フィクションでままある、義理の兄妹/姉弟間での結婚は、法律上は可能である。
だが、義理であっても親子となると話は別だ。民法735条により、直系姻族間での婚姻は出来ないと規定されている。たとえ親子関係が解消されても、姻族であった事実は消えない。例えば、嫁と離婚したとしても、義母であった嫁の母親と再婚することは出来ないのだ。倫理や道徳にそぐわない、というのが主な理由とされている。
つまり、星野アクアが斉藤ミヤコとは結婚することは――不可能である。
尋常ならば。
☆
「単刀直入に言わせてもらう。――俺を認知して、お前の戸籍に入れろ」
「……ほう? どういうことか、説明してもらえるかな」
神木プロダクションの社長室。対峙する金紗の男たちは幾何かの沈黙を破り、口火を切った。
およそ150年前、明治初頭に制定された戸籍法。近代化の波に乗り遅れまいとする明治政府が、国民を管理し権力を中央に集めるべくこの仕組みを導入した。当時のスローガンであった富国強兵に必要不可欠なヒト、モノ、カネ。戸籍法は、徴兵と税務を国家で管理し日ノ本を強化するためという一面も持ち合わせていたのだ。
その後。明治から大正、昭和へと時代が移り変わり、幾度かの改正が行われたが、戸籍は日本人にとって己を規定する最も公的で根源的なものだという事実は変わらない。
その戸籍を、変更しろと言うのだ。一人の人間、その人生にとって一大事だというのは疑いようもない。
「いちいち俺が説明しなくとも、そっちの天河からおおよその話は聞いてるんだろう」
「まあ、そうなんだけどね。大事なことだから、人づてではなく君の口から直接聞いておきたいんだ。いくら政治家と秘書に信頼関係があったとしても、政治家は汚職がバレたら『秘書が勝手にやったことだ』と責任を押し付けるし、秘書は政治家の悪事を他所にリークすることもある。伝言ゲームはなるべく避けたいんだよ」
「
よよよ……、と嘘泣きをする天河メノウ/姫川愛梨。男たち二人は白々しいと疑いもせずに、迫真の演技をしている女子中学生/朝ドラ女優を半目で眺めた。
「……愛梨さん、ちょっと黙っててもらえませんか。『口約束を真に受けてはいけない。特に男女の間では』、『秘密は共有する人間が少ないほどいい』と教えてくれたのは他でもない、貴女ですよ」
「わたしはいいのよ。貴方とは前世からの長い付き合いだものね」
「……アクア君。人間は、特に一部の女性はその時の気分や状況で主張を変えることがある。気を付けた方がいいよ」
「ああ、そうだな……」
妙なシンパシーを覚え、苦笑いを交わす男たちであったが、これも漆黒の少女の策略である。いがみ合う者たちの足並みを揃えたいのならば、共通の敵を用意するのが最も手っ取り早い。それほど仲の良くない組織の人間関係も、ヘイトを向ける人間が一人いれば、他の人間たちに妙な結束感が生まれるのはいつの時代も変わらないのだ。
その甲斐あってか、星野アクアは自分の状況や望みを素直に神木ヒカルに語り始めた。少し前までならば、まず取らなかった行動である。
「――つまり、君は斉藤ミヤコさんと結婚したい。でも、義理の親子関係では法曹が許してくれない。だから僕になんとかしろと、そういう解釈であってるかな」
「ああ、そうだ。金も権力も持っているお前なら出来るんだろう?」
「まあ、可能不可能で言うなら、可能だと思うよ。確約は出来ないけどね」
星野アクアを認知して、神木ヒカルの戸籍に入れるのはそう大きな問題ではない。DNA鑑定により血縁関係は立証されているのだから、両者の同意があればそう難しいことではないだろう。
だが、星野アクアが言っているのはそれだけではない。義理の母親だった女性と結婚するという、民法に喧嘩を売るような真似をするというのだ、この男は。
神木ヒカルとしても、息子の恋路は個人的に応援してやりたいとは思うが、それが茨の道とあってはもう一度考え直してほしいというのが本音だった。人の道から外れた者たちの末路は、押しなべて悲劇的なものだと相場が決まっている。
「ふむ……」
さてどうしたものか、と少しばかり考えた結果、金紗の青年は別の角度から攻めることにした。
惚れた腫れたというのは、とかく主観的で周りが見えていない状態であり、理を投げ捨てて情のみで動いていると言っていい。一度立ち止まり冷静になって振り返ってみて欲しい、という気持ちの表れであり、決して斉藤ミヤコとの関係を否定したいわけではなかった。そもそも彼らの関係は、かつての神木ヒカルと姫川愛梨に酷似しており、「自分たちが往くことの叶わなかったその先を見てみたい」という漆黒の少女の思いは、神木ヒカルにもよく理解出来るものである。
だが、世の中はそう甘くない。
特に、神木ヒカルの生きている世界は、個人の意志よりも家や立場、そして利益や繁栄を優先する。そうせざるを得ないのだ。
故に――、
「ところで。アクア君と有馬かなさんとの関係はまだ続いていると、愛梨さんから報告を受けているけど、間違いないかい?」
「それはこの場では関係ない話だろう」
「あながち関係のない話でもないんだよ。僕の質問に答えないのなら、この話はここまでだ。先程の君の話は聞かなかったことにする」
「……まだ、かなとは続いてる」
「今後はどうするつもりなんだい?」
「今後も、続ける。かなを切るつもりはない。文句あるか」
「別に無いよ。二股が悪いとか許されないとか、そういう話をしたいわけじゃないんだ。
ところで、恋愛リアリティーショーは僕も見ていたけど、なかなかに面白かったよ」
「……御贔屓にして頂きありがとうございました。――で、一体全体お前は何が言いたいんだ」
「では言わせてもらおうかな。僕はね、恋愛リアリティーショーでアクア君は黒川あかねさんと結ばれるべきだったと思うんだよ」
「……何だと?」
「彼女の、アイを模倣するあの演技力は使えそうだと、君もそう思わないかい?」
黒川あかねは、使える。確かにそう思うが、それを口に出したりはしなかった。復讐を胸に秘めていた頃の星野アクアであったなら、彼女を利用するために関係を維持すべく、今ガチの最終回で告白し偽りの彼氏彼女になっていただろう。
「そこで彼女について色々と調べてみた。するとどうだ、黒川あかねさんの父親は警察の要職、それも警視総監を狙えるほどの立場だと判明した。亡くなった僕の父はかつての警視総監と懇意にしていたらしいから、その線で繋がりを作ることも不可能じゃない。
黒川あかねさんも、かつて僕が所属していた劇団ララライの若きエースだ。いやあ、世間は狭いものだね」
「……」
「彼と黒川あかねさんとの親子関係も良好のようだと調べはついている。全国トップクラスの優秀な成績、あの金田一さんがエースと認める演技力、美しい容姿に、真面目で素直な性格、裕福な実家。彼にとって黒川あかねさんは、目に入れても痛くない可愛い一人娘であることは間違いないだろうね。
アクア君。君は、そんな可愛い一人娘が自殺を図っているのを食い止め、文字通り命を救ってみせた。彼女が世間から悪意を受けている状況を覆し、芸能人としての命脈を繋いでみせた。おまけに、彼女はアクア君の気を惹くためにアイの模倣まで身に付け、女優として大きく成長したんだ」
「……」
「黒川氏にとって、アクア君には感謝してもし切れない恩がある。恐らくだが、キミがあかねさんとの交際、いや結婚を申し込んだとしても、彼は喜んで受け入れてくれるんじゃないかな。
わかるかい? これが貸しを作るということであり、人と人、家と家との繋がり、絆であり、つまりは権力なんだよ。コネと言い換えてもいいかな」
「お前は……」
「だからねアクア君。君が黒川あかねさんと縁を結んでくれれば、僕らは将来の警視総監と家族になれるかもしれないんだよ。これは言うまでもなく途轍もないメリットだ。君にとっても絶好の逆玉、将来は安泰じゃないかな?」
「……これだから上級国民は嫌いなんだ。たとえ身内であっても、人間をチェスや将棋の駒みたいに見てやがる」
「それが帝王学というものだよ。僕や愛梨さんは、父からそれを仕込まれているからね。君の言う上級国民、貴族としての器量と才覚はすなわちどのように人を使うか、人と人とでどう繋がりを作るかということ。かの太閤秀吉公とて、豊臣家を存続させるために幼い息子を、当時赤ん坊だった徳川家康の孫娘と婚約させたんだ」
神木ヒカルと姫川愛梨。二人は師弟関係だからか、星野アクアにとっての祖父「旦那様」から同様の教育を受けているからか、二人とも話の流れの持っていき方が似ているように思う。昔話や
「おっと、話が逸れたな。つまり僕が言いたいことはね、君の望みを叶えることで、僕に何のメリットがあるかどうかだよ。この世の中はギブアンドテイク、貸し借りの世界なんだ。君の頼み事はつまりは法に逆らうということであり、無理出来ない大きなリスクが伴う。いくら僕とはいえ、二つ返事とはいかないよ。逆に、君の相手が黒川あかねさんであれば、そのリターンは先程説明した通りだ。危険を冒す価値は十分にあると思うよ。
――さて、星野アクア君。仮に、僕が君の願いを聞き届けたとして、君は僕に対しどういった利益をもたらしてくれるのかな?」
……そう来たか、と星野アクアは暫し沈黙した。
神木ヒカルはこちらの胸の
というより、試されている。この二人は恐らく、星野アクアを試しているのだ。
彼の覚悟を。
法を、道徳を、倫理を、ありとあらゆるものを投げうってでも、その愛を貫くのかどうかを。
(いいだろう、目にものを見せてやる――!)
「メリットね……。そんなものは無いな」
「……残念だよ、アクア君。では、この話は無かったことに――」
「残念なのはお前の方だよ、神木ヒカル。
親が子どもを育てるのは、祖父母が孫を可愛がるのはメリットを期待してのことじゃない。色々な理由はあるだろうが、一番は自分たちの跡継ぎを守り育てる、という至上命題のためだ。仮にも帝王学だの太閤だの、人や家同士の繋がりなんて話を持ち出したんだ。よもや否定はしないだろうな?」
「それは勿論だよ。……続けてくれ」
星野アクアが腕に抱いた生後間もない赤子、
「あの子は、雅は俺とミヤコの子で、お前とアイの孫娘だ。でもな、今俺が書いているあの子の出生届、父親の欄はまだ空白のままなんだ」
だがその温かさとかすかな息遣い、小さくも確かな存在感はとてつもなく重かった。前世では産科医として多くの赤子を取り上げてきたが、雅は自らの子どもということでさらに重さが上乗せされ、生命への畏怖と責任を感じずにはいられなかったものだ。
「アイは母子家庭で父親が居なかった。俺も似たようなものだし、お前だって子どもの頃に両親を亡くしているんだろう。
――神木ヒカル。お前は自分の子どもどころか、孫にまで父無し子にする気か?」
雪の降る日に生まれたあの子の重さは、桜が咲く頃には5kgを超えているだろう。
赤子の成長は早い。本当に、早い。
「俺はまだ未成年だが、子どもが生まれた以上、俺はもう保護者に責任を取ってもらうだけじゃいられない。俺自身が責任を負わなくてはいけない。母親と赤子を、俺が守らなくてはいけないんだ。――父親として」
あの子はいずれ、意味のある言葉を理解し言葉にし始めるだろう。
揺りかごを這い出て、自分の脚で立てるようになるだろう。
自らの感情と意志を、他人に伝えられるようになるだろう。
やがては、家庭というごくごく狭い空間の檻を解き放って、広い世界へと漕ぎ出していくのだろう。
だがそれは、支えてくれる家族――母親という存在があってこそなのだ。
アイとミヤコが、二人の母親が金紗の双子へそうしてくれたように。
「もう今更、お前に父親面しろとは言わない。父親の責任を果たせなんて、言わない。
だが、お前にも祖父としての責任、祖父として為さねばならないことはいくらでもあるはずだ。
神木ヒカル、お前は逃げるな。もうこれ以上、逃げるな。
お前がいつまでもその
「……!」
余裕の笑みを崩さなかった金紗の青年、その表情が歪み。見開いた瞳の星は、純白と漆黒を行き来している。
やがて、神木ヒカルは目を伏せ、俯き、組んでいた手の隙間から溜息をそっと漏らした。
「……僕が、父親どころか祖父になるだなんて……。どうにも現実味が無いな……」
父親になった実感も成長しないうちに、神木ヒカルは祖父になってしまった。お腹を痛めて子どもを産む母親と違い、どうしても父親は子どもが出来たという実感が湧きにくい。ましてや、この男は双子の出産に立ち会ってもいないし、子育てに参加してもいない。父親としては満場一致で落第、論外の男だろう。
だがそれでも、祖父としてどうなるかは、ここからだ。
子どもが成長するのと同じくして、親も親としては子どもと一緒に成長していく。それが正しい家族の在り方だ。
役者としても経営者としても優秀な神木ヒカルだが、人間としてはまだまだ青二才。
それでも彼は、人生の中腹にも辿り着いていないのだから、次の世代に事後を託すには十分な時間がある。
「そんなのは、男であれば誰しもが通る道だ。天からの授かりものだと思って、父親はどっしりと構えていればいいんだよ」
それは、雨宮吾郎がどこかで聞いた言葉の受け売りだ。前世では産科医として、子どもが生まれて戸惑っている父親たちに幾度か投げかけたことがある台詞だが、聞かされた父親は多少なりとも前向きになり、表情が引き締まったことを覚えている。
「さあ、わかったらさっさと手続きしてこい。出生届は誕生日から14日以内までに提出しなきゃいけないんだ」
「はぁ、わかったよ……。でも、そんなに急かさないでくれるかな……」
傍から見ていると、これではどちらが父でどちらが子なのかわかったものではない。神木ヒカルが久方ぶりに見せた弱々しい姿に、愉快な気持ちが沸き上がるのを抑えられない天河メノウ/姫川愛梨は破顔し、星野アクアに対し惜しみない拍手を送った。
「お見事です、アクアさん。愚かしくも美しい情も、突き詰めれば理を超える――。これだから人間は面白いのよね。
ヒカル君。貴方、父親としてはアクア君に完敗してるわよ」
「余計なお世話ですよ、愛梨さん」
ころころと笑う漆黒の少女と、不貞腐れている金紗の青年。20年前、彼らが女優/家庭教師と金紗の少年/教え子だった時と、変わっているようでいて変わっていないその在り方が、どれほどに嬉しく、尊いものだろうか。
「ところでアクアさん。貴方が社長の戸籍に入るのであれば、わたしとは義理の兄妹になるということですよね」
「まあ、そういうことだろうな」
「これからは、お
「……俺の妹はルビーだけだ」
「ふふっ……。気が変わったら、いつでも仰って下さいね」
「おととい来やがれ」
何もかもが変わりゆく世界で、変わらないものを見つけた喜びを胸に抱いて。
自分と彼らが、こうして同じ時を過ごせることに、天河メノウ/姫川愛梨はただただ偶然と必然と、星の巡りに感謝した。
「……アクア君。手続きはこちらでやっておくよ。恐らく、一週間もかからないと思うけど」
「自分で言っておいてなんだが……出来るのか?」
「まあ、知り合いの役人に鼻薬を嗅がせればいいだけだから大丈夫だよ」
「何が大丈夫かは知らんが……よろしく頼む」
「その代わり、一つ条件をつけさせてもらおうかな」
「……言ってみろ」
そこでようやく平常の、余裕の笑みに戻った神木ヒカルは、星野アクアが想像だにしなかった条件を突き付けた。
「もう夕方だし、これから何か食べに行かないか」
「……は? 俺とお前らでか?」
「そうだよ。何にするかは君が決めていいからね。お金は気にしなくていいから」
「む……」
先程の「父親として完敗」発言を気にしているのか、この男はこの男なりに歩み寄ろうとしているのか。
まあ、星野アクアは仮にもお願いごとをしに来た立場である。食事くらいは付き合ってやってもいいと考え、何にしようかと思考を巡らせる。
銀座で寿司だの、人気の老舗店で特上
さて、どうしたものか……。
『吾郎ちゃん。もう少しでできるから、手を洗っておいで』
するとそこで、懐かしい記憶がふっと浮かんだ。
高千穂産の味噌をふんだんに使った味噌ラーメン。雨宮吾郎は祖母のことがあまり好きではなかったが、彼女の作ってくれるそのラーメンは好物であり、少年時代は幾度となく作って欲しいとおねだりしたものだ。
思えば。父親が誰とも知れず、母親は出産時に死亡し、祖父からも疎まれていた雨宮吾郎を、祖母はきちんと育ててくれた。衣食住に困らせず、医大に進路を決めた時は涙を流して喜んでくれた。
彼女は祖母としての役割を果たし、その責任を全うした。彼女は雨宮吾郎を、愛していたのだ。雨宮吾郎の両親や祖父の分までもを。それはどれだけ得難く、大変なことだっただろうか。
当時の雨宮吾郎は彼女からの期待を重荷だと感じ、その感情は転生してもなお同様だった。だがこうして雨宮吾郎/星野アクアが育てられる立場から誰かを育てる立場へと変わったことで、ようやくその重責を認め、受け止められるようになったのだ。
アイ、雨宮吾郎の祖母。つくづく俺は、育ててくれた人たちに報いることが出来なかったのだな、と悔いる。
だから、ミヤコと
恩を、借りを、愛を次の世代に返し、与えていかなくてはならない。
自分はもう、ただの子どもではなく、父親なんだから。
「神木、何でもいいんだな?」
「アクア君のお好きにどうぞ」
「なら、味噌ラーメンおごれよな」
「大盛りおごってあげよう」
次回、ミヤコルートもいよいよクライマックスの予定です。