「ミヤコさん、あれで良かったの? 義息子はやらん、ってロリ先輩にカマしとくべきだったと思うんだけど」
「私はそんなに頭が固くはないわよ。あの子なら、もしかしたら……」
「もしかしたら、何?」
「……私には出来なかった事をやってくれるかもしれないわ。それに、私はずっとアクアの傍に居られるわけじゃない。あの子の言う通り、子離れする時期が来ているのかもね」
「そんなこと、全然思ってないでしょ。それくらい私にだって判るよ」
「……ルビーには嘘はつけない、か」
私はただ……羨ましいのだ。あの眩しい、有馬かなという少女が。
アクアと同年代で、同じ高校に通う予定で、役者という同じ業界に身を置いていて。
そして、好いた男の保護者に対して、彼のことが好きですと堂々と宣言してのける、その真っ直ぐさが眩しいのだ。
有馬かなと星野アクアの間に、結ばれるのを妨げる要因は何一つとして存在しない。本人同士の意志のみで、いとも簡単に足を踏み出すことが出来てしまう。
一方、私は。年代も違えば、立場も大きく異なる。倫理が、規範が、周囲の目が、茨の道となって私の前に立ちはだかっている。
――その筈だったが、この娘はそんなの関係ないと言わんばかりに、私の背を押してくるのだ。
「いつも言ってるでしょ。私にとって、ミヤコさんは推しなんだよ」
「ルビー……」
「お兄ちゃんと一緒に居る時のミヤコさんは幸せそうだし、お兄ちゃんだって、私にすらあんまり笑顔を見せないのにさ、ミヤコさんの前でだけ普通に笑うんだよ、もう」
一つ屋根の下で暮らしていれば、私たちの関係なんてルビーには筒抜けも同然だ。幼い頃は「ずるい、私も混ぜて」と割り込んできたものだったが、年頃になると場の雰囲気を読んで遠慮するようになった。ルビーの認識では、私とアクアの関係はもはや夫婦も同然らしい。しょっちゅう抱き合ったり笑顔で見つめ合ったりしていれば、そういう風に見られてしまうのも仕方がないだろう。
「私はさ。ミヤコさんのこと、第2のお母さんだって思ってるよ。でもそれだけじゃなくて、お義姉さんにもなってほしいなーって。ミヤコさんは、嫌?」
「嫌じゃないわよ。……でも、それが嫌なの」
「いいじゃん、お兄ちゃんの義母だけど、妻でもありますって言っちゃえば。年の差なんて関係ないよ。私とせんせだって倍くらい離れてるんだしさ」
「……前から思ってたことだけど、その『せんせ』って本当に実在するの? 男よけのエア彼氏とかじゃなくて?」
「失敬な! せんせは実在するもん! ……今は失踪してるみたいだけど」
ますます実在が怪しく思えるが、アイドルを志すルビーには男っ気が少なければ少ないほどいいには違いない。まあいいかと深く考えないことにした。
「昨日のドラマでも言ってたでしょ? スナオニナレヨ――ふふっ」
二人して、棒読み演技の物真似に吹き出してしまう。あのドラマに出演するなんて、アクアの芸歴にとってプラスになるとは思えないが、そもそもドラマそのものが彼の目的ではないのだ。
――出演ついでに、鏑木プロデューサーの髪の毛とか煙草の吸殻を拾ってくるだけだよ。心配するな、ミヤコ。
そう言ってアクアは小さく笑ったけれど、その笑顔が悲しかった。彼にとって役者や芸能はやはり二の次で、復讐の手段や通過点に過ぎないのだ。
アクアが復讐に囚われている限り、彼は誰かを本気で愛することはない。それが、私が二の足を踏んでいる理由だった。
私は良くも悪くも、アクアの事情に踏み込み過ぎている。彼が赤子の時から生活を共にしているのだ。アイが存命だった頃も、アイドル業に忙しい彼女よりむしろ、私と一緒に居る時間の方が多かったように思う。
アイが亡くなり、壱護が失踪してから、私たちは正式に家族となった。一つ屋根の下で、十年以上もの月日を共に過ごしてきたのだ。
それだけではない。アクアの抱える復讐心に彼自身が押し潰されないよう、出来るだけのことはしてきたつもりだ。本気で決意したことは曲げないその愚直さには好感を持つけれど、それが憎しみから来るものでは誰も救えない。何も報われない。
アクアを抱き締める度に。彼の熱さが、抱き締め返してくる腕の力が、復讐の炎は今だに燻り続けていると、判る。
どうすれば、どうすればいい? と己に問い続けて十余年。事情が事情だけに、軽々しく誰かに相談することも出来ない。
――いつだったか、テレビで見かけた番組。原油施設や化学工場などの、火災が起きた際に消火が極めて難しい場所では、多数の消防車とヘリを動員して水をかけ続けた所で、火勢を止めるどころか抑えることすら至難の業だ。
なら、どうするか。それでも火事を食い止めなければならない時。施設周辺に多数の爆発物を設置、起爆して辺り一面の酸素を一気に消費させ、燃焼という現象そのものを強制的に抑制するという非常手段がある。無論、周辺が更地になってしまうリスクと隣り合わせではあるが。
復讐という炎を止めるには、それ以上の何かが必要だ。
憎しみを上書きするに足る、何かが。
――私に何が出来る? 何を差し出せる?
「ね、ミヤコさんは、お兄ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「……それ、言わなきゃ駄目かしら?」
「ダメ。さっきロリ先輩に言わせたんだから、ミヤコさんが誤魔化すのは無しだよ」
一つ息をついて、宣言する。そんなのは、とっくの昔に決まっていた。
「――愛しているわ。義息子としても……男性としても」
「なら話は簡単じゃん。あとはお兄ちゃん次第だね」
「そうね、アクアは何て言うかしらね……」
「まあ、この期に及んでガタガタ言うようだったら、師匠と一緒にボコボコにしなくちゃいけないもんね」
そう言って、堂に入ったモーションでシャドーボクシングをする義娘。番組の効果は着実に出ているようだ。
以前、私たちに気を遣って場を外そうとしたのか、ルビーは何か仕事を頂戴と言い出した。当時人気上昇中だったぴえヨンのアシスタントをやらせることにしたのだが、意外にも視聴者やぴえヨン本人からの受けもよく、子ぴえヨンとして半ば師弟関係になっている。下手をすると、殴り合いではアクアより強いかもしれない。
――そう。結局、どう取り繕ったところで、私はアクアのことを愛している。
アクアは、私にとって義息子であると同時に、限りなく理想に近い男の子だから。
イケメンで、責任感が強く、家事や育児を一緒にやってくれる男の人だから。
そして何よりも。私が本当に辛い時に傍に居てくれて、私のことを支えてくれた。
今でも覚えている。苺プロを存続させるか、事業を畳むかの選択を迫られた時の分水嶺。
アイという絶対的センターを失ったB小町。その悲劇から残メンバーの結束は多少なりとも固くなり、ファンも同情心から最初のうちは注目度も高かったものの、やはりアイの離脱という事実は如何ともし難く、急速に客は離れていった。
結果、2年足らずでB小町は解散に追い込まれることになる。むしろ、よく持った方だと自分でもそう思う。
B小町の更衣室。女が三人揃えば姦しいとの言葉通り、喜びと悲しみと悔しさと、アイへの愚痴と、それを窘める私の声が絶えなかったこの空間。苺プロの躍進と凋落を受け止めてきた、この空間。
解散ライブを終えて、メンバーが去っていき、B小町の「元」更衣室となったその場所で、私は一人立ち尽くしていた。
ロッカーに溢れていた私物も片付けられ、ガランとしてしまったこの場所は、こんなにも広かったのかと。ぼんやりとした頭で考えていた。
これから、どうしようかな……。
私は一流の芸能人にはなれなかった。だから港区の女になって、歌舞伎町から銀座、六本木へと職を転々とし、レースクイーンやグラビアアイドルをやったりした。
芸能人としてやっていける程の「何か」が無くて、特級の「何か」を持つアイに魅せられ、憧れ……嫉妬した。
なのに。そのアイが何処の馬の骨とも知れぬ男の子どもを授かり、私がその子たちの面倒を見る、と決まった時は頭が空っぽになった。
それでも何とか目の前の問題をこなしていき、ようやく東京ドームを目前に控えたあの日。全てが変わった。
皆の夢であり、星であったアイは殺され。
苺プロの社長は失踪し、私の目の前には、絶望に沈む双子の兄妹。
それでも必死に乗り切って、立て直して、だがそれすらも――終わってしまった。
何かもう、疲れたな……。
あともう少し遅かったら、その場にへたり込んで泣き出してしまったかもしれない。
私の左手に、柔らかな感触。見下ろせば、水と海の名を持つ金紗の少年が、私の手を取っていた。
「……ミヤコ」
「アクア……」
それっきり、お互いに何も言わなかった。時計の針の音だけが、その場で時を刻んでいた。
小学校に入学し、昔よりも少し大きくなった手。長くなった腕。高くなった上背。
時は止まってくれない。私も美容に多くの金と時間を割いて劣化を食い止めてはいるけれど、いずれ抗えない老いと滅びがやってくる。今日のB小町の解散だって、そのうちの一つに過ぎない。
でもこの子の
やがて来るその日まで、私は強い母親であり続けなければならない。彼に、涙を見せてはいけない。だから――。
「ね、アクア。久しぶりに、一緒にお風呂に入りましょう」
「……仕方ないな」
私たちは手を繋いだまま、歩き出す。誰も居なくなった更衣室の電気を落とし、扉を閉める。でもそう遠くない未来、またここへ戻ってくると確信していた。
ここが私の、私たちの居場所なのだから。
最近の原作は、ミヤコ推しの筆者にとっては本当にご褒美です。