星の子どもたち   作:パーペチュアル

45 / 121
Garnet 14

 

 

 

『かなちゃん、遊ぼ』

『ごめん、今日もお稽古があるから……』

『そっか、また今度ね』

『うん、またね……』

 

 かつて、そんなやり取りが何度か繰り返されて。やがて、有馬かなが遊びに誘われることはなくなった。

 彼女が孤立するまで、そう長い時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――夕刻。

 金紗の少年は、母親の眠る地に立っていた。

 星野家乃墓。もう何度もこの場所を訪れているが、こんなにもやるせない気持ちで墓に向き合うのは、初めてこの場所に来た時以来だろう。あの嵐のような一日を終え、ようやく12年に渡る復讐の道筋が見えてきたというのに、どうにも心は晴れないままだ。

 神木ヒカルがやはり黒幕ならば、それでいい。当初の予定通り、奴を地獄の底に叩き落とすまでだ。そうなればアクア自身も道連れになって地獄行きか、良くて少年院送りになるだろう。

 それでも構わないと思っているのだが、保護者の監督不行き届きでミヤコが巻き添えになる事態だけは避けねばならない。彼女は、彼女だけは堕ちてはいけない。アクアはアイの仇が取れるのならば自分がどうなってもいい覚悟はあるが、ミヤコを連れていく気は毛頭無かった。

 

 この12年間。いや、生まれてからずっと、彼女には世話になりっぱなしだった。赤子の頃は言わずもがな。アイが亡くなりミヤコに引き取られてからは尚更に。彼女に復讐のことを知られてからは、アクアにとってミヤコは最も大切なものになっていた。

 話を聞いてくれた。

 抱きしめてくれた。

 慰めてくれた。温もりをくれた。

 傍に、居てくれた。

 それが、星野アクアをどれだけ救ってくれたことか。ミヤコの前だけとはいえ、少年がまた笑えるようになったのは紛れもなく彼女のおかげだ。

 

「ははは……」

 

 つくづく、自分は親不孝者だとアクアは自嘲し、渇いた笑いを浮かべる。育ててくれた恩に報いることは、とてもじゃないが出来そうにない。

 本来の想定としては、芸能界で確固たる地位を築き、父親を探し当て接触するのは成人してからだと思っていた。だが何の因果なのか、まさか相手の方から接触を図ってきて、その上こちらを利用しようと企んでいるとは。

 予定が大幅に繰り上がり、因縁に早く決着が着くのは喜ばしいが、一概に良いことばかりでもない。子どもが粗相をして責任を負うのは、他ならぬ保護者の役目。アクアが独り立ちする前に賽は投げられてしまったが故の、落とし穴。

 それでも――。

 

「……大丈夫だよ、アイ。俺は、ちゃんとやり切ってみせるから」

「何をするつもりなの?」

 

 横合いから聞こえた声。振り向けば、夕焼けよりもなお鮮やかな深紅の少女、有馬かながそこに立っていた。つくづく横槍が得意な女だなという気持ちが半分、もう半分は余計なことを聞かれたと悔いる気持ち。

 

「ねえ、何をするって? アクア」

「お前には関係無いだろ」

「関係ならあるわ。同じ事務所だもの」

「どういうことだ?」

「私、苺プロに入ることにしたから。ミヤコさんも了承済みよ」

「……よく入る気になったな。苺プロはお世辞にも規模は大きくないぞ。有り体に言って、弱小プロダクションなんだが」

「そうね。でも、メリットもあるわ。組織に所属する時に大事なことは色々あるけど、その一つは人間関係だと思うのよ。私が昔入ってた子役事務所はギスギスしてて、私が売れてるときは妬み嫉みが煩わしかったし、落ち目になったら見下される憐れみの視線が屈辱だったわ。役者の仕事は好きだったけど、組織としては嫌いだったわね。

 その点、苺プロは違うわ。ルビーは気のいい奴だし、ミヤコさんは尊敬出来る人だし、それに……」

 

 これまで淀みなく続けていた台詞が途切れる。それは、言うべき言葉が見つからないというよりも、口にするかどうか迷っているような素振りであり。それでも少女は一息つくと、躊躇いを振り切って言葉にした。

 

「――それに、苺プロにはアクアが居るから。それが理由よ」

「男目当てで入る組織を決めるとか、褒められた話じゃないな。天河からも誘いがあったんだろう? あっちの方がよっぽど仕事にありつけそうなのに、勿体ないな」

「まあ、そうね。でもそれはアンタだって同じでしょ。何で誘いを蹴ったの?」

「ミヤコには義理があるからな。それに、あの女――天河メノウは信用出来ない」

「ほら、似たようなものよ。アクアも人のことは言えないじゃない」

「そうかもな。……有馬。その選択はきっと、後悔することになるぞ」

「違うわ。後悔しないために、選択したのよ」

「……そうか」

「そうよ」

 

 風が吹き抜ける。

 冬は過ぎ去り、日中は日差しが暖かいとはいえ、夕方にもなれば急に冷えてくる。アクアはポケットに手を入れると再び前に向き直り、つられて有馬かなも墓石へと視線を移す。

 

『アクアの、ご先祖様のお墓?』

『……母親の墓だよ』

 

 約二ヶ月前。12年ぶりに再会した星野アクアは素っ気ないにも程がある態度で、有馬かなは無理矢理少年にくっついてきてこの場所に訪れた。

 その時、彼の手元にあったもの。彼と、彼の母親を繋いでいる絆の形見。

 

「ほら、アクア。忘れ物よ」

「……! そういえば、お前に渡したままだったか」

 

Iolite(アイオライト)」のハンカチ。つい先日、喫茶店で有馬かなに預けたまま忘れていたもの。

 色々なことがありすぎて、忘れるのも仕方がないと言えばそうなのだが、重度のマザコンであるアクアらしからぬ失態である。或いはもしかしたら、それだけアクアの視野が狭くなっているのかもしれない。復讐が大詰めに入ろうとしている彼の眼には、憎き仇の姿しか映っていないのだろうか、と有馬かなは思う。

 

 彼のすぐ横に、自分がいるのに。

 彼のすぐ目の前に、母親が眠っているのに。

 

 それはあまりにも寂しく,虚しいことではないか――。

 俯いたままのアクアに、何とか目線を上げてほしくて、視野を広げてほしくて、何とかしようと必死に考えて。

 

「アイって、アンタ達の母親だったのね……」

「……あんまり、母親って感じじゃなかったけどな」

「じゃあ、アンタにとってアイは何なのよ」

「一言で言えば、推しのアイドルだった。俺にとってアイは最高のアイドルだったけど、母親としては駄目な部類だったな。15歳で俺とルビーを身篭ったシングルマザーで、社会常識も無くて家事も苦手。子どもにアクアマリンなんてキラキラネームを名付けるし、俺とルビーをよく間違えるし……ミヤコの方が、よっぽど母親らしかったよ」

「あの人と比べるのは酷じゃない? 私だって、ミヤコさんが母親だったら良かったのに、って思うことがあるわよ」

「それもそうか。確かに、ミヤコと比べるのは酷だよな」

「そうよ。……アンタは母親が二人も居て、どっちのことも好きなんでしょ? だったら、あの人たちを悲しませちゃ駄目よ。

 だからね、アクア――」

 

 有馬かなは一つ呼吸を入れ、言い放った。

 それは12年前に、星野アクアが斉藤ミヤコから貰った言葉。

 彼と彼女の関係性を決定的に変化させ、この物語を本来の世界線(原作)から致命的に乖離させた言葉。

 

 

 

「復讐を、やめなさい」

 

 

 

 少年は瞠目し、金縛りにあったかのように硬直する。

 復讐をやめろというその言葉は、彼を孤独と絶望から拾い上げた救済の言葉であり。同時に、星野アクアという人間の自己同一性(アイデンティティ)存在理由(レゾンデートル)を根幹から揺るがす否定の言葉でもある。

 人生の大半を復讐に捧げ費やしてきたアクアにとって、復讐を止めるというのは全く別の人生を歩むということ、全く新しい人間に生まれ変わることと言っても過言ではない。

 

 それは、星野アイとの決別、彼女の死を受け入れるということなのだから。

 

 それだけは、星野アクアにとって何よりも受け入れがたい選択であり、逆鱗も同然である。斉藤ミヤコでさえ、彼を止めることは叶わなかった。

 だとしても。有馬かなはその言葉を言うべきだと、言わなければならないと、少年を真っ直ぐに見据える。

 

「月並みだけどさ。アイはきっと、復讐なんて望んでいないわ」

「……ぃ」

「ミヤコさんだってそうよ。二人とも、アンタの幸せを願ってる」

「……うるさい」

「だからアンタは復讐なんてやめて、もっと先のことを考えて――」

「うるさいって言ってるんだ!」

「アクア……」

「お前に何がわかる!? 何も知らないお前が、知ったような口を聞くな!!」

 

 有馬かなは初めて目撃した。星野アクアが、本気で怒っている所を。いや、他の誰しも見たことは無かったろう。

 12年前。斉藤ミヤコは最初に止めた以上にアクアを否定することはせず、彼を優しく抱きしめ、諭し、慰め、励ますことを選んだ。その為に議論は白熱せず、お互いの感情は悪化せず、今日の今日まで良好な関係を築くに至ったのだ。

 だがその反面、根本的な解決は成されなかった。依然として、少年の復讐劇は終わっていない。

 

「お前にわかるか!? 目の前で母親が刺されて、俺は何も出来なくて、アイが冷たくなっていくのをただ見ているしかなかった! その悔しさが、惨めさが、自分の力の無さが!」

「アクア……」

「アイを殺したあいつはその日のうちに自殺して、もう裁くことも出来ない! だから俺は、俺とルビーの父親があいつを唆した可能性にかけた! その推測が正しければ、俺は復讐を始められる! 復讐を終わらせられるんだ!!」

「アクア……」

「だから有馬、俺の邪魔はするな。もし俺の前に立ち塞がるなら、いくらお前だって――」

「邪魔するに決まってるでしょ」

「なっ……!」

「私はアンタより年上で、芸能歴も長いのよ。先輩が後輩を教育的指導するのは当然のことだわ」

「お前、ふざけてるのか?」

「冗談でこんなことは言わないわ。ふざけてるのはアンタの方でしょ!? さっきから黙って聞いてれば、不幸自慢もいい加減にしなさいよ!

 確かに、私には母親を殺されたアンタの気持ちは判らない。でも……ルビーから聞いた話だけど、アンタの母親は最期に「愛してる」って言ってくれたんでしょう? アンタたちはちゃんと、母親から愛されていたのよ。それとも、アイのその言葉が嘘だったって思ってるの?」

「そんな、ことは……」

 

 思ってない。それだけは本当だと、今日の今日まで信じてきた。そして、これからも。

「愛してる。この言葉は絶対、嘘じゃない」という、アイが最期の最後に遺した言葉を、胸のずっと奥深くに刻み込んで。

 

「私は、アンタたちが羨ましいわ。私がお母さんから愛してるなんて言ってもらえたのは、ずっと昔の売れっ子だった時まで。落ち目になってからは愛してるの言葉どころか、笑顔さえ見せてくれなくなって、今では完全に見限られて放置されてるの。週末に家に帰ると、真っ暗で、誰も居なくて、独りぼっちが嫌で、寂しくて……」

 

 最初の勢いは次第に落ち着き、消えゆく線香花火のように儚く小さくなっていく。アクアよりも頭一つ以上小さい有馬かなの矮躯は、実年齢以上に幼く見えた。 

 

「だからこの2ヶ月の間、休みの度に苺プロに入り浸ってたのはそういう事よ。ルビーと他愛ない話をして、笑い合って。ミヤコさんがいらっしゃいって言ってくれて、ご飯を作ってくれて。それに、アンタが居て……。

 私も、この中に混ざりたいって思った。だから、苺プロに入ったのよ。もう、独りぼっちは嫌なの……」

「有馬……」

 

 懐からハンカチを取り出し、少年の眼前に突き付ける。藍玉の「Aquamarine(アクアマリン)」。「Iolite(アイオライト)」がアクアとアイを繋ぐ絆であるならば、「Aquamarine」はアクアと有馬かなを繋ぎ止めた想い出の品だ。

 

「……辛くて、寂しくて、何度も引退を考えたわ。でもその度にこのハンカチを見て、アンタともう一度会いたくて、役者を止めちゃったらもう二度と会えない気がして、必死に頑張ってきた。このハンカチがあったから、頑張ってこれた。アンタが居たから、諦めずにここまで来れたの。苺プロでの生活が、何でもない日常が、私にとっては幸せなのよ」

 

 普段は気丈に振舞っていた、有馬かなの隠された本音。いくら頭脳明晰でも、いくら芸能歴が長くとも、彼女はまだ齢16の少女なのだ。まだまだ親元で庇護を受け生活して然るべき、未成年の子どもに過ぎない。

 

「アクア……アンタは自ら進んで、この生活を手放すの? この幸せを……壊すの?」

「……っ!」

「だから、もう一度だけ言うわ。――復讐を、やめなさい」

「有馬、お前……」

 

 風が吹き抜けていく。

 少年は何と答えようか考え、迷い、言葉の代わりに――手にしたハンカチを掲げる。

 少女の両頬には、夕陽を受けて輝く涙の雫が伝っていた。

 

「……何で、お前の方が泣いてるんだよ」

「アンタが泣かないから……代わりに私が泣いてるの」

「お前は、本当に泣き虫なんだな」

「元、10秒で泣ける天才子役だもの……これくらい余裕よ」

 

 手を差し出し、菫色のハンカチで目尻を拭っていく。

 果たしてその涙は役者の演技なのか、少女の真なる感情の発露なのか。

 

「聞かせて。アクアの、答えを」

「俺は……それでも俺は、この復讐に決着を着けなければいけない。でないと俺は、前には進めない」

「ほんと、アンタって面倒な男ねぇ……」

 

 自らの気性を棚に上げ、有馬かなは溜息をつく。斉藤ミヤコが諭しても駄目、自分がここまで言っても駄目となれば、もはや止められるのは彼の実母くらいのものだろう。

 

「で、父親に会ったらどうするの? 家族会議、近いんでしょう」

「拘束して、尋問する。もし俺の推測通りなら――東京湾に沈めてやる」

「いきなり殺すって言わないだけマシなのかしらね……」

 

 もう一度溜息をつくと、少女は深呼吸し、

 

「これだけは覚えておいて。アンタにもしものことがあったら、少なくとも3人の女が不幸になるってことを。

 アンタはもう、独りじゃない。それは絶対に忘れないでね」

「……ああ、わかったよ。それにしても――」

「どうしたの?」

「何というか、さっきまでのお前……ミヤコのやり口に似てると思ってな」

「当然よ。身近に良いお手本が居るんだから真似してみたんだけど、効果は覿面(てきめん)だったわ。

 アクアは年上の母性や包容力に逆らえないってルビーとミヤコさんが言ってたのは、どうやら本当のことみたいね」

「全く、あの二人は……」

 

 今度は少年が額を押さえて溜息をつき、その様子に少女は愉快な気分になるのを堪えられなかった。 

 

「ねえ、アクア。私は母親の真似事は出来ても、アンタの母親にはなれない。その点じゃ、アイやミヤコさんには敵わないわ」

「当然だな。というか、お前にそんなものを求めていないぞ。同年代の女に母性を求めるとか、俺はそこまで堕ちていない」

「……じゃあ、アンタは私に何を求めてるの?」

「……何だろうな」

 

 両腕を組み、少し考え込んだアクア。それを尻目に、有馬かなは腕を掲げ、人差し指を少年に突き付けて。

 せっかく、身近に良いお手本(斉藤ミヤコ)悪いお手本(天河メノウ)が居るのだ。自分も、彼女たちに負けていられない。やるからには勝ちに行く。だから――。

 

 

 

「――だったら、私がアクアの最推しだったアイの代わりになってあげる。アンタの推しの子になってやるわ」

 

 

 

 相対するは最高のアイドル(星野アイ)最高の母親(斉藤ミヤコ)、相手にとって不足なし。

 夕焼けの中で挑発的に笑う有馬かな。その少女は少年にとって、どこまでもひたすらに眩しくて――。

 

 星野アクアの右目。

 闇に染まったその瞳が、ほんの数秒の間であったけれども、光と闇の間で明滅していた。

 

 

 




次回。
星野アクア VS カミキヒカル。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。