「でね、アクアったら――」
有馬かなはジンジャーエールを片手に、上機嫌でアクアのことを喋っている。アルコールが入っていないにも関わらず、上気した頬やわずかに紅く染まった顔は酔っているようにしか見えなかった。
その語りへ興味深そうに耳を傾けている今ガチのメンバー。彼らは揃いも揃って恋愛経験が少なく、今後の参考にしたいからと恋愛リアリティーショーの打ち上げに深紅の少女を誘った結果がこれである。
有馬かなは番組の最終回の、さらに終盤の数分しか登場していないにも関わらず、視聴者の注目を一身に掻っ攫っていった。番組をぶち壊された、部外者に台無しにされたと言われても仕方のない所業だったが、SNSでの反応は番組始まって以来の書き込み数であり。
意外なことに、番組スタッフはまだしも他の今ガチメンバーからの受けもよく、こうして打ち上げに呼ばれていること自体が、彼女が認められた証と言えよう。
「ええ、どうしよっかなぁ」、「しょうがないわねぇ」と勿体ぶってはいたが、一度喋り出すと止まらない。高い知能とトーク力、赤子から積み重ねた芸能経験は、聞く者を否応なしに話に引き込む不思議な魅力がある。
それに加え、恋バナというのは人が仲を深める最も優れた手段の一つであり、座席の端の方で憮然とした渋面を隠せていない黒川あかねであっても、嫌々ながら聞かざるを得なかった。好きな男の子と他の女の惚気話なんて聞きたくはなかったが、とてもとても興味はある――という二律背反に板挟みになっている蒼玉の少女であった。
ただ一人、本気で話を聞きたくない人物が居た。他ならぬ星野アクア本人である。
深紅の少女が語る内容はいささか誇張こそあれど、嘘は言っていない。改めて公衆の面前で聞くと、自分のことながらこっ恥ずかしくなる羞恥心に絶え間なく襲われていた。
こっそり席を外そうと思ったのだが、自分の居ない所では余計に何を言われるのか判ったものではないし、一度本気で腰を上げかけた時には「アクア、判ってるわね?」という無言の眼光が飛んできて、機を逃してしまったのだ。
ただ不幸中の幸いは、有馬かなは斉藤ミヤコについては一切言及しなかったことだ。この不謹慎で不道徳な三角関係は流石に秘匿しなくてはいけないと、最低限の理性と自制心は残っているのだろう。安心して見ていられる、だなんて露ほども思っていないが、自分が羞恥に悶えるだけで済むならば頑張って耐えよう、と考えている少年であった。
そんな中。鷲見ゆきは興味津々な態度を隠そうともせず、これだけは聞かなければならないと有馬かなに問い質した。
「ね、ね、聞きたいんだけど!」
「ん、なあに?」
「アクアからどうやって告白されたの? それとも有馬さんの方から告白したの?」
金紗の少年は飲んでいた烏龍茶を噴き出しそうになった。口腔内で暴れる唾液交じりの黒色の液体を、ゆっくりと落ち着いて飲み下していく。呼吸困難になっているアクアに気が付かないほどに、飲み会の盛り上がりは右肩上がりを続けていた。
「えぇ、それ聞いちゃうの?」
「何言ってるの! 一番大事なことだよ!」
「うんうん、そうだよねアクたん!」
「ソウデスネー」
多勢に無勢。全員の注目の的であり、もはや少年に出来ることは何もなく、投げやりに反応を返すのみだった。
「もう、しょうがないわねぇ。仕方がないから教えてあげるわ(よくぞ聞いてくれたわね)。
――黒川あかね、ちょっとこっちに来てくれる? 折角だから、手伝って頂戴」
「……え、私?」
「そうよ。あんた以外に黒川あかねは居ないでしょ?」
「えっと……」
「気にならない? 私が、アクアからどうやって告白されたのかを」
「むっ……」
気になる。その気持ちが、知りたくないという恐怖を大きく上回り、黒川あかねはガタンと椅子の音を立てて腰を上げる。机を回り込んで有馬かなのもとへ行くと、手を掴まれそのまま壁際へと連れていかれた。
「かなちゃん……?」
「ふふ……」
あくまで優しく、だが有無を言わさぬ力で壁際に抑えつけられる。
深紅の少女の片腕が伸びてきて、黒川あかねの頬の横を通り過ぎ、手のひらがドンと壁に叩き付けられる。
片脚を動かし、蒼玉の少女の両脚のあいだに割り込ませる。彼女の心と身体の防壁を閉じさせないように、こじ開けていくように。
もう片方の手をゆっくりと顔へ近付けていき、親指と人差し指で挟んで軽く持ち上げる。有馬かなの方が背が低いために本来の威力は発揮出来ないが、それでも黒川あかねに対しては十分な破壊力を秘めていた。
深紅と蒼玉の視線が交わり、突如始まった百合百合しい雰囲気に今ガチメンバーたちが黙り込む。誰かが唾を飲み込む音すら、聞こえそうな程に。
数秒間だっただろうか、数分にも及ぶのか。判然としない時間の中を見つめ合ったのち、有馬かなが動いた。薄くリップグロスをひいた唇を少女の耳元に持っていく。吐き出した息が耳朶の産毛をそよがせ肌をくすぐり、黒川あかねは羞恥と困惑で身体を小さく震わせて。
「『お前が好きだ。お前が欲しい。だから――俺の女になれ、
少女の耳に、脳に、心に。とどめの一撃を打ち込んだ。
初恋に敗れた純朴な少女に対して、死体蹴りにも等しい愛の囁き。「壁ドン」、「顎クイ」、「耳元で女の名前と、愛を囁く」という、斉藤ミヤコがアクアに仕込んだ謹製の一品である。流石に「呼吸が苦しくなるほどのキス」はこの場では省いたが。
黒川あかねからすれば、惚れた男が恋敵をどう口説いたのかを、他ならぬ恋敵から自分に対して再現されるなんて、この上ない屈辱――の筈であった、のだが。
「かな、ちゃん……」
思考が定まらない、熱に浮かされた様子で呟く黒川あかね。その蕩けた表情はとても嫌がっているようには見えなかった。斉藤ミヤコや有馬かなは相当に少女漫画脳ではあるが、黒川あかねもまた同様だったようだ。
深紅の少女は視線を動かす。あの雨の嵐の日、アクアが黒川あかねを家に連れてきた日。
『この傷が治ったら、ここに来なさい。その時はまた、可愛がってあげるから』
彼女を手籠めにした後、首筋に噛みついて残した歯型は、あれから幾ばくかの時が過ぎて大分薄くなっていた。
「ねえ、黒川あかね」
「……え?」
「また、ウチに来る? 前みたいに可愛がってあげるわよ」
「っ!? ……知らない!」
余人に聞こえないよう耳元で囁いた小悪魔のお誘いに、黒川あかねはぷいっと顔を背けて頬を膨らませた。
そのやりとりを眺めながら、熊野ノブユキは鼻血が出そうな面持ちであった。うら若く身目麗しい少女たちの絡み合いは心の栄養だと言ったのは、果たして誰だっただろうか。
「なあアッくん、聞いてもいい?」
「聞くな」
「マジであんな口説き方したのか……?」
「聞くなっての」
☆
――同刻。
――苺プロダクション。
斉藤ミヤコの眼前のデスク、その上には2つのものが乗っていた。
一つは、離婚届の用紙。夫の斉藤壱護が失踪してから暫くして届いたもの。彼の名前は最初から記入されていて、あとは自分の名前を書いて役所に提出すれば、婚姻関係は失効となる。やろうと思えば1時間足らずで出来ることであり、この十数年間のあいだ、ずっと先延ばしにしてきたことだ。
離婚すれば斉藤ミヤコは寡婦、バツイチとなり、独身へと戻ることになる。
――色々と障害はあるものの、将来的に星野アクアと再婚することも、出来るようになる。
もう一つは、避妊薬。星野アクアと付き合うようになってから欠かさず摂取してきたものだ。彼を愛しているし、彼との子どもは欲しいと思っているが、それは彼が成人してからだと己を律し、焦る彼を諭し説得していた。
自分はもうアラフォーと呼ばれる年頃、高齢出産は危険だと言う彼の指摘はもっともだし、逸る気持ちは斉藤ミヤコ自身の中にも、ある。
それでも。彼の両親が、子どもが子どもを作るという若気の至りをしでかした結果、悲劇に見舞われることになった。無論それだけが原因ではないがそれでも、あの悲劇は繰り返させまいと可能な限り努力するのは、里親としての義務だと思っている。今はもう、未成年の芸能人が子どもを作ることが許される時代ではないし、子どもの存在を世俗から隠し通せるとも思えない。
ここが、新たな分水領。
今こそが、
この先進めば、もう二度と後戻りできない場所や状況。
数ヶ月前。家族会議とその翌日で、星野アクアは斉藤ミヤコと共に、その境界を踏み越えた。義理の母子、上司と部下という垣根を越えて、世に許されない関係へと足を踏み入れたのだ。
その1ヶ月後。有馬かなという要素も含めて、自分たちはさらに新しい境界の向こうへと突き進んだ。
それが正しかったのか間違っていたのかは、判らない。彼女を囲うメリットもあれば、無視出来ないリスクも、ある。
有馬かなは本当に……強くなった。美しくなった。
恋愛リアリティーショーに乗り込んで、意中の男を奪われまいと戦い、見事勝利を収めてみせた。
斉藤ミヤコはリスクを恐れ、その判断と決断を少年に委ねた。あの時自分がリスクを恐れず呑み込んでいれば、彼女はここまでの脅威とはなっていなかったかもしれないのに。
今度こそ、自分が決断しなくてはならない。その決断に責任を持たなくてはならない。他ならぬ、自分自身の人生なんだから。
斉藤ミヤコは沈思黙考を止めると、瞳を開いて立ち上がり、机の上に手を伸ばした。
星の子どもたち――第三章〔了〕
結論から書きます。
斉藤ミヤコED
有馬かなED
この両方を執筆する予定です。
このSSを書き始めた当初は第一章の部分で完結予定でした。
第一章時点ではミヤコが強すぎて他のヒロインは勝負になってない状態でしたが、超強化されたこの重曹ちゃんならば――ということで、有馬かなEDも用意するつもりです。
今後ともよろしくお願いいたします。