「ただいま~」
「おかえり、ルビー」
義娘がうきうきとした様子で帰宅するのを見て、面接の手応えは良かったのかなと思いつつ、顔を少し右に傾ける。
空いた左頬に柔らかな唇の感触と、アクアとは似て非なる左目の星の輝きは、飽きることなく私を魅了する。
挨拶に使われるチークキスは、実際には唇を当てず、頬を触れさせるだけというのが一般的だが、私はあえて唇を当てる方式にこだわっていた。
母親を亡くしたアクアとルビーを癒す方法を模索していた時、採用した案の一つ。親しい人とのキスや肉体的接触は、脳内から幸福感を呼び起こすホルモンを分泌、精神的安心感を導き、自律神経の調律、免疫力の向上といった効能がある。
彼ら双子が悲劇の底から持ち直せたのは、この行為が一因を担っていると言っても過言ではないだろう。もっとも、私自身が洋画や海外ドラマで見かけるこの触れ合いに、強い憧れを抱いていた部分も大いにあったのだが。
「アクアはどうしたの?」
「それがね、陽東に重曹を舐める天才子役が居て、お兄ちゃんに泣きついたの」
「……ごめんなさい。全然わからないわ」
「えっと……お兄ちゃんが初めて出演した映画、覚えてる?」
「ええ。アクアが弟子入りしてる、五反田監督が撮ってた映画よね」
「そうそう。お兄ちゃんと一緒に出演してて、急に泣き出して、お兄ちゃんに涙を拭いてもらってた子が陽東に居たの」
「……ああ、十秒で泣ける天才子役ね。名前は、確か――」
有馬かな。当時は一世を風靡した子役で、一度だけだがアイと共演したこともあり、私も彼女のことは知っていた。
ピーマン体操という色モノな曲を出して以降パッとせず、そのままフェードアウトしたかと思っていたのだが、陽東に居るのならば今だに芸能活動を続けているということか。
「でね、その子が急にお兄ちゃんの胸に飛び込んで、『アクア~』って泣き出したの」
「どういうこと?」
「わかんない。けど良い雰囲気だったから、空気を読んで二人っきりにしてあげたの」
「ふぅん……」
アクアとは公私ともに一緒の生活をしている為、彼の交友関係は大体把握している自信がある。けれどこの十年余り、アクアと有馬かなの間に接点があるようには見えなかった。
つまり、彼らの繋がりは共演したあの映画、1回きり。
「アクアに惚れてるのかしら?」
「怪しいよね~」
あり得ない話ではない。アクアはモテる。それはもう、モテる。アイ譲りの容姿に、成長途上の男らしさが絶妙な色香となって、数多くの女たちを引き付けた。大抵のことは人並み以上にやってのけるし、復讐という闇を抱えたアクアの、語らずとも醸し出す底知れなさが謎の魅力を演出している。
モテるのはルビーも同様だったが、彼女は幼い時に会った「せんせ」と呼ぶ人物に懸想しているらしく、他の男にはまるで目もくれなかった。アクアにしても、告白された時はルビーをダシにしてシスコンムーブで乗り切ったと聞いている。兄妹そろって、恋人を作ろうとする気配がまるで感じられない。二人を部下として抱える芸能事務所の社長としては、スキャンダルのリスクが減って有り難いが、年長者としては複雑な気分である。
「でも不思議なの。あの後こっそり隠れて様子を見てたんだけどさ、お兄ちゃんそんなに嫌そうじゃなかったんだよね。いっつも、告白してくる女子は全員突き放してたのにさ」
「それは……珍しいわね」
アクアは、家族以外の女に興味を示さない。だが、例外がある。
アクアは、目の前で泣いている女を見捨てない。少なくとも一度は、手を差し伸べる。これは、アイが遺した呪いだ。
幼いアクアがアイから貰った「Aquamarine」のハンカチ。泣いている女の子が居たら、これで涙を拭いてあげてというアイの教育。彼はその言葉を忠実に守った。有馬かなと共演した、あの映画においても。
だからこそ、その夜ハンカチを有馬かなに持っていかれたと気付いた時の動揺は凄かった。いつもの平然とした余裕はなく、外見通りの小さな子どもが怯えているように見えたのだ。場合によっては、有馬かなの事務所に連絡して、ハンカチを返してもらわなければならない程に。
ここでアイが怒っていれば、アクアはきっと有馬かなを敵視するようになっただろう。大切な贈り物を盗んだ簒奪者として――。
でも、そうはならなかった。アイはアクアを抱き寄せ、頭を撫でて、よくやったと褒めてみせた。のみならず、自身の持つ「
これは、アクアにとって衝撃的な出来事だったはずだ。アイの言葉を守ったことで、より彼女に近しい宝物を下賜された。アイの教育はこの時、教義や使命へと昇華され、アクアの奥深くに刻まれたことだろう。
そして何より、アイにほとんど甘えることをしなかったアクアが、この時ばかりはただの子どもへと変わっていた。傍から見ていたルビーが、「私もそっちが欲しい」と赤紫の「Ruby」のハンカチを振り回して駄々をこねていたのをよく覚えている。
そこから推測されるのは。
星野アクアにとって、有馬かなは敵ではない。
むしろ、
「ただいま」
「お、お邪魔します」
玄関から、聞き慣れた義息子と、若い女の声。
聞こえてくる二つの足音。「もしや」という予感と、「まさか」という思いが私の中で
そこに現れたのは――。
「初めまして、」
ベレー帽の良く似合う赤髪の少女が、可愛らしく頭を下げた。
よく手入れされた艶々の髪。
あどけなさの抜けない童顔。
細く、庇護欲をそそりそうな華奢な身体つき。
何よりも、私が失ってしまった若さを備え、アクアと同年代を生きる少女。
「有馬かなといいます」
彼女がきっかけで、アイに褒めてもらった。
「
――アイに、甘えることが出来た。
星野アクアにとって、有馬かなは敵ではない。
むしろ……家族に準じる存在なのかもしれない。
つい昨晩、彼女を作らないのかと私は問うた。そんな暇はないと、彼は返した。
その言葉に、心の何処かで安堵していたのだ。
私にとって、アクアはただの義息子と言うだけではなくなっていたのだから。
アクア、この子が
私の心臓の奥が、ずきりと痛んだ。
まるで、十代の少女が恋敵に嫉妬するように。
美魔女 VS ロリ先輩。
盛り上がって参りました。