星の子どもたち   作:パーペチュアル

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Onyx 11

 

 

 

「なあ、天河。お前はどうしてそこまで、有馬に肩入れするんだ?」

「入学式の時に話したでしょう? わたしはかなさんみたいな娘が欲しかったのよ」

「だとしてもだ。娘の初体験の相手になってくれとか愛してやってくれとか、いささか過保護がすぎるだろう。何か他にも理由があるんじゃないのか?」

 

 少しだけ目を丸くした天河メノウ/姫川愛梨は、やがてにっこりと微笑むと、ふっと息を吐いて口火を切った。

 

「――そうね、貴方たちには話してもいいかもね。

 アクア君は、わたしとかなさんが共演したドラマのことは知ってる?」

「ああ。一通りは観たぞ」

「あのドラマのラストシーン、どう思った?」

 

 姫川愛梨が演じる主演の女は不倫相手の子どもを身篭り、逆上した夫に不貞を責められ首を絞められたその時。もがく腕が近くにあった(はさみ)を掴み、振り回された刃が夫の首筋に吸い込まれた。

 自らの血に溺れ、呼吸困難と急性ショックで苦しんだのち絶命する夫。残されたのは返り血を浴びた、お腹が僅かに膨らんだ妻一人だけ。

 男の遺体に縋りつかれ、手と頬と首筋を紅い血で染め、呆然と中空を見上げる女は凄絶なまでに美しく、見る者の総身を震わせずにはいられなかった。

 果たして偶然か必然か、死んだ夫の手は女の腹の上に添えられており、それは新たな命の芽吹きを祝福する様にも見えて。例えるなら、可愛らしいぬいぐるみに血まみれの凶器を持たせたような、歪さとおぞましさから来る、芸術的なまでに異彩を放つ至上の美。

 

 その後。彼女の夫は、住んでいた家は、暮らしていた村は、全てが炎に包まれた。

 彼女を責め続けた姑も、悪い噂話ばかりしていた村人も、誰も彼もが焼け死んだ。

 

 その一年後、迎えたラストシーン。

 彼女と不倫相手の男がどうなったか、そこで語られることはない。

 

 登場するのは、有馬かなが演じる小さな娘と、赤子の男の子だけ。

 娘が、ベッドで眠る赤子をあやしているシーンで幕を閉じる。

 

 

 

「あの時の有馬は、まるで……姫川愛梨(あんた)みたいだった」

「そう、そこよ。わたしがかなさんに目を掛けている理由はね」

 

 

 

 監督が有馬かなに出したオーダーは、至極単純。姫川さんのように笑ってくれ、と。

 言うは易く、行うは難し。ある意味で、朝ドラのヒロインを務めたこともある一流の女優と同じ演技を要求されているのだ。いくら早熟で見込みのある子役であっても、無難な演技にまとまるだろうと誰もが思った。

 

 ――だが。彼女は、見事その要求に応えた。いや、その場に居た全員の期待以上のものを見せたのだ。

 

 人間の心臓は、握り拳の大きさとほぼ同じである。

 柔らかく丸まった赤子の手。小さく、儚く、しかし確かに息づく命の灯。

 その手を包み込むように、熱い日差しを遮るように、冷たい雨から守るように。幼子(おさなご)の手のひらは、赤子のそれを囲む生命の卵を思わせて。

 薄く開いた双眸は優しく、木漏れ日から空を眺めるように。心臓の鼓動も、静かな息遣いも、二つの命が重なっていくように。

 それはあたかも、聖母(マリア)(かいな)に抱かれる救世主(メシア)の具現。

 

「あの時のかなさんは最高だったわ。信じられる? 齢2、3歳の子どもが、画面越しに判るほどに母性の片鱗を垣間見せたのよ?

 わたしは思ったわ。ぜひ、この子を育ててみたいとね。この子は鍛え上げれば、間違いなく名女優になると確信したわ」

 

 だが、ドラマの収録が終わって間もなく、姫川愛梨は軽井沢で死亡した。夫の上原清十郎の心中に巻き込まれて。

 彼女の望みは果たされることなく時は過ぎ、有馬かなは女や母性ではなく泣き演技ばかりを求められ、事務所もその需要に応える方向に舵を切り。

 やがて――飽きられた。米国の某巨大スタジオがヒーロー映画を次から次へと乱発し、食傷気味の観客は次第にスクリーンから離れていき、巨額の赤字が膨れ上がる事態になったのと同じように。

 

「そんな子がタダ同然のギャラで雑に使われているものだから、勿体ないにも程があるわ。だから、今は曇っている金の卵を囲い込もうとしたんだけど……アクア君といい、かなさんといい、中々上手く行かないものね」

「胡散臭いんだよ、お前は」

「ふふ、わたしもまだまだということかしら。まあ、わたしのことは置いておくとして。かなさんを天才子役から女優に成長させるには、絶対的に足りないものがあるわ。技術や知識はわたしが教えられるけど、経験だけはどうしようもない。女の子が大人の女へと羽化する為には、本気の恋愛を経験する必要がある。

 ――だから貴方なのよ。13年にも及ぶアクア君への気持ちに決着が着かなければ、彼女は高みに行くことが出来ない。そこら辺の男で雑に処女を捨ててしまえば、かなさんは芸能界を引退して程々の大学で骨を休めることになるでしょうね。共感力が強くて圧しに弱いあの子のことだから、飲みの席でお持ち帰りされて食われるのは目に見えているわ。それじゃ駄目なのよ。本気の恋を経て、本気の愛を手にしなければ、一流の女優にはなれない。その入口にすら辿り着けないの。

 アクア君。これは貴方たちの為でもあるけれど、かなさんの為でもあるの。彼女の将来への礎だと思って、一肌脱いでくれないかしら?」

「……(もっと)もらしいこと言ってるけどな。単純に――面白がってるだけだろ」

「嫌ね、そんなの両方に決まってるじゃない。つまらないことはしないわよ、わたしは。据え膳がそこにあって、鴨が葱を背負って来るんだから、食べないのは寧ろ失礼だと思うけど」

「お前な……」

「嘘は言っていないわ。かなさんを守ってあげられるのは、アクア君だけ。かなさんを幸せにしてあげられるのは、アクア君だけ。だったらもう、迷う必要はないんじゃない?

 ――だからアクア君。どうか、かなさんの初恋を叶えてあげて」

「嫌だと言ったら?」

 

 途端に。ズズズ、と彼女から溢れる闇が空間を侵食していくような錯覚を覚える。太陽の曙光が地平を照らしていくのとは逆の、飲み込むように忍び寄ってくる暗黒の気配。

 

「先程、有馬かなさんは指先一つで貴方たちの人生を壊せると表現しましたが……それが出来るのは、彼女だけじゃないん(わたしも)ですよ」

「天河……お前、ベッドの上じゃ死ねないぜ」

「わたしもそれには同意します。前世では自宅どころか別荘で夫に縊り殺されたわけですからね。

 それで、答えをお聞かせ願えますか? 星野愛久愛海(アクアマリン)さま」

 

 だが。斉藤ミヤコと結ばれる前だったらこの闇に呑まれていただろうが、今の星野アクアには通用しない。少年の瞳には、星の天使と地上の女神が、最高の母親が二人も居てくれるから。

 

「断る。お前の指図は、受けない」

「……そうですか。なら仕方ありませんね。でしたら、」

 

 だから――相手が神だろうと悪魔だろうと、目の前の魔女であろうと負けはしない。決して。

 

「勘違いするな。お前に言われたから、どうこうする訳じゃないって話だ」

「え……?」

「恋愛なんて、人から言われてするものではないだろう。お前に唆されて有馬を抱いたところで、俺もあいつも幸せにはなれない。それでは結局、有馬が女優として大成することはない。そんな道を俺は選ばない」

「……」

「だから俺は、あくまで俺の意志で有馬の気持ちに向き合う。その上で決める。お前の事情や気持ちなど関係ない――それだけだ」

 

 少年の瞳はどこまでも真っ直ぐで、強く揺るがない光を放っていて。周囲から迫り来る影の気配を寄せ付けようとしない。

 そのまま対峙すること、数秒。やがて、部屋を覆っていた闇が収束し、少女の中へと戻っていく。とりあえずは矛先を収めてくれたようで、斉藤ミヤコは胸を撫で下ろした。

 だが――。

 

「ふふ……そうね。そうよ、それでこそよ……!」

「一体何だよ、気持ち悪いな……」

「ボクシングの格言で、こういうのがあるの。上品な技術だけでは世界を奪れない。時にはリングを血に染めるほどの野蛮さも必要だ――とね。何が言いたいか判る?」

「知るか」

「武器が一つだけでは駄目だということ。そして、時には相手の意志や都合を無視して強引に迫ることも必要だってことよ。

 20年前にヒカル君を犬にしていた時、わたしはとても幸せだった。本当に満たされていた。この時間が永遠に続けばいいと思っていた。でも何故か最後の方、別れる直前は少々物足りなくなっていたのよ。当然よね、どんなに美味しい料理でも、毎日続けば食べ飽きるもの。

 ――わたしはね、アクア君。本当は、彼を抱くだけではなく、彼に強引に抱いてほしかった。包み込んであげるだけではなく、彼に無理矢理包み込んで欲しかったの。20年前の小さなヒカル君ではそれが叶わなかったのが、本当に心残りよ……」

「天河さん……」

「だからミヤコさん、貴女が羨ましいわ。アクア君を抱くのも、アクア君に抱かれるのも、気の赴くまま好きなことを試せる貴女が……」

 

 斉藤ミヤコには彼女の気持ちが良く判った。アクアとのこの1ヶ月ほどの蜜月、色々なことを試した。どちらが主導権を握るか、どこの場所で、どんな服で、どんな道具で、どんな体位で、どんなシチュエーションで――。

 昔から言われているではないか。カップルの仲を長持ちさせる秘訣は、互いへのほどよい刺激だと。

 

「ああ、あのままヒカル君と一緒に居られたなら、もっともっと色々なことが出来たでしょうに……。

 とは言っても、ヒカル君とかなさんへの未練があったせいで転生したのかもしれないし、悪いことばかりでもないのだけど」

「天河さん。そこまで彼を想っていたなら、何故別れたのよ?」

姫川愛梨(わたし)のスポンサーが神木家から清十郎ちゃんに代わったからよ。芸能界で成り上がるにはどうしたってお金と権力が要るから、スポンサーは必要不可欠だった。清十郎ちゃんの妻になるかわりに、彼に芸能活動をバックアップしてもらう取引だったの。

 まあ、その辺の話はいずれまた聞かせてあげるわ。――アクア君」

「何だよ」

「今からでも、わたしの犬にならない?」

「おととい来やがれ」

「ふふ、いけずな人……」

 

 アクアの片腕が柔らかい双丘の感触に挟まれる。斉藤ミヤコが彼の腕を取って抱き着いており、天河メノウ/姫川愛梨を半眼で睨んでいる。

 嘘か本当か「冗談よ」と漆黒の少女は返すも、芸能事務所の女社長は金紗の少年から離れようとはしなかった。

 

 それにしても、神木ヒカルと有馬かなはとんでもない女に目を付けられたものだとアクアは思う。こんな遅効性の猛毒みたいな少女に纏わりつかれて、神木はさぞ胃を痛めている日々だろうと同情さえする。

 

 では、有馬かなに対してはどうだろうか。

 色々な思惑があるにせよ、姫川愛梨が有馬かなの現状を憂い、将来を慮っているのは事実。いささか乱暴ではあるにせよ、彼女に道を示し、あちこちに根回しして未来を切り拓こうとしているのは間違いない。

 前に有馬かなは言っていた。母親は田舎に引っ込んだから今は独り暮らしをしている、売れなくなった私の世話をするのが嫌になったのかもね、と。

 

 有馬かなを見捨てたと言っても過言ではない、彼女の実母と。

 有馬かなとほんの数ヶ月しか付き合いがないにも関わらず、こんな娘が欲しかったと彼女の世話を焼き、愚痴を受け止め、彼女が成長する道を模索し続けている姫川愛梨と。

 果たしてどちらが、彼女の母親に相応しいのだろうか――。

 天河メノウは胡散臭くて得体の知れない女だが、心の底から嫌うことが出来ないのは、こういう所があるからだろう。

 

「話を戻しましょうか。イケメン男子から強引に迫られるのは、女の子にとって憧れなの。その男の子が好きな人だったら尚更ね。

 アクア君、かなさんに対して強気に出てみなさい。雰囲気次第では無理矢理押し倒しても構わないわ。それであの子は落とせるわよ」

「俺はまだ、有馬を口説くとは一言も言ってないぞ」

「あら、そう? なら、せいぜい期待させてもらうわ。貴方が、かなさんの気持ちにどう向き合うのかを。

 でも、内心ではもう答えは決まっているのよね? 何しろ、『星野アクアは欲張りなんだよ』――なんでしょう?」

「……っ! ルビーのやつ、ペラペラと……!」

「近日中に、かなさんを試します。アクアさんへの恋心を諦められるのか、そうでないのか。彼女の返答如何によっては発破を掛けますので、かなさんを振るにしろ受け入れるにしろ、心の準備はしておいて下さい」

「わざわざ有馬をけしかけるような真似をするのか?」

「いつ飛ぶかわからないガタガタ路面を攻略するコツは、はじめからふっ飛んでいけばいいんです。彼女が他所で爆発しないうちに先手を取りましょう。特につい先日、貴方は今ガチで黒川あかねを口説いていたでしょう? かなさんもあの番組を観ていますから、間違いなく今は大きなストレスが溜まっているでしょうね」

「……はぁ、わかった」

「また、近いうちに会いましょう。お二人とも、今日は楽しかったですよ。

 それと――」

「……?」

 

 立ち上がった天河メノウ/姫川愛梨は居ずまいを正し、二人に対し正面を向いて、手のひらを身体の前で重ね合わせて。

 その表情は紛れもなく、母親の如き慈愛に満ちていた。

 

「かなさんのこと、よろしくお願いしますね。アクアさん。

 ――では、ごきげんよう」

 

 そうして、漆黒の少女との会合は終わった。そんなに長時間というわけでもないのに、彼女と話していると疲労が段違いであり、二人は隣り合った椅子の背もたれに上半身を預けて息を吐いた。彼女は人生の岐路というか、大きな決断を迫られる時に限ってやってくる。

 

 やがて、少年の肩に女の頭が乗せられる。そのまま暫し、互いの呼吸音と時計の針の音だけが、静寂の空間の中、静かに時を刻んでいた。

 彼女のこの感触は嫌いじゃない。寧ろ、愛おしいと言ってもいい。

 でも。この温かさは、柔らかさは、彼女が弱くなったという事実を少年に突き付けてくる。

 

 そう。斉藤ミヤコは、弱くなった。

 今まで被り続けていた強く気高い母親という仮面を脱ぎ捨て、本来の彼女、一人の女としての素顔を見せるようになった。それ自体は喜ばしいことなのだろう。若い女に嫉妬心を露にするのも、彼氏として可愛いものだと思いさえする。

 

 だが、今の斉藤ミヤコは一人では生きていくことは出来ないだろう。愛する人へ寄りかかる気持ち良さ、身を預ける心地良さに溺れてしまったから。

 そしてそれは、星野アクアにとっても同じだった。紆余曲折の末、ようやく手に入れた真に愛する女性。本当に大切な人を、この(ひと)が居なければ生きていけないとまで思わせる彼女を、もう一人の母親までも喪うわけにはいかないから。絶対に。

 自分の存在が彼女を弱くしてしまったのなら、その分を自分が埋める。彼女が抱えているものを共に背負うって、決めたから。

 

 その為にも、今自分が為すべきこと。自分がどうしたいのかを。

 左の肩に頭を乗せている女を守る為に、別の女の頭を右の肩に乗せなくてはならないという矛盾。それすらも含めて、全部纏めて愛してみせる。全部手に入れる。

 

 何しろ自分は、星野アクアは――欲張りなんだから。

 

 

 




次回、重曹ちゃんのターン


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