上司が上司なら、部下も部下か。斉藤ミヤコが天河メノウを見る目が、神木ヒカルに対するものと等しくなる。
彼女への視線の種類は、この短時間で何度も変わった。
最初は、アクアとルビーの友人候補。
次に、ミヤコの本心を言い当て、この若さで揺るがぬ恋愛観を持つ女への驚愕と畏敬。
それから、得体の知れない異物を目の当たりにした恐怖と不安。
ついには――数時間前に相対した、あの男と同じものへと変化した。この女は油断のならない人間だ、と。
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。それを見極めるべく、最も胡散くさい所から探りを入れる。
「前世の記憶、ね……にわかには信じがたいのだけど」
「まあ、そういう反応が普通よね。信じる信じないはご自由に」
「私は信じるよ」
「ルビー!?」
「ヒカル君とか、義理の親子とか、姫川愛梨とかは知らないけど。――でも、ママの苗字を知ってたのなら、まるっきりの嘘でもないんでしょ? 詳しく教えてくれるよね?」
なまじ美人であればあるほど、怒った時の迫力が格段に増すという通説がある。兄妹の最もデリケートな場所を突いてきた少女に対し、星野ルビーは遠慮をかなぐり捨てた。それはさながら、獲物を前にした肉食獣が喉を鳴らしているかのようで。
だがその答えは少女からではなく、ルビーの義母からもたらされた。
「姫川愛梨は昔、有名だった女優よ。朝ドラのヒロインもやってたことがあるわね。……ただ、10年以上前に亡くなっているけれど」
「あら、ご存じなの?」
「……私の古い友人が、姫川愛梨のファンだったの。それに、B小町のドーム公演の打ち合わせをしている時に、彼女の訃報をニュースでやってたのを思い出したわ」
「ふぅん……。それでメノウちゃん、貴女がその姫川愛梨だっていう証拠はあるの?」
「ルビー、彼女の言ってることは多分、本当のことだと思うわ」
「先輩?」
「私は子役の頃に姫川愛梨と共演したことがあるの。その時のことを色々と問い詰めたけど、本人でしか知り得ないことを言ってたわね。それに――」
有馬かながポーチから2枚のハンカチを取り出す。藍玉の「
「ほら、あんたも出しなさいよ」
「ああ、そういえばそうだったわね」
天河メノウ/姫川愛梨が懐から取り出したるは、漆黒の「
「このハンカチはヒカル君から貰ったものよ。そちらの「
母子が瞠目する。アイの形見のハンカチ、それに酷似したものを所持していただけでも驚きなのに、その出所が同一人物となれば、とても偶然とは思えない。もはや、少女の言動を世迷言と切り捨てる気にはなれなかった。
「貴女と神木ヒカルは……一体、何者なの?」
「話してもいいけど、ここだけの秘密にしておいてね」
秘密と自分で言いながらも、その実誰かに聞いてもらいたがっている様子がありありと窺える。だがその先を知りたかった女たちは、あえて妨げようとはせずに話の続きを待った。
「
女という生き物は、自分の男の美点を他の女に自慢したり、欠点を愚痴りたくなるものだが、誰よりも「女」を醸し出すこの少女は、その傾向が特に強かった。神木ヒカルという男を語るとき、彼女の舌は非常に滑らかになる。
子どもの自慢をする母親。
教え子を褒め称える教師。
男のステータスでマウントを取ろうとする女。
ペットの従順さ・賢さを見せびらかす飼い主。
それら全てが重なり、姫川愛梨が神木ヒカルに抱く感情はとてつもなく強固なものに昇華されていたのだ。
「でも、その時のわたしは見込みがあるだけの若い女優でしかなかった。芸能界で成り上がるのに必要なお金も権力も持ち合わせていなかったの。だから実家が太い清十郎ちゃん――あ、
……だからわたしは、ヒカル君との関係を切ったの」
夫のことを話すときは眉一つ動かさなかったのに、神木ヒカルを捨てたと語る彼女はついに、表情の装いを変えた。
「その後、でしょうね。彼が星野アイと付き合いだしたのは。わたしが芸能界で確固たる地位を築き上げた時には既に、彼の心はわたしから離れていたの。自分のキャリアの為とはいえ、彼を捨てたわたしが文句を言える立場じゃないのだから、寄りを戻そうとは考えなかったわ。……その時はね。
でも結局、清十郎ちゃんにヒカル君との関係が露見して、軽井沢で心中に巻き込まれた。首を絞められて、意識が消える最後の瞬間に思ったわ。もう一度、ヒカル君に会いたいなぁ……とね。
そうしたらびっくり、気が付いたら生まれ変わってるじゃない? しかも星野アイは殺されて、彼はまた一人ぼっちに逆戻りしていて、これはチャンスだと思った。いえ、もはや運命に違いないわ。
……ルビーちゃん、そんなに怖い顔で睨まないで。勘違いしないで欲しいんだけど、わたしは星野アイを恨んでいないし、ましてや彼女の死を願ったことなんて一度も無いわ。女として嫉妬はしていたけどね。わたしに捨てられたヒカル君を救ってくれたのは彼女なんだろうし、惜しい人物を亡くしたものだと、本当に思っているのよ」
「ふん、どーだか」
「まあ、そういう訳でわたしは彼の事務所に転がり込んでいるのよ。……でも、こんなに美味しそうな据え膳が目の前にあるのに、社長は一向に手を出して来ないのよね。ヒカル君の心は今だ、星野アイに囚われている」
「……ママに?」
「そうよ。帰らぬ
星野アイが死んでなお、今の今までずっと、神木ヒカルは彼女に強く拘っている。それではまるで――。
まるで、星野アクアのようではないか。彼に最も近しい女性三人は、一様に共通した思いを抱いた。
「この状況を打破するために、わたしは一計を案じたわ。アクア君をスカウトしようとしている社長に先んじて、アクア君を篭絡、社長への当て馬にしようと考えたんだけど……斉藤ミヤコさん、そんなに怖い目で睨まないで頂戴。さっきまでなら兎も角、今はもうそんな気ないから信用して、ね?」
「信用してほしいなら、何か根拠を示してほしいわね」
「根拠は貴女自身よ、斉藤ミヤコさん」
頭上に疑問符を浮かべるミヤコに対し、少女はうっとりとした恍惚を浮かべる。
両腕を広げ天を仰ぎ、光を集め、視線を集め、注目を集める彼女はまぎれもなく、この場において主役であり、中心だった。
「ソファの上で睦み合う貴女とアクア君は、とてもとても素敵だったわ。あれこそが、わたしとヒカル君の理想の姿。わたしたちが歩むことの出来なかった、本来あるべき懐かしい未来。
ずっとずっと考えていたの。あの時、ヒカル君を手放さずに、彼と一緒に駆け落ちしていたらどうなっていたんだろう、とね。昨日までは妄想に過ぎなかったその答えが今日、ついに現実となって現れたわ。だから貴女には感謝しているの。本当に……」
姫川愛梨と有馬かなが共演したドラマが佳境に差し掛かった時。女は不倫相手の子どもを身篭り、逆上した夫に不貞を責められ首を絞められたその時。もがく腕が近くにあった
自らの血に溺れ、呼吸困難と急性ショックで苦しんだのち絶命する夫。残されたのは返り血を浴びた、お腹が僅かに膨らんだ妻一人だけ。
男の遺体に縋りつかれ、手と頬と首筋を紅い血で染め、呆然と中空を見上げる女は凄絶なまでに美しく、見る者の総身を震わせずにはいられなかった。
果たして偶然か必然か、死んだ夫の手は女の腹の上に添えられており、それは新たな命の芽吹きを祝福する様にも見えて。例えるなら、可愛らしいぬいぐるみに血まみれの凶器を持たせたような、歪さとおぞましさから来る、芸術的なまでに異彩を放つ至上の美。
「貴女とアクア君は、わたしの推しになったんですよ。
どうか貴女たちは、ずっとその道を進んでいてください。わたしに夢を、希望を見せて下さい。今世は愛に生きると決めたわたしの目標になって欲しいんです。――斉藤ミヤコさん」
「言われるまでもないわ。でも、私とアクアの関係は貴女の為じゃない。あくまで私たちのものよ」
「それでいいんです。誰かに強要された訳じゃない、何かの都合に巻き込まれた訳でもない。
――生の感情、生命の躍動。それこそが愛なんですから」
少女の眼鏡の奥、両瞳の闇が更に強さを増していく。それはさながら、全てを飲み込むブラックホールの如く。
天の星々。その中でも、特に巨大な恒星は永きに渡る命を終える時、超新星爆発を起こし、やがてはブラックホールに変ずる。その重力場は極めて強く、光でさえも逃げられない。眩い光を放つ星の終着点が、光すら飲み込む暗黒だとは皮肉と言うべきか。
姫川愛梨は一流の役者へと昇りつめ、母親になり、作劇の中とはいえ不倫と殺人を経験し、現実においても最後は托卵を責められ心中の憂き目にあった。だが転生を経て、それら悲劇も糧とした彼女は、もはや恐れるものなど神木ヒカルを喪うことだけ。
もしもの話だが。星野アイがあのまま母親として成長し、不倫を、殺人を、悲喜こもごもを経験していったなら。もしかしたら、姫川愛梨のような女になっていたのだろうか。それは誰にも判らない。
ただ一つ言えるのは、両者ともに生死の狭間で本当の愛を見出した女だということである。
姫川愛梨と神木ヒカルは自分の中ではこんなイメージです。
次回ようやくアクアの回 → 家族会議の前日話 → 家族会議という流れですね。
物語の核心・復讐劇を大幅に前倒ししているにも関わらず、原作と並行するタイミングになってしまって色々と齟齬が生まれるかもしれませんが、どうかご容赦を。