アクアが身じろぎして懐に手を入れ、スマホを取り出す。すると画面を眺める目が少しだけ見開かれた。何かあったらしい。
「どうしたの?」
「ルビーからだ。不知火フリルと友達になったらしい。ご丁寧に自撮り写真も添付されてる」
「へえ……中々やるわね。ちょっと見せなさいよ」
画面を覗き込むと、映っているのは3人の少女の写真。中央にルビー、左側には新入生と思しき桃色の髪をした少女、そして右側には――間違いない。この世代のトップをひた走るマルチタレント、不知火フリルだ。彼女とお近づきになりたい人物は多いだろうが、入学式直後に友人関係になるとは、ルビーもどうして手が早い。
文面を読んでみると、アクアのことを二人に紹介したいけど今どこに居るの、というものだった。不知火フリルと知り合いになりたい、という気持ちは私にもある。スマホを返しながら、私は一つ提案した。
「ここに呼べば?」
「呼ぶわけないだろ。お前とお茶してるとか、ルビーに変に勘ぐられるのは御免だ」
「へー……、ふーん……、へー……」
「ちょっと返信ついでに、外の空気を吸ってくる。天河、通してくれ」
先ほどは全く動く様子を見せなかったのに、今度は素直に頷いて席を外すと、彼女は私の対面に座り直した。
「勝手に帰らないでよ、アクア」
「ちゃんと戻ってくる。……何なら、これを預かっておいてくれ」
するとアクアは、ポケットからハンカチを取り出して私に手渡してくる。彼の母親の形見である「
彼が居なくなると、目の前の少女の雰囲気が切り替わる。これは……姫川愛梨の方だ。
「貴女たちは付き合ってるの?」
「まだ、そこまでは行ってないわよ。……いずれ、そうなりたいとは思ってるけど」
「いずれ、なんて言ってるようじゃ駄目よ。貴女は今日から2年生。あと2年もすれば高校を卒業して、彼との接点も無くなってしまう。遠距離恋愛なんて絶対に上手くいかないわよ」
「……わかってる」
「それに彼は顔も良いし、性格も悪くなさそう。さぞかしモテるんじゃないかしら」
「そんなの、私だって良くわかってる」
「もたもたしてたら、わたしが掻っ攫っちゃうわよ」
「だから、私が一番わかってるって……ぇと、ええ……? やっぱりあんたも、アクア狙いなの!?」
「別に恋愛関係になりたいわけじゃないわ。囲い込みたいだけ」
「どう違うのよ」
「金と権力を持った男は、若く美しい女を欲する。古今東西、例外は無いわ。
――でもこれはね、男も女も同じこと。高いステータスを持った女であればあるほど、若いツバメを欲しがるものなの。そういう女優、多いわよ。わたしも含めてね」
「聞きたくなかった……」
芸能界の生々しい裏事情。私だって、そんな話を全く知らないわけじゃない。知り合いの女優が、一回り以上年上のプロデューサーと夜の街へ消えていくのを見たことがあったし、有閑マダムが若いイケメン芸能人と懇ろだなんて至極ありふれた話だ。少なくともこの世界では。
「20年くらい前だったかしら。当時わたしも、若くて活きのいい男の子を犬にして飼っていたの。その子を愛でたり、磨き上げたり、滅茶苦茶にするのが愉しみだった。この上なく良い経験だった。彼は、わたしを満たしてくれた。女優として、一回りも二回りも成長させてくれた。だから彼には感謝してるの。本当に……。
――貴女にも、そんな人が出来るといいわね。アクア君はそうなれるかしら?」
「私は、あんたとは違う。人を犬扱いするような女とは……!」
「そうかもね。でも、貴女も女である以上、逃げられない理がある。
それはね、女は愛すること、愛されることで美しくなるの。誰とも関わらない孤独な女は、あっという間に醜く老いて死んでしまう。恋する少女は美しい、愛多き女は美しいというのは、そういうこと。貴女はアクア君に恋をして、女として第一歩を踏み出した。子役を卒業して、女優としてのスタートラインに立ったということ」
「……」
「確かに、わたしは星野アクアを囲い込みたいと思っているわ。昔飼っていた犬の彼に、とてもよく似ているから……。
けれど、それと同じくらい、貴女の恋路を応援したいとも思っているの。わたしには娘が居ないから、貴女みたいな娘が欲しかったというのは本当なのよ」
「姫川、さん……」
「有馬かなさん。わたしでよければ、色々とアドバイスするわよ。何か、悩みごとがあるんでしょう?」
「私、は……」
初めてだった。こんな風に、自分を隠さず、偽らずに真っ直ぐ私に向き合ってくる人は。
無論、この女が姫川愛梨の記憶を持っているという事じたいが今だに信じがたいし、そもそも彼女が本当のことを語っているのか疑問はある。
それでも、心の奥底では欲しがっていたのだ。私のことを判ってくれる理解者を。
彼女は、楽しそうだった。幸せそうだった。何が自分にとって糧になり、それを手に入れる為に迷わず邁進するその姿が、とても羨ましいと……そう思ってしまった。
脳裏に浮かぶは嫌な記憶。少しずつ減っていくファン。下がり続ける売り上げと視聴率。私を見放した子役事務所とマネージャー。家を出ていったお父さんと、田舎に引っ込んだお母さん。
誰も居ない家で一人、膝を抱えて。握りしめた「Aquamarine」のハンカチをぼんやりと眺めていた。
そのハンカチの本来の持ち主にはようやく会えたけれど、彼の心の奥底には、あの人が居る。
聞いて欲しかった。でも、全てを打ち明けるほどに彼女を信頼し切れないし、素直になることも出来なかった。
「――どうやったら、」
だから、私は。あの時と同じ質問をした。
「そんなに凄い演技が出来るの?」
彼女は頬に手を当て、「そうね……」と少し考え込み、やがて口火を切った。
「天才子役の肩書きにすがるのは、もう止めなさい」
重曹ちゃんは子役事務所を辞めてから、ひょっとしたら所属している時からでも、まともに相談できる大人が居なかったんだろうなあ……と思って書きました。