一般に、男性の性欲のピークは10代半ばから後半にかけてであり、女性の場合は30代半ばから40代だと言われている。星野アクアと斉藤ミヤコの二人は、ものの見事にこの条件に合致していた。
星野アクアは今、過去でも類を見ない程に昂っていた。この世で最も大切な
斉藤ミヤコは、別の意味でその気になっていた。いけ好かない男との神経を削られる問答の応酬に疲弊し、肉体的には疲れていなくとも精神的にかなり参っていて、心の底から癒しを求めていた。
また、彼女は今までの人生で男運に恵まれなかった。自らの若さと美貌と類いまれな肢体を食い物にせんと、すり寄ってくる有象無象のオスの群れ。結婚した男は、夢破れた途端にミヤコを始め全てを見捨てて逃げ出した、彼女が忌み嫌う無責任な人間。
極論するなら、斉藤ミヤコにとって星野アクアだけが信用に値する男なのだ。彼が赤子の頃から見守り、自身が育て上げた理想に近しい男の子。ずっと側に居てくれた、ずっと支えてくれた、共に苦難の道を歩んでくれた、ただ一人の人間。
その彼がようやくと言うべきか、その気になっている。少年から大人の男へと移り変わる過渡期、果実が熟す手前の二度とないこの瞬間、ある意味で最も
飢えた獣たちの前に、極上の肉を差し出したならばどうなるかなど、わざわざ問うまでもない。ただただ喰らいあい、啜りあい、貪りあうのみ。二人の体力が尽きて、深い眠りに落ちるまで。その結果が如何なるものになるか、これっぽっちも考えもせずに。
……そうなる、筈だった。もう少し時間があったなら、二人は間違いなく行きつく所まで行っていただろう。
「何してるんですか?」
背後から聞こえた声。静かな怒りと、糾弾の意が込められた口調。
恐る恐る振り返った少年の視線の先には、無表情で仁王立ちしている有馬かなの姿があった。
彼らの横ではテレビが点けっぱなしになっていて、その中では結ばれた男女が抱擁と口付けを交わし、感動的なBGMが新たな恋人たちの門出を祝福していた。
何よりも、少年とその義母はお互いに夢中であり、周囲への注意が極めて散漫になっていた為、声を掛けられるまで深紅の少女の存在に気が付かなかったのだ。
「……何でお前がここに居る?」
またお前か、と星野アクアは思わずにいられない。今日の昼間、つい数時間前に陽東高校にて、天河メノウの迫力に吞まれそうになっていた時に割って入ってくれたのは有り難かった。だが、今のタイミングで横槍を入れられるのは甚だ不都合で気まずいことこの上ない。
一方、斉藤ミヤコはと言えば、余裕の表情こそ崩してはいないものの、内心では闖入者に対する不満が煮えたぎっていた。肉にかぶりつく寸前でお預けを食らう事ほど、忌々しいものはない。普段は寛容と礼節を備えているミヤコだったが、この時ばかりは取り繕うこともしなかった。
「アンタがただならぬ様子で出ていくものだから、心配して様子を見に来たのよ。
――それで、何してるんですか? ミヤコさん」
もう一度同じ問い。答えに窮するアクアとは裏腹に、斉藤ミヤコは少年を抱き締めている腕に力を込め、彼の頭を豊満な胸元へと手繰り寄せる。金紗の髪の隙間から見える、薄紅の唇が挑発するように緩くカーブを描いた。
「親子の触れ合いよ」
白々しい、と有馬かなだけではなく、抱きすくめられた星野アクアもそう思った。
これは、あの夜の続きだ。有馬かなが以前、苺プロに泊めてもらい、かすかな話し声に誘われて近づいて行った夜に。扉の向こうで抱き合っていた、星野アクアと斉藤ミヤコ。彼の肩越しに、彼女と視線が合った気がしたあの夜に。
あの時は扉の隙間を覗いて見ていることしか出来なかったけれど、今は違う。もう、指をくわえて男女の睦み合いを羨むだけではないのだ。
「どの口が言うんですか!? 誰がどう見ても濡れ場じゃない! 題して、男子高校生と女社長のいけない放課後ってとこ? 私を馬鹿にしてるの!?」
「これでも大真面目に答えているわよ。私とアクアは親子であると同時に、男と女でもあるわ」
「こんなことが許されると思っているんですか……!?」
「誰が許さないの? 有馬かなさん」
「それは……都条例違反だから……!」
「じゃあ、都知事に密告でもする? 貴女は他人の力を借りなければ恋愛も出来ないのかしら?」
「くっ……!」
有馬かなも年の割に弁が立つ方ではあるが、女手一つで双子を育て芸能事務所を切り盛りする女傑相手では分が悪かった。
一方、義母の胸元に顔が埋まって呼吸困難になっていたアクアは、彼女の身体を何度もタップしていて、少し冷静さを取り戻したミヤコはようやく少年を解放した。その様子を見ていた有馬かなはぎり、と歯を食いしばり、何と言い返そうか必死に頭を回転させていた所へ、彼女の肩に手が乗せられる。背後に控えていた星野ルビーだ。
「先輩、その辺にしときなよ」
「ちょっとルビー! 止めないで!」
「止めるに決まってるでしょ。これはウチの家族の問題だよ。いや、そもそも問題ですらないかな」
「ルビーはいいの!? さっき妹のアンタを口説いてた男が、今度は母親とイチャついてるのよ!?」
「他の女だったら怒るけど、ミヤコさんなら話は別だよ」
「なんでよ!!」
「だって私にとっては、お兄ちゃんとミヤコさんは既に夫婦みたいなものだし、今更じゃない?
――あ、お兄ちゃん、ミヤコさん、気がきかなくてごめんね。まさか逢引きの連絡だとは思わなくて……」
「あ~もう! 何なのこの家族は……! マジでタレコミしてやろうかしら……?」
「それは止めておいた方がいいと思うなあ。先輩の口を封じなくちゃいけなくなるよ――物理的に」
「怖いわよ、ルビー……」
すっかり意気消沈した有馬かな。この真っ直ぐで、けれど融通がきかない少女をどうやって説き伏せようか考える星野家一同だったが、一番最初に妙案が浮かんだのはルビーだった。
「ていっ」
「んなっ!?」
ルビーが自分の膝先で、有馬かなの膝裏を押し込み、バランスを崩させる――俗に言う膝カックンだ。よろけた彼女の背中を一押しし、倒れ込んだ先には斉藤ミヤコの姿。
気付けば、やっと身を起こしたアクアの代わりに、有馬かながミヤコの腕の中に収まっていた。ルビーはぱちり、とウインクで目配せし、ミヤコは苦笑してそれに応える。
「痛った……」
反射的に目を閉じていた有馬かなが最初に感じたのは、柔らかさと温かさ。次いで、香水と思しきいい匂いだった。
懐かしい感触。久しく味わっていなかったもの。これは、確か……。
――母親の感触。
有馬かなが最後に母親に抱き締められたのは、小学生の頃。まだ売れっ子の子役だった時まで遡る。人気に陰りが出始めてからは、肩を掴まれ、腕に縋りつかれ、子ども心に怖い顔をしながら言い聞かせてくるようになった。触れ合うことが苦痛になっていき、その機会すらもどんどん減っていった。母親との絆が、愛情が感じられなくなった。
有馬かなもまた、母性に、家族に飢えていたのだ。
「……こんなので、誤魔化されませんよ」
「そう? アクアとルビーはこれで一発なんだけどね」
頭をそっと撫でていく感触。最初は逃げようと藻掻いていた有馬かなも、次第に抵抗が弱くなり、ただされるがままになっていた。
星野アクアと星野ルビー。そして、斉藤ミヤコ。極めて良好な家族仲ではあるが、この12年間が常にそうだったわけではない。兄妹で言い争いすることもあれば、思春期に入ったルビーが反抗期気味な態度を見せることもあった。
そんな時、斉藤ミヤコが兄妹を胸元に引き寄せて抱き締め、頭を優しく撫でてやれば、大抵の揉め事は尽く収まった。紛れもなく彼女は一家の中心であり、大黒柱であり、心の拠り所だったのだ。
――ああ、羨ましいな……。
斉藤ミヤコが羨ましかった。自分が恋焦がれているアクアから、あんなにも強く想ってもらえるだなんて。
星野アクアが羨ましかった。こんなにも美しい女で、優しい母親で、男の情欲の的で、女の羨望の的になる人が家族だなんて。
自分が持っていない沢山のものを持っていて、それを大切な人に惜しみなく注ぐことの出来る彼らが、羨ましかった。
有馬かなは誰にも見られないようにそっと涙を零し、その雫は斉藤ミヤコの胸元を少しだけ濡らした。
横槍に定評のある重曹ちゃん。
ミヤコは、自分がアクアとずっとは添い遂げられないと判っているので、その時に彼を支えてくれる人間が他に居ないか気にかけています。
重曹ちゃん相手だったら浮気も認めるでしょう。そこにゴローバレが重なればハーレムもあり得ます。