ外道、鬼、狂人、変人、キチガイ、サイコパス、個人主義、自分優先、他人の意識皆無、自覚して治らない邪悪さ。そんな言葉が脳裏に溢れる。
コイツ視点ではあるが、過去、この男と出会ってきた人間達がこの男を危険視してきた、理由がよく分かる。
この男はただ単純に狂っている。
何をやっても、何を考えても、何を話しても、何を思っても、それが善意であれ、親切心であれ、慮ってあれ、この男が行動は根本的に台無しに、破滅的に、壊滅的に、終わっている。
最初から最後まで自己完結してしまっている。
恐い。
ただ、ただ、この男が恐く、そして同時にこうも思ってしまった。
□□□□、と。
『若いの、我らが同盟者よ、……ウチの娘をあまりイジメてやらないでくれ』
戦慄して押し黙っていたアタシを想ってか、時鬼が仲裁し治めるよう、宥めるようにして優しく告げる。
「……これでも心底応援しているつもりだけど」
どうでもよさそうな調子で嘘ともそうでもないようにも聞こえる適当な返事。だけど、この短い付き合いの中でこれは本心なんだろうとは思う。
本心であり、それがアタシに対する応援ではなく、自分の目的を叶えたいがために、アタシの心が折れないように釘を刺すためのものだと。
ドキドキ……いや、ドクドク、か、ゾクゾクなのかもしれない。心臓の音が奇妙な高鳴りを覚えて、額や身体中に嫌な汗が流れてくる。
陽射しが照り付ける初夏の暑さがなければ、肝も冷やす恐怖の悪寒で肉体を氷付いていたかもしれない。
しばしの間、弛緩した空気がアタシ達三人の空間を支配する。
そして、その空気を壊したのは、空気を変えようと何か話そうと口を開きかけたアイツではなく、
「〝血戦陣〟」
圧倒的な暴力的な恐怖だった。
突如として襲ってくる鼻にくる強烈な鉄の匂い、生物として死を連想させる不吉な紅い匂いが鼻から伝わり、今まで支配していた恐怖と違うものが全身に怖気が奔った。
自分だけじゃなく、アイツや時鬼もアタシと同じく危険予知したかのようにザッ、と警戒したようにして周囲を見渡す。
『この感じ、血統者か……』
「アレか!?」
時鬼が呟く。アイツがいち早く、その存在に気づいて声を出す。
指を指す方は私達今いる川の近く。その土手登りだ。
そこにはつい数日前にとある連中から協力体制として、蘇らせた一人の男が立っていた。
―――アレは!?
「仕鬼祇使いと見受ける。お主の鬼を斬り殺させてもらおう」
「……アレ? 君って、確か……」
何かに気づいたような反応するアイツだったが、それも束の間、ヤツはまるでワープでもしたしたかのように一瞬にしてアタシ達、三人の間に入ってきた。
「「『!?』」」
驚愕するも刹那、奴がまた、いつの間にか握っていた四季を感じさせる色彩の刀を奔らせる。狙いは―――時鬼!
音とすら置き去りにした達人の一刀が奔る。
「…………逃げたか」
目にも止まらない閃光によって時鬼が真っ二つにされたと思ったら、ヒラヒラとした紙切れが宙を舞ってアイツの元に飛んでいく。それをしっかりと掴み、無表情ながらもその雰囲気は硬く、緊張した趣で奴と対面する。
「……(っぶね、戻すの遅かったら時鬼やられていた)」
「小僧、渡せ。用があるのはその鬼だけだ。さもなくばお主ごと斬り殺す」
時鬼を渡すように告げる。その言葉は何者も逆らえない絶対的強者の圧を感じさせるもの。
斬り殺す、の言葉。そして、先ほどの見えないレベルでの一閃。アタシの頭の中で数日前の記憶を思い出して戦慄する。
今に逃げ出した気持ちに駆られるけど、恐怖のあまり身体が動かない。例え動いたとしてもあの時と同じく腰を抜けてこの場で倒れてしまう自信があった。
恐怖によって脳が混乱し、何かしなければ気持ちだけが焦って、思わず叫んだ。
「に、逃げて!! ソイツ、滅茶苦茶強いヤツ!! この儀式のために呼ばれた最強の仕鬼祇使いだよ!!」
「はい!? いや、でも。え、ちょっと待って」
何かに戸惑いつつ、最終的には、『なんで君がそう言うこと知ってんの!?』的な言葉を言いたかったんだろうが、それ口にする前に凶刃がアイツを襲う。
四季を思わせる色鮮やかな刀身はアイツの肉体を引き裂こうとする。
ドーン!!
と、重々しく衝撃波。アイツはぶっ飛ばされ、その衝撃で川が大きく割れる。
「……っぶは! ……はぁ、はぁ」
やがて、すぐさま水面から起き上がる顔。鉛にでも吊るしているかのように重そうに起き上がる。それは川に落ちたことで衣服の水を吸ったことを表しているわけではないことは傍から見てもよく分かる。何を考えているかよく分からない無表情さは消えて、緊張して完全に警戒したような表情でアイツはヤツを睨むようにして見詰める。
「(……能力が雨崎君とか切利ちゃんっぽいな。遊戯王みたいな名前のやつの)」
「……護ったが、半端な《堅鋼》だな。霊道師としてあまりにも未熟」
その視線に返すというよりも、ただ目の前の事実をただ認識しているような瞳でアイツへと向けている。
この時点でアイツとヤツの実力の差がどれだけあるのか、月とすっぽんどころじゃない。木星と蟻んこくらいの差があってもおかしくない。
「逃げろ、有音ちゃん。何とか十秒だけ時間を稼ぐから」
私へと顔を向けてアイツは叫ぶ。一瞬何を言われたのか分からず、少し遅れて理解しては「いや、十秒って」って突っ込みの言葉が出かかったが、その前にもう一度「さっさと行って!」との一言に私は反射的に逃げ出す。
背後から二人が聞こえてくる。
「出せ、お主の方の鬼を。そうすれば命だけは助けてやる」
「子供の頃のあだ名の一つは鬼だったよ、僕は。ついでにもう命とかいらないもんで」
「娘を庇い、命を捨てるか。その心意気は良し。現代の
× × ×
突如現れた、謎の男、っていうか、学校の知人、クラスメートに似ている人が襲ってくる。……確か、廻志岐君だったよな、名前。
だけど僕の知っている彼とは姿とか、雰囲気がブレる。顔自体は似て異なる双子だとか、兄弟、親子の別人と言われれば納得してしまう違和感を覚える顔立ち。
僕が知っているのはこんな、殺意満々の幾度もの修羅場を潜ってきた歴戦の戦士のような強者のものではない。もっとバカっぽい感じ。
廻志岐君(?)は僕へと一瞬で距離を詰めては目にも止まらないレベル速度で刀を振ってくる。
僕は反射的に霊力をフル活動させる。火事場の馬鹿力なのか、昨日よりか上手く扱えているような気がするが、それでもやっぱり霊力が肉体の動きに付いて行かない。
霊力のおかげで防刃ベストみたく護ってくれていて、刃で斬られることはないが、それでも伝わる衝撃を完全に殺せているわけでもないし、そもそも僕のなんちゃって霊力のコントロールではたったの一撃で崩れてしまう。
障子壁がアクセル全開で突進してくる車によっていともたやすく破壊されるように。
霊力の護りは消えて、続く第二刃が斬り返してくる。
防御、回避―――駄目だ、どっちも間に合わない!
もう一度防御することも反射的に回避運動を取る暇もなく、僕はその刃の一撃を受けた。
………プシュー!!
数秒の間を置いて胴体が裂けて鮮血が勢い良く迸る。肉体が大地へと崩れ落ちる。視界が一気に白黒と点滅して意識が遠のく。一瞬にして蒸発したように上がった熱が途端に凍るようにして身体が冷めていくのを感じる。
―――死の感覚。
「六秒だったな」
冷めたように彼は告げる。その言葉の意味は分からない。
彼は膝ついて僕の身体からを探り出し、ポケットから御札を取り出す。
「〝時鬼〟か……」
訝しげにそれを見詰めつつ、四季を思わせる輝きを放つ刃の一閃が奔って〝時鬼〟と書かれた御札は真っ二つとなって霧散する。
「さて、では、あの娘は………。ほぅ……」
立ち去る気配を感じ、僕は遠のく意識の中、彼の足首を掴む。握力も失いつつある中僕は絶対に逃がさないように強く掴む。
あの娘を逃がすための時間、稼ぐ!!
時鬼はもう消えた。僕の失敗だ。
折角、彼女のくっだらない自業自得で落ちぶれた人生をやり直すという夢を、そして僕が産まれたことなかったことができるという馬鹿げた目的もこれで叶わなくなってしまった。
なんで僕はいつも、……こう失敗ばっかりするんだ、ちくしょう!!
いつものように失敗に終わったことに強く歯噛みして悔やんでは、また彼女に対しても深く悪いと罪悪感が湧いてくる。最悪な気分だ。
……まあ僕の望みが叶わないっていうのはいつもの事だから、仕方ないと泣いて愚痴愚痴と吐いて諦めるとしよう。何ならこの傷によって死に至ることで血に流してもいい。
僕の事だけなら死ねばあらゆる意味で解決だからそれでいいが、問題なのは彼女の方だ。
宮永有音。
人生に躓き、失敗し、それを帳消しにしたいがために思い悩んだ彼女が、おかしな事件に巻き込まれたことで手に入れた時間を操る鬼との契約。そのチカラで過去に戻って自分の失敗をなかったことにしようとここまで頑張ってきた(…………やっぱまとめると色々とおかしいが今はいい)。
そんな彼女がチマチマと努力してレベル上げしてきて育てきた鬼を、計画を、僕がぱぁーにしてしまった。自分の願いもあって協力体制を築いておきながら僕のせいで計画の主軸を失ってしまった。
彼女には本当に悪いことしてしまった。
せめて罪滅ぼしとしても、彼女の逃げる時間を稼い、
ピキキシシ、プシャー!
途端に身体が裂かれるように音を立てて、胸元から血が噴き出したのだ。
最初は受けた傷口から来たものかと思ったがそうではなく、あるいは目の前の彼の刃かと思ったがそうでもない。
うつ伏せの状態でどうやって刀が入れることができる? それなら何の構えも取れない無防備な背中を狙うの普通。わざわざ地面に接着している状態の胴体なんて狙うわけがない。
戸惑いながら、裂かれた痛みが奔り、それによってふと記憶を走馬灯のように蘇り、その傷の正体を思い出す。
この傷は……―――切利ちゃんに切り裂かれた時の傷だ!
どうして……なんで今更、このタイミングで傷が開いた!?
傷は完全に塞がっていた。てっきり、楓先輩が気絶している間に傷を癒してくれて……あれ? そういえばあの人『無傷のあなたが気絶して』とかなんとか言っていたような……? いや、あれ? あれれ?
脳が混乱する。元々記憶力がいい方じゃないが、だけど今のこの状況では思考がままならない。上手く頭が回らない。傷口が開いたことで出血量も増えたことで途端に意識が薄れていく。
「どうやら我と同じで、あの娘によって身体を騙しているようだな」
あの娘? 一体誰の事を言ってるんだ? 有音ちゃんのことか?
そういえばあの子も彼のことを知っているような口調だった。何か繋がりが?
廻志岐君の言葉に思うことがあったが……駄目だ、意識が遠のく。力が全く入らない。闇の中へと完全に沈みそうになる。
「娘のため命をかけたことは……あっぱれ。誇って―――逝け」
小さく呟いた彼は僕の腕を切り落とすために刃を奔らせる。切断してこの場を去って彼女を追うのだろう。何か策はないかと考えるが、現実と思考の時間の境が超えておきるタキサイキア現象も起こることはなく、刃が―――
カキィン!!
―――届く前に金属が弾かれた音が響く。
なんだ、と思って今に意識を飛びそうになるのを堪えて、チカチカと白黒に点滅するぼやけた景色に映ったのは胴着姿の活発そうな元気な老人が僕へと襲い掛かった凶刃を蹴り飛ばして防いでくれたのだ。
廻志岐君(仮)は距離を取り、老人が僕を護るようにして立つ。同時に背後から「我一君!」と聞き覚えのある女性の声と共に何か唱えられると僕の身体にじんわりとくる傷を安らぐようなものを感じる。
……あ、先輩か。先輩も一緒に来て治療してくれるのか。
地面に顔を伏せたまま、ぼんやりとした頭で傍らの女性の正体に何となく当たりを付けた。
「連絡なく勝手に休みよって、このバカ弟子が」
胴着姿の老人こと、先輩のおじいちゃんから呆れたようにぼやきながら、廻志岐(仮)へと視線を向ける。
「若いの、入ったばかりのウチの門下生に勝手に稽古つけてもらって困る。基礎がなっとらん内に変な癖がついてしまうからのう」
……さっきの「バカ弟子」の発言でも思ったんだが、誰もアンタん所に入ったつもりはないのだが。
上体のほうに徐々に安らぐような温かい優しいチカラの流れを感じる。
癒しの力で何とか遠のく意識を引き戻せて、ここでようやく顔を上げて周囲を確認できる。まだ若干ぼやついているが、傍らの女性の正体は……………………………やっぱり先輩だった。まあ、こっちはいい。
正面を向くと対面していた武道を極めた老人と歴戦の強者の風格を放つ高校生が睨み合っていた。
空気が弛緩し、緊迫感が放つ。互いの肉体のほんのりと出る汗を滲むのは照り付ける太陽の熱の暑さだけが理由ではないことは彼らが放つ闘気で分かる。
四季を感じさせる光沢を放つ鋼を一閃引くように振っては構えを取る。
「戦場へと立たなければいつまで経っても、農民のままだぞ、戦い知らぬ若輩者」
「……ぬかしよるわ」
× × ×
少し前。
「設楽。あの者はまだ来んのか?」
榎師範は孫の榎設楽にまだ来ない夜名津我一に対して訊ねると、座禅していた榎設楽は何も答えずいる。
瞑想というにはどことなく上の空。集中しているのではなく、濁ったように意識が定まっていない様子に、榎師範は目を細めてはやがてもう一度「設楽」と声を強く張って呼びかける。
「あ、はい。……なに?」
「どうした? 瞑想にしては集中しとるようにはみえんが」
「…………」
祖父に指摘されて気まずそうに顔を曇らせる。どうするべきか、と逡巡するが、だが自分でも驚くくらいに口はあっさりと開いてしまった。
「おばあちゃんに叱られたわ。未熟だ、って。一般人の彼らを巻き込んでこの町に何人ものの被害を出してしまった。防人の役目を引き継いだのに、こんなことでは駄目ね」
多少自虐、というよりも自分の中で割り切ろうとして上手く整理がつかない様子。榎師範は孫の状態を見て重症だと判断する。
普段なら祖父相手には何も言わずにやり過ごしていただろうが、いつもの冷静さを取り繕うことはせずに素直に口に出したのだ。
昔から祖母であり、霊道師としての師として榎法知には尊敬と敬愛を示しており、素直に従っている娘だった。
その祖母から信頼され、霊道師としてのお役目の務めを上手くいってないことにこっぴどく叱られるのは彼女の身からすれば相当なことだろう、とそう考える榎師範。
だが、それ以上に彼女がショックを受けている理由としてはここまで戦いにおいて反省点が多くあったからだ。
血鬼戦において、もっと早く学校に来ていたら、いや、そもそも前日から家とは目と鼻の先の学校の異変に気付いたら。
鏡鬼戦において、叶切利の心をもっと深く理解していれば。それにあの鏡によって成り代わった鏡像の夫婦にあの娘を家族として扱わせて本当によかったのか。
他にも色々と自分にできることはあったのではないのか?
終わったことを深く考え、反省することは大事であることは分かっているし、同時に今はそれで悩んでいる場合ではないということも深く理解している。
やるべきことは先に足を動かし、起きた結果は後で反省して今後繰り返さないように気を付ける。
それが優等生榎設楽の生き方であり、在り方だった。
けれど、この事件において自分は何一つ達成したように思えない。失敗と失敗の連続。最善の判断を下したつもりで結果後手後手から悲惨な結末。予想外の方向性から生じた問題における迷いからやがて自信なき不安が残った決断。
昨日の祖母との会話によって改めて、これまで自分がどれだけ不甲斐なく見通しが甘かったのか、と指摘され、自覚しては失意に落ちてしまった。
自分はもっと上手く立ち回れる、『できた』人間だと思っていたが、それは思い上がりでしかなかったのだと痛感させられた。
傍から見たら実戦経験の浅い新人霊道師としてそれなりに立ち回れていると評価してもいいが、それは並みの霊能力者の場合。彼女は土地の護り手《防人》である霊道師の家柄《榎家》の者としてはやや不満点が強まるのは無理もない。
彼女が深く悩んでしまうのは経験に乏しい若さ故だろう。
「りっちゃんもあんな風になって……」
何よりもショックが大きかったことは仲の良かった叶切利が精神を崩壊したこと。信頼でき、自分よりも多くの実戦経験が踏んで来た彼女には信頼し、期待していたというのに。……結果はあんな有様になってしまった。
従姉妹が危険な状態に遭わせたということもあるが、同時にこの土地を管理する者として外部から協力者を招き入れておいて協力者だけを精神崩壊させる事態まで追いやってしまった責任問題としても彼女にはダメージが強かった。
だが、それは少しばかり責任感の強さから空回りのようなものだ。
叶切利ならば、同じ異能者としての、仏霊会に所属する者の務めとして、その身を危険な目に遭うことも承知でこの仕事で生きている人間である。だから榎設楽自身が彼女を庇うようなことは彼女の使命と覚悟を侮辱することになる。だからこれ以上のことは言わない。言ってはいけないのだ。
そして、また叶切利はそれいいが、けれど、あの二人はそうじゃない。
脳裏に思い浮かべる二人の少年の存在を。
元は無関係の一般人だったが儀式に巻き込まれたことで危険へと身を投げ出さなければならなくなった二人。
「不甲斐ないわ、彼らにも悪いことしたわ。未熟な身でありながら協力を仰ぎながら自分でも護れると思っていた。ただの思い上がりだった」
最初は力持つ人間としては彼らを守護する対象だった。そして戦えるチカラを持つと分かり、共に戦おうともしてくれた。だけど、血鬼の時も鏡鬼の時も、彼らは死と隣合わせで自分は彼らを護ることは殆どできなかった。
そして、同時に……。おそらく自分一人では解決できなかった、彼らがいなければ間違いなく被害は拡大していただろう。
特に夜名津我一の存在について。
「我一君、彼に関しては本当に分からない。底が見えない」
一見しては意味も分からない、実際に本当に思考回路が全く分からない存在だが、この事件と遭遇した際に対処と判断力といった点は修行してきた霊道師である自分よりも上である、と。
付き合いのある雨崎千寿は、覚醒し始めたであろう《血統者》としてもまだ分かる。自分と同じで実戦経験が少ないことや対人戦において甘さがある。これが普通。戦闘に慣れていない素人だからこそのそれ。
だけど、彼にはそれが薄い。戦闘技術や霊能力といった面においては自分や雨崎千寿には紛れもなく劣っているけど、……実際に渦中の場に飛び込めばアレが一番妙に場馴れしている感が強い。
血鬼の時も、鏡鬼(この場合は叶切利)の時も、対処法として分析と判断力、行動力。修行で培った榎設楽としても実戦の場合は緊張によって判断がワンテンポのズレが多々ある。が、夜名津我一の場合、それがあまりない。
アレはそう簡単に出来るものではなく、場数を踏んで来た人間のそれのように感じる。
何よりもあの叶切利を精神崩壊まで追いやった事実が衝撃的な出来事だ。
本人は一方的に負けたや第三者がいるなどと言っているが、もちろん第三者の可能性も捨てきれないが、それでも自身よりも格上の実力者である叶切利に一杯食わせただろうという所が夜名津我一の評価を改めずに得ない。
……実際は自滅に近いものだっただが、見てない榎設楽の場合想像力が膨らませてしまう。
祖母から教わった、戦闘の際に相手が何をしてくるか、どんな能力か、想像力を鍛えるように言われた故に、この場合はおかしな方へと転がっている感が否めなかったが。
そして評価を改める理由はもう一つ。昨日の夜名津我一が発揮させた霊力を見て一目でそれを理解した。
あれは近い将来自分を凌駕する霊能力者となることを。
―――…………自分はやっぱり才能なんてなかったんだと。
「私はハッキリ言って……彼が怖い」
怖い。
実力が怖い。―――計り知れなくて。
信条が怖い。―――命を容易く捨てるから。
存在が怖い。―――不気味で。
才能が怖い。―――嫉妬心で。
夜名津我一が怖い。―――全く理解できないから。
榎設楽が夜名津我一に対して抱く感情は間違いもなく恐怖であり、脅威の対象に向けるそれだった。
そしてまた、才能だけの話をするならば雨崎千寿、彼もまた……。
彼らは自分がいなくても勝手に強くなっていき、……もしかしたらこれまでの戦いも本当は……。
そう考えると不安でならない。
孫が気落ちした様子で呟くのを見て、神妙な趣で榎師範は口を開く。
「そんなにアヤツのことを……―――好いておるのか」
「違うわ。ちゃんと話聞いてた?」
おかしな方向への変な勘繰りをしている祖父に対して目を細めて違うと反射的に言い放つ。
なぜ、恐怖かつ脅威の対象と見ている口振りの状態で恋愛の方に発展するのか、到底理解できなかった。
「樹海の孫は絶対ダメじゃ!!」
「だからそういうのじゃないって! もう、吉成君の時もそうだったけど、おじいちゃんはなんでそっちの話はこうも強引なのよ」
「満更でもなかったくせに」
「なに?」
「なんでもない」
孫の強烈な威圧に対して目を逸らす榎師範だが、くだらないやり取りのおかげかいつもの祖父に対してだけ強く出れるメンタルが出てくる。
その様子にうむ、と内心で頷きながら話題を変える。
「霊能力だの霊道師だの話ならばワシにはよぅわからんが、だが、法知について分かる」
「…………」
「あれはお前と同じで優秀じゃ。一人でなんでもできるし、それに他人を使うの上手い。だが、同時にアヤツは言葉一つ二つ足らん。ソヤツの事を思って口にするが、それが相手に対してちゃんと伝わらん所が多い。ありゃあ他人と自分が同じ目線でモノを見とると思っとる節が強く、自分の方から他人の目線に合わせようとする考えが抜けておる。優秀過ぎるものの弱さを知らん者によくある考え方じゃ」
「…………」
祖父の一言に彼女は眉を寄せた。何となく思い当たる節があった。
祖母は優秀だ。榎家の歴代の中でもトップクラスの才覚を持った人間だと言われていたらしく、榎設楽から見て自分とは比べ物にはならない圧倒的の差があることを自覚している。
修行時代もだいぶ厳しく躾られたものだ。
思い返してみると、アレは才覚のない自分に対して力をつけさせるためにキツくしていたのだと思っていたし、受け入れられたが……所々に見受けられた何気ない場面における祖母の『なぜこれくらいのことができないのか』という目。
アレはできないことに対しての『失意』ではなく、できないことが『分からない』の疑問だったのか?
今まで気付けなかった祖母の真意に祖父の言葉によって気付かされる。
「お前はアヤツに似ており同時にその逆。優秀ではあるがあまり器用な方ではない。愚直に努力してできるようになる。お前は自分の弱さをちゃんと理解し、そこから研鑽し、確実に力をつけていく方であろう。天才型のアヤツに努力型のお前が見劣ってしまうのは仕方ない。最初から比べるのは間違っておる。そのことは中学時代に嫌程理解したじゃろ」
「それは……」
中学時代、つまりは修行時代。霊道師として修行の際に何度も突きつけられてきた現実というなの壁。才能のある祖母と全くない自分。祖母から霊道師として認めてもらっておきながら、その才が全くなかったころ。
榎設楽は優秀な人間であるが、それは努力からの秀才タイプである。生まれつき天才型の榎法知、特別な血統からくる能力の叶切利、順調に才覚を開花していった古郡吉成。身近には天才型の多い中、彼らに劣らないよう才がなくとも彼女は努力してきた。
その事を傍らで見守ってきたことで祖父はよく理解しており、自信喪失している彼女に気付かせ、思い出させる。
「割り切って自分にできることする。それがお前と長所であろう。じゃが、今はなんじゃ、また法知から好き放題言われ落ち込み、数日手ほどきした程度のひよっこが才能にあったことに今更折れおってからに、コレがワシの孫とは心底ガッカリじゃ」
この程度の現実の壁は今更、中学時代に何度も味わってきた味じゃろ、と挑発する。
対して榎設楽は、
「……誰も折れてないわよ」
分かりやすい挑発の言葉に彼女は唇を一度は噛みしめては祖父へと顔を上げて言い返す。その瞳に強い光、正義感や責任感といったものを含まれたいつもの彼女の姿、榎設楽の精神は復活した。
「ちょっと、連戦で疲れて、一人で頭を冷やしたかっただけよ。もう平気」
その様子を見て、ニヤリと口角を釣り上げて笑いながら告げる。
「よし、いいぞ設楽よ。その強き瞳、そして己を知り、高みを伸ばそうとするその姿勢……やはりお前は―――ワシにそっくりじゃ」
「………………」
「なんじゃ、何が言いたい。言ぅてみぃ」
最後の一言でめちゃくちゃ嫌そうな顔をする孫娘の顔を見て、今度はこちらが不満そうな顔になる。
叱咤はありがたいが、祖父と同じだと言われるのは複雑な感情になってしまうのは女子高生にとっては生理的に受け入りがたいことであるからだ。
別に体臭や趣味の傾向が明らかなジジイ系で同じというわけではなく、性格や精神的な意味だと分かっていてもそれはそれで受け入りがたい。
祖父の言葉を無視して、立ち上がった榎設楽は話題を変える。
「おじいちゃん、手伝って。気になることがある。もうあの子達を危険な目に遭わせるわけにもいかないから」
祖母の言葉に従い、もうこれ以上一般人たる雨崎千寿達を巻き込めない。もう一度知り合いである誅禍に協力を要請することも考えたがそれはそれで時間が掛かってしまう。
ならば身内で実力を知っている祖父に頼るしかない。
祖母の時もそうだったが、あまり気が進まなかった。
祖母から受け継いだ防人としての務め。
人に頼ることを良しとしない、というわけではない。何だったら誅禍から叶切利は自ら要請したことだし、巻き込まれた雨崎千寿、夜名津我一ですら協力してくれること自体大いに助かっていた。
ただ、……人間というもの自分の中で超えてはいけないラインのようなもの自覚的にも無自覚的にも決めてしまう生き物で、榎設楽の中に『祖母や祖父に頼ってはいけない』という縛りを作っていた。
祖母からは大事な役目を引き継いだことで、安心して隠居を送ってもらいたい、認めてもらったのに失望した思いをして欲しくないという、誇りや自立心、そして見栄の入り混じった感情があった。
祖父に関してはなんか嫌。
だが背に腹は代えられない。祖母からは拒否されたが、ここまで事が起きている以上、自分一人の力だけでは解決は不可能であることは違いない。祖父の力も頼らなければならない。
祖父には霊感がないため霊が見えない。だが、感じ取れないわけではない。
「よかろう。じゃが、アヤツも連れてきなさい」
孫の協力の要請に喜んで受け入れながら続けて言う。
アヤツと言われ、誰を指しているのかは榎設楽にも察せられた。駄目よ、彼は巻き込めない、とそう言い返そうとするが、その事口にすること分かっていたように彼女の口を遮って続けて言ってくる。
「榎の門に一度入った限りは、最低でも一週間は弟子として扱わせてもらう決まりじゃ。その上アヤツは昨日このワシ直々の稽古受けた。一週間どころか三ヶ月はウチの門下として扱うのが筋じゃ」
◆設定
・夜名津が叶切利に受けた傷について・・・
前回鏡鬼戦で受けた『悪切断』の一刀は一言で言えば『我一絶対殺す!!』の夜名津我一特効の技なので夜名津が死のこと間違いなし。
だけど、言乍りりのチカラによって傷がない状態にしました。これは正確には『傷を治す』のではなく、『傷自体がない』という嘘として世界、あるいは夜名津自身を騙していた。
なので実は斬られたまま。
故に死に近い状態だったから夜名津の霊力が底上げされ、全く感じられなかった霊力を発することができるように。そのせいで榎設楽をビビらさせてしまった。
だけど、斬られたままのなので夜名津自身はやはり身体に違和感があり、無意識に巫力によって自動回復させて自身で身体を癒していた。
使われたのが鬼術と呼ばれる鬼の術、つまりは怪異や呪力の術なので、魔を払う効果がある巫力の特効があるため、一歩間違えると『傷がない』という嘘まで解除されて、傷口が開いて死ぬ結果に。地味に繊細さを有する一歩間違えば御陀仏する治療行為を無自覚で行っていた夜名津。
ここは『スゲエ!!』の称賛ではなく、『え、コイツやべえ、きっも、怖っ』って感想が正しいと個人的に思います。だって『絶対に安静にしとけ』の状態で『今日は調子いいからフルマラソンしよ』的なことやっているヤツだもん。普通に「なんだコイツ」って思うでしょ。
そのせいで榎のおじいちゃんと、廻志岐戦では霊力自体は発揮している癖に、巫力の治療に集中させているから霊力が全く制御できない状態で対戦する羽目に(例え霊力を制御して戦って敗北イベのため負けは確定)。
廻志岐のチカラも関係しますが(こちらは本編のネタバレが関わってくるので詳細は省きます)廻志岐によってぶった切られたことで傷が増えたことでさらに巫力が回ってしまったことによって、騙していた身体は解除されて、傷が再発したってことです。
この設定に関しては本編中の神視点で明かそうと考えてたいんですが、予定とくるって夜名津視点で書いてしまったためにちょっとここで補足説明とさせていただきました。
夜名津視点だと書けない。アイツ分かってないから