「アクア、貴方は彼女作らないの?」
「何だよミヤコ、藪から棒に」
「もうすぐ中学も卒業でしょ? でも貴方の浮いた話なんて全然聞かないし……」
「ミヤコだってよく知ってるだろ。恋愛ごとにうつつを抜かしてる暇なんて、俺には無いよ」
判っていたことだが、取り付く島もないアクアの返答に溜息をつく。
アイの仇を討つ。無念を晴らす。その手段として、芸能界でのし上がる為の努力を重ね続けているが、それ以外にはとんと無頓着なのは、十年以上変わらない。
人間の感情の中で、精神のリソースを最も消費するのは間違いなく「憎しみ」――復讐から来るものだろう。次点はやはり「恋」だろうか。
この両者、「対象へ異常に執着し、それ以外に対し意識が散漫になる」という共通点がある。本質的には逆ベクトルの同じ感情と言えなくもない。
では両者を分ける要因は何か。それは、恋は時間が経てば経つほど冷めることが圧倒的に多いのに対し、憎しみはそうそう消えることはない、という点であろう。人間、一度受けた恨みは
「この手で奴の息の根を止めるまで、俺は立ち止まるわけにはいかないんだ」
――そう。この少年が、怨讐の刃を父親の心の臓に突き立てるまで。
「はぁ……」
この十年余り、アクアの復讐心を何とかしようと手を尽くしてみたけど、これだけは改善することはなかった。もともと聡い頭脳に、たくさんの知識や技術が上乗せされ、将来はひとかどの人物になってくれるだろうと太鼓判を押せるのだが……それらが全て復讐の道具でしかないなんて、余りにも不憫ではないか。
せめて、恋人の一人でも見つけてくれれば、多少なりとも復讐を忘れさせてくれるのではないかと期待していたが、この様子ではどうやら望み薄のようだ。こればかりは母親にどうこうできる問題ではない。
「はぁ……」
「あんまり溜息ばかり吐いてると、幸せが逃げてくぞ」
「貴方がそうさせてるんだけどね」
「それは失礼。というか、このやりとり何回目だよ」
「10回から先は数えてないわねぇ……」
顔を見合わせ、お互いに苦笑する。
「明日は陽東の面接でしょ? そろそろ休みなさい」
「そうだな。……ミヤコ」
僅かに上がっていた口端が下がり、アクアの視線が落ちる。少しばかり考え込む仕草を見せ、意を決してこちらに振り返る。
――これは、アクアが真剣な話をする前兆。知らず、私も掌に力が入り、自然と背筋を伸ばしてしまう。
「ミヤコも、もう……好きにしていいんだぞ」
「どういう意味かしら?」
「もうすぐ俺も中学を卒業する。義務教育が終わって、自分の将来は自分で考えなきゃいけない時期だ。まだまだガキには違いないけど、まるっきりの子どもってわけでもない。ミヤコが居なくたって、自分の足で立って歩いていける年だ。
――最近、考えることがある。ミヤコを、俺みたいな復讐ばかり考えてる男に縛り付けておいていいのか、って」
「アクア……」
「あの時の言葉通り、ミヤコは俺を支えてくれた。愚痴も聞いてくれた。家族だって言ってくれて、嬉しかった。ミヤコが居なかったら、俺は自分で定めた復讐に押し潰されて、今ここに居なかったかもしれない。だから……ミヤコには感謝してる。本当にだ。だからこそ――」
アクアは表情をあまり顔に出さない。だが、ずっと側に居た私には判る。この短い間、アクアの表情が目まぐるしく入れ替わっており、私に向けて想いのたけを必死に吐き出そうとしていることを。
「ミヤコには幸せになってほしい。ミヤコほど器量のある美人なら、あのとき俺とルビーを児童相談所に任せて新しい男を捕まえることも難しくなかったはずだ。でも、そうしなかった」
「……」
「ミヤコももういい年だ。けど、まだ間に合う。今からでも遅くない、ミヤコには自分の幸せを探してほし――」
「はい、そこまで」
アクアの台詞が途中で遮られる。私の人差し指が、彼の唇に添えられているから。
「もうダメダメ。これじゃ赤点ね。全然なってないわ」
「ミヤコ……?」
呆然とするアクアに向けて、私は厳しく採点と講評を始める。
「一つ。『もういい年』とか余計なお世話よ。女に年齢の話題は禁句だって、いつも口を酸っぱくして言ってるでしょ?」
「……そうだったな」
「一つ。『お前の好きにしていい』って理解ある風に言うけど、これもNG。決断力が無い、自分の意志が無いと思われるわ。
それに私は、責任を放り出して逃げる男が大嫌いなの。こういう台詞を吐く男はね、相手に逃げる道を示しておいて、その実自分が逃げ出している卑怯者。貴方は壱護みたいにはならないでよ、アクア」
「あ、ああ……」
「俺についてこい、俺が幸せにしてみせるから、くらいのことが言えなきゃダメね。精進なさい」
「……努力する」
「一つ。自分の幸せを探せ、って貴方は言うけど。それなら教えてあげるから、よく聞いておきなさい。
私の幸せは、私自身が決めることよ。私の幸せは――ここにあるわ」
唇に添えていた指先をずらし、アクアの額にとん、と当ててみせる。
最初アクアは吞み込めていない様子だったが、次第に状況を咀嚼するにつれ、表情が柔らかくなっていく。
「……ありがとう、ミヤコ」
「どういたしまして。
最後に。貴方は良くても、私が居なくなったらルビーが困るでしょう?」
「それもそうだ」
二人して朗らかに笑いあう。今この時だけは、復讐から解き放たれていることを願いながら。
「さ、今度こそ本当に休みなさい。ルビーを起こすのは貴方の役目なんだから。
――おやすみ、アクア」
私は彼に向けて、右の頬を差し出し、
「――おやすみ、ミヤコ」
彼は優しく、私の頬に親愛のキスを落とす。
お互いの顔がすれ違う時の、アクアの瞳の星が、私の脳裏に残光を描いた。