「有馬さん。うちのアクアが迷惑をかけたみたいで、御免なさいね」
「え……?」
心機一転しようとした私に、ミヤコさんが声を掛けてくる。
それは、私の認識とは全く反対のことだった。アイツに迷惑をかけられたなんて、露ほども思っていないのに。
「そんな、迷惑だなんて。むしろ、こっちが迷惑をかけてばかりで……」
「涙、拭ってもらったんでしょう?」
数瞬遅れて、こくり、と頷く。
昼間、陽東高校で。12年振りにアクアと再会した時。
夕方、星野家の墓の前で。ずっと私の支えになっていたハンカチを、手放すかもしれなかった時。
夜、食卓の中で。私がとうの昔に失ってしまった、家族の団欒を目にした時。
言われてみれば確かに、今日一日で3回も涙を拭いてもらっている。はっきり言って異常だ。
「十秒で泣ける天才子役」だなんて持て囃され、泣くこと自体は得意技だったが、それはあくまで演技での話。自分で意図してやっていたものだ。
だが、今日の涙はそうじゃない。真なる感情から零れ落ちた涙だった。
「あの子は昔から、女の子によく告白されていたらしいわ。泣いている女の子はほっとけない子だから。
涙を拭って、惚れられて、でもすげなく断って……その繰り返し。いつかひどい目に遭うんじゃないかって、心配してるんだけどね……」
判る気がする。アクアに涙を拭ってもらうことは……気持ち良かった。またしてもらいたいと、何度でもやってもらいたいと、そう思ってしまった。麻薬の常習性とは多分、こんな感じだろうなと考えてしまう程に。
だが同時に、危うさも感じる。そんなことをしていれば、振った女子からの逆恨みもあるかもしれないし、周りの男子からのやっかみもあっただろう。男子中高生というのは異性に興味津々な年頃だ。なのに、異性に大して興味を持たないアクアがモテる、というのは彼らにとって面白くないこと甚だしいだろう。
私も人のことは言えないが、アクアはあまり友人と呼べる存在は居なかったのではないか……あくまで勘でしかないが。
「あの子は今まで一度も、女の子を家に連れてくることは無かった。例え仕事絡みだったとしても、会ったばかりの子を自宅に呼ぶなんて……今までのアクアからすれば異例のことよ」
「異例……」
「だからこそ、気になるの。貴女と、他の子たちでどこが違うのか。何か、心当たりない?」
「心当たりと言われましても……昔、映画で共演したことですかね」
「ええ、それは私も知っているわ」
「その時から、アクアのハンカチを借りっぱなしになってたんです」
「やっぱり、そこなのかしら……」
「後は、心当たりかは判りませんけど、今日アクアのお母さんのお墓に行ったくらいで……」
ミヤコさんの目が見開かれる。ルビーもだ。信じられないものを目にしたかのように。
「アクアがア――星野家の墓に、貴女を連れて行ったの?」
「いえ、私がついて行ったんです。来るのは勝手だけど、邪魔はするなって言われました」
「そう、なの……」
指を唇に当てて考え込むミヤコさん。やはりこの人は、単なる里親という領分以上に星野家に深く関わっている。
ならば、色々と知っているはずだ。あの時、墓場で抱いた疑問をぶつけてみることにした。
「あの、私も聞きたいことがあるんですけど」
「何かしら?」
それが、彼女らにとって
「アクアのお母さんって、事故か病気で亡くなったんですか? 随分若くして亡くなったみたいです、け、ど……」
場の温度が一瞬にして冷え込んだ。銭湯の熱気の中であるにも関わらず。
ミヤコさんの形のいい眉間に皺が寄せられ。
ルビーの明るい表情が、今にも泣きだしそうに悲痛な顔へと歪んだ。
「あ、えっと……すみません。辛いことを聞いてしまって……」
「いいのよ。貴女のせいじゃないわ。……でも、この子たちの前では控えてくれるかしら」
ルビーはその瞳を涙ぐませ、ミヤコさんがルビーの頭を撫でながら返答する。
それっきり場に沈黙が降りて、いたたまれなくなった私は先に上がらせてもらった。
「今日は色々あったなぁ……」
苺プロの仮眠室を借り、布団に横たわりながら一日を回想する。
学校にハンカチを取りに行ったら、12年振りにアクアと再会した。
アクアとともに彼の母親のお墓に行って、涙とハンカチのやり取りをした。
苺プロと交渉し、アクアの今日あまへの出演にこぎつけた。
アクアとルビー、ミヤコさんと一緒に食卓を囲み、久しぶりの家庭の味を堪能した。
銭湯で女子会もどきをやりつつ汗を流し、そして――。
「気になることが、二つ」
――一つ目。アクアとルビーの母親。彼らがまだ幼い時、若くして亡くなったシングルマザー。
兄妹から今だに強く想われていることから、親子関係は良好だったと推測される。
死因は不明。事故や病気で亡くなったのかもしれないが、それにしてはルビーとミヤコさんの反応は過剰だった。何か事件性があるのかもしれない。
アクアに「
ごろり、と寝返りを打つ。すると目線に入ってきたのは、窓から差し込む月明かりに照らされた、1枚のポスターに映る少女。
――アイ。かつて苺プロに所属していたアイドルユニット、B小町の絶対的センター。歌唱力やダンスはもとより、特筆すべきはその圧倒的な輝き、観る者を惹きつけずにはいられないカリスマ性だろう。地下アイドル出身でありながら驚異的なスピードでB小町を立身出世させる原動力となり、TV番組やグラビア、映画にも活躍の場を広げた。私も一度だけ共演したが、売れるべくして売れた本物だと思ったものだ。
だがそんな彼女も、東京ドームのライブ目前でストーカーの凶刃に倒れ、その訃報は日本中にあっという間に広がった。当然、私の耳にも。まだ私やアクアが小さな子どもの頃の話――。
何かが、引っかかった気がする。
一体何だろう、と考えを巡らそうとしたとき、部屋の外からほんの小さな話し声が聞こえた気がした。
☆
「アクア、有馬さんのこと……どうするつもりなの?」
「どう、とは?」
「とぼけないで。お墓に連れて行ったり、ウチに入れたり……いくらなんでも貴方の情報を見せ過ぎよ。
少し調べたけど、有馬さんは陽東で一年生の学年首席みたいね。おまけに、明らかに貴方へ好意を抱いているわ。判ってるでしょう?」
「やっぱり、そう思うか」
「ええ。同じ女から見て、十中八九そうでしょうね。ああいう賢くて、12年経っても貴方に
「そう、だな」
「どうしてそこまで、有馬さんに肩入れするの?」
「……陽東で有馬の涙を拭いた時に、思い出したんだ。俺の原点をな。
映画を撮影したこと、ハンカチを持っていかれたこと、このハンカチを替わりに貰ったこと。褒められたこと。
俺の、子ども時代のことをさ」
「アクア……」
「もう俺は失ったんだ。戻れないなら、進むしかない。全部決着を着けて……それで、ようやく始められる」
「……ちゃんと、ここに帰ってきなさい」
「判ってる。あの時、約束しただろ?」
「それでも、よ」
「……ミヤコ?」
☆
――もう一つ。斉藤ミヤコさんと兄妹……特に、アクアとの関係。
貴女たちは本当に、里親と義息子の関係なの?
扉の隙間から見える、男と女。その姿は一つに重なっており、抱き合い、お互いの背中に腕が回されている。
羨ましくなるほどに、憎らしくなるほどに、様になっている、似合っている。余人の入り込む隙間は無いと、私の恋心を責め立てる。
一瞬、ほんの一瞬。
アクアの背中越しに、肩口から見えるミヤコさんの美しい顔。男に抱き留められ、全身で愛を存分に享受している美しい顔。
その視線が一瞬だけ、私と重なったような気が、した。
心臓が粟立つ。冷や汗が背筋を伝っていく。
ああ、貴女はこんなにも。
美しい女で、優しい母親で、男の情欲の的で、女の羨望の的で。
そんな貴女が――
ヤングジャンプ34号を立ち読みに行ったら、ミヤコの出番が多くて気付いたら買ってました。
本当の母親じゃないけれど、それでも私は母親なんだと言い張れるのが本作のミヤコです。