「あの子たちは私の子どもです。貴方に渡すつもりはありません」
「ふふ、そうでしょうね。貴女は本当に、理想的な母親と言っても過言ではない。実にお見事です。心の底から敬意を表しましょう」
褒められているのに、全くもって嬉しくない。神木ヒカルが斉藤ミヤコを誉めちぎるのは決して、嘘ではないのだろう。本心からなのだろう。それでもミヤコの気分は良くなるどころか、むしろ暗雲が広がっていくばかりだ。
「ですが、だからこそ読みやすい。貴女のような人を口説き落とすのは、実に――容易い」
そして、その黒い雲はやがて、堰を切ったように大地へ雨粒を叩きつける。
「例えば――B小町の絶対的センター、アイに隠し子が居たと、あの双子が
斉藤ミヤコは、背筋を氷柱で刺し貫かれる気分を味わった。
子を想う母親を篭絡するために、最も単純かつ効果的な方法は、子を人質にすること。
鬼子母神。子を守ろうとする母親は、何でも、やる。例えそれが、理や意に反することであろうとも。
「脅迫する気!?」
「僕はあくまで、仮定の話をしただけですよ。ですが、貴女の態度次第で現実になるとも限りません」
「貴方は……何が望みなの?」
この台詞を引き出させられた時点で、会談はミヤコの負けとも言える。舞台はもはや、戦後交渉の段階へと移り変わりつつあった。
「なに、簡単なことですよ。
――今夜一晩、僕の女になりなさい」
「なっ!?」
ガタン、と音を立てて斉藤ミヤコは椅子から立ち上がった。
正しいものが勝つとは限らない。芸能界、ひいては政治、社会においては。
より強い権力を持つ者が黒だと言えば、白も黒に塗り替えられる。弱き者は黙殺され、排除され、淘汰される。
「さて、どうします?」
これは、罰なのだろうか。
斉藤ミヤコは回想する。十数年前、まだアクアとルビーがまともに歩くことも叶わない小さな赤子だった時。育児に疲れた斉藤ミヤコは、アイの母子手帳を撮影し、週刊誌に売ってホストに貢ぐ資金に充てようと思い立った。
結局それは未遂に終わったが、何かボタンを一つ掛け違えたなら、アイはアイドルの頂点に辿り着くことなく志半ばで引退していただろう。それどころか、ファンを裏切った売女として槍玉にあげられ、魔女裁判のごとく消えない悪名を着せられていたに違いない。
因果応報。斉藤ミヤコはその言葉の意味を、身をもって思い知った。
暴露する側から、暴露される側へ。何もおかしいことは無い。石を投げつける者は、石を投げつけられる覚悟が要る。自分にも、ついにその時が来たのだ。
「私は、私は……」
「ふふ……はははっ、冗談ですよ」
「……は?」
神木ヒカルの雰囲気があっという間に切り替わる。雲が途切れ、陽光が地上を照らしていく。
「ですから、先程のは冗談です。忘れてください」
「……っ! 最低な人ね……!!」
「褒め言葉と受け取っておきましょう。苦悶に歪む貴女の顔、実に見物でしたよ」
先程の意趣返しだろう。その勝ち誇った顔に、斉藤ミヤコは不機嫌さを隠しもせず、憮然と椅子に座り直した。
もはやマナーなど関係なく、テーブルのカップを乱暴に掴むと、冷めた紅茶を飲み干していく。この男のカップに自白剤でも入れておけばよかったかと思ったが、苺プロにそんな代物は用意していないし、第一この男はカップに手を付けようとはしなかった。毒でも警戒しているのだろうか。
そういえば、冗談とはいえ「俺の女になれ」だなんて言われたのは久しぶりだった。芸能面では芽が出ず、女子大生という肩書が無くなって港区女子をしていた頃は、愛人になれと何度かすり寄られたことがあったものだ。
つくづく自分は男運が無いな、と斉藤ミヤコは過去を振り返る。高校は女子高、大学の男たちは子どもに見えて物足りず、芸能界に関わってからもモーションを掛けてくるのは権力と肩書にものを言わせた連中ばかり。顔と身体と若い女というステータスしか見ていないのは嫌でも判る。
ようやく結婚した男は夢破れた途端、全てを見捨てて自分のもとから去っていった。とどめとばかりに、目の前に居るのはホストか詐欺師紛いのペテン師ときた。本当に――
アクアだけだった。自分が欲しい言葉をくれたのは。自分が欲しい温もりをくれたのは。本当に辛い時に、そっと手を握ってくれたのは。彼が自分を繋ぎ止めてくれたから、斉藤ミヤコは今、ここに居る。
惜しむらくは、彼が自分と親と子ほども年齢が離れていること。文字通り親子の間柄なのだから当然なのだが。
――もし、アクアが。俺の女になれと迫ってきたならば。私は彼を拒めるだろうか。
「はぁ……」
紅茶色の溜息を吐き出しながら、斉藤ミヤコは僅かに頬を染めた。それを神木ヒカルが見逃すはずもなく、更なる追撃を加えんと畳みかける。
「いい。実にいい。先程、僕が脅した時の苦悩と罪悪感に揺れる表情も良かったですが、男を一途に想う今の表情も画面に映えそうですね。その男は本当に果報者だ」
「アクアとはそんな――」
「おや、貴女の想い人とはアクア君のことでしたか。……これはますます面白い。
「――ッ!!」
しまった、と思うも時すでに遅し。この男の前で他事を考えてしまう自らの迂闊さを呪った。
やはり、ホストクラブにおいて常にもてなされる側のゲストだった斉藤ミヤコでは、ホスト側にはどうしても不利が否めなかった。彼女は基本的に善人であり、法律や知識を味方に出来ても、駆け引きや心理戦といった局面では玄人に到底勝ちえないのである。
「……神木さん、話を戻しましょう。
貴方の本当の目的は何ですか? どうも貴方を見ていると、あの子たちの認知や親権が目的とは思えないのですが」
「ええ、その通りです。先程は試すような発言を繰り返してすみません。ですが、貴女という人間がそれなりに見えてきて、信用が置けると判断出来ましたので、全部とは言えませんが、ある程度はお話しします」
「……お伺いします」
「勘違いしないで欲しいんですが、僕は別に、苺プロを追い詰めようとか脅迫しようなどとは思っていません。必要ならそうしますがね。お互いにメリットのある持ちつ持たれつの関係を築きたいんですよ」
「お恥ずかしい限りですが、先程の話にもあった通り、苺プロは規模が大きくありません。そちらのご要望に叶うような資金やコネは無いと思いますよ」
「いえ、僕が望むのは情報と権利、そしてアクア君です」
「アクアを……引き抜きたいと?」
「それが理想ですが、彼が望まないのであれば出向、という形でも構いません。僕がプロデュースする作品に出てもらうことが絶対条件ですが」
「アクアに、何をさせるつもりなんです? それに、情報と権利? 一体……」
神木ヒカルは我が意を得たりとばかりに笑みを深め、夢を語るが如く自慢げに話し出した。
「僕が欲しい情報は、苺プロの持つアイに関わるものの情報全て。
僕が欲しい権利は、苺プロとアイ、B小町の名前や楽曲の使用許諾など。
アクア君にやって欲しいことは、僕のプロデュースする作品の主演男優ですよ」
「貴方は一体、何をしようとしているの……?」
もはや敬語も忘れ、呆然と問い返す斉藤ミヤコに、神木ヒカルは朗々と宣言する。
「アイの映画を撮ります。
とある孤独な少女が少年と出会い、如何に仲を深めていったのか。何故別れたのか。
彼女はアイドルになり、スターダムを登り、ドームライブの当日、ファンに殺害された。
なぜそれが起きたのか、そして裏で何が起きていたのか。
12年前に起きた、アイドル殺傷事件をベースにしたドキュメンタリー映画。
これを、今の役者を使って再現します」
「それ、は……」
ドクン、と心臓が高鳴る。背筋を汗が伝わり、呼吸のリズムが加速していく。
星野アクアが人生を費やして知りたがっていた真実が、この目で見えそうな場所にある。
図らずも、最も犯人と疑わしき人物の手に導かれて。
「タイトルは――
――
本作ではアクアと五反田監督による「15年の嘘」は作られず。
カミキヒカル主導によるアイの映画「星の愛」が制作されます。