星の子どもたち   作:パーペチュアル

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Aquamarine 1

 

 

 

「――ミヤコっ!」

 

 俺は玄関の扉を乱暴に開け、両靴を脱ぎ飛ばす。子どもの頃ですらやったことのない粗相だが、今は形振り構っていられない。飛んで行った靴が何かに当たって割れる音が響いても、まるで一瞥することなく事務所へと乗り込んだ。

 

 霊廟に埋葬されたジュリエット。彼女のもとに駆け付けたロミオは恐らく、こんな気持ちだったのだろう。

 ソファに身を預け、首を少し傾けた状態で動かない斉藤ミヤコ。その姿は、12年前のあの日を否が応でも思い起こさせる。あの時と明確に違うのは、点けっぱなしのテレビと、彼女の手から滑り落ちているスマートフォンくらいだろうか。

 ミヤコの傍に寄りながら、もはや遠い過去となった医師の知識を掘り起こしていく。

 唇の前に耳と頬を近付ける。――温かな呼気の感触。

 胸部・腹部の呼吸の動き。――問題なし。

 手首を取り、動脈の上に三本の指を当て、15秒間測定。――脈拍は毎分60回、正常範囲。

 首筋の頸動脈も測定。――同じく、毎分60回の脈拍。

 

 所見は――生命活動に異常は見られず。ただ眠っているだけだ。

 だが、そうじゃない。そんなことじゃない。

 

「ミヤコっ! おいっ! 起きろ!」

「ん……」

 

 肩を掴んで強く揺する。褒められた起こし方ではないが、そこまで気にする余裕など今の俺にある筈もなく。

 

「アク、ア……?」

「ミヤコ、大丈夫か……!?」

「……ああ、帰ってたのね。すぐに晩御飯を作るから、着替えてきなさい」

「は?」

 

 頭の中が真っ白になった。今までの人生で一・二を争うほどに動揺していた所に、あまりにもいつも通りの言葉を返され、訳が分からなくなる。

 

「ああ、その前に……いつものを頂戴」

「いや、だから、」

「ん」 

「俺の話を聞いて――」

「ん」

 

 右の頬を突き出して譲らないミヤコ。俺が幼い頃から、母子の間で繰り返してきた頬へのキス、親愛の証。

 大きく溜息をついてから、いつもよりも長い間、彼女の頬に口付けた。無事でよかったという安堵を込めながら。

 今まで、この触れ合いに、この温もりに、どれだけ救われてきただろう。大切な人がここに居るという事実を、身をもって理解させてくれるこの行為に。

 最初は、照れくさかった。

 次に、心が温かくなった。

 それから、この行為が当たり前になった。

 終いには、このやりとりが、こんな日々がずっと続けばいいと、無意識に思うようになってしまった。

 

 けれど今は。何であれ、何もかもが、いつかは終わるのだと。いつかは無くなってしまうのだと、改めて思い知らされた。

 命なんて儚いものは、いとも容易く失われてしまう。子ども時代どころか、前世の時から良く知っていた筈なのに。

 

 人は、見たくないものから目を背ける。忘れる。無かったことにしてしまう。

 アイの死は、三日もすれば世間から話題に上らなくなった。あれほど芸能界やお茶の間を騒がせ、完璧で究極のアイドルだなんて持て囃されていた彼女が、だ。一部の熱狂的なファンに語られるのみになって、他は日常へと回帰し、時は無常に過ぎ去っていく。

 ルビーほどではないが、俺もそんな事実に憤懣やるかたない気持ちを抑えきれなかった。お前たちにとって「アイ」は、その程度の存在だったのかと。自分が実子だということを差し引いても、納得がいかなかったのだ。

 絶対に忘れない。ずっと覚えている。それは俺が復讐に拘っている理由の一つでもある。復讐に囚われているうちは、彼女の存在が消えたりはしないから。自分が覚えているうちは、彼女は最強で無敵のアイドルでいられるのだから。

 だから、俺は――。

 

「アクア、震えてるの?」

「……え?」

 

 言われて、初めて気が付く。寒さに凍えるように、俺の身体は小刻みに震えていた。

 

「もう、仕方のない子ね……」

 

 ミヤコが手を伸ばし、俺を包み込んでくる。けれど、その感触は以前より小さくなった気がした。

 ……いや、俺の方が大きくなったのか。成長期のこの身体は一夜ごとに、ほんの少しずつ少しずつ、その体積を確実に増していく。

 だが、お互いの関係は変わっていない。俺はまだ、彼女に守られてばかりだ。生活面でも、仕事面でも、精神面でも。

 身体だけ大きくなっても、背丈が彼女とほぼ並ぶまでになっても、俺はまだ最後の一歩を踏み出せずにいる。

 

「……貴方、汗びっしょりじゃない。ここまで走ってきたの?」

「ミヤコがあんなメールを送ってくるからだ。……何が、あったんだよ」

 

 彼女は何も言わず、懐から何かを取り出す。それはジップロック。以前、鏑木プロデューサーの吸った煙草を入れた袋と同じものだ。

 ――問題は、その中身。入っていたのは、俺やルビーと同じ金紗の色の、髪の毛が数本。

 

「これ、は……」

「あの男のものよ。……それと、彼が12年前の事件に関与しているかどうか問いただしたわ。事件当時の状況を説明してから、『貴方が黒幕ではないかと疑っている、違うなら証拠を見せて欲しい、場合によっては貴方を告発しなければならない』と」

 

 ドクン、と。心臓が早鐘を打ち始める。この12年間、俺が最も欲していた真実。

 復讐には反対の立場を取っている彼女だが、アイの結末に納得していないのは俺と同じであり、事実をつまびらかにしたいのも一緒だ。その点においては公私ともに最も頼れる人物であり、この場面でも俺の聞きたかったことを代わりに言ってくれていた。ミヤコには感謝しかない。

 

「それで、どうなった……!?」

「はっきりとした回答は貰えなかったけど、代わりに、貴方とルビーの都合を聞いて欲しいと言われたわ」

「どういうことだ!?」

「家族会議がしたいんですって。そこで一緒に説明する、と」

「なんだよ、それ……!」

 

 ふざけた奴だ。俺にとって家族とは、アイとルビー、そしてミヤコの三人だけだ。ルビーに聞いても同様の答えを返すだろうと断言出来る。

 それを今更、影も形も見えなかった自称父親が突然現れて『家族』など、虫唾の走る話だ。

 

「そいつはどんな奴だった?」

「玄関の監視カメラの映像なら、後で見せてあげるわよ」

「ミヤコの印象で構わない。聞かせてくれ」

「例えるなら、詐欺師かホストって感じね。ただ、そういった職業は相手を気持ちよく乗せて、財布の紐を緩ませるのが仕事だけど、あの男のやってることは逆よ」

「逆?」

「わざと相手を不快にしてペースを乱したり、怒らせて本音を引き出すって所かしら。私の母親としての人物像に当たりをつけてたみたいだしね。まともな母親なら、怒らずにはいられないことばかりを喋ってたし、脅しめいたことも言うし……」

「聞いてるだけで苛々してきたぞ……」

「でしょう? そういう意味では、ヤのつく自由業の人が地上げや借金の取り立てに来た、って感じね。自分にとってメリットのある相手には礼儀正しいけど、払えるものが無くなったら冷徹になるタイプとみたわ」

「……はぁ。ミヤコが無事で本当に良かったよ」

「全くね。冗談とはいえ、あの男に『今夜一晩、僕の女になりなさい』って言われた時は心臓が止まるかと思ったわよ」

 

 

 

「――あ”?」

 

 

 

 それは、俺にとって初めての感情だった。

 

 俺は、必要以上のものを欲しがらない。復讐がまず第一で、そこに関係の無いものは歯牙にもかけなかった。

 逆に、必要なもの、欲しいものは必ず手に入れる。それが必要でなくなるか、壊れるまでは自分の手元にあったのだ。

 

『失う』ということはあっても、『奪われる』という意識は無かった。アイが死んだ時も、その時の自分にとってアイと共に暮らす生活が当たり前だったから、危機感などまるで持ち合わせていなかったのだ。

 

 だが、今は違う。

 斉藤ミヤコに対しては、違う。

 何であれ、何もかもが、いつかは終わるのだと。いつかは無くなってしまうのだと、知っているから。

 どうしても失いたくないと思う女性が居て、アイを殺したかもしれない男が居て、そいつが彼女に対し自分の女になれと迫っている。奪われるかもしれない状況があり、どうしようもなく強烈な危機感に苛まれている。

 

 ――渡さない。

 ――奪わせはしない。

 ――絶対に、決して、もう二度と。

 

 偶然か、必然か、はたまた運命だったのか。

 その感情は、この時確かに、復讐心を大きく遥かに凌駕した。

 

 今だに俺とミヤコは身近な距離に居て、少し身を傾ければ互いに触れ合う距離に居て。最初に抱き寄せられた関係上、俺の頭はミヤコのそれよりも少し低い位置にあった。

 

 視線の先には、彼女の綺麗な首筋が見える。

 意識してか、無意識かは判らないけれど、俺の唇は自然とそこへ吸い寄せられていき――。

 

 

 

「……アクア?」

 

 

 

 その日。俺は初めて、ミヤコの頬以外の場所へ口付けた。

 

 

 




首筋や喉へのキスは、執着や相手への強い欲求という心理が働いているそうです。


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