家族会議、前日。
――深夜。
――苺プロダクション。
自分の他に誰も居ない事務室。斉藤ミヤコはデスクの鍵が付いた引出しを開け、随分と久しぶりに
あの日。着実に仕事を増やしていたアイが、初めてドラマの収録に臨んだ日。後に、星野アクアと大きく関わることになる五反田泰志監督と初めて共に仕事をしたあの日。
『現場では、私の子どもという設定を忘れないでください』
『はいはいママ、ママ。なでなでしてー』
『私もして、ママー』
『ママ、お小遣いちょうだいー』
『くっ……』
斉藤ミヤコより一回りも若い、成人しているのかも微妙な少女が、既に双子の子持ちであり。社長夫人の自分が、その子どもたちのベビーシッターをやらされていて。おまけにその少女は、芸能界で成功の階段を昇りつつある。斉藤ミヤコが、かつて夢見ていたスポットライトを浴びながら。
一時期のような自暴自棄な精神状態は双子の機転によって脱してはいたものの、それでも釈然としない気持ちが完全に払拭される筈もない。B小町の他メンバーたちに比べれば可愛いものだが、彼女の中には依然としてアイへの嫉妬と不満がわだかまっていた。双子に便乗して自分を母親と揶揄するアイに、やりきれなさが募っていたあの時。
その日の夜。アイは双子の子どもたちに、彼らの名を冠したハンカチをプレゼントした。
藍玉の「
紅玉の「
双子はたいそう喜んで、そのハンカチを抱き締めたまま眠りに就き、その少し後に。
『ミヤコさんには、これをあげるね』
双子とは違う色合いのハンカチ。『私も貰っていいの?』と問うミヤコに対し、少女は大丈夫だと肯定した。
『一度、やってみたかったんだぁ。母の日のプレゼントってやつ』
アイは児童養護施設の出身。元よりシングルマザーの母親は迎えに来ることもなく、少女は天涯孤独も同然の身。
母の日はまだ先よと言うミヤコに、アイはそれでもいい、と返し。
『私も、ミヤコさんみたいなお母さんが欲しかったなぁ……』
星野アイはひっそりと呟き、寂しげに笑い。斉藤ミヤコは自らのことを母親の器じゃないと謙遜する。
そんな、何てことのない日々が、宝石のように貴重な時間だったと気付く由もなく。
「――お願い、アイ。あの子たちを、守って」
手にしたハンカチを握りしめ、祈るように瞳を閉じる。
明日。いよいよ、と言うべきか。とうとう、と言うべきか。家族会議が行われる。
星野アクアと星野ルビー。彼らが生まれてこのかた会ったことのない、血の繋がった父親との対面。
斉藤ミヤコ個人としては、この日が来てほしくはなかった。アイが亡くなって以降、芸能界への情熱も薄れてしまい、いっそ何もかもを投げ捨て静かに暮らすという選択肢も無くはなかった。それをしなかったのは、ひとえに双子が抱く芸能界への執着である。
双子の兄は、アイを殺害した黒幕が芸能界に居るのではないかという推測から、芸能界で上を目指すことを選び。
双子の妹は、アイに憧れ、アイドルに憧れ、ミヤコも憧れたスポットライトの光への憧れから、芸能界を夢見て。
そうして、苺プロは廃業ではなく、以前とは形を変えながらも存続の道を辿ることとなった。今の苺プロがあるのは、ひとえに双子の夢と復讐心が成せるもの――。
「……いえ、違うわ」
最終的に決断したのは、他ならぬ斉藤ミヤコ自身だ。自分は彼らの上司であり、保護者であり、そして何よりも。
「私は、あの子たちの母親なんだから」
未成年である双子の為したことは、全て自分に責任がある。彼らを守るのは、守らなければいけないのは、他ならぬ斉藤ミヤコ以外に居ないのだ。
それを、既に亡くなった人間に頼ろう、任せようなどと、無責任にも程がある。だから――。
「――お願い、アイ。あの子たちを、見守っていて」
私が貴女の代わりに、闘ってみせるから。
今は私が、あの子たちの母親なんだから。
そう決意した斉藤ミヤコの手には、翠玉のハンカチが握られており。
窓の外、空の向こうには、宇宙の闇の中で星々が静かに瞬いていた。
☆
――同刻。
――神木プロダクション。
「社長、入りますよ。……社長?」
入室した天河メノウの視線の先では、金紗の青年は机に突っ伏しており、周りを書類の束に囲まれていた。そっと近寄ってみると、静かに寝息を立てており、背中が緩やかな呼吸に合わせて上下している。
懐かしい光景だ、と少女は20年前を回想する。あの時は教科書と参考書に囲まれてであったが、全く同じ様子に思わず安堵せずにはいられない。
「明日は――いいえ。今日は忙しくなりそうですね、社長」
見上げると、ちょうど時計が午前零時を回った所であった。
――今日。良くも悪くも、運命が変わる。そんな予感がある。
苺プロダクションと、神木プロダクションの運命が。
星野アクアと星野ルビー、斉藤ミヤコの運命が。
神木ヒカルと、天河メノウの運命が。
もしかしたら、有馬かなの運命すらも。
「お休みなさい……ヒカル君」
背中に毛布をかけ、柔らかく頭を撫でる
紛れもなくそれは、子どもを愛する一人の母親の表情であった。
☆
家族会議、当日。
――夕刻。
――苺プロダクション。
「……お前も来たのか」
「はい。でも、今日のわたしはあくまで立会人みたいなものですので、どうかお気になさらず」
「本音は?」
「こんな面白そうな見世物、見逃すわけにはいかないじゃないですか」
「そう言うと思ったよ」
「よくお分かりで。――それで、どうですかこれ。似合ってます?」
「気持ち悪いくらいに似合ってる」
「ふふ、どうも」
件の少女、天河メノウは先日の陽東の制服ではなく、ダークグレーで統一されたテーラードジャケットにタイトスカートとストッキング、今は脱いでここには無いパンプス――由緒正しき
「ちょっと! アクア、私の方はどう? 似合ってない?」
「似合うも何も、お前はただの陽東の制服だろう。今更何を言ってるんだ」
「やっぱり、私服で来れば良かった……!」
勝手に対抗意識を持って気落ちする深紅の女子高生と、対照的に落ち着きを崩さない漆黒の女子中学生。背丈はほぼ同じにも関わらず、その衣装と態度のせいか、これではどちらが年長者か判ったものではない。
「何を張り合ってるんだよ有馬。というか、賑やかしに来たつもりなら帰れ」
「違うわよ! 私は……アクアを支えに来たのよ。ミヤコさんにもそうして欲しいって頼まれてるし、何より、私がそうしたいって思ったから……だから今日、ここに居るの。今更、仲間外れは無しよ」
「……はぁ、好きにしろ」
「ええ、好きにさせてもらうわ」
その様子を見て、天河メノウは僅かに目を細めて微笑んだ。恋愛ごとには奥手で初心なあの少女が、少しは前進したようだと安心する。小さな幼子の頃から知っている有馬かな、彼女の恋愛を応援してあげたいというのは、掛け値なしに本当の気持ちだったから。
「それで、天河。……奴は、まだ来ないのか?」
「もう間もなくいらっしゃるかと。――おや、噂をすれば。今、お連れしますね」
玄関口に向かう漆黒の少女。ややあって扉が開きこちらへ向かってくる音が二つ、星野アクアの耳に聞こえてくる。
(やっと。やっと、この時が……!)
知らず、心臓が高鳴る。呼吸が速くなる。12年に渡る因縁に決着が着く会合が秒読み段階になって、アクアの身体は急激に加速していく。
(大丈夫……。大丈夫だから……)
(ミヤコ……?)
(私はここに居るから、何処にも行かないから。だから、安心して……アクア)
手を握られる感触。以前と同じ台詞を小さく耳打ちされ、ようやく斉藤ミヤコが傍に居たことに気付く。
奇しくも、前にこの事務所で起きたアクアの過呼吸、その前兆を感じ取ったミヤコが咄嗟にアクアをケアし、呼吸困難が始まる前に事なきを得た。
(……助かった。ありがとう、ミヤコ)
(どういたしまして。……それよりも。くれぐれも早まらないでよ、アクア)
(判ってる)
余人には聞こえぬ声量で会話する二人を、後ろから見咎める星野ルビーと有馬かな。
前者はいつものことだと苦笑いを漏らしたが、後者からすれば面白くなかった。深紅の少女にとって、身を寄せ合い手を繋ぐ彼らの様子は、あたかもキス直前の恋人たちのようにしか見えなかったから。
だが、そんな寸劇も束の間。一組の男女が入り口から姿を現し、同時に星野アクアと斉藤ミヤコは何も無かったように身体を離した。
部屋に入り、立ち止まる来客二人。天河メノウと、金紗の青年。
(こいつが……!)
以前の会談で、エントランスの監視カメラに映っていた人物と同じ。少し着崩した黒いスーツ姿に、金髪のオールバック。ただ天河メノウとは違い、髪型はきっちりとセットするのではなく、後ろでラフに留めているだけだ。ちょっといじれば、すぐに解けて髪の先端が首元まで届くだろうか。
「――お久しぶりです、斉藤社長。神木プロダクション代表取締役社長、神木ヒカルです。貴女と会える日を、一日千秋の思いで待ちわびていましたよ」
「……どうも、神木さん。こちらこそ、本日はよろしくお願いします」
自分よりいくらか長身で、細身でありながらも頼りない雰囲気を微塵も感じさせず。芸能事務所の社長に相応しい威厳を備えながらも、必要以上に威圧する様子を見せず。確かにひとかどの人物ではあるようだと、アクアは冷静に評価した。
「それで、そちらの君がもしかして――」
「……星野アクアです。どうぞよろしくお願いします」
「そうか、君が……」
抑揚のない、ほとんど棒読みに近いアクアの台詞だったが、両者これっぽっちも気に留めず。むしろ、周りの女たちの方がその異様な空気に吐息と唾液を飲み込んだ。男たちがお互いを観察する、睨み合いに等しい無言の遣り取りが数秒の間、繰り広げられた。
「ああ、何て言えばいいかな……。色々考えていたんだけど、いざ目の前にすると言葉が出てこないな……」
「……」
会談はまだ始まってもいない。今だ自己紹介の段階で、アクアは辛うじて冷静さを保ててはいる。だが斉藤ミヤコにしてみれば、これは嵐の前の静けさのように感じられてならなかった。
すると、神木ヒカルは「いいことを思い出した」と手を打ち、一気に喜色満面な様子に遷移する。
「アクア君は新進気鋭の役者なんだよね?」
「新進気鋭は言い過ぎかと。自分は実績も何もない役者くずれですよ」
「僕は、君と同じ年頃の時、劇団ララライという所に所属して役者の腕を磨いていたんだよ。今は退団して芸能事務所を経営しているけれど、そういう意味では僕も役者くずれと言えるかな。
――その時から、いや、ずっと昔の子どもの頃から、是非ともやってみたかったことがあるんだ。こんな機会、多分二度と無いだろうし、折角だから試させてもらうね、アクア君」
神木ヒカルが後頭部に手を伸ばし、留めていた髪を解いて金紗の髪が重力に引かれていく。
星野アクアの頭髪を何ヶ月か伸ばせば、きっとこんな髪型になるだろうという具合に。
「……一体、何ですか」
「ふふ、それはね――」
金紗の青年が懐に手を伸ばす。銃刀法違反のこの国においては拳銃など、国家権力や極道などごく一部の人間しか持っていないシロモノ。だが少年にとって彼の所作は、指先一つで己を殺すことが出来る凶器を取り出すように見えて、本能的に身構えてしまうのを抑えられなかった。
取り出されたのは、一枚の紙片。
――やめろ。
そこに書いてある文面は、恐らく。つい先日、少年の手元に届いたものと、同じモノ。
――聞きたくない。
父親を探していた。アイを妊娠させた、双子と血の繋がった実の父親を。アイを殺した黒幕と思しき人物を。
探し出して、真実を問い質し、推測が事実ならば地獄に叩き落とそうと思っていた。いや、今もその気持ちは強く残っている。
一方で。
心のどこかで、もし父親が見つからなければ、ずっとこの生活を続けていけるのだと。
ルビーと、ミヤコと。騒がしくも穏やかで、ずっと平和な家族でいられるのだと。そう思っている自分が居た。
だが。
いざその時になって、賽は投げられ運命の歯車が廻り始めてから、星野アクアには躊躇と恐怖の心が生まれてしまった。
少年の葛藤など露知らず、神木ヒカルは左手に紙を掲げて、彼に向かって差し出した。
金紗の青年が目を見開く。そこに現れたるは、
星野アイと、同じように。
その紙に書かれている文面は、「生物学的な父として排除されません。」、「99%」。
もし、星野アクアと神木ヒカルが赤の他人であったなら、「生物学的な父として排除されます。」と表記されていた筈だ。
それは、つまり――。
――およそ、半世紀前。
映画史に燦然と輝く、世界で最も有名なスペースオペラに、世界で最も有名な
その男は若い頃、愛する女の死を恐れるがあまりに、悪に心を付け込まれ闇に堕ちてしまう。
その結果、彼は師に見放され、愛する女を喪い、自分と彼女の間に出来た双子の子どもたちがこの世に産み落とされていたことを知らぬまま、長い時間が過ぎていった。
やがて、成長した双子の
男にとっても、彼の潜在能力は目を見張るものであり、さらには自分の息子と知って、是が非でも手元に引き込まんと画策していた。
そして、物語の中盤。二人はついに対峙する。
戦闘の末、右手を斬り落とされ痛みに呻く双子の兄は、自らを配下に加えようとする男の誘いを頑として拒否した。
追い詰められ満身創痍の彼に、黒衣と仮面を纏った男はついに、残酷な真実を告げる。
差し出された、機械仕掛けの左手とともに。
「――I am your father」
「貴様ぁあああああッ!!」
星野アクア。
星野ルビー。
斉藤ミヤコ。
有馬かな。
天河メノウ。
そして、
――かくして、役者は全員演壇へと登り。
昼と夜の境界線上、逢魔が時の復讐劇は幕を上げる。
年内に家族会議を終わらせ、本SSに一区切りつける予定です。
もう暫しの間、どうかお付き合いください。
何気に、本SSでアイが喋ったのは初めてのような気がします。