Cornflower Blue Sapphire/コーンフラワーブルーサファイア
ロイヤルブルーサファイアと並んで、青色のサファイアにおける最高級品とされている。
ロイヤルブルーサファイアは深く濃い青色を呈し格式高い印象を与えるのに対し、コーンフラワーブルーサファイアは柔らかく鮮やかな青色であり、透明度が高く光の下でより一層の輝きを放つ特長がある。
――以前、黒川に相談されたんだよ。恋愛リアリティショーで目立つにはどうすればいいか、ってな。
――何て答えたんだ?
――そりゃもう、三角関係の修羅場に決まってる。
少し前に、星野アクアと彼の腹違いの兄、姫川大輝が会話していた内容である。特別なことを言っているようでいてその実、至極当たり前とも言える。
匿名性の影に隠れて他人を誹謗中傷するのは、少なくない人間にとって娯楽に近しいのと同じように。自分に被害が及ばない対岸の火事というのは、多くの人間にとって花火にも似た見世物と等しい。
ましてやそれが、身目麗しくうら若い男女間で繰り広げられるものならば、尚更である。
☆
「鷲見ゆきさん、俺と――付き合って下さい!」
「……はい。喜んで」
「!?」
熊野ノブユキの目が驚愕に見開かれる。事前の打ち合わせだと、番組内ではカップルを成立させないでおく――という結論だった。お互いに若手のファッションモデルとダンサー、彼氏彼女持ちだと仕事に何らかの影響が出るであろうことは想像に難くない。その上、この番組で公式カップルになると、ファン向けにその後のフォローもしなくてはならず、はっきり言って面倒くさそうだという意見の一致を見たことで、二人で決めた結論のはずだった。
それでも。告白を断られる前提だったとはいえ、彼女を好きだという気持ちは紛れもなく本物であり。差し出した薔薇の花束、それを受け取ってくれた鷲見ゆきの笑顔を見ていたら「まあいいか」と思えるくらいには、熊野ノブユキは根に持ったりしない気持ちのいい男であった。
鏑木プロデューサーとディレクター、手が機材や道具で塞がっていない他のスタッフたちが拍手を送り、また新たな若い恋人たちの門出を祝福した。
次に。森本ケンゴがギターの弾き語りと共にMEMちょへと告白、それをあくまで申し訳なさそうにお断りする彼女。二人とも本気ではなく、言い方は悪いが余りもの同士による消化試合である。番組側としても本命は次の組み合わせであり、それほど時間をかけることなく終了した。
そしていよいよ、最後の組み合わせ――アクアと黒川あかねの番がやってくる。番組スタッフも、出番の終わった他出演者4人も、数多くの視聴者たちも、全員が固唾を飲んで恋路の結末を見守っていた。
撮影場所である、東京都港区のお台場海浜公園。目線を動かせば、オリジナルの7分の1ほどの大きさである自由の女神像のレプリカが佇立しており、その向こうにはレインボーブリッジと、何億とも何十億とも言われるLEDのネオンサインの群れが幻想的な雰囲気を演出していた。幾多の恋人たちがここで結ばれ、別れ、人生という道を交差させてきた場所。
(こんな場所で好きな男の人に告白されたら、大抵の女の子は受け入れちゃうんだろうな……)
黒川あかねは、生まれてこのかた恋をしたことがなかった。それどころか、誰かに対して強い感情を向けることすら初めてだった。有馬かなという例外を除けば、だが。
そんな彼女は当然の事ながら告白などどうしてよいか判らず、アクアの方から何かアクションを起こしてくれるのを待っていた。
ベンチに座る蒼玉の少女はそわそわと落ち着かず、金紗の少年にちらちらと視線を送っている。この恋愛リアリティーショーは女から告白する前例も少なくなかったが、それでもやはり男の方から告白することがほとんどである。だから、恐らくは彼もそうしてくれるだろうと内心で期待していた。
「あかね」
「は、はいっ」
だが。少年の口から飛び出した言葉は、全く予想だにしないものだった。
「今まで、ありがとう」
「……、え?」
何故、感謝の言葉が出てくるのか。何故、今わざわざそんなことを言うのか。まるで、判らない。
「最近のあかねを見てて、懐かしい気持ちになった。自分の中でも曖昧になりかけていた大切なことを、思い出させてくれた。本当に――ありがとう」
「えっと……」
どういたしまして、と普段の黒川あかねなら、そう返していただろう。だがこの時の彼女は、何故だかその一言が言えなかった。言ってしまったらアクアとの会話が、彼とのこの時間が終わってしまうような……そんな気がして。
「でも俺は――過去を振り返ってばかりなのを止めるよ。後ろだけを見ていたら、自分の周りにある大事なものに気付かないし、俺を見てくれる人たちに失礼だものな」
「何を……言ってるの?」
星野ルビー、斉藤ミヤコ、有馬かな。彼女たちは、ずっと少年のことを見てくれていた。彼のことを気にかけてくれていた。
先日の、有馬かなとの一件。「私を見て」と、正面から突き付けられたあの出来事。何であれ、目の前に女が居るのに、別の女のことばかりを考えているなんて失礼にも程がある。そんなことを続けていれば、いずれ彼女たちに見放されてしまう。最後には、独りぼっちになってしまう。
何よりも、彼女たちを泣かせてしまう。――それは、駄目だ。
「だから、もう一度言うよ。……ありがとう。
そして――さようなら」
「なん、で……」
何でそんなことを言うの、と返す間もなく、アクアは踵を返して立ち去っていく。
さようなら。これ以上なく端的で、誤解のしようもない程に、それは決別の台詞だった。
「アクアくん!」
「……」
ありがとう、と言うまでは笑顔だったアクアだが、さようならと言った途端に表情が抜け落ち、無表情とはまた違う虚無の様相を呈する。黒川あかねは与り知らぬことだが、その様子は復讐のことばかり考えていた去年までの彼によく似ていた。
蒼玉の少女はベンチから立ち上がり、後を追い掛ける。だが少年は歩みを止めず、二人の距離はなかなか縮まらない。
「待って、アクアくん!」
「……」
小走りになって、ようやく彼の下へ追いついた。大した距離を走ったわけでもないのに、走り込みを欠かしていない少女の息は既に荒くなっている。
「アクアくん……!」
「……」
前へ歩こうとするアクアを、後ろから引っ張る感触。それはさながら、高速で走る車が背後からの負圧で後ろへと引っ張られるように。
無論そうではなく、黒川あかねがアクアの袖口を掴んでいた。その仕草は例えるなら、見知らぬ場所に来て不安になっている子どもが、母親との繋がりを求める様子を思わせて。
「アクア、くん……」
「……」
少年は乱暴にならない程度に腕を動かし、掴まれていた少女の拘束を振り払った。ほんの一時だけしか動きを止められず、二人の距離は再び広がっていく。
「あ……、ぁ……」
「……」
黒川あかねは手を伸ばす。だが、もう届かない。
追いかけなければ。でも、同じことがきっとまた繰り返されるだけだ。
それに……身体に、力が入らない。これ以上彼に拒絶されたら立ち上がれなくなるのでは、という恐怖に苛まれ、脚が一歩を踏み出すことを拒否している。
「いや……」
「……」
これで、良いのか?
このままではカップル成立どころか、友人ですらなくなってしまうという予感があった。彼を好きでいることすら出来なくなるという得体の知れない不安があった。
「待って……」
「……」
良いわけがない。ここで終わりたくない。まだ始まってもいない。
どうする? どうすればいい? どうすればアクアを止められる?
「……あぁ……、……そうだ」
「……」
そんなのは、決まっていた。
一つ息をして、瞳を閉じて、「彼女」のことを脳裏に思い浮かべて――。
「『アクア、私を置いていくの?』」
「っ!!」
金紗の少年の歩みが、止まった。
目を見開き、無を貼り付けていた表情が泣きそうに歪んだ。
「『もう、アクアったらせっかちだなぁ。そんなに前ばかり見てると、足元の石に
「……っ!」
蒼玉の少女、その双眸に輝く
斉藤ミヤコを除けば、少年にとって最も効果的であり、影響力のある人物を想起させる光。
「『ねぇ、アクアは私から離れたりしないよね?』」
「くっ……」
駄目だ。振り向いてはいけない。
彼女は、アイじゃない。少年の母親ではない。ましてや、彼にとって唯一無二のアイドルなんかじゃない。
そう頭では理解していても、後ろ髪を引かれる思いは消え去ってくれない。
少年が煩悶している間に二人の距離が狭まり、ついには腕を伸ばせば届くまでに縮まる。
「『アクアは、私を独りぼっちにしないよね?』」
「やめろ……」
もう離さないように、もう離れないように。強く、強く、引き寄せられるような錯覚。
ああ……あの時。自分も、これほどの力でアイを引き留めていれば、あの凶刃から彼女を守れたかもしれないのに。
『あの日、アイが殺された時。彼女の一番近くに居たのは誰、かな?』
家族会議の時、神木ヒカルに突き付けられた言葉を思い出す。
彼女が亡くなってからずっと自分を苛み続けてきた悔恨が、ありもしない罪と罰が、少年を再び呑み込んでいく。
「やめてくれ……」
「『ねぇ、アクアはさ――』」
「――そこまでよ! 黒川あかね!!」
「えっ!?」
「……は?」
二人揃って、声がした方へと振り向く。
するとそこには、ここには居ない筈の、ここに居てはいけない筈の深紅の少女――有馬かなが仁王立ちしていた。
「かなちゃん……!?」
「お前、なんでここに……!?」
「そんなことはどうでもいいわ。私が言いたいのはね――」
ずんずんと大股で歩み寄ってくる少女。二人はその迫力にたじろいで。今は恋愛リアリティーショーの撮影中、それも最終回のクライマックスだということすら意識の埒外であり。
「
ぱしん、と。深紅の少女の平手が空気を切り裂き、黒川あかねの頬を打ち据えた。
それはもう見事なまでに、言い訳のしようがないほどに――お手本のようなビンタであった。
『修羅場きたあああああああああああああああ!!』
『これこれ、こういうのでいいんだよ』
『え、誰よこの女』
『ひょっとしてアクアの彼女? 人の男とか泥棒猫とか言ってるし』
『マジかよアクア最低だな。彼女持ちで恋愛リアリティーショーに出てるとか』
『あ、俺この女知ってる。有馬かなだ』
『有馬かなって、10秒で泣ける天才子役?』
『昔、ピーマン体操で有名だったよな』
『そういえば、ちょっと前にクソみたいなドラマに出てなかったっけ』
『今日あまでしょ? 有馬かな以外の役者が大根ばっかだったやつ』
『そうそう。でもさ、最終回だけは割とマシだったんだよね』
『その最終話、アクアもストーカーの役で出演してたよな』
『出てた出てた。一部ではアクアのおかげで面白くなったとか言われてる』
『え、じゃあ何、こいつらってその時から付き合ってるとか?』
ネットで交わされる幾多の反応。匿名なのを良いことに、感情の赴くままに無責任に書かれた感想も多いが、その中には真に迫ったものもある。
だが結局、一番大事なのは面白いかどうか、話題になるかどうかであり、突如発生した修羅場は視聴者たちを興奮の渦に巻き込んでいた。
「……かな、どういうつもりだ」
「決まってるでしょ。こういうつもりよ」
そして、更に。その盛り上がりを一気に加速させる出来事が、間髪入れずに発生する。
「こんなところで他の女に粉かけてんじゃないわよ、この浮気者!!」
返す刀でアクアの頬を張り、一粒の涙を流してみせる。それくらいのことはお茶の子さいさいだ。何せ彼女は、10秒で泣ける天才子役がさらに研鑽を積み、恋を、愛を、男を知って一端の女へと成長を遂げた少女なのだから。
怯んだ少年の襟首を掴み、強引に引き寄せて。
両腕を伸ばし、首の後ろに回して手を組んで。
爪先立ちになって、頭一つ以上ある身長差をものともせず。
黒川あかねが、
他の今ガチメンバーが、
番組スタッフが、
スポンサーが、
多数の視聴者が、
星野ルビーが、
姫川愛梨が、
――斉藤ミヤコが、見ている前で。
少年と少女は、キスをした。
『エンダアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
『ズキュウウウン』
『やっ、やったッ!!』
『さすが有馬かな! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる! あこがれるゥ!』
『なんやこれ、そこらのドラマより断然面白いぞ』
『これだよこれ、これを求めていたんだよ!』
『っぱ修羅場よ!』
『【悲報】黒川あかね
とどめとばかりに。
ついうっかり、
何となく、
いつものノリで、
温もりが欲しくて、
確かな繋がりを求めて、
黒川あかねに見せつけるように、
深紅の少女は、少年の口腔内に舌を入れていた。
▼黒川あかね恋人ルートが消滅しました。
恋愛強者となった重曹ちゃんが、あかね√のフラグを叩き折りました。