「今更ですけど、姫川さんは何でここに居るんですか?」
「あそこの
黒髪の青年、姫川大輝は紫のサイリウムを振りながら、反対の腕の親指でステージ中央で歌い踊る漆黒の少女を指し示す。
『という訳で、デビューすることになりました。姫川大輝さん、貴方も是非いらっしゃって下さい』
『その日は久しぶりのオフなんだが』
『ちょうどいいじゃないですか。いくらわたしでも、映画やドラマの撮影を休んで来いとまでは言えませんし』
『しかしだな……』
『来てください』
『えっと……』
『き な さ い』
『はい……』
先程の愉しそうな声から打って変わって、周りの空気を一変させるその声色に何も言えなくなる。
姫川愛梨は生前、息子の大輝から敬愛されていたと同時に畏怖されており、彼は母親には逆らえなかったのだ。
「……という訳なんだ」
「あんたも苦労してるんだな……」
「ああ、そうなんだ……。弟よ、早くあの女をなんとかしてくれないか」
「キッショ、俺の事を弟とか呼ぶな」
以前、姫川大輝のマンションで膝を突き合わせて語り合った時の意趣返しだろうか。冗談交じりのやり取りに笑みを漏らし合う腹違いの兄弟。ステージと各方向のスピーカーから届く歌声、四方八方から響く歓声によって、その会話は誰にも聞き咎められることはなかった。
――の、だが。
「……ッ!?」
ドスン、と。
星野アクアがまず感じたのは、背中の中央に走った衝撃。
次いで、痛み。
そして、熱さ。
まるで、
「……!、……!?」
痛い。
熱い。
苦しい。
息が、上手く出来ない。
身体がなかなか言うことを聞かず、辛うじて首から上をゆっくりと回転させ、後ろへのろのろと振り返る。
「……ぁか、ね……!?」
果たして、そこには。
何かを金紗の少年の背中に突き立てている少女――黒川あかねの姿があった。
驚くほどに、無表情で。
☆
――ジャパンアイドルフェス当日、新生B小町の出番より少し前。
――楽屋。
「皆さん、表情が硬いですね。ひょっとして緊張してるんですか?」
「ちょっと! それは――」
ステージデビューする新人に「緊張」と発言するなんて、受験生に「落ちる」と言うのと同じくらいNGワードでしょ、と有馬かなは思った。
Youtuberとしての経験はあっても、人前で歌って踊るのが基本のアイドルでは勝手が異なる。ましてや、目の前でカチコチに固まっている星野ルビーとMEMちょの二人を見て、これは駄目かもしれないなと心配を通り越して諦念が沸き上がってくる。
(愛梨さん、どうするのよこれ……)
だが漆黒の少女は慌てた様子もなく、唇を緩く曲げて二人に微笑みかけた。部下や後輩に対し、貴女たちは間違っていないと安心させるように。
「別にいいんですよ、緊張しても。それでこのステージに失敗したところで、わたしたちが死ぬわけじゃありませんし」
「へ?」
「メノウちゃん?」
「話は変わりますが、貴女たちが最も大切にしているものを思い浮かべて下さい。今すぐに」
星野ルビーは家族を思い浮かべた。推しのミヤコとアクアの歳の差カップルに、亡くなった究極で完璧なアイドルの想い出と、生まれ変わってもなお抱き続けている初恋の人を。
MEMちょはYoutuberとしての経験や実績、捨て切れなかったアイドルになりたいという夢を思い出した。まだ10代前半だった学生時代、スポットライトよりも眩しく輝く一番星に憧れ、自分もあんな風になりたいという夢を。
そして、有馬かなは。生まれてからずっと身を置き続けてきた役者の旅路と、ここ数ヶ月で繋がった人たちに思いを馳せた。
自身の初恋であり、手中に収めんと切望する金紗の少年、星野アクア。
その彼を手に入れる上での最大の障害であり、乗り越えるべき壁であり、憧れと目標の対象である、斉藤ミヤコ。
付き合いはそれほど長くないながらも気の置けない友人となっている、星野ルビーとMEMちょ。
それに――幼い頃からの先達であり、恋愛や芸能を指南してくれる師であり、油断ならない相手でもある天河メノウ/姫川愛梨を。
「思い浮かびましたか? もしこのステージに失敗したところで、貴女たちが最も大切にしているものが永遠に失われるわけではありません。
繰り返しますが、わたしたちが死ぬわけでもありませんし、せいぜいが駄目なアイドルだと3日間ほど笑いものにされるくらいです。大衆は飽きっぽいですから」
大事の前の小事。より大きな恐怖に比べれば、目の前の障害など取るに足らないと思わせる。姫川愛梨が言っているのはこういうことである。そこに軽い冗談を織り交ぜて、出撃前の重苦しい雰囲気を換気していく。
「だから、大丈夫です。失敗を恐れず、
星野アイに最も欠けていた素養――協調性、リーダーシップ、他人への思慮。彼女は絶対的エースではあっても、リーダーとしての資質は皆無だった。一人孤独に輝き続けた、眩いばかりの一番星。
天河メノウ/姫川愛梨は、アイドルとしての輝きは彼女を超えることは叶わないだろうが、それ以外のありとあらゆる分野において彼女をはるかに凌駕しているのだ。そして、このメンバーを率いてアイドルとしても彼女の上を行こうとしている。
「ふふ、皆さんいい顔になりましたね。これなら大丈夫そうで一安心です。……それと、本番前にもう一つ言わせてもらいますね」
「「「???」」」
「今日の演目は『STAR☆T☆RAIN』と『サインはB』、MCも含めて10分程度になる予定です。
ですから――」
そこで漆黒の少女は一度言葉を切り、掛けていた眼鏡を外す。
地味な女子中学生でもなく、歴戦の女優でもない、さらにまた別の
「人生最高の10分間にしましょう」
花が綻ぶように、新人アイドル/漆黒の少女/女優――アイリ/天河メノウ/姫川愛梨は、そっと笑いかけた。
☆
「だから言っただろ。背中を刺されないように気を付けろ、って」
「……えぇ、全くです。今度、防刃ベストを買うことにします」
「黒川、その辺にしとけ。今は大事なライブ中なんだ」
「……はい」
呆れた様子の姫川大輝と、息も絶え絶えに返答する星野アクア。
そしてもう一人――蒼玉の少女、黒川あかねはアクアの脊椎にぐりぐりと突き立てていた