Luluwa/ルルワ
「美」、「真珠」、「月の宝石」の意。
アダムとイヴの長男であるカインの双子の妹。
イヴは神によってアダムの肋骨と土から作られた女性であり、ルルワは生物学的に生まれた最初の女性。
アダムとイヴの娘たちの中で最も美しかったとされ、その美しさは母親を凌いでいたと言われている。
カインが弟のアベルを手にかけた人類最初の殺人は、彼女を巡っての争いだったという説がある。
――女子会より少し前の、ある日。
――星野家。
「来ちゃった♪」
「帰れ」
突如として玄関先に現れた天河メノウ/姫川愛梨に対し、星野アクアは心底嫌そうな顔をして突き返す。
だが漆黒の少女はどこ吹く風、意に介さずどこかへと電話を掛けると、コール音がアクアの後ろから聞こえてきた。
振り返れば、そこには少年の上司にして義母、そして最愛の女性でもある斉藤ミヤコが、客人の来訪を待ち受けていた。
「いらっしゃい、天河さん。大したもてなしは出来ないけど、上がって頂戴」
「ええ、お邪魔しますね。ミヤコさん」
「……天河、ミヤコに何の用だ」
「よろしければ、アクアさんもご一緒にお聞き下さい。貴方たち二人、ひいては苺プロの存続に関わる話ですので。
――勿論、無理にとは言いません。お急ぎの用がお有りでしたら、どうぞそちらを優先してください」
この女、また面倒事を持ち込むつもりじゃないだろうなと思いながらも、聞かないという選択肢は除外した。「貴方たち二人」、「苺プロの存続」と言われ、無視出来ない案件だろうと内心で察する。そういう面では、この少女のことを信用してはいた。
アクアは溜息を吐いて観念すると、玄関の扉を渋々開け放った。
☆
「あくまでわたしの予想ですが。このままでは、苺プロは崩壊しますよ」
「何を言い出すかと思えば馬鹿馬鹿しい。そう言うからには根拠があるんだろうな?」
「有馬かなさんですよ。ミヤコさん、心当たりはありますよね」
「……無くはないわ」
「そうですよね。貴女がかなさんを苺プロに引き入れたのは、自分たちの秘密を知る彼女を手元に置いて監視する為だった。違いますか?」
「半分は、そうね。もう半分は、あの子の能力に期待しているからよ」
「おい、どういうことだ」
「彼女は苺プロのトップシークレット――星野アイと貴方たち兄妹の関係性、加えてアクアさんとミヤコさんの禁断の関係を知っている。前者は言うに及ばず、後者も使い方によっては十分スキャンダルになり得ます。
芸能事務所の美人社長が、自社の未成年タレントと肉体関係にある。それも、人妻が義理の息子に手を出している。前にも話しましたが、これは事案どころか犯罪ですよ」
「それと有馬がどう関係してくる――って、まさか……」
「ええ。苺プロは有馬かなさんのリークによって、内部から崩壊します」
「……」
「そんな、あいつがそんなことする筈が……」
「ない、と誰が保証してくれるのですか? そんなものありはしませんよ。それもこれも、貴方たちが原因なんですけどね」
「何だよ、それ」
「アクアさん。かなさんが貴方を想う気持ちは、今更説明するまでもないでしょう。
貴方とミヤコさんは仲が良すぎるんです。愛を深めていく貴方たちに、かなさんはとてもとても苦悩している。ルビーさんから惚気と愚痴を聞かされる度に、彼女は心を痛め、追い詰められていく」
「でも、それは――」
「ええ。恋愛事で、三角関係で、横恋慕なわけですから、それは仕方のないことです。アクアさんとミヤコさんが悪いわけではない。それどころか、貴方たちには幸せを享受する権利がある。むしろ義務と言ってもいい。
――でも、かなさんも頭では理解していても、心はそうはいかないわ。何しろ、13年も貴方を想い続けていた子ですもの。
アクア君。この前の家族会議より以前に、復讐を止めろと言われて、はいそうですかと貴方は受け入れられたかしら?」
「……無理だろうな。あの時、ミヤコが全力で止めてくれなかったら、俺は今でも復讐心を捨てられなかっただろう」
「でしょうね。貴方が復讐に費やした年月よりも長い間、あの子はアクア君を想っている。長年に渡って積み重なった気持ちはそうそう簡単に切り替えられるものではないし、諦めろと言っても無駄でしょう。
だからこそ、逃げることも忘れることも出来ずに、かなさんはどんどん不満を溜め込んでしまっている。それが爆発する時は、そう遠くないと思うわよ」
「……」
「例え話をしましょうか。旧約聖書の創世記、アダムとイヴの長男であるカインは、弟のアベルを荒野に誘い出して殺害した。これは人類で最初の殺人事件と言われているわ。では、殺害に至ったその動機は知ってる?」
「確か――カインが神へ贈った供え物の穀物は神に拒絶され、アベルが贈った羊は受け入れられたという事実から、
「概ね正解よ。ただ、この辺りは後世の創作や伝承も入り混じってるんだけど、その一つに面白い話があるのよ。
カインには双子の妹のルルワが、アベルにも同じく双子の妹のアレクミアが居たの。彼らの父アダムは、カインはアレクミアと、アベルはルルワと結婚するようにと言ったのだけど、カインは同じ子宮で共に生まれたルルワに強い執着を持っていて、その提案を拒絶したわ。そこでアダムは神に判断してもらおうとして、先程の供え物の話に繋がるのよ。神に拒絶されたカインは、アベルを殺せばルルワが自分の妻になると思い、弟を殺害したと、こういうことよ。
――ああ、懐かしい。昔、こうやってヒカル君や大輝ちゃんに寝物語を聞かせてあげたことを思い出すわ……」
「さっきからお前は、何が言いたいんだ」
「人間が抱く嫉妬という感情は、時として人を死に至らしめる。嫉妬こそが、人を殺すのよ。
星野アイだってそう。彼女が他の男と子どもを作っていた事実に怒り狂ったストーカーが、彼女を殺した。
――貴方たちはまた、12年前の事件を繰り返すの?」
「そんなことはさせない。――絶対に」
「ええ……そうね」
「わたしも同感。こんな所で、推しの貴方たちとかなさんを失うわけにはいかないわ。
女という生き物は、愛されないだけならまだ、耐えられる。でもね、自分が愛されていないのに、他の女が愛されているという嫉妬心には、絶対に耐えられない。
特に、若く真面目な女の子ほど、限界を超えた時の反動は大きく、何をしでかしても不思議じゃない危うさを持っているわ。彼女は善良な人間だけど、善良な人間だからこそ、極端から極端に走る恐れがある。
かく言うわたしも、かなさんが悪意を持って貴方たちの情報を売るとまでは考えてはいないわ。でも、ふとした拍子に、出来心で貴方たちの情報をうっかり漏らすくらいのことはしでかすわよ。いずれ、必ずね。
アクア君とミヤコさんは、お互いで欲望を発散している。ルビーさんは、わたしとかなさんに泣き言や愚痴、惚気を聞いてもらえる。わたしは、貴方たちとかなさんを愛でて心を豊かに出来ている。
――では、かなさんは? 彼女は誰に救いを求めればいいのかしら?」
「あいつは……」
「……確かに、誰も居ないわね」
「ええ。誰かに愚痴を言うのは、誰かに秘密を漏らすことと同義よ。事情を知っていて泣き言を言える相手が、彼女にはほぼ居ない。今はわたしが受け皿になっているけど、それもあくまで一時しのぎ。根本的な解決にはならないわ。
アクア君。有馬かなさんはね、自宅のベッドに寝転がりながら、指先一つで貴方たちの人生を壊せるってことは――決して忘れないで」
「……ああ。よく覚えておくよ。で、これがお前の言いたかったことか?」
「ここまでは前置き。本題はこれからよ」
「……言ってみろ」
「では、遠慮なく。
アクア君――かなさんを、愛してあげなさい」
「……」
「漏れてはいけない機密を知った目撃者をどうすべきかは、大きく分けて二つ。
一つは、物理的に口封じするか。もう一つは、その相手を共犯者に仕立て上げるか。
かなさんを、貴方たちの禁断の関係に巻き込みなさい。貴方たちで手籠めにしなさい。彼女の恥ずかしい所、醜い所も含めて受け入れてあげなさい。お互いの秘密を共有しなさい。――これが、一番スマートな解決法よ」
「……」
「かなさんはアクア君の愛を得られる。アクア君は両手に花でおいしい思いができる。ミヤコさんは告発されずに済む。苺プロは今後も存続出来る。これで八方丸く収まるわ。どう? 悪い話ではないと思うのだけど」
「私の気持ちは勘定に入っていないようだけど?」
「かなさんを受け入れると言ったのは貴女でしょうに。それとも、アクア君と付き合うようになって、やっぱり彼を独り占めしたくなっちゃったのかしら」
「……そうね。私だって女だもの。本当は……私一人だけを愛して欲しいのよ」
「ミヤコ……」
「かなさんがアクア君を諦められるならともかく、それは無理だとさっき言った筈よ。貴方たちの関係は、星野アイが亡くなってから始まったものでしょう? アクア君を想う時間の長さで言えば、かなさんはミヤコさんを上回るのよ」
「そうよね……」
「それにね、ミヤコさん。どう取り繕っても、貴女とアクア君の関係は不倫でしかない。結婚も出来ない歳の、未成年の子どもをやり込めたという事実は変わらないわ。
貴女は法を犯している。道徳に唾を吐きかけ、倫理に背いている。いかなる理由があるにせよ、夫を裏切っている貴女がアクア君には潔癖を求めるなんて、それは虫の良すぎる話じゃない?」
「それ、は……」
「本妻になりたいなら、寛容さを覚えなさい。どこの馬の骨とも知れぬ女とコソコソされるよりかは、目の届く所で信頼出来る二号さんと遊ばせておく方が、精神的にも余程良いと思うけどね」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
「ルビーさんによれば、盛りのついたオスだの、発情したケダモノだの、ミヤコさんとの交尾しか頭にないんじゃないの、と聞いているわ。ちょっと羽目を外しすぎよ、貴方たちは」
「あいつは……!」
「ルビーさんはちょっと口が軽すぎるわ。現状、かなさんよりも彼女から苺プロの内情が漏れるリスクが高いように思えるわね」
「帰ったら説教だわ……」
「まあ、それは兎も角として。ミヤコさん、火遊びが楽しいのは判るわ。本っ当によく判るわ。わたしも、似たような経験があるから。でもね、火事にならないうちに、もうそろそろ
「はぁ……そうよね……」
「もういっそ、ミヤコさんがかなさんに夜の手解きをしてあげなさいな。あの子は恋愛に関して奥手にも程があるわ」
「そこまで塩を送る必要があるのかしら……?」
「どうせ竿姉妹になるのなら、どのみち遅かれ早かれよ。わたしだって、ヒカル君とは皮の剥きかたと洗いかたから関係が始まったのよ。ここは恥垢が溜まりやすいから綺麗にしておかなくては駄目よ、って実戦形式で教えてあげたの。そうしたら、ヒカル君ってば大きくしちゃったものだから――」
「聞いてねえよ」
「ミヤコさんも、アクア君とは昔から一緒にお風呂に入る間柄だったんでしょう? 貴女も似たようなことはやらなかった?」
「アクアは恥ずかしがって、そういうのは自分でやってたわね。でも、恥ずかしがるこの子の身体をくまなく洗ってあげて、私も仕事のストレスを発散させていた覚えはあるわ」
「そうよね! 実際に触れてみて、前より背が高くなったとか腕が長くなったとか、わたしもヒカル君の成長を実感したものよ」
「ああ、判るわ。直接触らないと気付かないことってあるわよね。この子は、いつ私より大きく成長するんだろうって考えたものだけど、その前に一緒にお風呂に入るのを止めちゃったから……」
「例の、お風呂で大きくしちゃった事件よね? やっぱり、ヒカル君と貴方は親子なのね……」
「……っ!」
男は育ての母親には敵わない、と言ったのは誰だっただろうか。それは、未熟で恥ずかしい己の過去までその尽くを知悉されているからだ。
この12年間、憎しみの対象でしかなかった父親。だが星野アクアは生まれて初めて、彼の気持ちが少しだけ理解出来たような気がしていた。
重曹ちゃんの告白までもう少しお待ちください。
本作のミヤコと姫川愛梨は類友なので、男のことになると話が弾みます。